第三話『未来へと続く約束』
◆◆◆◆◆
朝起きて、目覚めた時に愛する人が自分の傍に居る事が。
指先にその柔らかな髪の手触りを感じる事が、彼女の声や息遣いを感じる事が、彼女の香りを感じる事が。
それが何れ程の『幸せ』であるのか、何れ程の得難い「奇跡」であるのか……。ルフレはそれを日々噛み締めている。
何よりも愛しい……彼女の声が自分の名を呼んでくれる事、そしてそれに返事が出来る事。
その全てが、泣きそうになる程の「奇跡」であった。
「奇跡」を重ねてこの世界に再び帰り付いたルフレは、泣きたい程に『幸せ』な日々を。先は分からないけれどそれでも愛しい日々を。ルキナとその歩幅を合わせる様にして、ゆっくりと歩く様な速さで、共に生きていた。
『死』を越えて再び巡り逢ったルフレは、互いの願い通りに、その手を再び掴む事が出来たのだ。
それが嬉しくて幸せで……余りにも居心地が良くて。
これ以上を望んでしまえば、罰が当たってしまうのではないかと思う程に満ち足りていて。
ルキナも、満ち足りた様に幸せに笑っているのだからと。
ルフレは、そんな穏やかで幸せな日々に微睡んでいた。
しかし、共に生きるからこそ、一歩進まねばならない。
そんな時が、ゆっくりと……近付いてきているのであった。
「ルフレ、何時頃ルキナと結婚するんだ?
式の準備も色々とあるのだろう?」
何時もの様に共に公務に励んでいたクロムが、目を通しサインした書類から目を上げて、唐突にそう訊ねて来た。
ルフレは、丁度書類を纏めていた所で。
唐突なその問いに、思わず硬直した様にペン先を止める。
紙面に小さなインク溜まりができ始めた時、漸く。
「けっこん……?」
ぼんやりと、そう呟いた。
結婚。ルフレと、そしてルキナが……?
……結婚……?
「二人は恋人として付き合ってそれなりに経つし、共に一つ屋根の下に住む仲だ。
将来の約束の一つや二つしているだろう。
婚約はもう済んでいるんだろう?」
クロムの言葉に、ルフレは思わず固まった。
そして、必死に過去の記憶を掘り返して……。
……自分が、一度も。そう、一度たりとも。
将来を誓う様な言葉を、口にした事が無い事に気付いた。
『愛』を告げた事なら、何度だってある。
共に生きたいとも言った。
しかしそれは、『婚約』などの様なものではなくて。
ルフレとルキナの関係性は、依然『恋人』のままだ。
同棲もしているのに、『結婚』と言うそれは『夫婦』と言うカタチは、未だそれを口の端に上らせた事も無い。
「……まさかとは思うが。ルフレ、お前……ひょっとしてまだ婚約も何も済ませていないのか…………?
それでルキナに無体を働いているならば、俺もルキナの『親』としては黙っていられないのだが……?」
返答如何によってはお前相手でも容赦しないぞ、と。
そう無言の圧力を掛けてくるクロムに、ルフレは必死で首を横に振ってそれを否定する。
婚約だの結婚の約束だのの類いを何一つしてない事は確かであり、一つ屋根の下で共に暮らしている事も事実だが。
少なくともルフレは、まだルキナに『無体』と評されるであろう行為は、何一つとして行っていない。何もしていない。
互いにまだ、清い関係である……筈だ。
それが良い事なのかどうかは別にして。
必死に否定したルフレのその表情を見て、クロムは何処か呆れた様に深い溜息を吐く。
「だが、お前が帰って来てからもう三月は経ったぞ。
あの戦いの前から付き合っていた事を考えれば、まだはっきりと婚約していないのはどうかと思うが……」
ルフレが還ってくるまでに掛かった月日の事も考えると、ルフレはかなりの時間、二人の将来についてあやふやなままにしてしまっているのだろう。
それを自覚した途端、ルフレは思わず自分のその行いに唸り頭を抱えてしまった。
……不味い、不味過ぎる……。
ルフレ本人にその様な意図は全く無かったのだけれども、これでは不誠実にも程があるのではないだろうか。
クロムに指摘されなければ、ルキナが何も言わないのを良い事に、ズルズルと『恋人』を続けてしまった可能性も高い。
『恋人』の関係性に不満がある訳では無い、だけれども、その関係性に留まる事だけで満足してはいけないだろう。
ルキナがより確たる関係性を望んでいたかどうかは思い返そうとして見ても今一つ分からないけれど、そもそもルキナは自分の願望は隠そうとしてしまう節もある。
本心ではずっと、ルフレからそう言ったカタチでの『約束』を望んでいたとすれば……余りにも酷な事をしてしまった。
だが、一つ言い訳をするのならば、別にルフレの頭に最初からその考えが無かった訳では無いのだ。
共に生きたいと願った事も嘘では無いし、そうして共に生きる時に『夫婦』などと言ったカタチであればとも思った。
だが……。
あの戦いの折には、ルフレはルキナの『使命』の重荷になる訳にはいかないとかなり自制していたし、故にあまりルキナの意識に負荷を掛けそうな『約束』は出来なかったのだ。
だから、恋人関係になっても互いに清い関係のまま。
ルキナに対し肉欲を一度たりとも覚えなかったかと言うと、全くそんな事も無かったのだけれども。
……あの時の、様々な柵に雁字搦めになっていたルキナには、そう言った肉体的な繋がりは却ってその心を縛る鎖になってしまいかねなかった為、そう言う欲求は強く封じていて。
そして、こうして帰って来てからは、ただその傍に寄り添えるだけでお互いに満足してしまって……。
その余りの居心地の良さに、その関係性を積極的に変化させねばと思う気持ちが欠けてしまっていたのだろう。
……考えれば考える程、益々言い訳の余地も無く最低だ。
これでは愛想を尽かされても仕方の無い事なのでは……?
