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第二話『還るべき場所』

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 明日は、とうとうギムレーとの決戦だ。
 相手は連なる山々よりも巨大な竜で、それに相対するルキナ達は精鋭が集っているとは言え、あの邪竜と比べれば人間にとって小蟻が群れを作っている程度に過ぎない。
 今のギムレーは力を取り戻して日が浅く、まだその力を十全には振るえないらしいが……だからと言ってその討滅が容易になると言う事も無いのだろう、
 実際の所何れ程の勝機がルキナ達にあるのかと問われても、「分からない」としか答えようがない。
 あの『絶望の未来』では、ルキナはそもそもこうやってギムレーと対峙する事すら叶わなかった。
『覚醒の儀』を行う事も叶わず、ファルシオンに真の力を蘇らせる事も出来ず。……人々を蹂躙する屍兵の群れを水際で押し留める事すらも満足に出来ずに。
 ただただ……先なんて何も見えない戦いだけを続けていた。
 実際、まるで戯れの様に姿を現したギムレーによってルキナ達は余りにも呆気無く吹き飛ばされる様に蹴散らされて。
 辛うじて残っていたイーリス軍は一瞬で消滅して最早軍としての体裁すら保てず、一握りの者達を残して全てが邪竜の吐息の炎の中で骨すら遺さず燃え尽きて行った。
 あの地獄の中で、ルキナはギムレーに対峙する者としての資格すら無かった。せめてもの矜持からその恐ろしい眼を真っ直ぐに見据えてはいたけれども。
 理解する事など到底叶わぬ程の圧倒的な存在を前にした恐怖へ膝を折らずに済んだ事が奇跡以外の何物でも無いと感じられる程に、ルキナは無力であり無意味であった。
 ……邪竜ギムレーに抗う力を、その『希望』をルキナには託されて……そして数多の人々から期待されていたのに。
 あの場のルキナは、無力な小娘でしか無かった。
 ギムレーにとっては、まさに小蠅が飛んでいた程度にしか感じられなかったであろう程に、あの時のルキナは、取るに足らぬ……意識すれば鬱陶しい程度の存在であっただろう。
 ……そんなルキナを態々追い掛けて過去に来たのは、それ程ルキナが行おうとしていた『過去改変』と言う禁忌が、ギムレーにとっても看過出来ないモノであったのか……或いは、より強大な力を得て今度こそ徹底的に世界を蹂躙し破滅と絶望に染めようとしていたのか……。
 それはルキナには分からない。
 どんな思惑があろうとも、それがルキナに理解出来るモノであるとは限らないし、理解出来たからと言ってそれで何か現状の平和的な解決の手段に繋がる事も無い。
 どの道ギムレーの側が世界への敵意に満ち溢れ滅ぼそうとしている時点で、ルキナ達『人間』があの『邪竜』と相容れる事は無く、どちらかが滅びるまで戦いは終われない。
 ……「この世界」ではギムレーと対峙する為に必要な条件である『覚醒の儀』を成し遂げ、ファルシオンは神竜の力が蘇っているし、人々の旗頭となるクロムも健在だ。
 最悪の状況は何とか避けられては居るけれども。
 ……それでも、あの『絶望の未来』でルキナの心に深き刻まれた「恐怖」と「絶望」を完全に払拭する事は出来ない。
 絶対的な絶望と破滅の化身が蘇ってしまった今、果たして『人間』が対抗出来るモノなのだろうかとすら考えてしまう。
 ……かつて初代聖王はギムレーと対峙して彼の邪竜に千年の封印を施した事は知っているけれども。
 しかし、既に一度そうやって封印された事のあるギムレーが、二度と同じ轍を踏まないよう、何らかの手を打っている可能性もあるのではないかとも思うのだ。
 考えれば考える程、「最悪」の予想は次々と頭を過り続ける。
 心に刻まれた「恐怖」から、際限無く生まれ続ける不安を消し去る術は無い。それはある意味で、こうして「希望」がその手の中に微かに輝いているからこそなのだろう……。
「希望」なんて何処にも無かった『絶望の未来』では、何も考えずにただ我武者羅に戦い続けていられた。
 何をしようとも、これ以上に最悪な現実何て在りはしないから……だからこそ、「未来」への、そして「選択」への恐れを忘れたかの様にただただ前へ前へと足掻き続けられたのだ。
 足を止めたそこに待つのは「死」だけだと、本能が駆り立て続けるまま走り続けていられた。考える余裕など無かった。

