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第一話『天維を紡ぐ』

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 ヴァルムとの戦争も終わり、イーリスへと帰還しても、ルキナの成すべき事には些かの変わりも無い。
『使命』を果たす為には、寧ろ今からが重要なのだ。
 絶対に、「この世界」を『絶望の未来』へと向かわせない。
 何があっても、何をしても……『クロム』を死なせない。
『クロム』の死と言う『絶望の未来』への分岐点が訪れるまでに、何としてでもその流れを変えなくてはならない。
 その為に、ルキナは「この世界」に存在している。

 ……だが、今の所ルキナ自身に直接何か出来る事は無い。
 邪竜ギムレー復活阻止の為にイーリスもフェリアも動いていて、『クロム』も……そしてルフレも、必死に奔走している。
 だが、公的な立場は存在せず寧ろその存在は何があっても秘匿されねばならない「在ってはならない存在」であるルキナには、そう言った国レベルで動く事には何も力になれない。
 それは仕方の無い事で……しかし本来の自分が果たすべきであった事でもあり、どうしても心に引っ掻き傷を作る。
 それに……『クロム』がその厚意から王城の人目に付きにくい一画に、「この世界」に帰る場所も居場所も無いルキナの為に滞在する為の部屋を与えてはくれたのだが……それが却って胸を強く締め付ける様な苦しみになっている。
 ルキナの帰る場所だった『イーリス城』はもう存在しない。
 あの『絶望の未来』に於いて、『イーリス城』は襲撃してきたギムレーによって跡形も無く吹き飛ばされてしまったし、時と世界を越えてしまった以上もう何処にも存在すらしない。
 この城は、イーリス城ではあるけれどもルキナにとっての『イーリス城』とは、……違うのだ。

 ……外観自体は、そう大きく変わらないであろう。
 ただ、人々から余裕が奪い去られてしまっていたあの『絶望の未来』では、日常的に使用している部分ですら、掃除などの手が行き届かず調度すら壊れたらそのままであり、況してや普段人が寄り付かない場所など埃だらけであった。
 しかし、「この世界」の……滅びが訪れる気配すら無い城は、隅々まで完璧に掃除も手入れも行き届き、半ば空き部屋であったルキナの使う部屋にすら埃一つ落ちてはいなかった。

『未来』では枯れ落ちた草木が立ち並び荒れ果てていた大庭園や中庭なども、「この世界」では城付きの庭師達の手によって完璧に美しく手入れされ維持されている。
 建造物としての見た目自体は同じであるだけに、細かな違いが容赦無く目に付き……それ故に酷く居心地が悪い。

 そして何よりも……。
 この城には……「ルキナ」が居る。
「この世界」にとっての、『本物』の「ルキナ」が……。
『両親』からの溢れんばかりの愛情を受けて健やかに育っていくのであろう……ルキナが『使命』を果たした先で『絶望の未来』を知る事も無いまま成長するだろう「ルキナ」が。
 まだほんの小さな赤子、大人たちの庇護の手が無くては生きていけない無力な命……しかし、ルキナが心から望み希い今でも心の何処かでは諦めきれずにいる「それ」を、何の瑕疵も無く享受していく事が約束された、そうであるべき存在。
 ……「ルキナ」に対してどう言う気持ちを抱けば良いのか……ルキナには今でもその答えは出ない。

 無論、「彼女」に対して害意などは欠片も無い。
『幸せ』になって欲しいと……あんな『絶望』を知らずに済んで欲しいと、そう心から願っている。
 自分が生きる事の出来なかった、『幸せ』な未来を……少なくともあんな『絶望』しか存在しない様な未来では無いそれを、せめて「彼女」だけは生きて欲しいと、そう願っている。
『両親』に見守られ愛されながら、成長して欲しいと……。
 ……命ある限りは別れと言うモノは何時か必ず訪れるのだとしても、「彼女」にとってのそれはずっとずっと先の未来であって欲しいと……そう心から思っている。
 それを叶える為に、ルキナも、そして『クロム』達も戦って、この世界の未来を変えようと抗っているのだけれど。

 しかし、それなのに……。
『両親』からの愛情を目一杯に受けている「ルキナ」の姿を目にするのは……彼等の『娘』を幸せそうに見詰める『両親』の姿を見続けるのは……どうしてだか、苦しかった。
 それを「当然」の事であると、分かっているのに。
『両親』が愛するべき『娘』は「彼女」であって……ルキナではないと誰よりも分かっているのに。

