第三話『未来へと続く約束』
◆◆◆◆◆
最近、ルフレが何かを思い悩み……何か言おうとして言い出せない様な、そんな視線を向けてくる事が増えた。
それと同時に、何かと「今の生活に不満はないか?」と聞く様になったりと、どうにもおかしい。
だが、問い返してもその歯切れは悪く。
ルキナは、何となく収まりが悪いモノを感じていた。
そんな中、ルキナは仕事の都合で王城を訪ねる事になった。
今のルキナは、ルフレの護衛を兼任したその職務の補佐をしていて、割と頻回に王城を訪ねる事があるのだ。
王城を歩き回る時は、聖痕が刻まれた左眼は眼帯で隠し、髪型も結わえ上げる様にして極力「ルキナ」との印象が被らない様にはしている。
そのお陰なのか、今の所ルキナが「ルキナ」との関係を邪推された事は一度も無い。
……まあ、「ルキナ」はまだ幼く、こうして大人であるルキナとその印象が重なる事もそう無いだろうが……。
…………かつて、この城に居る時に感じていた、胸を強く締め付ける様な痛みは、もう感じない。
それはきっと、ルキナがもう「この世界」とあの『絶望の未来』についてある種の「納得」をしたからなのだろう。
愛らしい幼子である「ルキナ」が皆から愛されている姿を見ても、まあ少しは寂しさの様なものはあれども、もう呑み込み切れぬ様な苦しみは何処にも無い。
「ルキナ」に対して自分と「同じ」存在だと言う感覚は既に無く。何処までも良く似た他人と言う意識になったのだろう。
……「この世界」はもう、あの『絶望の未来』とは決定的に違う「未来」を歩んでいる。
ルキナが「過去」に干渉したからと言うだけでなく、「この世界」に生きる人々の選択の末に、世界は決定的に変わった。
……ルキナの居たあの『絶望の未来』は、何処にも無い。
それを、他ならぬ自分の「心」が納得したからこそ。
ルキナの心が、もうそれに苦しむ事は無いのだろう。
どうして自分の世界はあんな結末になってしまったのか、それなのにどうして「この世界」は救われるのか、だなんて。
誰にも言う事なんて出来なかった、心の奥底に沈めてきた醜い感情……幼いままに傷付いた心が泣き叫ぶ様に訴えていたその悲嘆を、ルキナはもう昇華させたのだ。
それにはやはり、ルフレの存在がとてつもなく大きかった。
……あの『未来』を、本来は自分が在るべきだった世界を、あの世界でこの身に刻まれてきた絶望も悔恨も喪失も、その何れもを、ルキナは決して忘れる事など出来ない。
例え何れ程に満ち足りた『幸せ』な日々を送ろうとも。
「過去」を「無かった事」にする事は誰にも出来ないのだ。
何らかの要因で記憶を喪う……と言う可能性もあるだろうが、例え記憶を喪おうとも、この身体が或いは記憶に残らない無意識の何処かが、必ずあの『未来』を覚えている。
……例え『使命』を果たしていても、その心が完全にあの「過去」から解き放たれると言う事もない。
だが、この身に、この心に、この魂に。……自分を構成する全てに深く刻み込まれた傷痕……或いは欠損であっても。
その上を少しずつ何かで優しく覆っていく事は出来る。
時折その傷痕が顔を出し、苦しくなる事はあっても。
その上に積み重ねていたものがあればある程、その頻度も……そしてその傷痕に触れた痛みも、和らいでいくのだ。
そして、そんな心の傷痕の上を優しく降り積もる様に覆ってくれたのは、ルフレとの日々のその温かな記憶であった。
何か物凄く特別な……強烈な経験が、その傷痕を覆っていくのではなくて。寧ろ、本当に細かな日々の積み重ねが……小さな小さな淡雪の様な『幸せ』が主となって、その傷痕を優しく覆ってくれていた。
…………「この世界」に在るべき存在ではないルキナに対して、たった一つの、唯一の、『特別な』存在であると……。
そんな直向きで温かな『想い』を向け続けてくれているルフレが居るからこそ、もう辛くは無いのだ。
きっとルキナは、『帰る場所』が……自分にとって本当の意味での『居場所』が、ずっと欲しかったのだろう。
それは「この世界」では決して手に入る筈も無いと諦めていたモノでもあり、……諦めていた筈でも無意識の内では、ずっと欲し続けていたモノでもあった。
