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第四話『小さな希望』

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「駄目だ……これも違う……」


 独り言と共に隠す事も無く溜息を吐いて、ルフレは手にしていた本を閉じてそれを書架に戻した。
 ルキナが、その姿を何らかの要因によって『竜』の姿に変えられた『人間』だと判明してから……ルフレはこうして時間を見付けては彼女を元の姿に戻す為の手掛かりを求めて、屋敷の書庫を漁っている。
 屋敷には、母が残した書物が数多く遺されていて、その中には『呪術』に関するモノもかなりの数に上っているのだ。
 『呪術』がそこまで一般的なものではないイーリスに於いては、一二を争える程の蔵書量だろう。
 優れた呪術師でもあった母の遺した『呪術』に関する書物の多くは非常に高度なモノで、そこには『呪術』を知らない者からすればまるで神か悪魔の業の様にすら思えるだろうモノも多く記されてはいるのだけれども。

 しかし、そんな蔵書の数々を隅々まで読み漁っても。
 ……『人間』を、『竜』に変える様な術は存在しなかった。
 正確には、理性の無い「怪物」の様な……この世のどんな生き物とも似つかぬ様な悍ましい化け物へと『人間』を堕とす『呪術』ならばあるのだけれども……しかし、それはまさにその者の「人間性」も何もかもを汚し尽くすだけのもので。
 少なくともルキナの様に、姿こそ歪められていてもその『魂』は本来の状態を保った状態のままに出来るものではない。
 そもそも、肉体をその『魂』の在るべき姿から無理矢理に『呪術』で歪める時点で、『魂』自体にも大きな傷が付くのだ。
 それは、どんなに卓越した呪術師が行っても変わらない。
 だが……少なくともルフレが調べられる限りでは、ルキナの『魂』にその様な痕跡は無い。
 ルキナの『魂』は何一つ歪みも傷も無く本来の姿のままだ……だからこそ余計に苦しみ絶望しているのかもしれないが。
 だから、彼女の身に起きたその異常の原因は、『呪術』とは違う所にあるのではないかと……ルフレは思うのだ。
 しかし彼女の身体を歪める何かとてつもなく大きな『力』が存在している事にもルフレは気付いていた。
 しかしそれは余りにも強大で、ルフレが何れ程力を尽くしても、大山に素手で押し比べをするかの様にしかならなかった。
 いっそ逆転の発想で、『解呪』の方向ではなく、『人間』の姿になる様な『呪術』を掛けてみれば良いのではないかと思い付いて試してみたのだが、それも敢え無く強大な『力』に跳ね除けられる様な形で失敗に終わった。
 ……残念ながらルフレは『呪術』の心得があるし、その扱いにも長けている方だとも思ってはいるのだが、あくまでも母からその手解きを受けて後は独学で学んだだけで。
 『呪術』に長けたものが多く集い、その研鑽は他国のそれとは比較にすらならぬ程であると知られているぺレジアになら、ルフレでは全く歯が立たぬ『呪術』でも軽々とこなせてしまう者も居る筈だ。
 中には『呪術』を極めようとするばかりに、生まれてきた赤子の臍の緒を切る事にすら『呪術』を使う一族も居ると聞く。
 ……ぺレジアに行き、そう言った者達の力を借りれば、ルキナを元の『人間』の姿に戻してやる事が出来るかもしれないが。
 しかし、ルフレにはそれをどうしても躊躇する事情があった。
 ……母が生前に繰り返し繰り返し……そしてその今際に在ってすらルフレに繰り返し言い聞かせ続けていた事。
 『ギムレー教に、関わってはならない』と言うその約束。
 それが、ルフレの行動を縛っていた。
 何故母が偏執的な程にそう言っていたのか、ルフレに約束させ続けてきたのかは……母亡き今となってはもう分からない。
 この森で生きていくならば、そもそもイーリスには殆ど居ないギムレー教徒の者と関わる事なんて先ず考えられなかったし、だからこそ母の言葉に何の疑問も不自由も感じなかった。
 しかし……ルキナを元の姿に戻す為にぺレジアの『呪術師』に頼ると言う事は、まず間違いなくその約束を破る事になる。
 ぺレジアはその民のほぼ全員が『ギムレー教』の信徒であるし、況してや呪術師の大半は『ギムレー教』の中心的存在である『ギムレー教団』の一員だ。
 ルフレが探している様な卓越した呪術師なんて、まず間違いなく『ギムレー教』の関係者になる。
 そもそもそんな凄腕の呪術師への伝手など無いと言う問題もあるけれど、母との約束の事もあって、ぺレジアの呪術師たちを頼ると言う選択肢はほぼほぼ存在しないのである。
 ……そして、『ギムレー教』に関わらないと言うルフレのその姿勢には間違いなく母の言葉とその約束が影響しているけれど、ある部分ではそれ以上に。
 『ギムレー』の名を聞く度に、ルフレの胸はざわつき、恐ろしい『何か』が心を呑み込もうとしてくる様に感じるのだ。
 その感覚が心の底から嫌で、ルフレは『ギムレー』と言う名前自体から半ば逃げる様にそれを避けていた。
 ……ぺレジアに行くのは、本当にもうそれしか方法が無いと確信した時だけだと……ルフレはそう決めている。
 ぺレジアに向かう事が、ルキナの苦しみを最も早く取り除いてやれる手段であるのだとしても……それがルフレの我儘である事を十二分に承知の上で、それだけは譲れないのだ。

 『呪術』以外の手掛かりは無いのかと、最近は神話や伝承……最早創作なのか事実が元なのかも定かでない様な書物にも目を通す様にしている。
 しかし……僅かにでも手掛かりになるかと一瞬思った内容は、そのどれもが事実無根の出鱈目でしかないと直ぐに分かってしまうものばかりで……。
 そう言った神話伝承の類の中でも、『人間』が異なる姿へと変貌する事象の大半は、ラブロマンスを彩る為のある種の香り付けとしての創作でしかなかった。
 中々有効な手掛かりを見付ける事が出来ず、ルキナの力になってやれぬまま無為に日々が過ぎて行ってしまう。
 それを心苦しく思う一方で。
 ……ルキナと過ごす時間に、自分でも誤魔化す事の出来ない程に充足感を感じてしまっている事に、ルフレは気付いていた。

 母を喪った日から、独りこの森の奥の屋敷で暮らす内に少しずつ隙間風の様な何かを感じていた心が、優しく塞がれて。
 母の命を救う事の出来なかったこの手が、一人の命をこの世に繋ぎ止める事が出来て、何かが救われる様なものを感じて。
 その言葉こそルフレにはまだはっきりとは分からないけれど、ルフレの言葉に耳を傾けて……そして想いを必死に伝えようとしてくれる彼女の事が、どうしようもなく大切に思えて。
 ルキナと過ごす穏やかで暖かな時間が、何よりも楽しい。
 最初の内は、少しでもルキナの心の傷を……その孤独を癒そうと……、そう思ってしていた事だったのに。
 何時の間にかそれは、ルフレにとっての「癒し」になって。

 ……だからこそ、ルフレは何処か後ろめたさを感じてしまう。

 ……ルフレが喜びと安らぎ感じているその瞬間も、ルキナは姿を歪められて苦しんでいるのに……。
 ……ずっと、こうして傍に居たいと、そう思ってしまうのだ。




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