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第七話『真実の泉』

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 『ミラの大樹』の樹上で『神竜の巫女』の御所を守っていた武人達の一人が、その剣を抜き放ちルフレの首へと突き付けた事で高まっていた場の緊張は、不意に彼等の背後からその場へと現れた女性の一言で鎮まった。
 女性は、武人達がルフレへと武器を向けている事に構う様子も無く、極自然な足取りでルキナ達へと歩み寄ってくる。


「巫女様……! 危険です、お下がりください!!」

「サイリ……良いのよ。
 この人達に害意が無い事は確かだし、私の力が必要なのもきっと本当の事だから。
 だから、武器を下ろして頂戴」


 ルフレに剣を突き付けていた武人……サイリと呼ばれた彼女は、巫女……間違いなく『神竜の巫女』その人であろう女性の言葉に、渋々と言った様子でその剣を納刀する。
 それに倣う様に他の武人達も武器を下した。


「さあ、聞かせて頂戴。
 貴方たちは何の為に此処に来たのかしら。
 どうして、私の力が必要だと思ったの?」


 静かにそう訊ねてくる『神竜の巫女』に、ルフレは緊張して生唾を呑み込むかの様にごくりとその喉を動かす。
 そして、ゆっくりとルキナの事情を話し始めた。


「信じて貰えないかもしれませんが、彼女……この『竜』は、本来の姿は『人間』であるのです……。
 何が原因でこの様な姿になってしまったのかは僕にも分からないのですが……。
 何とか、元の姿に戻す方法は無いのかと、色々と手を尽くしてはみたのですが……僕にはどうする事も出来ず……。
 そんな時、『真実の泉』についての伝説を耳にしたのです」

「……『真実の泉』……。
 成る程、だから私を頼って来たのね?
 私ならば、『真実の泉』について、何か知っているかもしれないと……そう思ったから」


 ルフレの意図を理解した『神竜の巫女』は小さな溜息を吐いてルキナへと歩み寄り、その首筋に優しく触れる。
 そして、その憂いを帯びた静かな眼差しで、ルキナの目を覗き込む様に見詰める。


「……強い……とても強く古い『力』が働いているわ……。
 貴女の姿が歪められてしまったのは、この『力』が原因ね。
 ……私の力ではどうしてあげる事も出来ないけれど……。
 確かに、『真実の泉』に秘められた力ならば、【呪い】の様に貴女に絡み付いたこの『力』を解く事も出来るかもしれない。
 あの泉の力も、とても古くて強いものだから……」

『それは本当ですか!?』


 『神竜の巫女』の言葉に、ルキナは思わず声を上げる。
 ヒトの耳には咆哮にしか聞こえぬ筈のその『言葉』に、『神竜の巫女』は慈しむ様な微笑みを浮かべた。


「ええ、そうよ……。そこに希望は必ずある。
 辛い事も沢山あったでしょうけど……よく頑張ったわね」

『巫女様には私の言葉が分かるのですか……?』

「ええ、分かるわよ。私が、【竜】だからかしら。
 ……それと、巫女様なんて畏まって呼ばなくても良いのよ。
 『チキ』、と。そう呼ばれる方が私は嬉しいの」


 『竜』に姿を変えられて以来初めて……本当の意味で自身の『言葉』が通じた事に、ルキナの目は思わず潤んでしまった。
 『神竜の巫女』……チキは、ポロポロと零れ落ちたその涙を、労わる様に優しく手で拭ってくれる。
 そんなルキナ達の様子を、傍らに立つルフレは優しい眼差しで見守っていた。


『有難うございます……チキ様……。
 ごめんなさい、こんな所で泣いてしまって……』

「良いのよ。
 貴女の心が、それだけ傷付き苦しんできたと言う証だもの。
 我慢なんてせずに、泣いても良いのよ。
 涙を流せると言う事は、心がその傷を塞いでいける証よ」