だからこそ、ルフレと想い結ばれた今のルキナには、かつて渇望するが故に感じていた痛みは、もう無いのだ。
一度は喪ったけれど、彼は再びルキナの元に戻って来た。
だからこそ、もう辛くは無い。
彼が居るこの世界に、自分の『居場所』が……帰る場所があるのだと、そう思えるから。
そんな事を考えながら城内のルフレの執務室に行くと、何故か其処にルフレは居なくて、代わりにクロムが居た。
「ああ、ルキナか。すまんな、ルフレは今席を外していてな」
「あ、そうなのですね。
お父様は何かルフレさんにお話でも?」
「ああ……まあ、そんな所だな」
クロムはそう頷くと、ルキナに座る様に勧めて来たので、ルキナは自分用に常備されているそれに座った。
クロムは、何故か視線を少し迷う様に彷徨わせて。
それにルキナが首を傾げていると。唐突に切り出してきた。
「ルキナは、ルフレと結婚する意思はあるのか?」
突然のその言葉に、ルキナは驚き、何かを答えようにも言葉が出なくなった。視線はあらぬ場所を彷徨ってしまう。
そうやって狼狽えるようなルキナを見て、クロムも自分の発言の唐突さを少し気まずく思ったのか、小さく頬を掻く。
「あ、いや……その流石に話が突然過ぎたな……。
結婚するかどうかと言うのはさて置いてだな……。
ルキナは、ルフレと過ごす事に何か不満や不安を感じていたりはしていないか?
…………もし、お前がルフレには言えない事があるのだったら、俺に話してみないか?
勿論お前が望まないなら、その話を聞いても俺はルフレに何か言ったりもしない。
……だが、ただ話をしたいんだ、お前と」
「私と話を、ですか……?」
ルキナは思わず首を傾げた。
「ああ。……思えば、お前とはこうしてゆっくり話をする機会なんて、殆ど無かったからな……。
あの戦いの中では、お前は『使命』の事や……何時かここを去る時の話ばかりをしていたし……。
あの戦いの後も、ルフレが帰って来る迄はそれ所では無かっただろう?」
クロムは、そう言って少し寂しそうに微笑んだ。
……確かに、クロムと気軽に話をした事は、そう無い。
それは、ルキナが『両親』に対して線を引いていたからであり……『使命』を果たす為にも『両親』に甘える訳にはいかないのだと自制していたからでもあった。
しかしこうして『使命』も果たされ、確かな寄る辺を得た今、これまでの様に逃げる様に距離を置く必要も無いだろう。
だから、ルキナはクロムに向き合って、静かに話し始める。
取り留めのない様な日常の話から、ちょっとした思い出話など、ルキナが思っていたよりも『父』との話は弾む。
……本当は、ずっとこうやって話してみたいと思っていたのだろうか? それは、ルキナにも分からない。
『絶望の未来』の事は、話さなかった。
もう何処にも存在しない「未来」の事を話しても、『父』をただ悲しませ自分の心の傷を無意味に抉るだけであろうから。
そして、クロムが尋ねて来た事。
「ルフレとの結婚を望むかどうか」に関して、ルキナはどう答えれば良いのか迷っていた。
別に、ルフレに何か不満があると言う訳では無いのだ。
ただどうしても。
果たして自分に、ルフレと『夫婦』になる資格があるのかと言うその点が気がかりになってしまう。
『未来』に帰りたい、なんて事は無い。
そもそも『使命』を果たした所で、ルキナが残してきたあの『絶望の未来』が果たしてどうなったのかなど分からない。
だから、万が一「帰りたい」と願っても、ルキナがあの世界に帰る事は元より叶わないのだ。
『使命』を果たし、託された『希望』を不完全ながらも果たしたルキナには、「この世界」に留まる義務は無いけれど。
それでも有り得べからざる「異物」でしかないと自覚しながらも、こうして「この世界」に留まっているのは。
偏に、「この世界」にはルフレが居るからだ。
ルキナにとっては、ルフレが居る場所こそが……ルフレが居る世界こそが、自分にとっての帰る場所であり、彼の傍が自分の居たい場所だ。
だがしかし、そう想っている一方で。
