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第九話『心の在処』

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 邪竜ギムレー……否、その『影』は、苛立ち続けていた。
 これが有象無象の『人間』ども……地を這う虫ケラどもに対する苛立ちであるならば、その場で存分にその者達を殺戮してその鬱憤を晴らせるのではあるけれども。
 その苛立ちの原因がよりにもよって『自分自身』……、『影』としての在り方を考えると、その主たる人格に対してなのだからそうそう簡単にこの苛立ちをぶつける訳にはいかない。
 不愉快甚だしく、全く以て不本意ではあるのだけれども、今の自分……こうして思考し仮初ながらも実態を持つ己は、あの腑抜けた『人間モドキ』になってしまった『自分』の、その『影』でしか無いのだ。
 あの『人間モドキ』を殺す事は、即ち自分自身の消滅を意味するのだし、そもそも『影』にしか過ぎぬ自分の力では、曲がりなりにも『邪竜ギムレー』であるあの『人間モドキ』の肉体を殺す事は出来ない。
 『影』である自分に出来るのは、『人間モドキ』に成り下がったあの人格を精神的に圧し折って、自らが主になる事なのだが。
 それがどうして中々上手くいかないのである。
 肉体的な苦痛は可能な限り与えてみたし、精神的な苦痛も勿論与えてきた。『人間』ならとうに廃人になっている。
だが、あらゆる面で揺さぶりをかけていると言うのに、あの『人間モドキ』は多少揺らぎこそはしても常に耐え続け、ありとあらゆる拷問に屈さずにいる。
 この『竜の祭壇』に連れ去って来てから、そろそろ二月が経とうとしているのに……未だその心は折れない。
 『人間モドキ』の心が折れない限り、『影』が主たる人格に戻る事は叶わず、そして『邪竜ギムレー』としての復活も無い。
 『人間モドキ』が、『邪竜ギムレー』として蘇る事を頑なに拒否している以上は、不完全な『炎の紋章』で疑似的な『覚醒の儀』を行い力を取り戻す事も難しい。
 宝玉が五つ揃った完全なる『炎の紋章』があれば、『人間モドキ』の意志など無関係に『覚醒の儀』を行えただろうが……。
その最後の一つ……外界から殆ど隔絶された環境かつその警備も最も厳しかったが故に、ギムレー教団の力を以てしても手に入れる事が叶わなかった、『神竜の巫女』が所持していた『蒼炎』は。一度はこの手の内に在ったと言うのに、『人間モドキ』の小癪な浅知恵であの神竜の下僕の末の手に渡っていて。
 この身が『真実の泉』の力を借りて造った仮初のものであり、自身が『影』であるが故に、『影』はあの『人間モドキ』の傍をそう離れる事は出来ず、『蒼炎』を回収しに行く事も難しい。
精々がこの『竜の祭壇』内を動き回れる位の自由しかない。
 全く以て、全てが不愉快であり、苛立ちばかりが募る。

 『影』……否、『ルフレ』は、この『竜の祭壇』で生まれた。
 ギムレーの血をその身に取り込んだ者達が、その身に流れるギムレーの血と因子をより濃くより濃くする為に、『人間』の身には気の遠くなる程の時間と執念と悍ましい手技と呪術のその試行錯誤の果てに産み出した存在。
 千年の封印が緩み始めた隙間から抜け出してきたギムレーの魂が、それを収めるに相応しい肉の器に宿った存在。
 『人間』の肉体の殻を被りつつも、その中身は全く『人間』とは異なる人に非ざる者、神の現身。
 それが、『ルフレ』と言う存在であった。
 千年の封印が完全に解けた時には、『邪竜ギムレー』として覚醒を果たす事を定められし者。……そうである筈だったのに。
 『ルフレ』を身籠りそして産んだ女が、まだ乳飲み子であった『ルフレ』を連れて出奔した所から全てが狂い始めた。
 女が放浪の末に辿り着いたのは、あろう事か神竜の力が濃く残る森で……その森に残る力が、『ルフレ』からギムレーとしての記憶も力への自覚も奪い、本来の人格を深く眠らせた。
 ギムレーとしての記憶も無く、ギムレーとしての人格も眠り続けていたが故に真っ新になっていた『ルフレ』は、『人間』としての人格と記憶を積み重ね始め……そうやってギムレーとしての本来の在り方からはどんどんと乖離していった。
 そうして、あの『人間ごっこ』ですっかり頭の中を壊されてしまっている『人間モドキ』が出来上がったと言う訳だ。

