第三話『竜の娘』
◆◆◆◆◆
目覚めた『竜』は、とても大人しい個体であった。
目覚めた当初こそルフレを警戒し怯えていたが、それも次第に鳴りを潜めてゆき、今では抵抗する事も無く治療行為を受けてくれる様にまでなっていた。
飛竜は、その賢さは他の生き物の比ではなく、心を通じ合わせ騎乗を許した相手とは、まさに以心伝心の状態になり簡単な言葉なら容易くその意図を理解出来る……と言われている。
そうであるならば、この『竜』も、「助けたい」と言うルフレの意図を感じ取ってくれたのかもしれない。
この『竜』は竜とヒトの姿を併せ持つ《マムクート》と呼ばれる存在では無かった様でヒトの言葉を話す事は出来ないが、しかし相当に賢いのは間違いない。
当初こそ、ただの気休め程度に言葉を掛けていたルフレだが、『竜』が明らかにその意図を理解している様な素振りを見せるようになってからは、意識的に『竜』に話しかけている。
ある程度なら身体を動かせる様になってきても、ルフレを襲おうとする素振りは全く見せず。
寧ろ、何怯えや恐れに似た感情で、『竜』はルフレを見ていた。
この『竜』が人を襲って人から追われる様になったとは考え辛く、運悪く人里に迷い込んでしまったのが人に襲われる要因になったのだろうとルフレは見ていた。
そして『竜』と言えばどうにも不思議な事があって、あれから随分と回復してきた筈なのに、何故か生肉は決して食べようとはせずに、煮込んだり焼いたりした肉を好むのだ。
更には、滋養に良い蜂蜜と蜜蝋と雑穀とを混ぜた粥の様なモノを試しに作って与えてみたのだが、どうやらこれを大層気に入った様で尾を揺れ動かす程に喜んで食べたりしていた。
どうやら雑食な上に甘い物が好きであるらしく、森で獲ってきた果実などを与えるととても喜ぶのである。
……しかし、ルフレが『竜』の面倒を見るのはあくまでもその傷が癒えてまた一匹で生きていける様になるまでだ。
人の手が加わったモノの味や、人から糧を得る事を過度に覚えさせてしまうのは『竜』自身にとっても害にしかならない。
貴族などが道楽で人間の食料を野の獣に与えた結果、その味を覚えた獣が人里にまで降りてきてしまい、結果双方共に不幸な結末に終わった話はしばしば耳にする。
だからこそ、『竜』が必要以上に人間に……引いてはルフレに対しての警戒心を解かない様にしようと……そう心がけようとしてはいるのだけれども。
しかし、どうにも上手くはいかなかった。
『竜』の……あの深い孤独に似た色と「何か」への恐怖を映す目を見ていると、どうしてだか心がざわついてしまう。
相手は野に生きる存在で、人間の理屈や意識とは全く異なる理で生きている命である筈なのに、……どうしてだか酷く「人間臭い」ものをこの『竜』から感じるのだ。
今もルフレに多少怯えてはいるものの、人馴れしていると言うべきなのか……ルフレの意図を汲み取る事に長けていた。
例えば、『竜』にとっては見慣れぬものであろう治療道具の類や薬に対してだって、最初だけ多少は怯えていたが今となっては怯える事も無く、寧ろ治療しやすい様に傷付いている腕をルフレの方へと差し出す様にしてくる事だってある。
もしかして、この『竜』は……かつては人の手で飼われるなりしてその近くで暮らしていたのだろうか?
