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第四話『小さな希望』

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 ルフレが森の近くにあると言う村へと出掛けてから少しの時間が経ったのだが……ルキナは落ち着きなく所在無さげに屋敷の周りをウロウロと彷徨っていたり、或いは何かすると言う事も無く寝床で丸くなっていた。
 ルフレが居ない時間がこんなにも長くなるのは初めてで。
 彼が居ない屋敷は、大切な何かが欠けてしまったかの様に、酷く寂しく思えるのだ。
 本当は、今すぐにでも飛んで彼の元へ行ってしまいたい位に、ルフレに逢いたかった、その傍で時を過ごしていたかった。
 が、そんな事は出来ない事はルキナが一番よく分かっている。
 ルフレはルキナの為だけの存在では無いし、彼には彼の生活があって……ルキナは寧ろそこに転がり込んできた立場だ。
 片時も離れずにずっと傍に居てくれ……だなんて思える訳なんて無いし、それを願いたい訳でも無い……筈だ。
 ただ……ルフレ以外の人間に関わる事の出来ない今の自分には、ルフレが居なくなれば真実『孤独』になってしまう。
 それがとても恐ろしく、考えるだけで心まで凍えそうになる。
 ルフレに出逢う事が無ければ、ルキナは『ヒト』ではなくなった我が身を嘆き憐みながらも、その孤独を仕方が無いものと諦めていたのだろう。
 しかし、ルフレに出逢って理解して貰えて救われて……。
 こんな姿になってしまっても『孤独』になる事がなかったルキナには、もう今更それを諦めて受け入れられる事なんて出来る訳は無かった。
 別に、ルフレは永久の別離をした訳でなくて近くの村へと行っただけなのは分かっているけれど、ルキナがあの日何の前触れもなく『人間』ではなくなってしまった様に、この世には絶対なんて何処にも無くて。
 ルフレがこのまま帰って来ないかもしれないと言う可能性を考えるだけでもどうしようもなく不安になる。
 だけれども、ルキナが傍に居続ける事は難しい。

 自身の手を……変わり果てた『竜』の前脚を見て、ルキナは深い溜息を吐く。
 モノを優しく掴んだりする事にも、壊さぬ様にそっと触れる事も、凡そ『ヒト』らしい事が出来ない手。
 それは、自身の変貌を最も実感させるものだ。
 蛇の鎌首の様に長い首も、前に突き出た口やそこに並ぶ鋭い牙も、空を飛ぶ事も出来る翼も、感情の機微に反応して無意識に動いてしまう尾も。
 そのどれもが自分の身が変わり果てた事を実感するものであるのだけれど、その中でも極めつけがこの前脚だった。

 ルキナは、ルフレの手の温かさも、優しい見た目以上にしっかりとした厚さのあるその質感も、どちらも知っているけれど。
 ルフレのその腕に、肩に、頬に、触れた時はどの様な感じであるのかは全く知らない。
 ルキナの今のこの手では、ルフレに触れる事は出来ない。
 無理にそうしようとしても、この鉤爪が彼を傷付けてしまう。
 それに、別に手で触れる事だけではなく、この身では叶わぬ事は余りにも多い。
 最近は、この身が変わってしまった事そのものについて嘆くよりも、そう言った『出来ない事』の積み重ねに心を苦しめられるようになっていた。
 『人間』であったなら出来た事、この身体では出来ない事。
 それらが些細なものから深刻なものまで積み上がっていく。
 そして、そのどれもが、ルフレに関しての事であった。
 勿論、ルフレの事以外に、自分が置き去りにする形で残してきたモノも、その心を苛むけれど。
 しかしそれは、二月以上の時が経つ中で次第に整理が着いて、どうにもならぬ事だと諦めが先立つ様になっていた。
 ……あの状況ではルキナは死んだと誰もが思っているだろう。
 突如現れた『竜』に襲われて死んだ……と、そうなっている。
 ならば、とっくにその葬儀は終わっているだろうし、そういう意味でも『ルキナ王女』と言う存在はこの世にはもう居ない。
 今代の聖王である父の子はルキナ一人であるが、聖痕を受け継ぎ王位継承権を持つ者はルキナ以外にも存在する。
 『ルキナ王女』がこの世から消えたとしても、この国の根本が揺らぎ取り返しのつかない事態になると言う事は無い。
 『王女』であるルキナもまた、この国を動かす歯車の一つでしかなく、その歯車としての機能に関しても代替出来る者は居ない訳ではない。
 恐らくは、既にその者が次代の聖王と言う事になっている。
 そして、一度決まったそれを覆すのは難しい。
 ……その状況で、この先ルキナが元の『人間』の『ルキナ』に戻れたとしても、王城に帰るべき場所があるのかと言われれば、それに関しては分からないとしかルキナには言えない。
 死んだ筈のルキナが戻る事で国に余計な混乱をもたらす可能性はあるし、そうなれば最悪国が割れるだろう。
 厄介な事にルキナには『ファルシオンに選ばれた』と言う、聖王としてのある種の正統性があるし、それを神輿に担がれる事は十分に考えられる。
 残してきた家族にも、そして果たすべきであった役目にも、そのどちらにも未練はあり、帰りたいと言う願望が無い訳ではないのだけれど……。
 『王女』としての矜持は、国の禍になる事を自身に許さない。
 そして……だからこそ、ルキナはあの場所をもう半ば『自分の帰る場所』ではないと……自分の『居場所』ではなくなったのだと思っていた。

