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第七話『真実の泉』

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 『神竜の巫女』であるチキの厚意で、一晩の宿を得る事が出来たルフレ達であったが。
 野宿に慣れてしまったからなのか、どうにも与えられた部屋のベッドでは中々寝付けなくて。
 気分転換も兼ねて、ルキナの様子を見に行った。
 既に寝ている可能性もあり、起こす気は無いので神殿の入り口の近くからそっと伺うだけのつもりだったのだけれども。



「貴女は、聖王の末裔の一人……よね?」


 分厚い扉の向こう。ルキナが寝泊まりしている筈のそこから聞こえてきたチキの言葉に。
 ルフレは咄嗟に息を殺して、物音を立てない様に注意しつつ、中の会話を伺ってしまった。
 混乱と動揺から、盗み聞きする事に対する罪悪感などは感じる暇も無くて……チキとルキナの会話に意識が向ってしまう。

 『聖王の末裔』……誰が? ルキナが……?
 信じ難いそれに、ルフレの鼓動は早鐘を打つ様に激しくなる。
 信じたくないのか、ルキナにそれを否定して欲しいのか。
 それは自分でも分からないけれども。
 ゴクリと、緊張から生唾を呑み込む音がやけに耳に響く。

 ルキナは……、チキの言葉に喉を鳴らす様にして答えた。
 ……具体的に何と言って答えたのかは、……彼女の『言葉』を解し切る事はまだ出来ていないから分からないけれど。
 ……その『音』が、否定の意味を含む物では無い事は分かる。


「ええ……私は【神竜族】だから。
 貴女に流れている、初代聖王から受け継がれてきた神竜の力の欠片を感じとる事が出来るの。
 かつて……千年前に邪竜ギムレーを封じた時、私も初代聖王と共に戦ったわ……。
 ……あれから、丁度千年……。
 恐らくは、再び邪竜ギムレーが目覚めようとしているわ……」


 チキの静かな声が聞こえる。
 その言葉に、ルフレは思わず息を呑んだ。
 初代聖王の伝説は、ルフレも物語として知っている。
 その中には確かに、『神竜の巫女』である彼女であろう人物の存在はあった。
 チキが初代聖王と共に戦ったのは間違いないのであろう。
 ならば、ルキナが初代聖王の末裔……乃ち聖王家の人間である事は、もう否定する事の出来ない事実で。
 自分とルキナとの間には、決して埋める事など叶わないであろう大きな隔たりがあった事を、理解してしまう。
 貴族でも何でもない……森の奥で半ば世捨て人の様に生きてきたルフレが、王族であるルキナと出逢う事など……本当に奇跡の様な偶然の結果でしか無くて。
 こうしてルキナが『竜』になる事がなければ、一生出逢わなかったであろう……その存在すら知らなかったであろう程の……まさに住む世界の違う人間であったのだ。
 それが……どうしてなのか自分でも分からないけれど、息をする事すら覚束無くなる程に苦しかった。

 ルフレはそのままひっそりとその場を離れ、与えられた部屋へと戻った。……だが、気持ちは荒れ狂い眠れる筈も無い。

 ルキナが元の『人間』の姿に戻れたならばその時には、何れ別れが来る事は分かっていたし、納得していた……筈だった。
 だが、会いたいと思えば会いに行けると、そうも思っていた。
 しかし、ルキナが王族であるのなら、そしてそこに彼女の帰るべき『居場所』があるのなら。
 ルフレが、『人間』として生きているルキナに会いに訪ねに行く事すら……とても難しい事である。
 平民でしかないルフレと、王族であるルキナとの間には、それ程の『身分』と言うモノの差が歴然と存在する。
 特に、血筋を尊び王侯貴族と平民との間が隔絶した世界となっているイーリスでは、その差を覆す事は不可能に等しい。
 軍に入り目覚ましい武勲を挙げるなりして爵位などを与えられればまた話は少し違うけれど……それにしてもポッと出の成り上がり武人と王族とでは天と地の差があるだろう。
 触れ合える程傍に居る事が出来るのは、ルキナが『竜』である間だけであった……。

