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第四話『一番の宝物』

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 ルキナが、妊娠した。
 今は目に見える変化は無いのであるが、その腹には、ルフレとルキナの……『子供』が居る、と言う事になる。
 ルフレは、それを聞いて理解した筈……なのではあるが。
未だにその事実には何処か現実感が無く、どうすれば良いのかと戸惑ってばかりいる。

 いや、自分達の間に『子供』が出来る事自体は、何もおかしな事では無いのだ。
 ルフレとルキナは、度々性行為を行っているし、その際に特に避妊はしていなかったので、まあ『子供』が出来る事自体は自然の摂理であろう。
 が、それはまだ先の事になるだろうかと思っていたのだ。
 何時なら良いのかと問われればそれはそれで答えに窮するが……少なくともまだ結婚してから半年程度なのだ。
 ルフレの心の準備と言うモノは、全くと言って良い程、出来てはいなかった。
 が、妊娠に関して一番不安を感じているのは、ルフレでは無くルキナであろうから、ルキナの前では狼狽えたり混乱している姿は極力見せない様にしているのだけれども。
 しかし、冷静さを幾ら装うとも、ルフレが混乱しきっている事に変わりはない。

『子供』を、望んでいないと言う訳では無いのだ。
 寧ろ、ルキナとの間に、新たな命が芽生える事があるのなら、それはとても素敵な事であろうと心から思っていたし、ルキナに似た子供に囲まれる夢を見た事もある。
 妊娠を祝福していない訳では無いのだ。
 だけれども。
 そんな夢を見る傍らで、ルフレには『子供』を授かる事に関して、どうしても気掛かりな事があった。

 その一つが、ルフレが『ギムレー』の血を引く……と言うよりも『ギムレー』そのものであると言う事実だ。
 あの烙印の様な痣は、もうこの身からは消え失せ、『ギムレーの器』としてからは解放されている……とは思うのだが。
 果たして本当にそうなのかは確証が未だに持てない。
 更に言えば、『ギムレーの器』としての宿命自体からは解放されていようとも、この身体に「異質」な血が流れている事には全く変わりが無いのだ。
 もしその「異質」な血の所為で、何時か我が子が苦しむ事になるのではないかと思うと……その不安は拭えない。
 況してや、ギムレー教団の様な『ギムレー』の狂信者がそう言う血を求めて何かを仕出かさないとも限らない。
 ギムレー教団自体は、『ギムレー』との決戦の後にクロム達が念入りに解体して、もう残党と呼べる様な者も残っていないとは言うが……だが地下に潜っている可能性はある。
『ギムレー』そのものではなくとも、『ギムレー』に近い悍ましい何かを生み出そうとして、今後そう言った連中が暗躍する可能性は常に考えておかねばならない。
 ……そして、そう言う妄執と狂信に憑りつかれた者達の執念は、決して甘く見て良いモノではない。
 グランベル伝承に伝わる悲劇も、その裏に在った狂信と妄執の結果だとされているし、ルフレが『ギムレーの器』として生み出された……否、「造られた」事も、ハッキリと言えば怖気立ち吐き気を覚える程の狂気と妄執の結果だろう。

 少なくともファウダーの祖父の代から、『ギムレーの器』を造り出そうと試行錯誤が繰り返されていた様であるし、更にそれよりも前に遡る事だって出来るだろう。
 ルフレと言う「完成品」を得る為に、どれ程の「未完成品」や「失敗作」が生み出されていたのだろうかと想像するだけでも恐ろしいし、ルフレに腹違いの兄弟やらが大勢いてもおかしくないと思っている。存在したとして……そう言った「未完成品」の者達が今も生きているのかは分からないが……。
 まあ、ルフレが生まれた背景には、悍ましい事情が渦巻いていたのだろうとは思うのだ。
 幸いな事に、ルフレはそれを知らないしその記憶も無いが。
 そんな訳で、この血を引き継ぐ事が果たして良い事なのか……何時かこの血が我が子への『呪い』にならないかと思うと、子供が出来た事を手放しでは喜べないのだ。
 血の『呪い』の恐ろしさを、ルフレは身を以て知っている。
 無論、それが全てでは無いのだけれど、それを打ち破る程の「何か」を手にする事もまた、とても難しいものだ。
 だからこそ、我が子にそんな血の災禍を押し付けたいと思える訳も無いのである。

 それに、『ギムレーの器』としての血だけでなく、ルフレが「異質」な点はもう一つある。『消滅』と言うカタチの『死』を、一度超越してしまっているという事だ。
 正直、こうしてこの世界に自分が還って来れた原因は、ルフレ自身にも未だに分からないのだ。
 ルキナやクロム達との繋がりや、彼等の想いがあったからこそだとは思うけれども。しかしそれが在ったからと言って、完全に無へと還る様に消滅した者が、その『死』を乗り越えて再び舞い戻る事など普通ならば出来はしないのだ。
 魂呼ばおうにも、そもそもの肉体すら欠片も遺さず消滅していたのだから、呪術の中でも伝説の秘奥……禁呪の一つである「反魂」なり「死者蘇生」とも訳が違う事なのである。

