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第七話『真実の泉』

◇◇◇◇◇




 チキの厚意に甘えて、ルキナ達は一晩泊めて貰う事になった。
 チキの警護を行っていた者達……その中でも最も立場が上であるサイリと言う名の武人は中々渋ってはいたけれど、チキの『お願い』を前にして溜息を吐きながらも了承した。
 自分が護衛している相手……と言うのもあるだろうけれど、チキとサイリの間にあるものはそれだけではなくて……ルキナの見立てが間違っていなければ、「友達」と言うモノに少し似ている気がする。
 何にせよ、サイリはチキの『お願い』には逆らえないらしい。

 そんな訳で、一晩の宿を得る事が出来たのである。
 『ミラの大樹』の上には『神竜の巫女』の為の神殿の他にも、警護の者達の為の宿舎の様なものもあって、ルフレはそちらで一晩を過ごし。ルキナは、神殿の大広間に泊まる事になった。
 久々に屋根がある場所で眠る事が出来るのはやはり喜ばしい。
 野宿が過酷であった訳では無いけれど……屋根の有る無しでやはり安心感とでも言うべきものが違うのだ。

 静まり返った大広間で、ルキナは一人小さな溜息を吐いた。
 ルフレが傍に居ない夜は、何故だか少し不思議な心地がする。
 寂しい……とは少し違うけれども、何だか落ち着かない。
 毎晩ルフレと寄り添い眠る様になったのは旅立ってからの事で……そもそも誰かに寄り添って貰いながら眠る事なんて、『竜』の姿になる前は本当に幼い頃にしかしなかったけれど。
 ルフレが傍に居る事が、ルキナにとって何時の間にか「当たり前」になっていたのだろうか……。
 そんな事を考えていると不意に誰かが近付いてくる音がした。
 ルフレの足音ではないそれに、反射的に身を浮かすと。


「あら、ごめんなさい。起こしてしまったかしら?」


 奥からやって来たのは、この神殿の主であるチキだった。
 チキであった事に安したルキナは、身に入っていた力を抜く。


『いいえ、考え事をしていただけです。
 それより、どうかなさいましたか?』


 夜更けと言うには早いが、眠っていてもおかしくない時間だ。
 普通のヒトよりも多く眠ると言うチキが、態々こんな時間にルキナに何の用なのだろうか……。


「少しお話をしようかと思って……。
 迷惑だったかしら?」

『いいえ。私が話せる事ならば、何でも』

「そう? だったら嬉しいわ」


 そう言いながら、チキはルキナの横に座る。
 そして、真剣な眼差しでルキナを見る。
 軽い世間話の様な物を想像していたルキナは少し驚いた。


「貴女は、聖王の末裔の一人……よね?」

『えっと、はい……。
 私は当代聖王クロムの娘です。
 チキ様には、分かるのですか……?』

「ええ……私は【神竜族】だから。
 貴女に流れている、初代聖王から受け継がれてきた神竜の力の欠片を感じとる事が出来るの。
 かつて……千年前に邪竜ギムレーを封じた時、私も初代聖王と共に戦ったわ……。
 ……あれから、丁度千年……。
 恐らくは、再び邪竜ギムレーが目覚めようとしているわ……」


 突然のその言葉にルキナは驚き、戸惑った。
 邪竜ギムレーと言われて思い浮かぶのは、聖王家の伝承に伝わるそれと、そしてぺレジアの砂漠で見たあの巨大な骨だ。
 邪竜ギムレーは、初代聖王と彼が振るった神剣ファルシオンの前に斃れ死んだ筈だ。だからこそ、ぺレジアに骨があるのだ。
 それが……目覚める?  あの骨が動き出すとでも……?

 ルキナの困惑を察したのか、チキは説明する様に言う。


「千年前、初代聖王はギムレーに勝った、それは間違いないわ。
 だけれども、彼の邪竜を滅ぼす事は出来なかった。
 だから、初代聖王はギムレーを千年の眠りの中に封じたの」


 ルキナが今まで信じていたそれが、覆されるかの様であった。
 千年の眠り……それは竜に比べれば短き命の人間にとっては永遠にも等しい時間ではあるが、決してそれは死ではない。
 かつて世界を滅ぼしかけた大災厄は、生きているのだ。
 あの砂の海の中に沈んでいた骨は、今も目覚めるその日を待ち侘びて、封印の眠りの中で生きているのであろうか。
 何とも想像し難く俄には信じ難い事であった。


『あの……ぺレジアの砂漠に埋もれているギムレーの骨は、生きているのですか……?
 ならば、ギムレーが目覚めれば、あの骨が動き出すのですか?』

「いいえ、あの骨はもう死んでいるわ。
 ギムレーが封印から目覚めても、あの骨が動く事は無いわよ。
 そうね……正しくは、肉体を殺す事は千年前も出来たの。
 でも、力ある【竜】の中には、肉体が滅びてもその魂だけが存在し続けて……そして然るべき手順を踏めば何度でも肉体を持って蘇る事が出来る者も居るの。ギムレーがそう。
 そして、ギムレーの魂を殺しきる事は例え神竜ナーガの力を以てしても不可能だった、だから封印するしかなかったの」


