第五話『旅立ちの風』
◆◆◆◆◆
「…………」
最早日課となった墓参りを済ませた男──イーリス聖王国の当代聖王であるクロムは、癒える事の無い痛みにその眼差しを歪ませて、立ち上がった。
この墓土の下に、最愛の娘の身体は無い。
……あの日、娘の……ルキナの十六歳の誕生日であったその日に……、突如現れた『竜』に襲われて……骨の欠片すら遺す事無く喰い殺されたからだ。
その場に残っていたのは、辺りに飛び散った血と、そしてその身に纏っていた衣服の残骸だけで。
その惨たらしい死は、王城の者達のみならず、国中の民に深い悲しみを与えていた。
王妃に至っては、愛する一人娘の惨い死に様を深く哀しみその余りに心の安定を崩して、すっかり寝込んでしまっている。
だが、クロムの心にあるのは、深い悲しみだけではなく、それ以上の燃え滾る憤怒がその身を突き動かしていた。
ルキナを襲い喰い殺したあの『竜』……忘れもしない蒼銀の鱗に覆われたあの「獣」を。
何処までも追い詰めて……この手で八つ裂きにしてルキナが受けた以上の苦しみを与えて殺さなくては到底気が済まない。
あの日、クロムは『竜』に竜殺しの神剣ファルシオンで深い傷を与えはしたが、殺しきる前に飛んで逃げられてしまった。
そして、直後に発生した大嵐でその行方すら見失ったのだ。
あの深い傷では『竜』とてただでは済まなかっただろうが、……あれで死んだと言う確証も無い。
クロムは直ぐ様に彼の『竜』の首に懸賞金を掛けてその後を追ったのだが、今の所何の報告も無かった。
その死体を見付けただけで一生を働かずに暮らしていけるだけのその懸賞金は、民達に血眼で『竜』を探させるには十分過ぎる程のものだったのだけれども。
その姿を見かけたと言う証言すら無いのだ。
イーリスのみならず、フェリアやぺレジアの方面へとその捜索の手は伸ばしてはいるが、まだ何の音沙汰も無い。
海を越えたか……或いは海に墜ちて水底に沈んだか……。
最近はその可能性も検討し始めている。
もしもこのまま『竜』が見付からなければ。
決して消える事の無いこの昏く深い憎悪の炎を、復讐を叫ぶこの心を、一生抱えて生きるしか無いのかもしれない。
『竜』の首を墓前に捧げる事で亡き娘への弔いにすると、クロムは墓前に誓ったのだ。
それが果たされるまで、クロムは自分を止められない。
聖王としての政務をこなし続ける一方で、その心は『竜』への憎しみに囚われていた。
第一王位継承者であったルキナがその命を落とした以上、王族としては後継者を正式に据えねばならないのだが。
『竜』を討ち滅ぼすまでは……少なくとも一年以上の時が経つまでは、クロムはそれを先延ばしにするつもりであった。
周囲の貴族たちも、クロムの深い憎悪と哀しみを知っているだけにそれに表立って異を唱える者は居ない。
『竜』が見付かり……そしてまだ生き長らえているならば。
クロムは常に佩いているファルシオンの柄に触れる。
竜を殺す事に特化した神の牙は幾千の時を経てもその切れ味に僅かな曇りも無く、『竜』の身を切り裂いて見せた。
ルキナの手に託されゆく筈だったこの剣で、仇を討つ。
それこそが、愛娘への唯一の手向けとなると、そうクロムは信じている。……信じるしかない。
生者が死者の為にしてやれる事など本当の意味ではこの世に存在せず、生きる者達の欺瞞と自己満足であるのだとしても。
それしか……もうクロムにしてやれる事は無く。
そしてそうするしかこの胸を焦がす憎悪を晴らせない。
あの『竜』をこの手で殺す事だけを、最近は夢に見るのだ。
ルキナの事を想う度に、思い出そうとする度に。
浮かぶのはあの『竜』の姿であり、それへの憎悪だ。
それもまた耐え難くて、一層クロムの中の憤怒と憎悪へと糧となる日を注ぎ込んでいる。
そして……遂に待ち望んでいたその時は訪れた。
「『竜』が現れた……だと?! それは確かか!?」
執務室に慌てる様にして飛び込んできた兵士の言葉に、震えたち今にも叫び出しそうな程のどす黒い憎悪の炎と共に燃える歓喜をどうにか抑えてクロムは問い質す。
クロムの視線の圧に少し怯えつつも頷いた兵は報告を続けた。
曰く、イーリスの東部からぺレジアとの国境がある西部へと向けて飛ぶ『竜』の姿を見かけたとの目撃情報がここ最近相次いで寄せられているらしく、それらの情報を統合すると『竜』はぺレジアの方へと向かっている様であるとの事だった。
『竜』が目指しているのがぺレジアなのか、或いはその更に先、海を越えたヴァルム大陸であるのかはまだ分からないが。
それでも、待ち望んでいたその情報に、クロムの心は昏い喜びと憎悪と共に快哉を叫んだ。
「急ぎ討伐部隊を集めろ! 『竜』を追うぞ!!」
他国に足を踏み入れる可能性も高いので大軍を率いる訳にはいかないが、クロムはイーリスの精鋭中の精鋭から選抜した討伐部隊を既に組織していた。
聖王である自分が一時とは言え国を離れる事は本来ならば望ましくは無いが、信頼出来る名代は既に用意している。
「待っていろ……必ずその身を引き裂いてやる……!!」
憎悪に燃えるクロムを止められる者は、何処にも居なかった。
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「…………」
