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第四話『一番の宝物』

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 ルフレさんと『お父様』達が酒宴で盛り上がっている頃。
 私は、久し振りに『お母様』と二人で少しお話をしていた。

 ルフレさんとの子供を身籠っている事を知った時は、とても驚いたけれど……それ以上にとても嬉しかった。
 愛する人との子供が、自分とルフレさんの命の糸が繋がった先の新たな小さな命がこの身に宿ったのだ。
 それを嬉しく思わない筈は無かった。

 ……だけれども、そうやって一頻り喜んだ後で、どうしようもなく不安になってしまったのだ。

 自分は、「この世界」にとっては存在しない筈の者。
 歪められた時の環によってこの世界に在る者。
 時を歪め変えてしまったその影響を、自分はまだ完全には把握出来ていないし、もしかしたらうんと何十年と経ってからそれが発覚したりするかもしれない。
 何にせよ、私の存在が「この世界」にとってどう扱われるものなのか、全く分からないのだ。
 それなのに、こうして新しい命をこの身に宿した。
 ……時の環を歪めた報いを、自分一人が受けるのならまだ良いのだ、それはとうに覚悟しているから。
 だがもしも、自分だけでなく、この腹の子もその影響を受けたら……その所為で苦しい目に逢ったり辛い想いをしたら。
 それを考えるだけで、私は恐怖に苛まれるのだ。

 そして、不安の原因はそれだけではない。

 自分の子供であると言う事は、即ち「聖王家」に連なる者であると言う事。
 それは……その身体の何処かに、『聖痕』と言う形でその証が示されてしまうと言う事でもある。……私の左眼の様に。
 そっと左眼を押さえる様に瞼に指先を当てる。
 ……『これ』は、自分の誇りの拠り所であると同時に。
 決して逃れ得ぬ枷でもあった。
 特に、有り得べからざる存在として此処に居る私にとって、これは禍の種になりかねないモノである。
 私から『聖痕』を受け継ぐと言う事は、間違いなくその一生に何かしらの不自由が課される。
 誰の目が見ても明らかである証と言う事は、その出自を秘匿せねばならぬ時には枷にしかならないのだから。
 衣服で隠せる場所や誤魔化し易い場所に刻まれるならまだ良いが、自分の様に隠すのもやや難しく誤魔化しも難しい場所に刻まれたら、きっと不自由を強いる事になるだろう。
 自分の場合は仮面を被るか眼帯で隠すしか無いが、そのどちらもが却って人の目を惹いてしまうモノである。
 自分は、先の戦争の折に負傷したからだと偽っている為、同情の様な視線を向けられる事はあっても、奇異なモノを見る視線は少なく、下世話な好奇心を向ける者も少ない。
 だが、初見の場合だと酷く眼帯に注目される事が多い。
 ……生まれてくる我が子が女の子であり、もしルキナの様に眼に『聖痕』が刻まれていたらと思うと居た堪れなくなる。
『お父様』は、出産の際には聖王家との繋がりも強い、口の堅い信頼出来る産婆を寄越すとそう言っていたが……。
 それでも不安は尽きない。
 イーリスの歴史を紐解くと、火遊びで産まれた『聖痕』を宿した庶子の扱いを巡って争いが起きた事は幾度もある。
 自分達がその禍にならない保証は無い。

 ……そして、最も不安な事として。

 どうすれば自分が『母親』として正しく在れるのか、全く知らないのである。
 ……あの『絶望の未来』ではそんな事を学んでいる暇は無かったし、この世界でもそれは変わらない。
 そもそも、この世界に在ってはならぬ存在である自分が、「誰か」と子を成すなんて可能性を端から考えていなかった。
 だから、右も左も分からないのに、突然『母親』となる事が決まったルキナは、狼狽え不安になるしかないのだ。
 そしてそれを、『父親』としての役割が降って湧いた事で右往左往しているだろうルフレに頼る訳にもいかなくて。
 それを誰にも言えずに、独り抱え込んでいた。

 だが、それを見抜いたからなのかは分からないが、『お母様』から食事の誘いが来たのであった。
 戸惑いながらもそれを受けて、夕食の席に招かれたのであったが。食事中はともかく、食後の話題に窮してしまう。
 そんな私に、お母様は、もっと肩の力を抜いて気軽に話をしよう、とそっと微笑んだ。
 ……その微笑みは、『絶望の未来』で喪ったお母様の微笑み方と全く同じで。それが少し胸にチクリと痛みを与える。
 そんな私の顔を見て、少し困った様に微笑んだ『お母様』は、手ずから淹れた食後のお茶を勧めてくる。
 それを有難く受け取って、一口飲んだ。その途端。
 ふわりとした優しい甘さと、和らぐような清涼感を感じた。


「……このお茶は……」


『絶望の未来』で、幼い自分が不安になった時に、何時も『お母様』が淹れてくれたお茶と、同じモノであった。
 不思議と心が落ち着くその味と香りを、味わっていると。
『お母様』は、私がルフレさんとの子供を身籠った事を、心から喜ぶ言葉を贈ってくれた。
 妊娠が分かって直ぐに、ルフレさんと共に『お父様』と『お母様』にはそれを伝えたのだけれども。
 そう言えばその後でこうして二人になる事は無かった。
 だからなのか、面と向かって祝福され、何となく面映ゆい。
『お母様』は、『お父様』と同じく、ルフレさんと『夫婦』になった時も、そして子供ができた時も、我が事の様に喜んでくれて、そして何時も私の『幸せ』を願っていてくれた。
 ……やはり私にとってのお母様は、『絶望の未来』で喪ったあのお母様だけなのだけれど。
 それでも『お母様』も大切な「家族」だ。
 祝福されて、嬉しくない訳は無かった。