貴族や大富豪の類の中には珍しいモノを飼う事に楽しみと箔付けを見出している者も居るらしいと聞くし、そう言った者が珍しい猛獣などを飼う事はしばしばあるらしい。
それこそもう千年以上も前の事になるが、イーリスを興した初代聖王が生きていた時代などには、《マムクート》や……獣の姿とヒトの姿を併せ持つ《タグエル》と呼ばれた人々を『飼う』者達も居たと言われてもいる。
そう言った「ヒト」を、『飼う』事・非人道的な扱いをする事は、初代聖王が直々に禁じた事ではあるのだけれども……。
禁じられたが故に更にその希少性が高まり、そこに価値を見出して隠れて『飼って』いた者も居たと……そう僅かながら文献で目にした事もあった。
何にせよ、希少な生き物を飼う事は社会的ステータスを誇示する方法の一種であると考えている者は何時の時代にも居る。
この『竜』も、そうだったのではないだろうか。
傷付き果てていても、その蒼銀の鱗に覆われた体躯はしなやかで、深い蒼の瞳は夜明け前の空をそこに閉じ込めたかの様で、飛竜たちのそれとは異なる鳥の翼にも似たその翼は天からの御使いだと言われても何の疑問も感じずに受け入れてしまいそうな程に荘厳さを秘めていて、物語の世界から抜け出してきたかの様なその姿は、まるで万物の創造主がこの世で一番美しく特別なものを創ろうとして生み出したかの様だ。
近寄り難さすら感じる美しさとは、この事を言うのだろう。
そう言った感性を持つ者にとって、この『竜』がその手の内に在る事は限りない至福であったのではないだろうか。
そんな感性は一切持たない……命は在るべき場所に在ってこそ美しいと思うルフレですら、この『竜』には何かが惹かれるのを感じてしまうのだ。……無論、だからと言って自らの手の内に閉じ込めたいなどとは思ってはいないけれども。
ただ……そういった「道楽」を持つ貴族の内には、そうやって自身の内に囲った命に対しての「責任」を果たさない者もそう少なくは無いと聞く。
飽いて捨てられた猛獣が、人を恐れないばかりに人里にやって来てしまう事だってあるらしい。
……そう思えば、この『竜』が人に傷付けられ追われる事になった原因は、そこにあるのではないだろうか。
人を知っているが故に人恋しくなり人里に降り立って……そして人に追われたのだとすれば。
それは、酷く『竜』の心を傷付けた事であろう。
それでもこうしてルフレに対し攻撃的にはならずにただ怯えるだけであると言う事が、この『竜』が人に深く接して生きてきた証左になるのではないかとも思う。
しかしそうだとすれば、益々『竜』への対応に悩んでしまう。
一度でも人の手の内で生きていた獣は、捨てられるなりして解放されたとしてもそのまま野で生きていく事は酷く難しい。
野の同族の群れに混じって逞しく生きていく事もあるにはあるだろうが……そもそもこの『竜』の同族が何処に居るのかは知らないルフレには群れに帰してやる事も難しい。
かと言って森に放したとしても、既に人里に降りて追われた事があるだけにまた同じ事を繰り返す可能性は低くない。
折角こうして助かった命なのだ、出来るならば少しでもこの『竜』にとって幸せな生き方をさせてやりたい。
どうする事が、どうしてやる事が、この『竜』にとっての最善になるのだろうか……。
「森の賢者」と呼ばれるルフレではあるが、この手の事は全くの門外漢であるだけにどうにも良い手が思い浮かばない。
「いっそ、君が『ヒト』だったら……なんて考えてしまうんだ」
もう何度目かも分からない薬の塗り替えの際に、ルフレはそうポツリと独り言として呟く。
それは『竜』に向けての言葉では無かったのだけれども。
しかし、『竜』はその言葉に何故か身を固くして、ルフレの言葉を決して聞き漏らすまいとばかりに静かに見詰めてきた。
そんな反応が返ってきた事に驚きながらも、ルフレは治療の手を休める事無くそのまま独り言を続ける。
「君が『ヒト』だったなら……近くの村に送り届けるなり、君の家を探して連れて行くなり、そうやって君にどうしてあげるべきなのか……って言うのは簡単だったんだけどね。
傷が癒えた後で君にどうすれば一番なのか分からなくて。
君は……どうしたい?」
返事など返ってくる訳も無いけれど、そう問いかけてしまう。
『竜』は、当然ながら何も言わなかった。
しかし、ルフレの手へと摺り寄せる様にその頭を触れさせる。
そこにある……不安の色に、ルフレは『竜』の頭を優しく撫で返して、思わず苦笑する様に呟いた。