 ほんの少しだけでも気に掛けて貰える事自体が望外の喜びである筈であるし、それ以上を望むべきではない。
 だけれども、「この世界」に於ける自分の存在に対し納得し理解している理性とは裏腹に。
 ……心の何処かに居る「あの日」のままその時を止めてしまった幼いルキナは、家族と居場所を求めて泣いているのだ。
 帰りたいと泣くその心を、切って捨ててしまえるならば、無意味に苦しみ傷付く事も無いのだろうか。
 祝福するべきその温かな光景を、苦みも混ざった複雑な想いで見詰める必要も無くなるのだろうか。
 何れ程悩んだ処で、自分の目にすら見えぬ心と言うモノを、意識的にどうこうする事は難しく。
 寧ろ意識すれば却って幼い心はより存在を主張してくる。
 ルキナに出来るのは、耳を塞ぎ目を反らす事だけだ。
 イーリス城から出れば、少しはこの胸の苦しみもマシになるのかもしれないが、『クロム』の厚意を無碍にするのも心苦しく、そしてここを出た所でルキナに身を寄せる宛は無い。
 それに、この痛みはルキナが「この世界」に存在する限り、自分の在るべき世界ではない「世界」に生きる限りは、ずっと消える事など無いものであり、城を離れても消えはしない。
 だからルキナは、自分の居場所では無いと感じながらも、イーリス城に留まり続けていた。

 そして、ルキナを苦しめているのはそれだけではない。
 刻一刻と迫っているのであろう「その時」……『クロム』が裏切りによってその命を落とす可能性がある瞬間が、何よりもルキナの心を追い詰めていく。
 ……考えれば考える程、『クロム』の周囲の人間関係について理解すればする程に、『未来』で父を裏切ったのは……裏切って父を殺せる状況に居たのは、「ルフレ」しか居なかった。
 他の可能性に逃げてしまいたくてそれを必死に追い求めても……追えば追う程に探せば探す程に、やはり彼しか居ない。
 あの『未来』で彼は何時だってルキナに対して優しかった。
 ……とても、優しい人だった。
「この世界」のルフレがそうである様に、仲間達皆にとても好かれていて……。幼かった自分にはまだよく分からなかったけれども、今思い返せばそこには確かな絆があった。
 ……それでもやはり裏切ったのは彼でしか有り得ないのだ。
 その動かす事の出来ない極めて確度の高い推測は、何処までもルキナを追い詰め苛む。
『使命』の為に『成すべき事』は、もう分かっている、痛い程に……理解してしまっている。
 それでも、ルキナはそれに踏み切れない。
 もっと決定的な証拠が存在しないなら、絶対に目を反らせない「何か」が無いのならば……きっとあれやこれやと自分でも苦しいと分かっている言い訳を重ねて、逃げてしまう。
 それは……そうしてしまうのは……。
 ルキナが、『彼』の事を……「この世界」のルフレの事を……もしかしたら『クロム』以上に大切に、想っているから。
 ……否、……ルフレに『恋』をしてしまっているからだ。

 何時からだったのかなんて、そんな事は分からない。
 決定的な瞬間と言うモノも、これと言って思い浮かばない。
 だけれども、きっと。
 ルフレと過ごした時間に、安らぎと『幸せ』を感じた時に。
 ルフレとの思い出に、心を救われた事を自覚した時に。
 ルフレの存在が、「この世界」の未来と『使命』と、比較しその『価値』を量る天秤へと載せてしまったその時には。
 ルキナにとってルフレは、この世の何よりも掛け替えの無い、『特別』で愛しい……唯一人になっていたのだろう。
 ……だからこそ、ルキナの中で全てが不安定に揺れ動く。

『使命』の事、『絶望の未来』の事、ルキナが犯した罪の事、「この世界」の事、『両親』の事、そして……ルフレの事。
 その全てがルキナの中で混沌を生み出し、ルキナが進むべき道を惑わせる様に心を乱す。
 選ばなければならない事、……だが決して選びたくない事。
 それがグルグルと頭の中を巡り続け、ルキナを悩ませる。
 まるで、行く道も帰り道も見失い途方に暮れる幼子の様だとすら、そう自分の現状を思ってしまう。
 迷い子を導いてくれる手は無く、ただ立ち尽くすばかりだ。
 広い部屋の中で何をしようにも落ち着かず、結局は部屋の窓から城下を見下ろす様にして時間を潰してしまう。
 そんな自分に嫌気が差し、手持無沙汰でならば文献を読み解くなりして少しでも『絶望の未来』を回避する為に尽力するべきであろうと、城の書庫に行こうかと思い立ち、椅子から立ち上がったその時。
 部屋の戸を控えめに叩く音がした。