 魂だけで存在し続けて何度でも蘇ると言うのは、どうにもギムレーはルキナの理解を越えた存在である様だ。
 封印が解けたら、初代聖王の伝承通りに、千年前と同じ様にギムレーは再び世界を滅ぼそうとするのだろうか……。
 そして、そのギムレーを討つ役目を負うのは……。
 間違いなく、当代聖王であり、神剣に選ばれた父だ。
 ギムレーが蘇らんとしているこの時に、神剣に選ばれた聖王が居るとは、僥倖と言うべきか、或いは神竜の思し召しか。


『千年が経った今、ギムレーは直ぐ様蘇るのでしょうか……。
 もしそうならば、どうすれば……。
 お父様がギムレーと戦う事になるのでしょうけれど……』


 『竜』であるルキナに、ギムレーとの戦いに際して父の為に出来る事など殆ど無い。
 それでも……伝承の中の大災厄へ、父が不可避の戦いを挑まねばならないのであれば……何もしない訳にはいかなかった。
 ……例え、娘であると理解されずにその剣を向けられ……殺されかけたのだとしても、ルキナにとってクロムが敬愛する父親である事は変わらないのだから。


「……それが、分からないの……」


 チキは悩まし気に眉根を寄せて溜息を吐いた。


「今からもう十数年は前になるのだけれど、……一度ギムレーの力を感じたわ。でも、それは直ぐ様消えた……。
 そして、丁度千年目の節目だったこの春に、また一瞬だけギムレーの力を感じたのだけれど……それもほんの一瞬。
 ギムレーが蘇ろうとしているのかどうか……私にも今一つ判断が着かなかったわ……。でも……」


 チキはルキナの身体に触れて、目を伏せる。


「貴女の姿を歪めている『力』は、ギムレーのもの……。
 でもこの『力』は、つい最近貴女に絡み付いたのではないと思うの……それこそ、もっともっと古い……。
 私にも詳しくは分からないけれど……初代聖王がギムレーを封印した時に、何かをされたのかもしれない。
 それが、この時代にまで受け継がれてしまって……不運な事に、貴女に現れてしまったのかも……」


 あまり詳しく分からないから推論になってしまうけど、とチキは申し訳なさそうにそう言った。
 だが、ルキナとしては何一つ原因が分からなかった所に、推測であったとしても原因らしきものが分かって安心出来た。
 初代聖王の時代から受け継がれてきた……ある種の【呪い】。
 それが原因であったのならば、ルキナが知らぬ内に何かをしてしまった訳ではなく、理不尽とも言える不運によるものだ。
 ……少しばかり、気が楽にはなった。
 そして、伝承に語られる大災厄からの【呪い】を解く術が全く見付からなかった事も、然も有りなんと言う話だ。
 ルフレは自分の力不足を嘆いていたけれど、彼の力が不足していたのはどうしようも無い当然の事であったのだ。
 それがルフレにとって慰めになるのかは分からないけれど。


『ギムレーが蘇ろうとしているのかどうかは、チキ様でも分からない事なのですね……』

「あの強大な力は何処に居ても分かると思っていたけれど。
……もしかしたら、まだ封印が解けた直後で、ギムレーも寝惚けている状態なのかもしれないわね」


 まだ寝起きの状態で寝惚けている伝説の大災厄……と言うのは想像するだけで何だか妙な気持ちになるけれど。
 ならば、完全に目覚める前に何とか出来ないだろうか。


『ギムレーを再び封印するにはどうすれば良いのでしょう。
 伝承の通りにファルシオンで倒せばよいのでしょうか』

「ええ、かつての聖王の様に、ギムレーにファルシオンで止めを刺せば、再び封印出来るわ。
 ただ……今のファルシオンには本来の力は宿っていないの。
 神竜の牙の真の力は、人が持つには強過ぎるから……。
 だから、再びその力を蘇らせる為に特別な儀式が必要なの」

『儀式……それは、聖王家に代々伝わる「誓言」の儀ですか?』

「いいえ、それは聖王を継ぐ時の儀式でしょう?
 そうでは無くて、神竜ナーガの力をその身に宿す為の……『覚醒の儀』の事よ。誓言自体は同じものだけれど、違う物だわ。
 ただ、『覚醒の儀』には『炎の紋章』が必要なのだけれど……」

『『炎の紋章』……ですか? 『炎の台座』ではなく……』


 ルキナは聞き慣れぬその首を傾げた。
 かつてイーリスに存在した神宝の一つ、『炎の台座』と神威の宝玉『白炎』……。
 それら二つは、ルキナが生まれる少し前に、王家の宝物庫から何者かによって奪い去られてしまったと、そう聞いている。