 チキは、まるで旧来の友であったかの様な、そんな親しみのある眼差しをルキナへと向ける。

 傷付いた、苦しんだ……確かにそれはそうだ。
 突然に自分の意志とは無関係に姿が変わり、言葉も奪われて。
 父には剣を向けられ、生死の境を彷徨う程の傷を負い。
 ルフレに救われてからも、言葉を交わせぬ苦しみと、思う様に触れ合う事も叶わぬこの身に傷付いてきた。
 ルフレに理解して貰えたあの日以来ルキナが涙を零した事は無かったが……それでも、この心の奥底には流せなかった涙が海の様に静かに波打っていたのだろう。だけれども……。


『いいえ、その……。
 突然にこの様な姿に変わって、……苦しい事は沢山あって、それ以上に傷付き絶望してきたのは確かですけれど……。
 それでも……それだけじゃ、無かったんです。
 苦しいだけでも、辛いだけでも無くて……。
 いえ、元の姿に戻りたいのは間違いないのですけれど。
 それは、……現状に絶望し苦しんでいるからでは無いんです。
 その、……上手くは言えないのですが……』


 どう言葉にすれば伝えられるのかは分からないけれど。
 ……ルキナは、チキにただ憐れんで欲しい訳では無かった。
 『竜』になってしまった事は辛い事で、その所為で喪った物は数えきれないけれども。
 それでも、そうだからこそ得る事が出来た物も沢山ある。
 ルフレから貰った『幸せ』は、そしてこの胸に灯る『想い』は……ルキナが『竜』になってしまったからこそ得られた物だ。
 その全てを纏めて憐れまれては、ルキナにとっては大切な物まで否定されてしまったかの様な……そんな気がするのだ。
 そんな事を考えていると、チキは苦笑する様に頷いた。


「ふふふ……そうね、素敵な出逢いがあったのね。
 貴女にとって、とても大切で特別な出逢いが……。
 貴女の顔を見ていたら分かるわ」


 そう言って、チキはルフレへと優しい眼差しを向ける。
 それは……悠久の時の中で人々を見詰め続けてきた者だからこそ持ち得る……ある種の超然とした慈愛の様なものだった。
 そして、同時に何かを懐かしむ様にその目を細める。


「……私がかつて、マルスお兄ちゃん……英雄王マルスに出逢えた時の様に……。
 一つの不幸が、苦しみが……大切な出逢いに繋がる事もある。
 運命とも偶然の奇跡とも、どちらとも言える大切な出逢いが。
 ……貴方が、この子の心を支えてあげていたのね」


 チキは柔らかな声でルフレにそう言った。
 ルフレは、どう返そうか迷う様に少しその視線を彷徨わせて。
 ゆっくりと、頷く。


「僕がルキナの心を支えるお手伝いが出来ていたのかは分からないですが……。そうであれば、と。
 そう心から思っています」


 ルフレらしい答えだと、ルキナは思った。
 チキは、ルフレのその答えに満足した様に微笑む。そして。


「さて、と……『真実の泉』の場所を教えてあげなくちゃね」


 その言葉に、ルフレもルキナも居住まいを正した。


「『真実の泉』は、ヴァルム帝国領の北西部にあるの。
 ヴァルム城を越え、王墓を越えて、更にその奥の……。
 人が踏み入る事は難しい峻険な山々の連なりを四つ程越えた先……霧煙る山の頂上に、古い遺跡があるわ。
 そこの最奥に、『真実の泉』はある……」


 ヴァルム帝国の北西……。
 ここから真っ直ぐにそこに向かったとすれば、一週間かその辺りで辿り着けるだろうか……。


「貴女の翼なら、ここからなら十日も掛からないでしょう。
 でも、今日はもうそろそろ日が暮れてしまうから……。
 向かうのなら、明日陽が昇ってからにすると良いわ。
 今日はここに泊まっていきなさい。
 大したおもてなしは出来ないけれど……ゆっくり寝る場所ならちゃんとあるから」


 そういって優しく微笑んでくれたチキに、ルフレと顔を見合わせてから、ルキナはゆっくりと頷くのであった。




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