第一話『天維を紡ぐ』
◆◆◆◆◆
『家族』、と言うものが、僕にはよく分からない。
勿論、親子や兄弟や夫婦と言った繋がりを持つ人々を指す事程度は知っているけれど。
それはあくまでも知識としての事で、僕の経験に裏打ちされたものでなかった。
僕には、クロムに拾われるまでの……あの日あの草原で目覚めるまでの一切の「記憶」が無い。
それは、こうしてクロム達と過ごす様になって決して短くは無い時を過ごした今となっても甦る事はなく。
何時戻ると言う保証が無いどころか、過去の己の縁となる断片すら何一つとして戻らないままだ。
もしかしたらこのまま、自分が死を迎えるその時ですらも、喪われたそれらは戻らないのかもしれない。
自分に関する「記憶」が一切無くても何故か必要な知識は残っていたし、この身体が覚えていた事は喪われてはいなかったから、自分の身元が何も分からない事以外には大きな支障は今の所は無いのだけれども。
しかし、記憶と共にそこにあった筈の『経験』と言う名の『過去』が喪われてしまった結果、僕にはどうしても『実感』を伴えないモノがとても多い。
『家族』と言うもの、その在り方……そう言ったものも、僕が喪ってしまったモノの一つであった。
『家族』。
それはきっと、この世界の何処に行ったとしても存在する、人と人との繋がりの形なのだろう。
僕の唯一無二の友にして『半身』であるクロムには、リズと……そして今は亡くなってしまったエメリナ様と言う、大切な「姉妹」……『家族』がいる。
その輪を傍で見ているだけである僕にすら理解出来る程の、優しい温かさをとても伴った強固な繋がりが彼等にはあって。
その温かさを、その確かな『繋がり』を。
人は、『家族』と……そう呼ぶのだろう。
そして、それは別にクロムに限った話ではなくて。
自警団の皆、その誰もが其々に、『家族』と言う『繋がり』を「誰か」と持っていた。
皆の多くは、『家族』と言うものをとても大切にしているし、もうその『家族』を喪ってしまった者であっても、そこにあった『想い出』……『家族』と過ごしていた『過去』は、とても特別で大切なモノの様であった。
中には、『家族』と不幸な関係性であった者も居るけれど、それでも……どんなにその『繋がり』が辛く苦しいものであるのだとしても、そんな彼らにとってすら『家族』と言う『繋がり』は、やはり【特別】な意味を伴っている様であった。
……最もその【特別】とはある種の【呪い】の様にその心を縛るものである様だけれども……例え【呪い】だとしても容易には断ち切れぬものであるのは確かなのだろう。
しかし、僕には『家族』が存在しない、分からない。
過去の事は何も覚えていないとは言え、幾ら何でも木の股から産まれてきた訳では流石に無いだろうから、腹を痛めてまで僕を産み落とした「母親」は存在する筈であるし、ならば当然にあたる「父親」も居たのだろう。
それが血縁的な関係性だけであるのかどうかはともかくとして、少なくとも。その『繋がり』の強さや確かさはどうであれ、僕にだって『家族』は存在した筈なのだ。
いや、もし産まれて直ぐに棄てられたのだとしても、無力な赤子が誰の助けも無くここまで生き延びられる筈も無いのだから、「育ての親」と言う意味での『家族』は居た筈だ。
その『家族』と言う『繋がり』に僕がどんな感情を抱いていたのかは分からないけれど、僕にだってその特別な『繋がり』はあった筈である。
しかし、喪ってしまった『記憶』と共に、僕はその『繋がり』の一切を喪失してしまった。
何れ程思い出そうとしても何かに触れそうな感覚すらない。
もしかしたら『繋がり』の先に居る当人を目の前にすれば何か感じるものがあるのかもしれないけれど、しかし少なくとも僕が今まで出会ってきた人々の中には居なかった。
在った筈の『繋がり』。それを喪失してしまった僕の心の何処かには、喪ったその形をした欠落が存在するのだろうか?
