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第一話『天維を紡ぐ』

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 自分の『想い』を自覚したが、しかしだからと言って「何か」が大きく変わったと言う訳でも無い。
 変わらずに共に時を過ごし、そして語り合う。
 だが、そこにある「意識」と言うモノはやはり変わった。
 まるで、ルフレにとっての世界を彩る「色」が一つ増えたかの様に、ルキナと過ごす時間の全てが、そして彼女の存在の全てが、色鮮やかに映るのだ。
 一瞬一瞬が、痛い程に鮮やかにこの胸に刻まれていく。
 クロム達と積み重ねてきた宝物の様な思い出とはまた違う、温かく輝く様なそれが、どうしようもなく愛おしい。

 その眼差しに、痺れる様に見惚れている。
 その一言、その言の葉の全てをこの胸に抱きしめていたい。
 守りたい、その心からの笑顔を見たい。
 彼女が望む全てを、叶えてあげたい。
 自分が出来る全てで、ルキナを『幸せ』にしたい。

 自覚した途端に、『想い』は後から後から溢れ続ける。
 クロム達への、愛しい仲間達への『想い』は、ずっと前からあったしそれもまた何よりも大切なものではあるけれど。
 ルキナへの『想い』は、それを凌駕する程の「熱」を帯びて、ルフレの心を燃やす様に駆り立てる。
「誰か愛する人を見付け、その人と愛を育むと良い」と、クロムに以前から事ある毎に口が酸っぱくなる程に言われてきたが、その時にはその意味がよく分かっていなかった。
 愛する仲間達が居て、唯一無二の終生の友とも呼べる「半身」たるクロムが居て……それで十分じゃないか、と。
 そう心から思っていたし、彼等が愛する人と『愛』を育んでいるその姿を見守るだけで自分は幸せだと思っていた。
 でも、こうしてルキナへの特別な『想い』を知った今となっては、クロムの言葉は正しかったのだと、そう思える。
 ……尤も、現状ではこの『想い』はただの一方通行のものであり、ただルフレの胸の内で渦巻き深まるだけのものだ。

『想い』を伝えたいと、そう思う気持ちは間違いなく在る。
 自覚したその瞬間に衝動的に言葉にしそうになった程だ。

 例えルキナから気持ちが返ってくる事は無くても、この胸を焦がし動かす『想い』が消えてしまう事は無いけれど。
 もし……共に温かなこの『想い』を分かち合い育む事が出来るなら、自分が向けている様な『想い』が……彼女からも返ってくる事があるのなら。
 それはきっと……満ち足りるが余りに死んでしまいそうな程に、『幸せ』な事なのだろうから……。

 しかしそれでも、この胸を熱く震わせる『想い』をその衝動のままに彼女に伝える事には、僅かに迷いがある。
『想い』に何も返ってこない事を恐れているのではなくて。
 ……『想い』を伝えた事、……いやその『想い』それ自体が、ルキナをより苦しめてしまう事になるのではないかと、その可能性に思い至ってしまったが故である。

 ……ルフレの望みは、ルキナの『幸せ』だ。
 ルキナが『幸せ』でなくては自分の『幸せ』は意味が無い。
 彼女にとっての『幸い』が、ルフレにとってのそれに重なるのならば、きっとこの世の何よりも素敵な事だけれど。

 だが、ルフレがそうして『想い』を抱いている事が、それを知ってしまう事が、彼女を悩み苦しませ、『不幸』にしてしまうのならば……この『想い』は胸に秘め続けるべきだ。
 何れ程強い『想い』があったとしても、伝えなかったのなら……伝わらなかったのなら、存在しない事と同じだから。

 ……ルキナは、余りにも重いものを……『使命』もその過去もそしてそこにある感情も。たった一つ抱えるだけでもう一歩も歩けなくなりそうな程の重荷を、幾つも背負っている。
 その心の何処かを、「救えなかった」と……彼女がそう思っている『絶望の未来』へと置き去りにして。
 この世界に自分が存在する理由だとすら思う程に、その『使命』を強く強く胸に刻んで。
 心の傷が目に見えるのならば、きっと……いっそ心が壊れていない事の方が不思議であろう程に傷付き果てていて。
 それでも、その胸に抱いた『使命』がそうさせるのか、……或いは彼女の矜持が足を動かしているのかは分からないけれど、決して立ち止まらずに前を向いて足掻き続けている。
 ……そこに、ルフレの『想い』などと言う新たな重荷を載せてしまって良いのだろうかと、そう迷ってしまうのだ。
 それをルフレが意図したつもりは無くても、ルフレがこの胸に秘めた『想い』を打ち明ける事で、彼女をギリギリの処で支えていた「何か」を壊してしまうかもしれない。
 重荷を背負い歩く驢馬を潰してしまう最後の麦穂を、ルフレ自身が載せてしまうのではないかと思うと、恐ろしいのだ。