ルフレは思わず頭を抱えて呻いた。
「……まあ、お前達にはお前達なりの進み方があるのだろうから、俺もとやかくは言えんが……。
だがな、ルフレ。やはり、『恋人』としての関係と、『夫婦』としての関係は、違うものだ。
相手を愛し思い遣る事は変わらんが、『夫婦』になると言う事は、『家族』になる事なんだ。
……ルキナにとってのその意味の重さは、分かるな?
俺では、どうやってもあの子が亡くした『両親』にはなってやれないからな……。
だからこそ、……あの子にとっての本当の意味での『家族』になってやれるのは、お前だけなのだろう……。
ルキナを、頼むぞ」
その言葉には、ルキナを思い遣る『父親』としての愛情が確かに籠められていた。
……クロムではルキナの本当の『父親』になれないのは確かだけれども、そこにある父としての「愛情」は本物だろう。
クロムの強い眼差しに促される様に。
ルフレは、ゆっくりと頷くのであった。
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朝起きて、目覚めた時に愛する人が自分の傍に居る事が。
指先にその柔らかな髪の手触りを感じる事が、彼女の声や息遣いを感じる事が、彼女の香りを感じる事が。
それが何れ程の『幸せ』であるのか、何れ程の得難い「奇跡」であるのか……。ルフレはそれを日々噛み締めている。
何よりも愛しい……彼女の声が自分の名を呼んでくれる事、そしてそれに返事が出来る事。
その全てが、泣きそうになる程の「奇跡」であった。
「奇跡」を重ねてこの世界に再び帰り付いたルフレは、泣きたい程に『幸せ』な日々を。先は分からないけれどそれでも愛しい日々を。ルキナとその歩幅を合わせる様にして、ゆっくりと歩く様な速さで、共に生きていた。
『死』を越えて再び巡り逢ったルフレは、互いの願い通りに、その手を再び掴む事が出来たのだ。
それが嬉しくて幸せで……余りにも居心地が良くて。
これ以上を望んでしまえば、罰が当たってしまうのではないかと思う程に満ち足りていて。
ルキナも、満ち足りた様に幸せに笑っているのだからと。
ルフレは、そんな穏やかで幸せな日々に微睡んでいた。
しかし、共に生きるからこそ、一歩進まねばならない。
そんな時が、ゆっくりと……近付いてきているのであった。
「ルフレ、何時頃ルキナと結婚するんだ?
式の準備も色々とあるのだろう?」
何時もの様に共に公務に励んでいたクロムが、目を通しサインした書類から目を上げて、唐突にそう訊ねて来た。
ルフレは、丁度書類を纏めていた所で。
唐突なその問いに、思わず硬直した様にペン先を止める。
紙面に小さなインク溜まりができ始めた時、漸く。
「けっこん……?」
ぼんやりと、そう呟いた。
結婚。ルフレと、そしてルキナが……?
……結婚……?