「傷が癒えるにはまだまだかかるから、当分は先の話だよ。
それに、人里に降りるのは危険だけれど、僕の所になら何時でも遊びに来ても良いから……そんなに心配しないで良いさ」
そう言ってやると、『竜』はその言葉の意味を解したかの様に安堵した様に小さくその喉を鳴らして尾を揺らした。
その仕草に無性に「人間臭さ」を感じて、思わず呟く。
「……どうにも、君に接していると、まるでヒトを相手にしている様に時折思えてしまうな……。
案外、本当に『ヒト』だったりして…………。
………何てね、そんな事、ある筈──」
有り得ない冗談の様なそれを呟いた瞬間。
『竜』は何かを訴えかける様に鳴いた。
そして、その瞳からポロポロと光る雫が零れ落ちていく。
その反応に思わず唖然として、そんな事ある筈無いと……そう思いながらも、ルフレは『竜』に問わずにはいられなかった。
「まさか……本当に、君は『ヒト』……なのかい……?」
そう問い掛けた瞬間。
『竜』はそれを肯定するかの様に……見間違え様も無くハッキリと、涙を零しながらその首を縦に振ったのであった。
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目覚めた『竜』は、とても大人しい個体であった。
目覚めた当初こそルフレを警戒し怯えていたが、それも次第に鳴りを潜めてゆき、今では抵抗する事も無く治療行為を受けてくれる様にまでなっていた。
飛竜は、その賢さは他の生き物の比ではなく、心を通じ合わせ騎乗を許した相手とは、まさに以心伝心の状態になり簡単な言葉なら容易くその意図を理解出来る……と言われている。
そうであるならば、この『竜』も、「助けたい」と言うルフレの意図を感じ取ってくれたのかもしれない。
この『竜』は竜とヒトの姿を併せ持つ《マムクート》と呼ばれる存在では無かった様でヒトの言葉を話す事は出来ないが、しかし相当に賢いのは間違いない。
当初こそ、ただの気休め程度に言葉を掛けていたルフレだが、『竜』が明らかにその意図を理解している様な素振りを見せるようになってからは、意識的に『竜』に話しかけている。
ある程度なら身体を動かせる様になってきても、ルフレを襲おうとする素振りは全く見せず。
寧ろ、何怯えや恐れに似た感情で、『竜』はルフレを見ていた。
この『竜』が人を襲って人から追われる様になったとは考え辛く、運悪く人里に迷い込んでしまったのが人に襲われる要因になったのだろうとルフレは見ていた。
そして『竜』と言えばどうにも不思議な事があって、あれから随分と回復してきた筈なのに、何故か生肉は決して食べようとはせずに、煮込んだり焼いたりした肉を好むのだ。
更には、滋養に良い蜂蜜と蜜蝋と雑穀とを混ぜた粥の様なモノを試しに作って与えてみたのだが、どうやらこれを大層気に入った様で尾を揺れ動かす程に喜んで食べたりしていた。
どうやら雑食な上に甘い物が好きであるらしく、森で獲ってきた果実などを与えるととても喜ぶのである。
……しかし、ルフレが『竜』の面倒を見るのはあくまでもその傷が癒えてまた一匹で生きていける様になるまでだ。
人の手が加わったモノの味や、人から糧を得る事を過度に覚えさせてしまうのは『竜』自身にとっても害にしかならない。
貴族などが道楽で人間の食料を野の獣に与えた結果、その味を覚えた獣が人里にまで降りてきてしまい、結果双方共に不幸な結末に終わった話はしばしば耳にする。
だからこそ、『竜』が必要以上に人間に……引いてはルフレに対しての警戒心を解かない様にしようと……そう心がけようとしてはいるのだけれども。
しかし、どうにも上手くはいかなかった。
『竜』の……あの深い孤独に似た色と「何か」への恐怖を映す目を見ていると、どうしてだか心がざわついてしまう。
相手は野に生きる存在で、人間の理屈や意識とは全く異なる理で生きている命である筈なのに、……どうしてだか酷く「人間臭い」ものをこの『竜』から感じるのだ。
今もルフレに多少怯えてはいるものの、人馴れしていると言うべきなのか……ルフレの意図を汲み取る事に長けていた。
例えば、『竜』にとっては見慣れぬものであろう治療道具の類や薬に対してだって、最初だけ多少は怯えていたが今となっては怯える事も無く、寧ろ治療しやすい様に傷付いている腕をルフレの方へと差し出す様にしてくる事だってある。
もしかして、この『竜』は……かつては人の手で飼われるなりしてその近くで暮らしていたのだろうか?
