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第二話『神竜の森の賢者』

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 急ぎ屋敷に引き返し、ルフレは薬や包帯代わりになりそうな布や治療の杖といったものをありったけ持ち出し、桶に井戸から汲み上げた水を張り、大鍋に火をかけて煮沸して清潔を確保した湯を用意する。
 どうやって塞ぐにしろ先ずは傷口を洗ってやらねばならない。
 泥濘の中から場所を移した方が良いが、意識を喪った『竜』の身体をルフレ一人ではどうやっても動かす事は出来そうに無いので、そこは諦めるしかなかった。

 何度も井戸とを往復しながらも、何とか傷口の泥や血の塊を洗い落としてやる事が出来た。
 自分が泥に塗れるのを厭わず、ルフレは『竜』の胸元に潜り込む様にしてその胸元の傷を確かめる。
 遠目から見ても酷いものだと判じる事が出来る傷であったが、改めて近くで確認するとこの傷でよくここまで逃げてきたものだと驚く程のものであった。
 硬い鱗をも綺麗に切り裂いたその太刀筋は深く『竜』の身を傷付けていて、辛うじて臓器こそ傷付いてはいなかったがその傷は肋骨近くにまで達していた。
 分かってはいたが、やはり『竜』の傷は人の手によって付けられたものなのだろう。
 何処でこの傷を負ったのかは分からないが、少なくともこの辺りにある村ではないだろうし、その身に突き立つ矢はこの辺りで流通するそれとは違う為この地方でもない可能性が高い。
 恐らくは何処か遠く離れた場所から逃げてきて……そしてこの辺りで力尽きたのだろう。

 この『竜』が何故人から武器を向けられる事になったかなど、その場を知らぬルフレには分かりようもない事だ。
 人を襲ったのかも知れないし、或いは運悪く人里に迷い込んでしまったのかもしれないし、或いは『竜』に何の瑕疵も無くとも人に住処を追われたのかも知れない。
 所詮、その全ては推測にもならぬただの想像でしかない、
 だが、ただ一つ確かな事として、今この『竜』は命を落としかけていて……そして自分にならばそれをどうにか留める事が出来るのかも知れないという可能性がそこにある。
 だからこそ、一度「助ける」と決めたルフレには、この『竜』がどの様な経緯でこの傷を負ったのかなど些末な事であった。

 しかし……「助ける」とは決めたものの、治療したからと言ってこの『竜』の命が助かる可能性はルフレの見立てでは五分五分と言った所だろう。
 傷口を塞いだところで喪った血を戻してやる事は出来ないし、抵抗力が落ちれば傷口が膿んでそれが元で死ぬかも知れない。
 人間に比べれば多少血を多く喪っても直ぐ様死に至る事も無いだろうが、ある程度以上の血を一度に失えば死に至るのはその身に血が流れる生き物である以上は変わらないだろう。
 傷口を診た所で具体的にどれ程の血が流れてしまったのかは分からないし、そもそもこの大きさの『竜』の場合どの程度の出血で命に関わってくるのかの知識もルフレには無い。
 牛や馬と言った家畜なら治療の知識も経験もあるけれども。
 飛竜ですら本の知識でしか知らぬルフレにとっては、『竜』の治療と言うのは未知の領域である。
 それでも、迷い手を止めている暇は無いのだ。
 無我夢中で、必死に知識を繋ぎ合わせながら治療を進める。

 胸元の傷を丹念に洗い可能な限り清潔を保ち、そこに治療の杖を使ってその傷口を塞いでいくが、それは応急的に薄く塞ぐ程度に留めておく。
 治療の杖の力は確かだが、その力は傷口を塞ぐと同時に少なくない体力をその者から奪う。
 生き物が元より持つ治癒力を活性化させる事で、治療の杖はその力を顕すものだからだ。
 こんな、今にも力尽きて息絶えそうな状態の『竜』に対してその力を十全に使うとなると、傷口を完全に塞ぐ事と引き換えにその命を奪う結果になりかねない。
 それ故にルフレは、血が流れ出ない程度に塞ぐだけに留めておいて後は時間をかけて癒やしていくべきだと判断した。
 傷口が完全に薄く塞がりもう血が出ていない事を確認してから、そこに化膿防止と治癒促進の効能がある薬を塗り、清潔な布を当ててやってから裂いたシーツを包帯代わりに巻く。

 左腕の傷口も同様に手当をした後で矢傷の方へと取り掛かる。
 直接的に命に関わるものでは無さそうだが矢傷も酷いもので、早くに治療しなければ膿んだ傷口から腐っていきかねない。
 傷口を塞ぐにもとにかく鏃を取り除いてやらねばならないのだが、返しのついたそれは一筋縄では取り除けなかった。
 無理に引き抜こうものなら、周りの肉や血管を引きちぎってしまい余計に酷い傷になるだろう。

 仕方なくルフレは、返しを安全に引き抜ける程度に、その傷口を持っていたナイフでほんの少し切り開く。
 矢に砕かれて体内に入り込んでいた鱗の欠片も丁寧に取り除いてから、胸元や腕の傷口と同じ様にそれを塞いでいく。

『竜』の身に刺さった全ての矢を取り除き、全ての傷口を塞ぎ終わった時には、すっかり夜も更けていて後数刻もしない内に空も白み始めるだろう頃合いになっていた。

 ルフレは、今しがた治療を終えたばかりの『竜』の姿を改めて観察する。
 全身の至る所に包帯代わりにシーツを巻き付けられたその姿は痛々しいばかりで、弱々しい吐息は今にも途切れてしまいそうでもある。
 やれるだけの事はやったが……助かるかどうかはまだルフレにも分からない。
 傷口の処置をしている間も『竜』の意識が戻る事はなく、痛みに対しての反応も微々たるもので。
 暴れてこない事に関しては有り難くもあったが、麻酔もなしにここまで痛みへの反射的な反応すら返さないのはその状態の悪さを物語っていた。
 荒々しかった呼吸も次第に弱々しい浅く早いものになっていって……このまま掻き消えてしまいそうでもある。
 傷口は塞ぎはしたが、それまでに喪った血をどうにかしてやる事は出来ない。
 ……最早助からない命に対し、苦しむ時間を徒に長引かせるだけにしかならないのかもしれないが……。
 それでもやはり、『死にたくない』と……そう「生」への渇望を訴えるあの眼から、目を反らす事など出来なかったのだ。
 ……後はもう、『竜』が目覚めるまで祈りながら見守る事しか、ルフレに出来る事はない。


 どうか助かるように、と。
 ルフレは祈るように、『竜』のその鼻先を優しく撫でるように触れたのであった。





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