「この世界」の存在であるルフレと、「この世界」に在るべきではないルキナが、果たして本当に、共に生きていても良いのだろうかと言う不安は、今でも少しはある。
「この世界」の何処かには、本来ルフレと結ばれるべき……自分では無い「誰か」が居るのかもしれないと、何時かルフレが、自分では無い『運命の人』に巡り逢ってしまうのではないかと思うと。僅かに躊躇いがあるのだ。
ルキナは、今の『恋人』と言う関係性から『夫婦』と言うより確かな関係性に進む事に、足が竦んでしまう。
それでも。彼とより確かな関係性に……『夫婦』になる事。
誰にも文句も付けさせない、自分こそが彼にとっての「特別」なのだと、そう心から思っても許されるその関係性を、ルキナが望んでいない訳は無い。
だがそれをルキナの「思い込み」が阻む。
そしてそれ故に、その不安や葛藤を、ルフレに伝える事も出来なかった。
願っていても踏み出せない矛盾。
そうやって踏み出せない事を何よりももどかしく思うのに、……それでも竦んでしまう心。
願う事への躊躇いが、今でも心に刺さる小さな棘が。
ルキナの心を、何処にも行けぬ様に縛っている。
だがそうであっても、ルフレと過ごす日々は温かくて『幸せ』で……。そこから動かなくてはならない、動きたいのだと言うルキナの思いを、少しずつ削り取ってゆく。
それを贈病だ惰性だと謗る事は難しくないが……。
「……なあ、ルキナ」
ルフレとの関係の話になると次第に言い淀む事の多くなったルキナへ、心配そうな眼差しを送っていたクロムが、小さな溜息と共に、ぽすぽすと柔らかくルキナの頭に手を置いた。
突然のその行動に驚いたルキナが目を丸くしていると。
「俺は、お前達が『幸せ』なら、どんな関係性であっても良いと思っているんだ。それが、『恋人』でも『夫婦』でも。
ただ……、お前が本当に望んでいるのなら、それは確りと言葉に出さなくては、行動に移さなくては、伝わらない。
……お前がこれまで経て来た苦難は俺では理解しきれるものではないのだろうし、だからこそお前が苦しみ続ける理由を全て理解してやれるかは分からん。
だが、そうやって寂しそうな顔をする位なら、自分の心に従えば良い。心の望みの声を、聞いてやれば良い。
それが何であっても、俺はその望みを後押ししよう。
だからルキナ。……お前は、どうしたい?」
ルフレと、『夫婦』として、生きたいのか、どうなのか。
クロムはそう真っ直ぐにルキナを見詰め、尋ねる。
「私、は──」
そんなクロムに。ルキナは初めて。
その心の内の「願い」を明かしたのだった。
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最近、ルフレが何かを思い悩み……何か言おうとして言い出せない様な、そんな視線を向けてくる事が増えた。
それと同時に、何かと「今の生活に不満はないか?」と聞く様になったりと、どうにもおかしい。
だが、問い返してもその歯切れは悪く。
ルキナは、何となく収まりが悪いモノを感じていた。
そんな中、ルキナは仕事の都合で王城を訪ねる事になった。
今のルキナは、ルフレの護衛を兼任したその職務の補佐をしていて、割と頻回に王城を訪ねる事があるのだ。
王城を歩き回る時は、聖痕が刻まれた左眼は眼帯で隠し、髪型も結わえ上げる様にして極力「ルキナ」との印象が被らない様にはしている。
そのお陰なのか、今の所ルキナが「ルキナ」との関係を邪推された事は一度も無い。
……まあ、「ルキナ」はまだ幼く、こうして大人であるルキナとその印象が重なる事もそう無いだろうが……。
…………かつて、この城に居る時に感じていた、胸を強く締め付ける様な痛みは、もう感じない。
それはきっと、ルキナがもう「この世界」とあの『絶望の未来』についてある種の「納得」をしたからなのだろう。
愛らしい幼子である「ルキナ」が皆から愛されている姿を見ても、まあ少しは寂しさの様なものはあれども、もう呑み込み切れぬ様な苦しみは何処にも無い。
「ルキナ」に対して自分と「同じ」存在だと言う感覚は既に無く。何処までも良く似た他人と言う意識になったのだろう。