「二人は恋人として付き合ってそれなりに経つし、共に一つ屋根の下に住む仲だ。
将来の約束の一つや二つしているだろう。
婚約はもう済んでいるんだろう?」
クロムの言葉に、ルフレは思わず固まった。
そして、必死に過去の記憶を掘り返して……。
……自分が、一度も。そう、一度たりとも。
将来を誓う様な言葉を、口にした事が無い事に気付いた。
『愛』を告げた事なら、何度だってある。
共に生きたいとも言った。
しかしそれは、『婚約』などの様なものではなくて。
ルフレとルキナの関係性は、依然『恋人』のままだ。
同棲もしているのに、『結婚』と言うそれは『夫婦』と言うカタチは、未だそれを口の端に上らせた事も無い。
「……まさかとは思うが。ルフレ、お前……ひょっとしてまだ婚約も何も済ませていないのか…………?
それでルキナに無体を働いているならば、俺もルキナの『親』としては黙っていられないのだが……?」
返答如何によってはお前相手でも容赦しないぞ、と。
そう無言の圧力を掛けてくるクロムに、ルフレは必死で首を横に振ってそれを否定する。
婚約だの結婚の約束だのの類いを何一つしてない事は確かであり、一つ屋根の下で共に暮らしている事も事実だが。
少なくともルフレは、まだルキナに『無体』と評されるであろう行為は、何一つとして行っていない。何もしていない。
互いにまだ、清い関係である……筈だ。
それが良い事なのかどうかは別にして。
必死に否定したルフレのその表情を見て、クロムは何処か呆れた様に深い溜息を吐く。
「だが、お前が帰って来てからもう三月は経ったぞ。
あの戦いの前から付き合っていた事を考えれば、まだはっきりと婚約していないのはどうかと思うが……」
ルフレが還ってくるまでに掛かった月日の事も考えると、ルフレはかなりの時間、二人の将来についてあやふやなままにしてしまっているのだろう。
それを自覚した途端、ルフレは思わず自分のその行いに唸り頭を抱えてしまった。
……不味い、不味過ぎる……。
ルフレ本人にその様な意図は全く無かったのだけれども、これでは不誠実にも程があるのではないだろうか。
クロムに指摘されなければ、ルキナが何も言わないのを良い事に、ズルズルと『恋人』を続けてしまった可能性も高い。
『恋人』の関係性に不満がある訳では無い、だけれども、その関係性に留まる事だけで満足してはいけないだろう。
ルキナがより確たる関係性を望んでいたかどうかは思い返そうとして見ても今一つ分からないけれど、そもそもルキナは自分の願望は隠そうとしてしまう節もある。
本心ではずっと、ルフレからそう言ったカタチでの『約束』を望んでいたとすれば……余りにも酷な事をしてしまった。
だが、一つ言い訳をするのならば、別にルフレの頭に最初からその考えが無かった訳では無いのだ。
共に生きたいと願った事も嘘では無いし、そうして共に生きる時に『夫婦』などと言ったカタチであればとも思った。
だが……。
あの戦いの折には、ルフレはルキナの『使命』の重荷になる訳にはいかないとかなり自制していたし、故にあまりルキナの意識に負荷を掛けそうな『約束』は出来なかったのだ。
だから、恋人関係になっても互いに清い関係のまま。
ルキナに対し肉欲を一度たりとも覚えなかったかと言うと、全くそんな事も無かったのだけれども。
……あの時の、様々な柵に雁字搦めになっていたルキナには、そう言った肉体的な繋がりは却ってその心を縛る鎖になってしまいかねなかった為、そう言う欲求は強く封じていて。
そして、こうして帰って来てからは、ただその傍に寄り添えるだけでお互いに満足してしまって……。
その余りの居心地の良さに、その関係性を積極的に変化させねばと思う気持ちが欠けてしまっていたのだろう。
……考えれば考える程、益々言い訳の余地も無く最低だ。
これでは愛想を尽かされても仕方の無い事なのでは……?
ルフレは思わず頭を抱えて呻いた。
「……まあ、お前達にはお前達なりの進み方があるのだろうから、俺もとやかくは言えんが……。
だがな、ルフレ。やはり、『恋人』としての関係と、『夫婦』としての関係は、違うものだ。
相手を愛し思い遣る事は変わらんが、『夫婦』になると言う事は、『家族』になる事なんだ。
……ルキナにとってのその意味の重さは、分かるな?
俺では、どうやってもあの子が亡くした『両親』にはなってやれないからな……。
だからこそ、……あの子にとっての本当の意味での『家族』になってやれるのは、お前だけなのだろう……。
ルキナを、頼むぞ」
その言葉には、ルキナを思い遣る『父親』としての愛情が確かに籠められていた。
……クロムではルキナの本当の『父親』になれないのは確かだけれども、そこにある父としての「愛情」は本物だろう。
クロムの強い眼差しに促される様に。
ルフレは、ゆっくりと頷くのであった。
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