「ルキナ、今時間は大丈夫かい? 
 少し、君に渡したいものがあるのだけれども」

「え、はい、大丈夫ですよ。どうぞ」


 ルキナを思い悩ませているその元凶であり……そしてルキナにとっては特別な人のその声に、思わず胸が高鳴る。
 少し慌てて部屋の戸を開けると、そこにはやはりルフレが立っていて、何かをその手に抱えていた。


「やあ、ルキナ。
 えっと……今日はこれを君に渡したくてね。
 良ければ、受け取って貰えると嬉しい」


 部屋に迎え入れた『彼』は、何故か少し緊張した様な様子でその手に抱えていたモノをルキナに手渡してくる。
 それは、ルキナには見慣れない可憐な白い花で作られた、細やかな花束であった。
 その花の匂いであろう優しく甘やかな香りが鼻孔を擽る。


「綺麗……。それにこの香り……心が安らぎます……」

「そうかい? それは良かった。
 ……最近のルキナは、前にも増して特に思い詰めた様な顔をしている事が多かったからね……。
 そんな君の慰めに少しでもなれたなら、僕も嬉しいよ」


 ルキナの心を優しく包む様なその香りに思わずそう呟くと、ルフレは嬉しそうに微笑む。
 その優しい顔を見ていると、思わず頬が熱くなってきた様な気がして……どうかルフレにそれを気付かれていないと良いのだけれど、とそんな事を思ってしまう。
 ルフレが自分の為に用意してくれたのだと思うと、名前も知らぬこの白い花が無性に愛しく思えた。

 ……だけども、この「恋」はルフレを傷付けるだけだ。
 何時か自分を殺すだろう相手が自分に「恋」をしているだなんて笑い話にも出来ないし、そんな想いを向けられていると知っても良い事なんて一つも無いだろう。
 だからこそこの「恋」は、殺さなくてはならない。
 この「恋」は、叶ってはならない。
 今こうして気を遣って花を贈ってくれたからといって、ルフレからも想われているだなんて勘違いをしてはいけない。
 どうかすれば溢れてしまいそうなこの想いに必死に蓋をして、悟られないようにしなくてはならない。


「見た事が無い花です……。
 とても珍しい花だったのでは……」

「いや、そんな事無いよ。街でも普通に見かける花だからね。
 ただ、薔薇みたいな王城で育てる様な花じゃないから、ルキナには見慣れない花だったのかもしれないね。
 精油の原料になったり民間薬の原料になる花として、一般的によく育てられている花なんだって。
 この花には、素敵な花言葉があるんだ。 ……分かるかな?」


 そう言って微笑むルフレに、ルキナは首を横に振る。
 知らない花だからというのもあるけれど、……ルキナは元々花言葉の類には疎いのだ。

 ……あの『絶望の未来』では、花なんてもう何処にも存在しなかったし、そんな事を覚えている暇なんて無い程にあの『未来』でルキナ達はただただ戦う事しか出来なかったから。
 そんなルキナに、その眼差しに僅かに痛みの様な色を映して、ルフレは優しくその答えを示す。


「『逆境に耐える』、『苦難の中の力』、『運命に打ち克つ』……。
 何度踏み潰されたって、決して枯れずに美しく咲くこの花には、そんな花言葉があるんだ。
 ……この花は君にとても似ていると、僕はそう思うよ」

「…………」


 ルフレの言葉に、再び手の中の花に目を落とす。
 可憐なこの花を、ルキナの様だと……そしてそう思ってそれを贈ってくれた事が、言葉にならない程に嬉しくて。
 思わず抑えきれずに溢れ出た想いが、涙となって零れた。
 ルキナが涙を流した事に、ルフレは狼狽えた様に慌てだす。



「えっと、その……嫌……だったかな? 
 ごめんね、ルキナを傷付ける意図は無かったんだけど……」

「いえ、違います……違うんです……。
 ただ……嬉しくて……。
 ルフレさんの気持ちが、そうやって想って貰える事が……。
 私には……本当に……」


 泣き止まなくてはと、そう思うのだけれど。
 どうしてだか、中々涙を止められない。
 哀しいのではなくて、嬉しいのだけれども。
 しかしそれと同時に息をする事すら儘ならない程に、胸を締め付ける様な苦しさがある。
『想う』事は酷く苦しく、しかし同時に『幸い』であった。