だが、例えあるのだとしても僕はその「欠落」を自覚する事が出来ない様であった。
『家族』と言う『繋がり』を渇望するでもなく、故に存在するかどうかすらも分からない『家族』を求めて宛も無く旅に出るなんて事もしようとは思わない。
ただ、仲間達やクロムが『家族』と言う言葉を口にする度に、そして『家族』への想いを表す度に。それに対しての『実感』のある理解を伴えないが故の、何処か疎外感の様な収まりの悪さを少しだけ感じてしまう。
僕にとっては、クロムは、仲間達は、何よりも大切で、何よりも喪い難い『繋がり』であるのだけれども。
それはきっと、『家族の繋がり』とは似て非なるものなのだろうと言う事位は分かる。
クロムが、リズやエメリナ様に向けていた想いと、僕や皆に向けている想いが、似た様な温かさを伴っていても、それでも全く違うものである様に。
『仲間の繋がり』と『家族の繋がり』は、異なるものだ。
勿論、どちらがより重いだとかより【価値】があるだとかの話ではないし、そもそもそうやって比べる様なものでもないのだろうと言う事も僕は分かっている。
クロムを例として考えてみれば、リズやエメリナ様の存在を無くしては僕が知るクロムではないだろうし、逆に自警団の皆が欠けていてもそれはそれで今のクロムとは全く違う「誰か」になってしまう。
どちらの『繋がり』も、『クロム』と言う存在を形作るにはとても大切なものである。
でも、では僕は? と、そう考えてしまうのだ。
今の僕にある『繋がり』は、クロム達と出逢ってからの……クロム達との『繋がり』だけ。
でも、それだけが今の僕を形作っているのかと言われれば、恐らくはそうでもないだろう。
あの日より前の自分に関わる全ての記憶──『思い出』を喪失してしまっているとは言え、そこにあった『何か』は、僕の一部を今も形作っている。
全て喪ってしまっても、断片すら思い出せなくても。
恐らく……僕を形作っていたそれには、きっと『家族』の存在も含まれていたと思うのだ。
しかし、確かに今の僕も形作っている筈のそれを、僕は何も思い出せないどころか……多分そこにあった筈のそれを思ったとしてもそこに何の『実感』も伴えない。
温かさも何も、そこには何も無いのだ。
その事を悲しいとも虚しいとすらも、……何も思えない。
何も感じられないと言う事が、どうしてだか少しだけ。
この胸に僅かな引っ掻き傷の様な痛みを与えていた。
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『家族』、と言うものが、僕にはよく分からない。
勿論、親子や兄弟や夫婦と言った繋がりを持つ人々を指す事程度は知っているけれど。
それはあくまでも知識としての事で、僕の経験に裏打ちされたものでなかった。
僕には、クロムに拾われるまでの……あの日あの草原で目覚めるまでの一切の「記憶」が無い。
それは、こうしてクロム達と過ごす様になって決して短くは無い時を過ごした今となっても甦る事はなく。
何時戻ると言う保証が無いどころか、過去の己の縁となる断片すら何一つとして戻らないままだ。
もしかしたらこのまま、自分が死を迎えるその時ですらも、喪われたそれらは戻らないのかもしれない。
自分に関する「記憶」が一切無くても何故か必要な知識は残っていたし、この身体が覚えていた事は喪われてはいなかったから、自分の身元が何も分からない事以外には大きな支障は今の所は無いのだけれども。
しかし、記憶と共にそこにあった筈の『経験』と言う名の『過去』が喪われてしまった結果、僕にはどうしても『実感』を伴えないモノがとても多い。
『家族』と言うもの、その在り方……そう言ったものも、僕が喪ってしまったモノの一つであった。
『家族』。
それはきっと、この世界の何処に行ったとしても存在する、人と人との繋がりの形なのだろう。
僕の唯一無二の友にして『半身』であるクロムには、リズと……そして今は亡くなってしまったエメリナ様と言う、大切な「姉妹」……『家族』がいる。
その輪を傍で見ているだけである僕にすら理解出来る程の、優しい温かさをとても伴った強固な繋がりが彼等にはあって。
その温かさを、その確かな『繋がり』を。
人は、『家族』と……そう呼ぶのだろう。
そして、それは別にクロムに限った話ではなくて。
自警団の皆、その誰もが其々に、『家族』と言う『繋がり』を「誰か」と持っていた。
