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第六話『神竜の巫女』

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 ── ……まただ……。


 まだ薄明の空を見上げ、目覚めたルフレは横で寄り添う様に眠っているルキナを起こさぬ様に、小さな小さな溜息を吐いた。
 ルフレの身体が冷えぬ様にと言う心遣いから、ルキナはその翼で寄り添い眠るルフレの身体を包む様に眠っている。
 海を渡り始めてもう数日経ったが、幸いな事に今の所は少し雨に降られた事がある程度で悪天候に巻き込まれてはいない。
 が、それでも疲れたら何時でも降り立てる地上があった時とは違い、少なくとも次の島に辿り着くまでは休息を取る事は出来ない海上の移動はやはり疲れがたまる様で、一回一回しっかりと休息を取る様にはしているのだけれども、毎晩こうしてぐっすりと眠ってしまう程にルキナは疲れている様であった。
 『神竜の森』を離れて、半月に近い時間が過ぎた。
 思えば、随分と遠くまで来たものだ。
 何時か共に見てみたいと思っていた『海』をこんな機会で共に見る事になろうとは、あの時では想像も着かなかっただろう。
 『海』に出た瞬間の感動は、それは素晴らしいものだった。
 夏の陽光に照らされた海は、まるで蒼い宝石をちりばめた様にキラキラと輝いて見えて……。
 ルキナと共に、思わず無邪気にはしゃいでしまった。
 こうしてルキナと旅に出てから様々な物を見てきたのだけれども、そのどれもが掛け替えの無い宝物の様な思い出で……。
 何時か、この旅の最後で……『真実の泉』に辿り着いて。
そして、元の人間の姿に戻る事の出来たルキナと共に、見てきたモノを二人で語り合いながら、来た道を辿る様にあの森に帰れたら……とそう思うのだ。
 それが、ルフレにとっての『夢』であった。
 元の姿に戻れた彼女には帰らなくてはならない場所があるのかも知れなくても……。
 そんな、もしもを考えてしまう。
 それはきっと、とても『幸せ』な事だから。

 ……だけれども。
 ここ最近……ぺレジアに足を踏み入れてから……否もっと正確に言えば、『神竜の森』を離れて少し経った頃から。
 どうにも、毎晩の様に妙な夢を見ている。
 目覚めた時には、内容は殆ど覚えてはいないのだけれど……。
 煌めく様に走った鋭い剣先と、そして何かに対して【呪う】様な言葉を吐きかけていた事だけはボンヤリと覚えていた。 
 夢は、多くの場合記憶の整理をしているかの様に、自分が見聞きした物事が出てくる事が大半なのだけれど。
 生憎とルフレには誰かに剣で斬りつけられた記憶など無いし、況してや誰かを【呪った】事など一度も無い。
 そもそも森暮らし故に関わる人間が極端に少ないルフレが、誰かを【呪う】程に他人に対して強い執着を持つ事など無い。
 ……ルキナと出逢ってからは、少しばかり違うのだけれども。
 それにしたって、他人を【呪う】事はやはり無いだろう。
 呪術師でもあるルフレは、他人を【呪う】事の危険性もその恐ろしさも、人よりも深く知っている。
 故に、その動機も無いのに軽々しく【呪う】事は有り得ない。

 それが悪夢と呼べるものであるのかは記憶が朧気である為分からないけれども……少なくとも愉快な夢ではなかった。
 ……思い出したくも無い過去を無理矢理に思い出させられようとしているかの様な、そんな不快感が残っている。
 だからなのか、最近は妙に早く目覚めてしまう。
 眠りが浅いと言う訳ではない……寧ろ寝入っている時は旅を始める前よりも遥かに深く眠りに沈んでいる。
 ……何かが変わってきている様な、そんな気がするけれど。
 その漠然とした感覚を上手く自分でも捉えきれない。