 細々とした日々の話が弾む内に、何か心配な事や悩み事は無いかと、『お母様』はそう私に尋ねてくる。
 その優しい眼差しは、私の悩みや不安なんて全て見透かしている様に思えて。
 そして……『母親』としての深い慈愛に溢れたその眼差しに促される様に、ポツポツと話し始めてしまった。

 産まれてくるだろう我が子に、辛い想いをさせてしまわないかと言う不安。
 ちゃんと『母親』に成れるのだろうかと言う不安。
 それらは押し殺していた筈なのに、一度打ち明け始めると堰を切った様に後から後から溢れ出してきて。
 気が付けば、話そうとなんて全く思っていなかった事まで、『お母様』に打ち明けてしまっていた。
 もしかして気分を害してはいないだろうかと、そう不安になってその顔を恐る恐る覗き込むと。
『お母様』は少し哀しそうな顔で、だけれども微笑む様に、私を静かに見詰めていた。

 そして、ふわりと席を立って。
 幼子にそうする様に、私の身体を優しく抱き締めてくれた。
 突然のその行動に驚いていると、『お母様』はまるで子供をあやす様にゆっくりと背を撫でてきて。
 ……それが、まるであの日の……。
 この身の上を『お父様』に語り……そしてそれを『お母様』にも受け入れて貰ったあの日、抱き締めてくれた『お母様』のその手を、どうしてだか思い出してしまう。
 少し泣いてしまいそうになりながらも、どうかしたのかとそう『お母様』に尋ねると。
『お母様』は優しく微笑んで、頑張っている『娘』を励ましているのだと、そう笑った。
 その顔が、お母様のそれと重なって、胸が少し苦しくなる。
『お母様』にとっての娘は、「ルキナ」であって、此処に居る自分ではないのに。
 それでもそうやって自分の事を想ってくれるのが、とても嬉しかった。……そしてそれと同時に少し寂しい。

 そんなルキナに、『お母様』は、「ルキナ」が産まれた時の事を話し始めてくれた。


『お父様』と結ばれて、そして「ルキナ」を授かった時。
『お母様』は喜びと同時に、とても不安になったそうだ。
 ……聖王家の者には、『聖痕』が存在する事を先ず前提として求められる。それが血統の正統性を示すモノであるからだ。
 ……聖王家に生まれながら、『聖痕』が発見されなかった者は、その正当性を生涯疑われ続ける事になる。
 丁度、リズ叔母様がそうであった様に……。
 王家の歴史を紐解けば、かつては『聖痕』が無いからと王家から抹消されてしまった者も居たらしい。
 そう頻繁にある事では無いらしいが、間違いなく『聖王家』の者でも『聖痕』が確認出来なかった者は今までも居た。
 更には、王族が降嫁したりした場合も、一代二代は『聖痕』が表れる事が大半であるのだが、次第に『聖王家』の血が流れていても『聖痕』が表れなくなる事も確認されていて。
『聖王家』の血を継ぐからと言って必ずしも『聖痕』がその身に現れる訳では無いらしい。
 学者の説によると、聖王を継承する一連の儀式や、或いはファルシオンや『炎の台座』などの神宝が近くに存在する事が、次代以降の『聖痕』の発現に何らかの関与をしているのではないかと言う説もあるらしいのだがそれは定かではない。
 だからこそ、産まれて来た我が子に『聖痕』が無かったらどうしようかと、『お母様』は不安になったらしい。
『聖痕』が有ろうと無かろうと、愛しい我が子である事には変わりないけれど。
 ……『聖痕』を持たぬ王族が何れ程大変な目に遭うかをよく知っているだけに、その様な苦労を我が子に与えるのではないかと思うと、気が気では無かったらしい。
 だけれども、そんな不安は。
 産まれた「ルキナ」のその産声を聞いた瞬間に、その儚い身体を抱き締めた時に。全て消え去ったのだと。
 そう『お母様』は微笑んだ。
 だから、心配なんかしなくて良いのだと。
 誰もが皆、『母親』になるのは初めての時があり、その時は新米の『母親』として右往左往する事になる。思い通りになる事なんか殆ど無い。それでも、産まれて来た『我が子』と一緒に、『母親』になって行けばいいのだと。
 そう元気付ける様に、笑ってくれた。

 困った時には何時だって、自分や『お父様』を頼ればいい、『家族』を頼ればいいのだと。
 そう微笑む『お母様』は……間違いなく、『母親』であった。

『お母様』に話を聞いて貰って、少し気が楽になった私が、またこうして話をして貰っても良いだろうかと訊ねると。
『お母様』は、何時でも待っている、と。
 そう微笑んで、ルフレの待つ家に帰る私を笑顔で見送ってくれるのであった。

 悩みが全て消えた訳では無いけれど。
 それでも、久し振りにとても心が軽くなって。
 我が子を祝福する様に、お腹にそっと手を当てた。






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