 そして、今のルキナにとっての『居場所』は、この森……正確にはルフレの傍だ。
 だからこそ、それを喪う事を恐れ、彼の傍に居続ける事の難しいこの身が苦しいのだ。
 きっと、もう二度『喪う』事は絶えられないから。
 ここで得た安息の場所を、そしてこの胸を照らす『想い』を、絶対に喪いたくないのだ。
 ……未だ、『人間』に戻る為の手掛かりは見付からない。
 無論、そう簡単に見つかる様なものではない事は分かっているし、まだ二月しか経っていないとも言えるけれど。
 少しずつ少しずつ、諦めの様な恐怖が……『もしかしたら一生自分はこのままなのかもしれない』と言う想像が、僅かにでも現実味を帯び始めている。
 その嘆きは、あの日からずっと心にある恐怖であるけれども、そこにある感情と苦しみの根源にある『想い』は違う。
 あの日の嘆きは、このまま『竜』として誰にも顧みられる事も無く孤独に死んでいくのではないかと言う恐怖だった。
 だが、今はまた少し違う。
 『一生このまま』であるのだとすれば、ルキナは一生ルフレに触れられない、ルフレと話せない、ルフレにこの『想い』を伝えられない……。
 それが、恐ろしかった。
 何時かルフレが『竜』である自分を置いて、誰か他に大切な人を見付けてしまうのではないかと……恐ろしいのだ。
 『人間』だと自分でそう思い続けルフレからもそう接して貰えてはいるけれど、事実として今のルキナの身体は『竜』のものでしかないのだ。
 ……『竜』であるルキナが、『人間』であるルフレの一生を自分だけに縛り付ける事なんて出来る訳は無く、してはならない。
 『竜』でしかないルキナと、『愛』しあってくれだなんて……願える訳は無いのだ。


 ……そう。
 ルキナは……ルフレの事が好きだ。
 一人の男性として、愛を向ける相手として。
 ルフレの事を、愛している。
 彼に、『恋』をしているのだ。


 だからこそ苦しい。
 彼に触れられないこの手が。
 彼と肩を寄り添わせる事も出来ないこの身が。
 彼に、『好きです』と、『愛している』と……そんな大切な言葉すら届ける事の出来ぬこの喉が。
 口付けすら難しい『竜』の身体が……。
 苦しくて、仕方が無いのだ。
 もしも、このまま『人間』に戻れないのなら。
 一生、この苦しみを抱え続けなければならないのだろうか。
 伝える事も出来ないのに忘れる事も出来ない『想い』を。
 毎日の様にルフレに『恋』をして、そしてそれを伝えられない苦しみに悶え続けるのだろうか。
 それは、余りにも……。


 そこまで考えたルキナは、また深い溜息を吐いた。 




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