 二度寝する気にはなれなかったルフレは、僅かに欠伸を零して薄れゆく夜闇を見送る様に空を見上げた。
 ゆっくりと世界を照らし始める陽の光に掻き消されてしまったかの様に、空の星々の輝きを捉える事はもう難しい。
 それでも、こうして海を渡ってあの森から遥か遠い場所にまでやって来ても見上げた夜空に輝いている星々はそう変わらなくて……それが何だか不思議な気持ちになるのだ。
 古くから星々は、方角を捉える事ですら容易ではない海渡る人々にとっては大切な指標であったと言う。
 特に、一年を通してその天の玉座から動く事の無い極星は、昔から様々な逸話や伝承を紐付けられて信仰されている。
 導きの星、旅人の道標……様々な名で呼ばれるそれは、今は微かにしか見えないがまた夜になれば再び天極に輝くだろう。
 そうやって道標があると言う事は、やはりとても心が安らぐ。
 ルフレは、母の手記を取り出してその表紙を撫でた。
 ルフレ達にとっての一番の道標は、この手記だ。
 『真実の泉』の在処はここには書かれてはいないけれども……それを知っているかもしれない存在について記述があった。

 古の大英雄マルス王の時代よりも遥か昔からこの世に在ったと言われている、【竜族】の姫君。
 その齢は既に三千年を超えると言う、人の世の移り変わりをその眼で見詰めてきた……まさに歴史の生き証人と呼べる者。
 今では『神竜の巫女』としてヴァルム大陸に於ける神竜教信仰の象徴的存在となっているヒト。
 古の【竜族】の末裔である彼女ならば。
 ヴァルム大陸に存在する、同じ【竜族】が関係している可能性が高い『真実の泉』についても何か知っているかもしれない。
 『神竜の巫女』が住まうのは、ヴァルム大陸の中央に天地を支えるかの様に立つ『ミラの大樹』と呼ばれる樹の上の神殿だ。
 『ミラ』……母の手記の中にも記されている、古のヴァルム大陸にあってその南半分の地を豊穣の力で以て支えていたと言う慈悲深い女神の名だ。
 兄神である力の神ドーマとは争っていたが、ドーマが英雄王アルムによって討たれた後は共に永遠の眠りに就いたと言う。
 その二柱の神の亡骸の上に生えたのが、『ミラの大樹』であると……そう伝説では伝えられていた。
 ミラとドーマは【竜族】であったと言う説もあり、実際にその二柱の神は【竜】の姿で描かれる事もあったと言う。
 それが事実なのかは今となっては確かめようが無いが、そう言った下地もあった為、ヴァルム大陸には古くから【竜族】への信仰……ひいては神竜信仰の下地が存在したらしい。
 それが、千年前の邪竜ギムレーによる世界滅亡の危機に際してそれを救った神竜ナーガへの信仰へと繋がったのだとか。

 イーリスでの神竜信仰の中心は、聖地である『虹の降る山』、そして初代聖王の時代から脈々と『聖痕』と言う形でその加護を繋ぎ続けている聖王家、そして聖王家所有の神剣ファルシオンと、『炎の台座』と呼ばれる神宝で。
 このヴァルム大陸においてはその信仰の形が『神竜の巫女』に全て集約されていて、『神竜の巫女』はまさに生き神の如く人々の尊崇を集めているのだそうだ。
 ヴァルム大陸は大小様々な諸国が群雄割拠する状態が長く続いているのだけれども、そんな中であっても『神竜の巫女』と彼女が住まう『ミラの大樹』は絶対中立の象徴であるらしい。
 ……そんな彼女に、ヴァルム大陸の諸侯に何の伝手も無いルフレ達がお目通り叶う方法は殆ど無いのだけれども。
 ……もしどうしようも無いならば、半ば強行的に『ミラの大樹』の頂上を目指して飛ぶ事もルフレは考えていた。
 賊か何かと思われる可能性は高いけれども……。
 【竜】である彼女ならば、ルキナの窮状を理解してくれる可能性は低くないと思うし、『竜』であるルキナの言葉だって理解してくれるかもしれない。……期待の域を出ないけれども。
 蛮行を咎められて最悪ヴァルム大陸を追放されたとしても、元よりルフレはヴァルムの民では無いしそこはあまり困る所ではない。……それはあまり褒められた考えでは無いのだが。
 何はともあれ、今目指すべきはヴァルム大陸であり、そこに居る『神竜の巫女』だ。

 海ももう半ばを渡った所で、後一週間もしない内にヴァルム大陸へと辿り着けるであろう。
 願わくは、そこに『希望』がある事を信じたい。

 まだ眠りの中に居るルキナのその身体をそっと撫でて、ルフレは慈しむ様に微笑むのだった。




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