 それを理解してしまったから、苦しくて。
 だけれども、この日々がどんなに……それこそ何をしてでも終わって欲しく無い程に、愛おしいのだとしても。
 それがルキナの苦しみの上にしか成り立たぬのであれば、願ってはいけない、願うべきではない。
 ルキナにとっての『幸せ』は、彼女自身が在るべき場所に、彼女が生きるべき世界にあるのだと、そう思うから。
 だからこそ……ルキナの『幸せ』を純粋に想う気持ちと、そこに一滴のインクの染みの様に滲む……この日々を終わらせたくない……ずっと『竜』のままでも良いから自分の傍に居て欲しいとそう願う醜い欲望が、相反する様に心を責め立てる。

 目を閉じて思い浮かぶのは、ルキナと出逢ってからの暖かで穏やかな日々の事だった。
 そして、二人で過ごしてきた時間だった。
 その全てがキラキラと輝いていて……だからこそ辛い。
 母を喪ってからは、ルキナに出逢うまではずっと独りだった。
これからは独りで生きていくのだろうと、そう思っていた。
 あの森の奥の屋敷で、変わる事の無い日々をずっと独りで。
 それでいいと思っていたし、そこに何の不満も無かった。
 でも違った、ルフレはずっと寂しかったのだ、ずっと孤独である事を苦しんでいたのだ。それを自覚していなかっただけだ。
 それなのに、ルフレはルキナに出逢ってしまった。
 最初に出逢ったあの日、彼女は傷付き果て今にもその命の灯を消してしまいそうな……そんな儚い命だった。
 彼女を必死に助けようとしたそこには、傷付き果てた『竜』への憐みがあったのかもしれないし、或いはこの心を揺さぶり一目で魅了する程の『竜』の美しさへの崇敬があったのかもしれないし、或いは……母を救う事の出来なかった自身の無力への怒りがあったのかもしれない。
 何であれルフレはルキナを助けた。
 そこにルキナからの見返りを期待する様な心は欠片も無かったが、結局自分の心の為にルフレは彼女の命を助けたのだ。
 だが、見返りなんて何も求めてはいなかったのに、ルキナはルフレに余りにも多くのモノをくれた、沢山の感情を教えてくれた、この心に様々な色をくれた。彼女は『光』その物だった。
 ……そうしてルフレは、再び独りでは無くなってしまった。
 他者の温もりを、自分ではない誰かが傍に居る事の喜びを。
 ルフレは思い出してしまった、一度喪ったその尊さその大切さを……深く知ってしまったのだ。

 だからこそ辛い、耐え難い程に苦しい。
 この旅の終わりが、その光を再び喪う事に他ならぬからこそ。
暖かな日々を終わらせる事が、成さねばならぬ事だからこそ。
 ルフレの喜びは、『幸せ』は……ルキナの『幸せ』が叶う場所には無いからこそ……。この心が張り裂けそうな程に辛いのだ。
 喪いたくない、もう絶対に手離したくない、ずっとずっと傍に居て欲しい、あの『神竜の森』の奥で誰にも邪魔をされず何に阻まれる事も無くずっと二人で暮らしていたい……。
 そんな事を、余りにも身勝手な事を考えてしまう。
 何時しかルフレにとって、自分の人生の中にルキナの姿が無い事は考えられない事、耐えられない事になっていたのだ。
 そして、それを自覚するに至って。