……「この世界」はもう、あの『絶望の未来』とは決定的に違う「未来」を歩んでいる。
ルキナが「過去」に干渉したからと言うだけでなく、「この世界」に生きる人々の選択の末に、世界は決定的に変わった。
……ルキナの居たあの『絶望の未来』は、何処にも無い。
それを、他ならぬ自分の「心」が納得したからこそ。
ルキナの心が、もうそれに苦しむ事は無いのだろう。
どうして自分の世界はあんな結末になってしまったのか、それなのにどうして「この世界」は救われるのか、だなんて。
誰にも言う事なんて出来なかった、心の奥底に沈めてきた醜い感情……幼いままに傷付いた心が泣き叫ぶ様に訴えていたその悲嘆を、ルキナはもう昇華させたのだ。
それにはやはり、ルフレの存在がとてつもなく大きかった。
……あの『未来』を、本来は自分が在るべきだった世界を、あの世界でこの身に刻まれてきた絶望も悔恨も喪失も、その何れもを、ルキナは決して忘れる事など出来ない。
例え何れ程に満ち足りた『幸せ』な日々を送ろうとも。
「過去」を「無かった事」にする事は誰にも出来ないのだ。
何らかの要因で記憶を喪う……と言う可能性もあるだろうが、例え記憶を喪おうとも、この身体が或いは記憶に残らない無意識の何処かが、必ずあの『未来』を覚えている。
……例え『使命』を果たしていても、その心が完全にあの「過去」から解き放たれると言う事もない。
だが、この身に、この心に、この魂に。……自分を構成する全てに深く刻み込まれた傷痕……或いは欠損であっても。
その上を少しずつ何かで優しく覆っていく事は出来る。
時折その傷痕が顔を出し、苦しくなる事はあっても。
その上に積み重ねていたものがあればある程、その頻度も……そしてその傷痕に触れた痛みも、和らいでいくのだ。
そして、そんな心の傷痕の上を優しく降り積もる様に覆ってくれたのは、ルフレとの日々のその温かな記憶であった。
何か物凄く特別な……強烈な経験が、その傷痕を覆っていくのではなくて。寧ろ、本当に細かな日々の積み重ねが……小さな小さな淡雪の様な『幸せ』が主となって、その傷痕を優しく覆ってくれていた。
…………「この世界」に在るべき存在ではないルキナに対して、たった一つの、唯一の、『特別な』存在であると……。
そんな直向きで温かな『想い』を向け続けてくれているルフレが居るからこそ、もう辛くは無いのだ。
きっとルキナは、『帰る場所』が……自分にとって本当の意味での『居場所』が、ずっと欲しかったのだろう。
それは「この世界」では決して手に入る筈も無いと諦めていたモノでもあり、……諦めていた筈でも無意識の内では、ずっと欲し続けていたモノでもあった。
だからこそ、ルフレと想い結ばれた今のルキナには、かつて渇望するが故に感じていた痛みは、もう無いのだ。
一度は喪ったけれど、彼は再びルキナの元に戻って来た。
だからこそ、もう辛くは無い。
彼が居るこの世界に、自分の『居場所』が……帰る場所があるのだと、そう思えるから。
そんな事を考えながら城内のルフレの執務室に行くと、何故か其処にルフレは居なくて、代わりにクロムが居た。
「ああ、ルキナか。すまんな、ルフレは今席を外していてな」
「あ、そうなのですね。
お父様は何かルフレさんにお話でも?」
「ああ……まあ、そんな所だな」
クロムはそう頷くと、ルキナに座る様に勧めて来たので、ルキナは自分用に常備されているそれに座った。
クロムは、何故か視線を少し迷う様に彷徨わせて。
それにルキナが首を傾げていると。唐突に切り出してきた。
「ルキナは、ルフレと結婚する意思はあるのか?」
突然のその言葉に、ルキナは驚き、何かを答えようにも言葉が出なくなった。視線はあらぬ場所を彷徨ってしまう。
そうやって狼狽えるようなルキナを見て、クロムも自分の発言の唐突さを少し気まずく思ったのか、小さく頬を掻く。
「あ、いや……その流石に話が突然過ぎたな……。
結婚するかどうかと言うのはさて置いてだな……。
ルキナは、ルフレと過ごす事に何か不満や不安を感じていたりはしていないか?
…………もし、お前がルフレには言えない事があるのだったら、俺に話してみないか?