 そんなルキナを見て、動揺した様に眼差しを揺らしていたルフレが、小さな溜息と共に何かを考えるかの様に目を瞑る。
 そして、意を決したように、目を開けたルフレは、ルキナを真っ直ぐに見据えた。


「ルキナ……僕は……君に伝えたい事がある。
 僕は……君の事を。
 他の誰でもなく、君自身を。
 何よりも大切に想っている。
 君が好きだ。君を……誰よりも愛している。
 ……その花の花言葉にはまだ続きがあるんだ。
『愛の誓い』。
 それが、僕が君に一番伝えたかった『想い』だ」

「ルフレ……さん……」

「でも、……僕はそれを伝える事を、躊躇っていた。
 この『想い』が君にとって重荷になるのかもしれない、君を縛り苦しめる事になってしまうのかもしれない、と。
 ……それが、怖かったんだ。
 何故なら、僕にとって一番大切な事は、君を『幸せ』にする事だから……君を『不幸せ』にしてしまうかもしれないならこの『想い』は墓場まで持っていこうと、そう思っていた」

「それは……」


 それを想うべきなのはルキナも同じであった。
 何時かその命を奪うかもしれないのに、ルフレの事ではなく『使命』の方を……最後には選んでしまうのに、と。
 そんな想いを抱く資格なんて無いと、そう思っていた。
 そうして殺しきれない想いと『使命』とに板挟みになって苦しみ続けていたのだけれども。
 そんな苦しみを、ルフレも抱えていたと言うのであろうか。


「……それでも、僕はどうしても君に伝えたい想いがあった。
 ルキナ、僕は何があっても、そして君が『使命』の為に何を成そうとするのだとしても、ルキナを絶対に信じる……君の絶対の味方になる、君の全てを受け入れる。
 君の苦しみも、悲しみも、怒りも、全て受け止める。
 君自身が自分を苛んでいるその罪も、僕が背負う。
 だから……この世界でなくても良い、そこが何処であっても良いから、生きたい場所で、心が望むままに生きて欲しい。
『使命』を果たしても、君の未来は続いていくんだ。
 だからこそ、ルキナに誰よりも『幸せ』になって欲しい。
 ルキナが笑って生きていてくれる事だけが、望みなんだ。
 それを……どうしても伝えたかった」


 そう言って、ルフレは慈しむ様に優しい微笑みを浮かべる。



「僕の事を好きじゃなくても良い。
 僕の気持ちを受け入れられないなら、それでも良いんだ。
 ただ……君に『幸せ』になって欲しい、と。
 それを願う事だけは、どうか赦して欲しい」



 優しい……いっそ残酷な程に何処までも優しいその『想い』に、ただでさえ潤んでいた視界がぼやける。
 こんなにも真っ直ぐで優しい『想い』に直接触れるのは、生まれて初めての事で。
 どう答えれば良いのか分からなくて、言葉を見失ってしまいそうになるけれども。
 それでも、ルキナも伝えたかった。
 この胸に抱え続けてきた想いを、今この瞬間に。
 だから、必死に言葉を探す様にして、音を紡ぐ。


「……私にとっても、ルフレさんは、特別で大切な人です。
 ……許されるなら、ずっと傍に居たいと思ってしまう程に。
 貴方の事を……愛しています」


 それを願う事が、赦されて良い事かは分からないけれど。
 それでも、今こうして感じている喜びを、想いが通じ合っていたその事実へ感じた『幸せ』を、否定する事はきっと神様にだって出来はしないし、させはしない。
 ……この想いは、何時か絶望の果てへとルキナ達を導いてしまうのかもしれない。
 例え奇跡が起こって『使命』がルフレの命を奪う事が無かったとしても、「この世界」に在ってはならぬ存在であるルキナは、何時かルフレと別れなくてはならないかもしれない。
 それでも、今この時だけでも、夢を見ていたいのだ。
 それが現実からの逃避に等しい行いであるのだとしても。
 今は、今だけは……と、そう願ってしまう。



「好きです……貴方の事が、好きなんです……。
 この先に、どんな未来が訪れるのだとしても……。
 今は……どうか今だけは……このまま……」



 何時か全て喪う定めなのだとしても。
 どうか──




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