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第五話『旅立ちの風』

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 ルフレと過ごす日々は『幸せ』で、だからこそ……その穏やかな安寧がルキナの胸を締め付けていた。
 元の姿に戻りたい……ルフレにこの『想い』を伝えたいと言う願望と、それを叶わない事だと……叶わない夢を見て傷付く前に諦めて今のこの『幸せ』な日々で満ち足りるべきだと囁く諦念に染まった心の一部と。
 それらが相反して、ルキナの心を苛む様に苦しめる。

 『人間』としてのルキナが、ルフレの傍に居て、そして今の様な穏やかで暖かい日々を過ごして。
 そして、沢山言葉を交わしあって、相手を傷付ける恐怖に怯える事もなくその身体に触れ合って。
 ……そんな『幸せ』を、ルキナは夢に見てしまう。

 だけれどもその一方で。
 どうして何の前触れも無くこの身が『竜』の身に変わってしまったのか、その原因も何も分からないのだから。
 この異変を解決して元の『人間』の姿に戻る術など見付かる筈も無いと……そう諦めてしまいかけている心もある。
 ルフレは、ルキナを何とか元の姿に戻そうとして様々な手を尽くしてくれているし、今も彼の家にあると言う書庫で文献を探し続けてくれているけれども。
 今の所、試した手は尽く失敗に終わり、何か他に手掛かりになりそうな書物も見付からないままだと言う。
 まだ二月と少ししか経っていないのだから、完全に諦めると言うには早過ぎるのかもしれないけれども。
 ……それでも、恐ろしい『もしも』を受け入れる為の心の準備は……どうしようも無い事だと心が諦めようとする準備は。
 少しずつ少しずつ、この心を蝕んでいく。

 あの日、何処に行く宛も無いままに独り死に行く筈であった自分からすれば、今のこの日々は……『人間』ではなくなってしまってもこうして穏やかな日々を送れている自分は、間違いなく類稀なる『幸運』に恵まれていて。
 これ以上を望み続けてしまえば、その所為でこの『幸せ』を喪ってしまう事になるのではないかと……そんな根拠も無い漠然とした不安が常に付き纏うのだ。
 何かを得ようとすれば、それに見合った何かを差し出さねばならないのがこの世の常であるのだけれども。ならば。
 ルキナの願うそれに見合う代価とは何であるのだろうか。
 今のルキナには、『願い』の為に差し出せるものは何もない。
 そもそも、その『願い』をかなえる方法を探す事自体を、ルフレの善意に頼ってしまっている状態なのだから。
 だからこそ……もしも代償として喪うものがあるとすれば、この『幸せ』以外には無いのではないかと思ってしまうのだ。
 単なる気の迷い、考え過ぎであるのかもしれなくとも。
 ……その不安を晴らす手立ては、無い。
 故に、迷い悩み続け、それはこの心を苛むのだ。
 だからこそ……。



「ルキナ! 見付けたよ!!」


 今まで見た事が無い程の勢いで小屋に飛び込んできたルフレが、開口一番にそう言った時には、何が何だか分からなかった。
 余程急いで来たのか微かに肩で息をする程に、その息は荒く。
 そしてそれ以上の、隠しきれない興奮にその瞳は輝いて。
 だけれどもルキナは。何を? と。
 ここ最近の彼が探し続けていたモノなんて一つしか心当たりなど無いのに、困惑のままに首を傾げてしまう。
そんなルキナへ、興奮を抑えきれない様なやや上ずった声で、その手に持った本か何かを見せながらルフレは言う。