 物質的な「無」から「有」は生まれない。
 だが、ルフレはそれを覆してしまっている。
 一度完全に消滅した自分と、今の自分。
 果たしてそれは同じであると言えるのであろうか? 
 肉体を構成する全てが、「あの日」よりも前と同じモノであると……果たして本当に言えるのであろうか? 
 それは、ルフレ自身にも分からない。
 少なくとも表面上、ルフレが自分で知覚出来る範囲では、かつての自分のそれとあまり変わり無い様に思えるけれど。
 この身体を切り裂いて隅々まで観察した訳では当然無いし、そもそも自分自身の事であろうともその全てを自らの意識が知覚出来る訳では無いのである。
 ルフレの分からない部分で、何かが決定的に「違って」しまっている可能性だって完全には否定出来ないだろう。
 だからこそ、それが恐ろしい。
 今の自分は、自分を『人間』だと思い込んでいる『人間』ではない「何か」であるかもしれないのだ。
 ルフレ一人の問題に留まるのであれば、別にもう自分が『人間』のフリをしている化け物でも何でも良いのだけれども。
 そんな存在の子供として生まれる我が子が、それの所為で辛い思いをしないだろうかと思うと、とても不安になるし、故に悪い想像は止まる事を知らない。
 その不安を払拭する術が無いが故に、その実体の無い「不安」は際限なく膨らみ続ける。

 そして最後に一つ。最も不安を生み出す種とは。
 ルフレが、『親』と言うモノを、知らない事であった。
 ルフレには、「過去」の記憶が無い。
 この世に生まれ落ちて、そしてあの出逢いの日にクロムの手を掴んだ瞬間までの一切の「過去」を消失している。
 そして、クロムに出逢ってから唯一巡り逢った「肉親」は、よりにもよってあの狂人ことファウダーである。
 ファウダーにとってのルフレは「我が子」ではなくて『ギムレーの器』でしかなかったし、ルフレとしての意識とその心は彼の神である『ギムレー』にとっての「不純物」でしかなかったであろう。
 事実、あの男から「情」の類を感じた事は数回の邂逅の中でも一瞬たりとも無かった。
 まあ、万が一あの男が親子の情愛に満ち溢れていても、それは彼の狂信に我が子を捧げる事を「愛」と信じて疑わない吐き気がする程傲慢なモノであっただろうけれど。
 ……と、まあ。ルフレは『親』と言うモノと、その愛情を自身の経験としては知らないのである。
 クロム達親子や仲間達の家庭を傍で見ていて、何となくこれが『親子』と言うモノなのだろうと感じる事はあるのだけれど、自分がそう言う愛情を向けられていた経験が無いが故に、我が子を正しく愛せるかが不安になる。
 ルフレの消えてしまった「記憶」の中には、恐らくは乳飲み子であったルフレを抱えてファウダーのもとから逃げ出したと言う母の記憶はあったのだろうけれど。
 どうにかその記憶の輪郭だけでも思い出せないだろうかと頑張ってみるが、結果は全く以て芳しく無くて。
 ……まあ……ルフレの記憶は単なる物忘れの様な形で喪われた訳では無くて、この世界に『ギムレー』が跳躍して来た際にルフレと『ギムレー』が混ざり合った衝撃で壊されてしまったモノであるらしいので、それを復元する事は元々不可能であるかもしれないのだけれど……。
 そんな訳で、ルフレは『親』を知らない。
 だから、正しく良き『親』に……特に『父親』になる自信が無いのだ。
 それが一番不安な事であった。


 そんな風に悩みを抱えていても、ルキナが身籠っている事実は変わらないし、覚悟は決めなければならない。
 だがしかし……と悩んでは、ここ最近のルフレは事ある毎に溜息を吐いてしまうのであった。
 そんなルフレを見かねてか、クロムが仲間の男連中を誘って小さな酒宴を開いてくれる事になった。
 ちなみに、クロムはもうルキナの妊娠を知っている。
 ルフレ達が真っ先に伝えに行ったからだ。
 まだ実の娘であるルキナは幼子であるのに、もう「初孫」が産まれると言う事には、喜びと共に少し複雑な顔をしていたが……。まあ何にせよクロムは大喜びしてくれた。

 今となっては随分と懐かしい、自警団時代から使っているアジトに集まって来た仲間達は、皆妻帯者である。
 戦時中や、ルフレが還って来ていなかった二年間程の間に、皆其々に家庭を持っていたのだ。
 産まれたばかりの小さな子供が居る仲間も多く、そんな彼等の体験談は実に参考になる。
 だが、彼等の話を聞く内に段々と、果たして自分はここまで立派に『父親』が出来るだろうかと不安になってしまった。
 また溜息を吐いてしまったルフレの背中を、ヴェイクが勢いよく叩いた。加減してなかったのか、とても痛い。
 抗議する様にヴェイクを見ると、ヴェイクは変わらぬ豪快な声でルフレの悩みを笑い飛ばした。