勿論お前が望まないなら、その話を聞いても俺はルフレに何か言ったりもしない。
……だが、ただ話をしたいんだ、お前と」
「私と話を、ですか……?」
ルキナは思わず首を傾げた。
「ああ。……思えば、お前とはこうしてゆっくり話をする機会なんて、殆ど無かったからな……。
あの戦いの中では、お前は『使命』の事や……何時かここを去る時の話ばかりをしていたし……。
あの戦いの後も、ルフレが帰って来る迄はそれ所では無かっただろう?」
クロムは、そう言って少し寂しそうに微笑んだ。
……確かに、クロムと気軽に話をした事は、そう無い。
それは、ルキナが『両親』に対して線を引いていたからであり……『使命』を果たす為にも『両親』に甘える訳にはいかないのだと自制していたからでもあった。
しかしこうして『使命』も果たされ、確かな寄る辺を得た今、これまでの様に逃げる様に距離を置く必要も無いだろう。
だから、ルキナはクロムに向き合って、静かに話し始める。
取り留めのない様な日常の話から、ちょっとした思い出話など、ルキナが思っていたよりも『父』との話は弾む。
……本当は、ずっとこうやって話してみたいと思っていたのだろうか? それは、ルキナにも分からない。
『絶望の未来』の事は、話さなかった。
もう何処にも存在しない「未来」の事を話しても、『父』をただ悲しませ自分の心の傷を無意味に抉るだけであろうから。
そして、クロムが尋ねて来た事。
「ルフレとの結婚を望むかどうか」に関して、ルキナはどう答えれば良いのか迷っていた。
別に、ルフレに何か不満があると言う訳では無いのだ。
ただどうしても。
果たして自分に、ルフレと『夫婦』になる資格があるのかと言うその点が気がかりになってしまう。
『未来』に帰りたい、なんて事は無い。
そもそも『使命』を果たした所で、ルキナが残してきたあの『絶望の未来』が果たしてどうなったのかなど分からない。
だから、万が一「帰りたい」と願っても、ルキナがあの世界に帰る事は元より叶わないのだ。
『使命』を果たし、託された『希望』を不完全ながらも果たしたルキナには、「この世界」に留まる義務は無いけれど。
それでも有り得べからざる「異物」でしかないと自覚しながらも、こうして「この世界」に留まっているのは。
偏に、「この世界」にはルフレが居るからだ。
ルキナにとっては、ルフレが居る場所こそが……ルフレが居る世界こそが、自分にとっての帰る場所であり、彼の傍が自分の居たい場所だ。
だがしかし、そう想っている一方で。
「この世界」の存在であるルフレと、「この世界」に在るべきではないルキナが、果たして本当に、共に生きていても良いのだろうかと言う不安は、今でも少しはある。
「この世界」の何処かには、本来ルフレと結ばれるべき……自分では無い「誰か」が居るのかもしれないと、何時かルフレが、自分では無い『運命の人』に巡り逢ってしまうのではないかと思うと。僅かに躊躇いがあるのだ。
ルキナは、今の『恋人』と言う関係性から『夫婦』と言うより確かな関係性に進む事に、足が竦んでしまう。
それでも。彼とより確かな関係性に……『夫婦』になる事。
誰にも文句も付けさせない、自分こそが彼にとっての「特別」なのだと、そう心から思っても許されるその関係性を、ルキナが望んでいない訳は無い。
だがそれをルキナの「思い込み」が阻む。
そしてそれ故に、その不安や葛藤を、ルフレに伝える事も出来なかった。
願っていても踏み出せない矛盾。
そうやって踏み出せない事を何よりももどかしく思うのに、……それでも竦んでしまう心。
願う事への躊躇いが、今でも心に刺さる小さな棘が。
ルキナの心を、何処にも行けぬ様に縛っている。
だがそうであっても、ルフレと過ごす日々は温かくて『幸せ』で……。そこから動かなくてはならない、動きたいのだと言うルキナの思いを、少しずつ削り取ってゆく。
それを贈病だ惰性だと謗る事は難しくないが……。
「……なあ、ルキナ」
ルフレとの関係の話になると次第に言い淀む事の多くなったルキナへ、心配そうな眼差しを送っていたクロムが、小さな溜息と共に、ぽすぽすと柔らかくルキナの頭に手を置いた。
突然のその行動に驚いたルキナが目を丸くしていると。
「俺は、お前達が『幸せ』なら、どんな関係性であっても良いと思っているんだ。それが、『恋人』でも『夫婦』でも。
ただ……、お前が本当に望んでいるのなら、それは確りと言葉に出さなくては、行動に移さなくては、伝わらない。
……お前がこれまで経て来た苦難は俺では理解しきれるものではないのだろうし、だからこそお前が苦しみ続ける理由を全て理解してやれるかは分からん。
だが、そうやって寂しそうな顔をする位なら、自分の心に従えば良い。心の望みの声を、聞いてやれば良い。
それが何であっても、俺はその望みを後押ししよう。
だからルキナ。……お前は、どうしたい?」
ルフレと、『夫婦』として、生きたいのか、どうなのか。
クロムはそう真っ直ぐにルキナを見詰め、尋ねる。
「私、は──」
そんなクロムに。ルキナは初めて。
その心の内の「願い」を明かしたのだった。
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