「君を元の『人間』の姿に戻す事が出来るかもしれない方法が、……やっと! 見付かったんだ!!
 この……ほら、ここに……!」


 ルフレのその言葉に背を押される様にして、ルキナは彼が見せてくれているその本のページへと目を向ける。
 本か何かと思っていたが……どちらかと言うと手記の類だった様で、そこには何かについての覚書と走り書きの様な内容が整然としつつも細々と書き綴られていて。
 そして、ルフレが見せてくれているそこには。
 『真実の泉』と言う……伝説の場所について記されていた。
 そこに記されたその伝承に、そしてそれを補足するかの様な数々の記述に。
 ルキナも、段々と食い入る様に読んでしまう。
 覗き込んだ者にその者の真実を与えると……そう謳われる泉。
 成る程、確かにそれは……そこには、ルキナのこの身を『人間』のそれに戻す力があるのかもしれないと、そう思えてくる。
 未知なるもの、それが「伝説」などと謳われるものであるのならば尚更に、人はそこに期待と希望を抱くのだから。


「確証は無いけど、『真実の泉』に辿り着く事が出来れば……!
 ルキナが元の姿に戻れるんじゃないかと、僕はそう思うんだ。
 このままどうすれば良いのか分からないまま、確実に元の姿に戻る方法をただ探し続けるよりは、可能性が低いかもしれなくても、『真実の泉』を探し目指す価値はあるんじゃないかな?」


 ルフレはそう言って、その答えを待つ様にルキナを見上げた。
 だがしかし、ここにきてルキナは戸惑いと……そして躊躇いを覚えてしまい、彼の言葉に反射的に頷く事は出来なかった。

『真実の泉』は、この森から遠く離れたヴァルムの地の何処かにある……と伝説は言うけれども。
 「伝説」のそれが実在しているのかは分からないし、それを確かめるのだとしてもヴァルムの地は遠過ぎる。
 ぺレジアの砂漠やフェリアの雪原を超えて、大海を渡って遥かなる大地を目指して……そしてそこから更に『真実の泉』を探さねばならないのだ。
 そして、その果てに目的の地に辿り着けたとしても、ルキナの『願い』を叶えられる保証は無い。
 ルキナ一人であるならば、そんな困難な道のりでも、僅かな可能性に賭けて『真実の泉』を探そうと……そう思えただろう。
 しかし、現実的な問題として、人と言葉を交わせないルキナ一人では到底辿り着けず……ルフレの力を借りる他に無い。
 だが、例えルフレ本人がルキナに力を貸す事に積極的であるのだとしても、その厚意に甘えて良い事なのかと迷うのだ。
 ルフレにはルフレの生活があって……それを、ルキナの為だけに壊させてしまって良いのかと、徒労に終わる可能性の高い旅路に付き合わさせてしまって本当に良いのかと……。
 ルフレの事が大切であるからこそ、素直にそれに頷けない。
 だけれども。そんなルキナの躊躇いを見透かしたかの様に。
 ルフレは、ルキナに手を差し伸べるかの様に、ルキナの鱗に覆われた長い首筋に触れて、真っ直ぐにルキナを見詰めて言う。
 

「行こうルキナ! ヴァルム大陸へ、『真実の泉』へ!!」


その力強い声に、その眼差しに。
 ルフレの『想い』が、煌めく様に揺らめいていて。
 それに引き込まれる様に、ルキナは思わず頷いてしまった。

 そう、そうだ。
 自分は、元の姿に戻りたいのだ。
 そして、叶えたい『願い』がある。
 どうしても諦めきれない『夢』がある。
 だからこそ、ルキナはその可能性を切り捨てる事は出来ない。
 ただの徒労に終わるかもしれない、辿り着いたそこがルキナが期待していた様なものではないかもしれない
それでも、無為に時間を費やして何も得られなくても。
 ここで何もしない内から諦めてしまうよりは、ずっと良い。
 きっとここで諦めてしまったら、ルキナは一生『あの時諦めていなかったら』と言うもしもを抱え続ける事になる。
 そんな気持ちでルフレの傍に居ては、ルキナを思い遣ってくれている彼を苦しめてしまうかもしれない。

 ならばこそ、勇気を持って挑まなくてはならないのだ。
 挑む者にこそ、『願い』を叶える資格があるのだから。




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