 女が出奔した理由は『影』には分からない。
 世界を滅ぼす邪竜を自らが産み落としたのだと言う事実に耐えられなかったのか、或いはギムレー教団が中枢に居る信徒に施す洗脳が何らかの要因で解けてしまったのか……。
 何にせよ、そのまま教団に留まり続けていれば、神の現身を産んだ女として何不自由ない生活が約束されていたと思うのだが、女はそれを全て投げ捨てて教団から生涯追われる事を承知の上で出奔したのだ。全く、理解に苦しむ。
 ……まあ、女の出奔を許した教団員たちは、既に処理されているので今更『影』が新たに制裁を加える必要は無い。
 寧ろ、未だ完全には【力】の戻り切らぬ『影』には、幾ら虫ケラ同然の『人間』であろうと、邪竜ギムレーに絶対の忠誠を捧げている教団員達は有用な手駒である為、何の意味も無く徒に消費するのは『影』とて惜しむ。
 【力】を取り戻し【竜】として完全に蘇ったその暁には、教団の信徒たちは全員を贄として喰い殺すつもりであるので、今から餌を自ら減らす様な愚かな事をするつもりは無かった。
 『影』がこうして『竜の祭壇』に帰還するまでに『蒼炎』を手に入れられなかった事に関しては、不問にする事とした。
 どうせ、『蒼炎』はあの神竜の末が持って来るのだ。
 『蒼炎』と神竜の力の欠片の気配が、『竜の祭壇』の目と鼻の先にまで近付いてきているのを『影』は既に感知している。
 『真実の泉』から『人間』の足でここまでやって来たのだとしたら中々に早い到着だろう。
それ程までに、聖王の末は『人間モドキ』に執着している。
 だが、この邪竜の領域に飛び込んでくるには、準備も覚悟も足りていなさ過ぎるのではないだろうか。
 聖王の末の気配の他にも、あの鈍に成り下がったファルシオンとその主の気配と、神竜族の娘の気配も感じはするが……。
 その程度の軍勢なら、『影』が出るまでも無く潰してしまえる。
 丁度、こちらにもそれなりに優秀な手駒……確かファウダーとか言ったか……が居るのだ。それに任せてみるのも良い。
 この肉体の「父親」にあたる駒だが、自らが崇める神その物である『ルフレ』……そしてその『影』に絶対服従の意を示し、既に自らの意志で半ば屍兵となる事で死を半ば超越している。
 中々に役立つ手駒として、この二カ月程の間に『影』はファウダーを使い続けていた。

……『竜の祭壇』に訪れる神竜の手の者達の相手はそれで良いとして、やはり問題はあの『人間モドキ』の事であった。
 このままでは、『蒼炎』を手に入れて『覚醒の儀』を行ったとしてもどんな支障が出るか分かったものではない。
 どうにかしてその心を折りたいものなのだが……。
 しかし、あの聖王の末をその目の前で徒に甚振るのも危険な行為であった。
 『人間モドキ』は聖王の末に強く執着しているが故に、それを傷付ける事は決して赦そうとはしないし、ギムレーとしての本性以上の凶暴性を発揮してあの娘を傷付けた者へ報復するだろう。……例え『影』であっても、その【力】には抗えない。
『本体』と呼ぶべきモノは、あの『人間モドキ』の方なのだ。
 故に、『人間モドキ』にその【力】を行使させない様に、【力】を自覚させない様にした上で、その心を折らねばならない。
 それは中々の難題であった。
 『人間モドキ』はあの娘への強い執着……『人間』が『愛』だのと呼ぶそれを心の支えにして、『影』に抗っている。
 そして、その支えを折る事は並大抵の事では叶わない。

 いっそ、あの娘が、『人間モドキ』の心を殺してくれれば話は早いのだが……。

 そう考えた時、一つの妙案が『影』の脳裏に閃いた。
 そしてそれは検討すればする程、これ以上に無く素晴らしい方法だと思えてくる。
 上手くいけば、『人間モドキ』の心を壊すだけではなく、あの娘にも最高の絶望を与えてやれるだろう……。
 全てのタネを明かし、あの娘の前で真にギムレーとして蘇る瞬間を想像するだけで、これまでの積み重なった苛立ちが全て吹き飛ばされていくかの様だった。
『影』は上機嫌に、『人間モドキ』を閉じ込めてある部屋の扉を開け、中に拘束されたそれを有無を言わさず引き摺り出す。
 手足を拘束され身動きの取れない中でも必死に抵抗する『人間モドキ』を、『影』は『竜の祭壇』の最奥……ギムレーの力が最も強く、『覚醒の儀』を執り行う為の祭壇が設けられているそこまで引き摺って行く。
 そして、祭壇に安置された不完全な『炎の紋章』に手を翳してから、もう片方の手で『人間モドキ』の顔を掴んだ。



「喜びなよ? もう直ぐ彼女がお前を助けに此処に来る。
 全く呆れるよねぇ……こんな場所にのこのこ飛び込んで来るなんて。愚かだ。だが素晴らしい『愛』じゃないか。
 その『愛』に免じて、『僕』はお前を自由にしてやるよ。
 尤も……その姿で、彼女の元に帰れるかは別だけどねぇ……」



 『影』の手の下で、不完全な『炎の紋章』の力によって『人間モドキ』の姿は歪んでいく。
 その有様を見て、『影』は愉悦の嘲笑を零すのであった……。




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