 ああ、そうか……、と。
 ここに来て、ルフレは漸く理解した。
 ルフレは、ルキナに『恋』をしているのだ。
 彼女を、……心から『愛』してしまっているのだ。

 だが……その『恋』は叶わない、叶うとすればそれは。
彼女の『幸せ』を……本来生きるべきだったその人生を捻じ曲げて無理矢理にルフレの望みに縛り付ける様な……そんな歪んだ叶い方をするしかない……。
 だが、それは最もしてはならない事だ。
 ルキナを元の姿に戻す為に何の手掛かりも解決の術も無く、『真実の泉』が何処にも存在しないかその伝説が全くの出鱈目であったのならば、仕方ないとそんな風に自分の良心を誤魔化す様にしながらその『想い』を叶えられたかもしれないが。
 だが、『真実の泉』は実在し、その力も恐らくは本物で。
 ならば、ルフレはそこを目指す他に道は無い。
 そこに辿り着いた時、この『恋』は叶わなくなるとしても。
 それが、ルキナの『幸せ』になるのなら。
 彼女を心から『愛』しているからこそ、
 ルキナの『幸せ』を、一番に叶えなくてはならない。

 いっそ、あの日手記を見付けなければ良かったのだろうか。
 そうすればこんなに辛く苦しい思いをする事も無く、ルキナが苦しんでいる事に罪悪感と遣る瀬無さを感じながらも、穏やかで暖かな愛しい日々が何時までも続いていたのだろうか。
 今更考えても仕方の無い『もしも』が頭から離れない。

 ルフレは頭を振って、無理矢理に雑念を追い出そうとする。
 だが、それも中々叶わなくて、思考は堂々巡りを繰り返すばかりで……その苦しみはただ増すばかりだ。
 チキの言葉が再び脳裏に響いた。
『聖王の末裔』、『神竜の力の欠片』……。
 彼女に流れる血筋がそれでないのなら、ルフレはこの旅が終わってもその傍に居られたのだろうか。
 考えても仕方の無い事を考えてしまう。

 初代聖王の伝説、神の剣ファルシオン、邪竜ギムレー……。
 遠い遠いお伽噺、ただの伝説でしかないと思っていたそれは、ルキナに直接繋がる物であった。
 伝説の英雄の直系の子孫、神竜の力の欠片を今に継ぐ者、イーリスを千年治め続けてきた血統の末裔……。
 ……森の奥深くに住むただの世捨て人とは到底釣り合わない、比べる事も並び立つ事も赦されない。
 それが、苦しい、哀しい。

 ルキナの事を考えていると心がざわつき、荒れる心の海の奥深くから何かがゆっくり目覚めてくる様な気すらする。
 それは、ギムレーの名を聞く度に感じていたそれに似ているが……いつものそれよりももっと激しいものであった。

 そう言えば、チキはギムレーが目覚めると言っていた。
 それがどういう事なのか何を意味しているのかは、その続きを聞く前にあの場を離れてしまったから分からないけれど。
 もしそんな事になるならば、ルキナもかつての聖王の伝説の様に彼の伝説の邪竜であるギムレーと戦うのであろうか。
 その手に伝説の神剣を手に、あの砂漠に転がる巨大な骨の主と……神話の中の怪物と対峙するのだろうか。
 勇敢なる兵士たちを率いて、世界を救う為に戦うルキナは、きっとこの世の誰よりも美しいであろう……。
 ルフレはルキナの『人間』の姿を知らないが、そう確信する。
 何故ならば、あの美しい『竜』の本来の姿なのだから。
 ルキナに戦って欲しい訳では無いし、邪竜ギムレーが蘇る事なんて欠片も望んではいないけれど。
 この旅が終わればルキナの人生に関わる事など叶わないであろう自分の事を思うと、例え彼女に滅ぼされる怪物としてであるのだとしても……彼女の物語に永遠に刻まれ語り継がれるであろうギムレーの事が僅かばかり羨ましくもなる。

 ……無意味である上に余りにも馬鹿馬鹿しい考えに、ルフレは自分でも呆れ果てた。
 そして、これ以上余計な事を考えない様にと、夢すら見ない程の深い眠りの中へ無理矢理沈んでいくのであった。





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