 ルフレには、彼女の『使命』について、そして彼女が語った『絶望の未来』で起きた事……その未来での『ルフレ』が辿ったその結末について……どうしても気に掛かる事がある。
 ……ルフレが頻繁に見る夢の事だ。
 何処かの薄暗い神殿の中の様な気味の悪い場所で、ルフレはクロムと共に戦い……そして敵を討ち取った筈の次の瞬間、まるで操られたかの様にクロムを殺す。……そんな夢だ。
 勿論、夢は夢でしかない可能性は大いにあり、色々と悪い方へ考えている内に自分にとっての最悪を夢と言う形で描き出しているだけに過ぎない可能性だってある。
 だけれども、夢でしかない筈のその中での経験は。
 クロムを庇って受けた電撃が身体を走り焼け付き痺れる様な痛みも、……そしてクロムに雷の槍を突き刺したその感触も臓腑までもが焦げ付く臭いもこの手に残る魔法の残滓も。
 その全てが、まるでその場で確かに起こっているかの様に「現実」のそれそのままで。
 ……そして何よりも。
 その夢の中で対峙していた男は、現実の世界で出会う前に既にそのままの姿でルフレの夢の中に現れていた。
 更には、エメリナ様の暗殺未遂の時に殺した筈のその首謀者は、まさにあの男であったのである。
 ……だが、殺した筈の男の遺体は何時の間にか消え去り、そして……ギャンレル亡き後のぺレジア王として再びルフレの前に姿を現したのだ。
 その傍に居たルフレと瓜二つの「最高司祭」といい、明らかに何かがあり……それはきっとルフレ自身に繋がっている。
 未だ戻る気配すらない喪われた自身の記憶の中にその答えはあるのかもしれないが……そうだとしてもあの二人の態度はどうにもおかしく……それが酷く不気味なのである。
 恐らくは彼らの手のものであろう者達がルフレ達の動向を見張り続けているのには気付いてはいるが……それ以上の干渉は仕掛けてはこず、それが酷く不安を煽る。
 その監視の在り方はまるで、何かの意図を逸れない様にと付けられているモノの様にも感じるのだ。
 何か、自分は大事な事を見逃しているのではないか……忘却しているのではないかと、不安でならない。
 ……あの夢を「現実」にせずに済む様に、打てる手は打ったが……しかしそれでも心の何処かでは胸騒ぎが収まらない。
 何時かそれが決定的な破綻を生じさせはしないかと……、それは自分を起点に生じるのではないかと考えてしまう。
 それに、……あの「最高司祭」に対面してから時折、クロムを殺す夢とはまた異なる奇妙な夢を見るのだ。
 血で染めた様な不気味な赤に染まる空、燃え盛り全てが灰に還っていく街並み、逃げ惑う人々、命を蹂躙し冒涜する無数の屍兵、空の全てを覆い尽くさんばかりの巨大な異形の竜。
 それは、ルキナから断片的に聞いた『絶望の未来』の光景の様で……彼女の語るそれから、自分が無意識の内にも思い描いた物かもしれないのだけれども。
 だが……その夢の中でルフレは、ルフレの視点は……。
 夢を起きた時に全て覚えているのは難しいが、幾度となく繰り返していれば嫌でもその光景が目に焼き付いてくる。
 ……それをただの夢と切って捨てるのは簡単だけれども。
 ルフレは、軍師として備えなければならず、故にそれについて考え続ける必要がある。
 そしてそうやって考え続けた先に最後に辿り着くのは、欠け落ちた自身の『過去』についての事であった。
 覗き込んでも何も見えはしないそこに、何か恐ろしい物が隠されているのではないかと、そう思ってしまう。
 そしてそれが、彼女の『未来』に於いて、最悪の結末をもたらしてしまったのだとしたら……。
 そして、『未来』でそれが起こったのだとして、……この世界でもそれが起きないと言う保証は無い。
 ルフレの意志一つで回避出来るのならば何としてでも回避するのだけれども、今のルフレでは触れようも無い『過去』に起因するものであるのならば、それも保証出来ない。
 そう……ルフレは、『自分自身』を疑っているのだ。
『未来』に於ける「裏切者」は、自分だったのではないかと。
 ルキナ自身、その「裏切者」が誰であるのかとは知らない様であったけれど、間違いなく彼女にとっても「疑わしい」人物の中にルフレは居るのだろう。