 だけれども「この世界」ではそうではない。
 もし選択を間違えれば何もかも喪ってしまうかもしれない。
 この手に「希望」が掴まれているからこそ、それを喪う恐ろしさに震え、思考は闇を彷徨うのだ。
 戦うしかないと言う事は、あの「未来」と変わらないのに。
 それでもこうも臆してしまうのは、恐ろしさに震えてしまうのは……。何もかも喪った筈のルキナが、絶対に喪いたくないモノを、もう一度手にしてしまったからなのだろうか。
 ルキナは、優しく暖かな手の平と心を満たす愛しさとを引き換えにして、持たざる者としての「強さ」を喪った。
「喪う事」の恐怖を、ルキナは思い出してしまった。

「この世界」でルキナが手に出来るモノは何も無く、「この世界」にとっては在りうべからざる「異物」でしかないルキナは「この世界」の人々にとっては泡沫の幻の様なモノでしか無いのだと……そう自分に「希望」を持たせない様にして。
 己を『使命』を果たす為のただの道具の様に割り切ろうとしていたのに……ルキナは、ルフレの手を取ってしまった。
 何時か喪うその日が心を過るのに、彼を愛してしまった。
 今この一時だけでも、とそう思った筈なのに。
 そんな欺瞞などあっという間に引き剥がされてしまう程に、彼を愛してしまった、喪えなくなってしまった。
 ……『絶望の未来』を回避する為に彼を殺そうと剣を向けまでしたのに、結局ルキナはその剣を取り落としてしまった。
 愛した男と、「この世界」の未来を秤に掛けて。
 ルキナは、ルフレを選んでしまったのだ。
 ルキナは弱くなった。かつてあの『絶望の未来』で戦っていたあの日々よりも遥かに……弱くなってしまった……。
 それは、ルキナにとっては何より己を苛む事実だ。
 もしルフレを喪ってしまったらと思うと、……恐ろしくて仕方が無い。喪う事にはもう慣れてしまっている筈なのに、きっともうそれには耐えられない予感があるのだ。
 そして、そんなルキナの不安をより強めるモノがあった。
『覚醒の儀』を終えた後……『虹の降る山』を後にした辺りから、ルフレの様子が何やらおかしいのだ。
 思い悩む様な顔をしていたかと思うと、哀しそうな顔をしたり、何かを決断したかの様に迷いを振り払った顔をしたり。
 ルフレが何を考えているのか分からなくて、何を決めてしまったのか分からなくて……。それが不安になるのだ。