皆の多くは、『家族』と言うものをとても大切にしているし、もうその『家族』を喪ってしまった者であっても、そこにあった『想い出』……『家族』と過ごしていた『過去』は、とても特別で大切なモノの様であった。
中には、『家族』と不幸な関係性であった者も居るけれど、それでも……どんなにその『繋がり』が辛く苦しいものであるのだとしても、そんな彼らにとってすら『家族』と言う『繋がり』は、やはり【特別】な意味を伴っている様であった。
……最もその【特別】とはある種の【呪い】の様にその心を縛るものである様だけれども……例え【呪い】だとしても容易には断ち切れぬものであるのは確かなのだろう。
しかし、僕には『家族』が存在しない、分からない。
過去の事は何も覚えていないとは言え、幾ら何でも木の股から産まれてきた訳では流石に無いだろうから、腹を痛めてまで僕を産み落とした「母親」は存在する筈であるし、ならば当然にあたる「父親」も居たのだろう。
それが血縁的な関係性だけであるのかどうかはともかくとして、少なくとも。その『繋がり』の強さや確かさはどうであれ、僕にだって『家族』は存在した筈なのだ。
いや、もし産まれて直ぐに棄てられたのだとしても、無力な赤子が誰の助けも無くここまで生き延びられる筈も無いのだから、「育ての親」と言う意味での『家族』は居た筈だ。
その『家族』と言う『繋がり』に僕がどんな感情を抱いていたのかは分からないけれど、僕にだってその特別な『繋がり』はあった筈である。
しかし、喪ってしまった『記憶』と共に、僕はその『繋がり』の一切を喪失してしまった。
何れ程思い出そうとしても何かに触れそうな感覚すらない。
もしかしたら『繋がり』の先に居る当人を目の前にすれば何か感じるものがあるのかもしれないけれど、しかし少なくとも僕が今まで出会ってきた人々の中には居なかった。
在った筈の『繋がり』。それを喪失してしまった僕の心の何処かには、喪ったその形をした欠落が存在するのだろうか?
だが、例えあるのだとしても僕はその「欠落」を自覚する事が出来ない様であった。
『家族』と言う『繋がり』を渇望するでもなく、故に存在するかどうかすらも分からない『家族』を求めて宛も無く旅に出るなんて事もしようとは思わない。
ただ、仲間達やクロムが『家族』と言う言葉を口にする度に、そして『家族』への想いを表す度に。それに対しての『実感』のある理解を伴えないが故の、何処か疎外感の様な収まりの悪さを少しだけ感じてしまう。
僕にとっては、クロムは、仲間達は、何よりも大切で、何よりも喪い難い『繋がり』であるのだけれども。
それはきっと、『家族の繋がり』とは似て非なるものなのだろうと言う事位は分かる。
クロムが、リズやエメリナ様に向けていた想いと、僕や皆に向けている想いが、似た様な温かさを伴っていても、それでも全く違うものである様に。
『仲間の繋がり』と『家族の繋がり』は、異なるものだ。
勿論、どちらがより重いだとかより【価値】があるだとかの話ではないし、そもそもそうやって比べる様なものでもないのだろうと言う事も僕は分かっている。
クロムを例として考えてみれば、リズやエメリナ様の存在を無くしては僕が知るクロムではないだろうし、逆に自警団の皆が欠けていてもそれはそれで今のクロムとは全く違う「誰か」になってしまう。
どちらの『繋がり』も、『クロム』と言う存在を形作るにはとても大切なものである。
でも、では僕は? と、そう考えてしまうのだ。
今の僕にある『繋がり』は、クロム達と出逢ってからの……クロム達との『繋がり』だけ。
でも、それだけが今の僕を形作っているのかと言われれば、恐らくはそうでもないだろう。
あの日より前の自分に関わる全ての記憶──『思い出』を喪失してしまっているとは言え、そこにあった『何か』は、僕の一部を今も形作っている。
全て喪ってしまっても、断片すら思い出せなくても。
恐らく……僕を形作っていたそれには、きっと『家族』の存在も含まれていたと思うのだ。
しかし、確かに今の僕も形作っている筈のそれを、僕は何も思い出せないどころか……多分そこにあった筈のそれを思ったとしてもそこに何の『実感』も伴えない。
温かさも何も、そこには何も無いのだ。
その事を悲しいとも虚しいとすらも、……何も思えない。
何も感じられないと言う事が、どうしてだか少しだけ。
この胸に僅かな引っ掻き傷の様な痛みを与えていた。
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