「ったく、湿気た面してんじゃねーぞ、ルフレ! 
 子供が出来たってめでてー話なのに、そんな辛気臭い溜息ばかり吐いてたら幸せが逃げるぜ! 
 ま、この俺様と違って、父親になるのが不安だって思ってるんだろうけどよ。
 んなの今からウジウジ考えてったって仕方ねえさ! 
 どーんと構えて嫁さんを安心させてやれよ! 
 そうじゃなきゃ漢が廃るぜ!」


 元気付けようとしてかそう豪快に言い切ったヴェイクには、もう少しで一歳になる子供が居る。
 一度その顔を見に行ったが、母譲りの顔立ちだが目元の辺りは確かにヴェイク似の可愛い子供であった。
 元から面倒見も良く明るいヴェイクは、きっと良い父親になるであろうと、ルフレは思う。
 ヴェイクの勢いに押される様に頷いたルフレに、そっとリヒトが耳打ちをした。


「あんなこと言ってるけど、子供が生まれる時のヴェイクの狼狽えっぷりも凄かったんだよ」
「あ、てめ! んな事は黙ってて良いんだって! 
 ルフレを元気付ける為に言ってんだからよ!」

「あはは、まあまあ……。
 でもまあ皆、子供ができたって時は、嬉しいのは当然なんだけど、色々と不安になったり考えこんじゃってたよね。
 僕も、ルフレ程じゃ無かったけど色々とね……」


 思わずリヒトに食って掛かったヴェイクを穏やかに宥めながら、ソールは沁々と言う。
 彼の所にも、最近子供が生まれていた。
 可愛いんだよ、と事ある毎に皆に言う辺り、既に中々の親馬鹿っぷりを発揮している。


「ルフレは考え過ぎだと思うけどな。
 もっと肩の力を抜いて気楽に構えてりゃ良いのに」


 砂糖菓子を摘まみながら果実酒を呷っていたガイアが何処か呆れた様に言う。
 そんな事を言うがガイアも中々の愛妻家であるのだ。


「フレデリクの所にも最近子供が産まれていたよな? 
 お前の時はどんな感じだったんだ?」


 仲間達の酒宴の喧騒を楽しそうに見ていたクロムは、横に居たフレデリクにそう尋ねる。
 すると、フレデリクは少し考える様に顎に手を当てた。


「私の時、ですか……。
 そうですね、やはり一番強く感じたのは喜びや感動でした。
 心配事……は特にはありませんでしたね。
 我が子へ贈るセーターのデザインなどはどうしたら良いのかとは、少し悩みましたが」


 子供が産まれるまでに十数着は衣服を手編みしたらしい。
 参考になるのかならないのかは、ちょっと分からない。

 リベラもドニもカラムも、そしてここには居ないグレゴやロンクーやヴィオールも。皆其々に家庭を持っていて。
 そして、其々が其々なりに、『家族』を大切にしている。
 きっと『家族』とは、そう言うモノなのだろう。




「悩みは多少紛れたか?」


 酒宴が終わりルフレが酔い潰れていない者達と共に後片付けをしていると、不意にクロムがそう尋ねて来た。
 ルフレは少し考えて、それに頷く。


「完全にとは言えないけど……でも何となく分かったと思う。
 皆、其々に其々のやり方があって……どれが「正解」だってハッキリ言えるモノじゃないって事はね。
 でもだから、益々難しいなとも思った」

「そうだな。俺も未だに、ちゃんとルキナの『父親』になれているのか、迷う事がある。
 日々、「正解」が無い道を手探りで進んでいるみたいにすら思えるが……それが嫌では無いんだ。
 時々途方に暮れる事はあるけれど、そんな時は一度立ち止まって、ルキナの言葉にちゃんと耳を傾ける。
 そうしたら、こうしたら良いんじゃないかってのが分かったりもする。俺は日々、ルキナから教えて貰ってばかりだ。
 だがそうやって皆『父親』になっていくんだと俺は思う」


 だから今『父親』が分からないからと言って心配するな、とクロムはルフレを励ます様に笑った。
 そんなクロムの……そして悩む自分を元気付けようとしてくれた仲間達の想いが嬉しくて。


「……有難う、クロム。
 そうだね……手探りでも少しずつ……『父親』になれれば。
 そう思うと、少し胸が軽くなったよ」


 そう微笑んで感謝の言葉を述べる。
 そんなルフレにクロムも安心した様に微笑んだ。


「なにお安い御用さ。それに、そう心配するな。
 お前たちは二人だけじゃない。俺たちが居るだろう。
 何か困った事や分からない事があったら、何時だって頼ってくれ。必ず、力になるさ」

「そっか。……じゃあその時は、遠慮なく頼るよ」


 そう言って久々に軽い気持ちでルフレは笑い合うのだった。






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