 ルフレは、『ギムレーの器』……『邪竜ギムレー』その物と言っても良い存在であった。
 本人はその事実を、「この世界」にルキナを追ってやって来ていたギムレーに伝えられるまでは知らなかった様だけれど。
 その事実は、動かし難く確かなものであるらしい。
 しかし。ルフレが、あの『絶望の未来』を創り出した邪竜であると言う事には確かに衝撃は受けたが、ルキナにとってそれはもうどちらでも良い事であった。
 少なくとも、ルキナが愛している彼は、そうやって『邪竜ギムレー』へと成り果てる未来を回避したのだから。
 例え『人間』としての皮を剥がしたその下に『邪竜』としての本性が隠されているのだとしても……。ルフレ当人は、決して世界を滅ぼそうなどと願わないし、人の絶望や破滅を嗤う様な事もしない、ルフレはギムレーではないのだ。
 ……だけれども、ルフレ本人がその事実をどう感じているのかはルキナには分からない。
 ……元々、ルフレが本気で「隠す」事を選んだ場合、ルキナがそれを見破れる可能性はほぼ無いであろう。
 ……『運命』を変える為に、ルフレが殆ど誰にも悟られぬ様に密かに事を進めていた事を、ルキナは見抜けなかった。
 ……見抜けなかったからこそ、苦しみ悩みながらもルフレに剣を向けてしまったのだ。
 だからもしあの時の様に、ルフレが『何か』を決めてしまっていたら……それをルキナが見抜けるかどうか分からない。
 ルフレが『何』を決断したにしろ、それがクロムやルキナにとって害になる事は殆ど無いであろうけれども。
 その決断は、ルフレ自身を害するモノである可能性はある。
 元々、ルフレは自分自身への執着はかなり薄い方であった。
 それは自身に関する記憶を全て喪ってしまったが故の、『自分』と言うモノに対する執着の希薄さ故なのかもしれない。
 何にせよ、ルフレが自分自身を勘定に入れていない可能性は少なくは無いのだ。……優しくも、残酷な事に。
 もし、ルフレが「自分の存在を禍」だと判断したならば、彼はその命を投げ出す事すら躊躇わないだろう。
 それが分かってしまうからこそ。
 そうでない事を願い……それを確かめたくて、その心に触れようとしてみても、そこにはルキナが窺い知るには深過ぎる心の海が存在する事位しか分からない。
 ……例え、彼のその判断が、決断が正しいのだとしても。 
 ルキナにはもう、彼が居ない明日は考えられなかった。
 ルフレ以外のこの世の全員が笑って幸せになれる未来よりも、ルフレと共に生きる苦難に満ちた明日の方がずっと良い。
 少なくとも、ルキナにとってはそうだ。だから。



「ねえ、ルフレさん」


 更け行く夜に、満天の星空を見上げながら。
 ルキナは、傍らに座って同じく夜空を見上げていたルフレに、身を預けて呼び掛ける。
 最後の決戦を控えた今宵は、誰もが皆思い思いに時を過ごし、多くは自らの愛する者との時間を過ごしている。
 だからこそ、正式な婚約はしていないが、思い結ばれて恋人となったルフレとルキナもこうして共に夜を過ごしていた。
 ルキナの呼びかけにルフレは優しく微笑み、自らに身を預けるルキナのその身体を優しく抱いて、囁いた。


「何だい、ルキナ」


 優しいその表情の裏に隠された心は無いかと探ってみても、ルキナには何も分からない。穏やかな湖面の様ですらある。
 だが、だからこそ腑に落ちないのだ。
 明日がギムレーとの決戦であると言うのに、穏やか過ぎる。
 まるで、全てをもう決めてしまったかの様に。
 全ての決断が既に下され、故に揺らぐ事も無駄に昂る事も無く、ただただ静かにその時を待っているかの様ですらあるそれに、ルキナの心は粟立つ様に恐れを懐く。
 ああ、引き止めねば、と。このままだと行ってしまう、と。

 だが、……彼が既に決めてしまっているのであれば、どんな言葉を示せばそれを留められると言うのであろうか。
 ルフレは発想や思考は柔軟ではあるけれども、ある部分では極めて頑固な所が在って、それを翻意させるのは並大抵の事では叶わない。それを理解しているからこそルキナは迷う。


「私にとって、ルフレさんが居ない『明日』なんて考えられないんです。……貴方を喪うかもしれない可能性が、怖い。
 ……ルフレさん、お願いです。死なないで下さい。
 絶対に……私を置いて逝こうとしないで下さい……」

「……大丈夫だよ、ルキナ。僕は、絶対に君を幸せにする。
 君の為なら、何だって……出来るよ。
 だから、そんな顔はしないで。
 明日の戦いに勝てば、君はもう自由だ。
『使命』にも、『希望』にも。もう縛られなくていい。
 君は、君の想うままに、『幸せ』の為に生きて良いんだ……」


 ルフレは、最後まで。決してルキナに約束はしなかった。
 そしてその代わりに、優しい口付けだけを残すのであった。






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