「聖王家でも伝承は途絶えてしまっていたのね……。
 『炎の台座』は、未完成な『炎の紋章』なの。
 『炎の台座』に、五つの宝玉……『白炎』・『緋炎』・『蒼炎』・『碧炎』・『黒炎』を揃える事で、『炎の紋章』が完成する……。
 それが無くては、『覚醒の儀』は行えないの。
 ……聖王は、ギムレーを討った後で『炎の紋章』を巡って無用な争いが起こる事を恐れて、『炎の台座』と宝玉に分けた。
 『炎の台座』と『白炎』は自分の手に、そして残りの宝玉は信頼出来る者へと託したわ。……だけれども。
 私がソンシンへと預けた『碧炎』は先の戦争での混乱の中で何者かに奪われてしまっている……」

『あの……実は、イーリスからも『台座』と『白炎』が奪われたんです。……私が生まれるより少し前の事ですが』

「……そうなると、『緋炎』も何処かで奪われている可能性は高いわね。……やはり、十数年前に感じたギムレーの力……。
 それが、何か繋がっているのかもしれない……。
 何者かが、『覚醒の儀』を邪魔しようとしている……?」


 最後の方は独り言の様にチキは呟く。
 ……しかし、少なくとも二つの宝玉と『炎の台座』が何者かに奪われ、しかもそれがどちらも十数年程前に起きていると言う事は、無関係の事では無いだろう。
 それが、ギムレーの復活に関わっているのかは分からないが。
 何事も想定しておくに越した事は無い。

 ルキナは、随分と大事になってきた事態に思わず身震いする。
 最初は、この身を襲った異変を解決して元の『人間』の姿に戻る為の旅であったのに。
 世界が滅びるかもしれない、ギムレー復活の可能性をこうして聞かされる事になろうとは……。
 もしルキナがこうしてチキの下を訪れていなかったら、ギムレーが完全に復活して取り返しの付かない事になってから漸く、『覚醒の儀』や『炎の紋章』の事が父に正しく伝わっていたのかもしれない。
 それを考えると、こうしてまだギムレーが復活していない状況で、それを聖王家の人間であるルキナが知る事が出来たのは、まさに僥倖、天の配剤としか言えない事なのだろう。
 今の聖王家にルキナの帰る場所があるかは分からないが……。
ルキナも聖王家の一員として、イーリスの民として、そしてこの世に生きる一つの命として、ギムレーの復活やそれによって起こる大災厄を止めなくてはならないと言う想いがある。
 何としてでもこの事を父に伝え、ギムレーの復活に備えなくてはならない。
 奪われた『炎の台座』や宝玉の行方を探すにしろ、王家などの国家規模の力が必要となる。

 …………だが、そうなると。
 『人間』の姿に戻ったルキナが、あの森に帰る事は難しくなるだろう……。
 ルフレとの、あの温かな日々は……きっともう……。
 だがそれでも、ルキナは成さねばならない。
 何故ならば、ギムレーが蘇ったその時に、そして伝承に語られるその大災厄の如き力が振るわれた時に、幾万幾億の犠牲となる人々の中に、ルフレの姿があるもしれないからだ。
 ルフレを守る為にも、ルキナは選ばねばならない。
 それこそがルキナがルフレの為に出来る事だと、そう思う。


「……貴女には重荷を背負わせる事になってしまったかしら。
 それでも……この世界を守る為に『炎の紋章』と『覚醒の儀』は必要なの……」

『いえ、良いんです……。
 伝承の様にギムレーがその力を振るったら、何万何億の人々が犠牲になってしまう……。
 その中には、私の大切な人も沢山含まれてしまう事でしょう。
 だから、それは私の為でもあるんです。
 元の姿に戻る事が出来たら、……お父様にチキ様からお聞きした事を全てお話しします』


 固く決意を抱いたルキナのその眼差しに、チキは子供を見守る様な……そんな優しい目をした。


「そう……、貴女にとって、彼はとても大切な人なのね」

『ルフレさんは……言葉も交わせない、『竜』にしか見えない筈の私の事を、何も言わずに助けてくれて……。
 ルフレさんが関係のある事じゃなかったのに、私が元に戻る為の方法を探し続けてくれて……こんな所まで一緒に来てくれた人なんです……。
 ルフレさんが居なければ、私はとっくに死んでいました。
 ルフレさんに出逢えなければ、私はこうしてここに辿り着く事も出来なかった……。
 とても……とても大切な人です。私にとっては、誰よりも』


 そう言うと、チキは優しく笑った。


「……とても素敵な『恋』をしているのね。何だか羨ましいわ」



 それじゃあお休みなさい、と。手を振ってその場を立ち去ったチキを見送って。
 ルキナはルフレを想いながら目を閉じるのであった。




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