 ……だからこそこの『想い』を伝える訳にはいかなかった。
「裏切り」の事実がどうであるにしろ、そんな者からの『想い』など、無駄な重荷にしかならないであろうから。
 もし、彼女がその『使命』を果たさねばならなくなった時に、それを縛る事の無い様に、その決意を惑わさぬ様に。
 ルキナを心から『想う』のであれば、それこそ墓場にまで秘めていくべき『想い』ではある。

 だが、いっそ度し難いとすら自分でも思うのだけれども。
 ルフレにはルキナにどうしても伝えたい『想い』があった。

 何があっても、何を成そうとするのだとしても。
 自分はルキナを信じている……ルキナの味方なのだと。
 例え、その『使命』の先で……自分がその命を捧げる必要があるのだとしても、それを受け入れる、と。
 だからどうか、今この瞬間も『絶望の未来』に心を囚われ苦しみ苛み続けるルキナ自身を、救ってあげて欲しい、と。
 滅びも絶望も、何一つとしてルキナに咎は無いのだと。
 この世界でなくても良い、そこが何処であっても良いから、生きたい場所で、心が望むままに生きて欲しいのだ。
 ただただ、ルキナに『幸せ』になって欲しい。
 ルキナが笑って生きていてくれる事だけが望みなのだ、と。
 それを、彼女の『幸せ』を願う心を。
 この世の他の誰でも無く、戦い続け傷だらけになったルキナ唯一人の『幸せ』を、心から願う者は確かに居るのだと。
 ……それを願う者が居たとしても、彼女にとってはこの世界に『居場所』は無いのだとしても。
 ほんの一時の安らぎを、小さな小さな春の陽だまりの中での微睡の様に……傷付いた心を僅かにでも癒す温もりならば、「この世界」にも在るのだと、そう気付いて欲しくて。
 だからこそ、……その『想い』だけでも伝えたいのだ。
 彼女の心を傷付けているのが他ならぬルフレ自身であるのだとしても……自分では到底『居場所』になれないとしても。
 …… ヴァルムとの戦争が終わった今、この世界はまた一つ、彼女の知る『未来』への分岐点に近付いているのだろう。
 だからなのか、今のルキナは張り詰めた弓弦の様に、余裕を失くして思い詰めている様に思える。
 このままでは、彼女の心の方が先に限界を迎えてしまうのではないかと……そうルフレが焦燥に駆られる程に。
 ……もし、ほんの少しでも、ルフレの『想い』が、今にも崩れそうな彼女の心をほんの少しでも癒せるなら……。
 ルキナが自分の心を癒す術を見付けるまで、それを支える事が出来るなら……。
 それだけで良い、それさえ叶うならば何ももう望まない。
 だが、『想い』が心を少しだけでも救う可能性と同時に、『想い』が彼女の心へ止めを刺してしまう可能性だってある。
 それ故に、どうしても一歩が踏み出せない。
 しかしこうしている内にも今にもルキナの心は限界を迎えてしまうのではないかと思うと、何もしない訳にはいかない。
 一体どうする事が最善であるのか、最もルキナの為になるのかと悩み続けながら歩く内に、視界に白い花の姿が過った。
 小さなその可憐な花を見ている内に一つ妙案が思い浮かぶ。

 直接言葉にする必要など無いのだ、と。
 古来より人は花に様々な想いを託してきた。
 ならば、解釈を相手に委ねる事で、過剰な負担を掛けずに必要な分だけの『想い』が伝わるのではないか、と。
 ……もし、それが重荷になりそうならば、そんな花言葉など知らなかった、偶然だったのだと押し通してしまえば良い。

 その花に求めている意味が秘められているのかを確認してから、ルフレはそれを幾つか選んで細やかな花束を作る。
 そして小さな花束を抱えてルキナの元へと急ぐのであった。




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