最早日課となった墓参りを済ませた男──イーリス聖王国の当代聖王であるクロムは、癒える事の無い痛みにその眼差しを歪ませて、立ち上がった。
この墓土の下に、最愛の娘の身体は無い。
……あの日、娘の……ルキナの十六歳の誕生日であったその日に……、突如現れた『竜』に襲われて……骨の欠片すら遺す事無く喰い殺されたからだ。
その場に残っていたのは、辺りに飛び散った血と、そしてその身に纏っていた衣服の残骸だけで。
その惨たらしい死は、王城の者達のみならず、国中の民に深い悲しみを与えていた。
王妃に至っては、愛する一人娘の惨い死に様を深く哀しみその余りに心の安定を崩して、すっかり寝込んでしまっている。
だが、クロムの心にあるのは、深い悲しみだけではなく、それ以上の燃え滾る憤怒がその身を突き動かしていた。
ルキナを襲い喰い殺したあの『竜』……忘れもしない蒼銀の鱗に覆われたあの「獣」を。
何処までも追い詰めて……この手で八つ裂きにしてルキナが受けた以上の苦しみを与えて殺さなくては到底気が済まない。
あの日、クロムは『竜』に竜殺しの神剣ファルシオンで深い傷を与えはしたが、殺しきる前に飛んで逃げられてしまった。
そして、直後に発生した大嵐でその行方すら見失ったのだ。
あの深い傷では『竜』とてただでは済まなかっただろうが、……あれで死んだと言う確証も無い。
クロムは直ぐ様に彼の『竜』の首に懸賞金を掛けてその後を追ったのだが、今の所何の報告も無かった。
その死体を見付けただけで一生を働かずに暮らしていけるだけのその懸賞金は、民達に血眼で『竜』を探させるには十分過ぎる程のものだったのだけれども。
その姿を見かけたと言う証言すら無いのだ。
イーリスのみならず、フェリアやぺレジアの方面へとその捜索の手は伸ばしてはいるが、まだ何の音沙汰も無い。
海を越えたか……或いは海に墜ちて水底に沈んだか……。
最近はその可能性も検討し始めている。
もしもこのまま『竜』が見付からなければ。
決して消える事の無いこの昏く深い憎悪の炎を、復讐を叫ぶこの心を、一生抱えて生きるしか無いのかもしれない。
『竜』の首を墓前に捧げる事で亡き娘への弔いにすると、クロムは墓前に誓ったのだ。
それが果たされるまで、クロムは自分を止められない。
聖王としての政務をこなし続ける一方で、その心は『竜』への憎しみに囚われていた。
第一王位継承者であったルキナがその命を落とした以上、王族としては後継者を正式に据えねばならないのだが。
『竜』を討ち滅ぼすまでは……少なくとも一年以上の時が経つまでは、クロムはそれを先延ばしにするつもりであった。
周囲の貴族たちも、クロムの深い憎悪と哀しみを知っているだけにそれに表立って異を唱える者は居ない。
『竜』が見付かり……そしてまだ生き長らえているならば。
クロムは常に佩いているファルシオンの柄に触れる。
竜を殺す事に特化した神の牙は幾千の時を経てもその切れ味に僅かな曇りも無く、『竜』の身を切り裂いて見せた。
ルキナの手に託されゆく筈だったこの剣で、仇を討つ。
それこそが、愛娘への唯一の手向けとなると、そうクロムは信じている。……信じるしかない。
生者が死者の為にしてやれる事など本当の意味ではこの世に存在せず、生きる者達の欺瞞と自己満足であるのだとしても。
それしか……もうクロムにしてやれる事は無く。
そしてそうするしかこの胸を焦がす憎悪を晴らせない。
あの『竜』をこの手で殺す事だけを、最近は夢に見るのだ。
ルキナの事を想う度に、思い出そうとする度に。
浮かぶのはあの『竜』の姿であり、それへの憎悪だ。
それもまた耐え難くて、一層クロムの中の憤怒と憎悪へと糧となる日を注ぎ込んでいる。
そして……遂に待ち望んでいたその時は訪れた。
「『竜』が現れた……だと?! それは確かか!?」
執務室に慌てる様にして飛び込んできた兵士の言葉に、震えたち今にも叫び出しそうな程のどす黒い憎悪の炎と共に燃える歓喜をどうにか抑えてクロムは問い質す。
クロムの視線の圧に少し怯えつつも頷いた兵は報告を続けた。
曰く、イーリスの東部からぺレジアとの国境がある西部へと向けて飛ぶ『竜』の姿を見かけたとの目撃情報がここ最近相次いで寄せられているらしく、それらの情報を統合すると『竜』はぺレジアの方へと向かっている様であるとの事だった。
『竜』が目指しているのがぺレジアなのか、或いはその更に先、海を越えたヴァルム大陸であるのかはまだ分からないが。
それでも、待ち望んでいたその情報に、クロムの心は昏い喜びと憎悪と共に快哉を叫んだ。
「急ぎ討伐部隊を集めろ! 『竜』を追うぞ!!」
他国に足を踏み入れる可能性も高いので大軍を率いる訳にはいかないが、クロムはイーリスの精鋭中の精鋭から選抜した討伐部隊を既に組織していた。
聖王である自分が一時とは言え国を離れる事は本来ならば望ましくは無いが、信頼出来る名代は既に用意している。
「待っていろ……必ずその身を引き裂いてやる……!!」
憎悪に燃えるクロムを止められる者は、何処にも居なかった。
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