貴族や大富豪の類の中には珍しいモノを飼う事に楽しみと箔付けを見出している者も居るらしいと聞くし、そう言った者が珍しい猛獣などを飼う事はしばしばあるらしい。
それこそもう千年以上も前の事になるが、イーリスを興した初代聖王が生きていた時代などには、《マムクート》や……獣の姿とヒトの姿を併せ持つ《タグエル》と呼ばれた人々を『飼う』者達も居たと言われてもいる。
そう言った「ヒト」を、『飼う』事・非人道的な扱いをする事は、初代聖王が直々に禁じた事ではあるのだけれども……。
禁じられたが故に更にその希少性が高まり、そこに価値を見出して隠れて『飼って』いた者も居たと……そう僅かながら文献で目にした事もあった。
何にせよ、希少な生き物を飼う事は社会的ステータスを誇示する方法の一種であると考えている者は何時の時代にも居る。
この『竜』も、そうだったのではないだろうか。
傷付き果てていても、その蒼銀の鱗に覆われた体躯はしなやかで、深い蒼の瞳は夜明け前の空をそこに閉じ込めたかの様で、飛竜たちのそれとは異なる鳥の翼にも似たその翼は天からの御使いだと言われても何の疑問も感じずに受け入れてしまいそうな程に荘厳さを秘めていて、物語の世界から抜け出してきたかの様なその姿は、まるで万物の創造主がこの世で一番美しく特別なものを創ろうとして生み出したかの様だ。
近寄り難さすら感じる美しさとは、この事を言うのだろう。
そう言った感性を持つ者にとって、この『竜』がその手の内に在る事は限りない至福であったのではないだろうか。
そんな感性は一切持たない……命は在るべき場所に在ってこそ美しいと思うルフレですら、この『竜』には何かが惹かれるのを感じてしまうのだ。……無論、だからと言って自らの手の内に閉じ込めたいなどとは思ってはいないけれども。
ただ……そういった「道楽」を持つ貴族の内には、そうやって自身の内に囲った命に対しての「責任」を果たさない者もそう少なくは無いと聞く。
飽いて捨てられた猛獣が、人を恐れないばかりに人里にやって来てしまう事だってあるらしい。
……そう思えば、この『竜』が人に傷付けられ追われる事になった原因は、そこにあるのではないだろうか。
人を知っているが故に人恋しくなり人里に降り立って……そして人に追われたのだとすれば。
それは、酷く『竜』の心を傷付けた事であろう。
それでもこうしてルフレに対し攻撃的にはならずにただ怯えるだけであると言う事が、この『竜』が人に深く接して生きてきた証左になるのではないかとも思う。
しかしそうだとすれば、益々『竜』への対応に悩んでしまう。
一度でも人の手の内で生きていた獣は、捨てられるなりして解放されたとしてもそのまま野で生きていく事は酷く難しい。
野の同族の群れに混じって逞しく生きていく事もあるにはあるだろうが……そもそもこの『竜』の同族が何処に居るのかは知らないルフレには群れに帰してやる事も難しい。
かと言って森に放したとしても、既に人里に降りて追われた事があるだけにまた同じ事を繰り返す可能性は低くない。
折角こうして助かった命なのだ、出来るならば少しでもこの『竜』にとって幸せな生き方をさせてやりたい。
どうする事が、どうしてやる事が、この『竜』にとっての最善になるのだろうか……。
「森の賢者」と呼ばれるルフレではあるが、この手の事は全くの門外漢であるだけにどうにも良い手が思い浮かばない。
「いっそ、君が『ヒト』だったら……なんて考えてしまうんだ」
もう何度目かも分からない薬の塗り替えの際に、ルフレはそうポツリと独り言として呟く。
それは『竜』に向けての言葉では無かったのだけれども。
しかし、『竜』はその言葉に何故か身を固くして、ルフレの言葉を決して聞き漏らすまいとばかりに静かに見詰めてきた。
そんな反応が返ってきた事に驚きながらも、ルフレは治療の手を休める事無くそのまま独り言を続ける。
「君が『ヒト』だったなら……近くの村に送り届けるなり、君の家を探して連れて行くなり、そうやって君にどうしてあげるべきなのか……って言うのは簡単だったんだけどね。
傷が癒えた後で君にどうすれば一番なのか分からなくて。
君は……どうしたい?」
返事など返ってくる訳も無いけれど、そう問いかけてしまう。
『竜』は、当然ながら何も言わなかった。
しかし、ルフレの手へと摺り寄せる様にその頭を触れさせる。
そこにある……不安の色に、ルフレは『竜』の頭を優しく撫で返して、思わず苦笑する様に呟いた。
「傷が癒えるにはまだまだかかるから、当分は先の話だよ。
それに、人里に降りるのは危険だけれど、僕の所になら何時でも遊びに来ても良いから……そんなに心配しないで良いさ」
そう言ってやると、『竜』はその言葉の意味を解したかの様に安堵した様に小さくその喉を鳴らして尾を揺らした。
その仕草に無性に「人間臭さ」を感じて、思わず呟く。
「……どうにも、君に接していると、まるでヒトを相手にしている様に時折思えてしまうな……。
案外、本当に『ヒト』だったりして…………。
………何てね、そんな事、ある筈──」
有り得ない冗談の様なそれを呟いた瞬間。
『竜』は何かを訴えかける様に鳴いた。
そして、その瞳からポロポロと光る雫が零れ落ちていく。
その反応に思わず唖然として、そんな事ある筈無いと……そう思いながらも、ルフレは『竜』に問わずにはいられなかった。
「まさか……本当に、君は『ヒト』……なのかい……?」
そう問い掛けた瞬間。
『竜』はそれを肯定するかの様に……見間違え様も無くハッキリと、涙を零しながらその首を縦に振ったのであった。
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