第三話『竜の娘』
◆◆◆◆◆
あれから三日三晩経ったが『竜』が目覚める事はなかった。
『竜』は身動ぎ一つする事も無く、眠り続けている。
あの大嵐が近くの雨雲を全部吹き飛ばしていったのか、幸いな事にあの晩から雨が降る様な事もなく、『竜』は野晒しの状態ではあるが問題なく傷口は塞がったままである。
意識が戻る事はなかったが、所謂「峠」は越えられた様で、弱々しく消えそうだったその息も、今は小さいながらも静かに落ち着いたものになっている。
念の為化膿止めを塗っていたからなのか、或いは『竜』が人間よりも頑丈だからなのか、心配していた傷口の化膿も引き起こす事もなく経過自体は良好な様だ。
……とは言え、このまま目を覚まさなければ、何も口にしていないだろう『竜』は何れ弱って死んでしまうだろうが……。
どうにかしてやりたいとは思うものの、こうして『竜』の目が覚めない事にはどうにも出来ないし、『竜』が目を覚ました所でルフレ自身が餌として襲われてしまう可能性も否めない。
ここは付近の村からも大分離れているので、ちょっとやそっと『竜』が暴れた程度では誰に迷惑がかかると言うものでもないが、万が一にもこの『竜』が人を好んで襲い喰らおうとする様な「人食い竜」だった場合は……可哀想ではあるしルフレとても助けた手前心が痛むが、『竜』が人里を襲わぬよう、ルフレが責任を持って『竜』を殺さねばならないだろう。
そうならない事を願うが、何にせよ『竜』が目覚めない事にはどうにもならない。
『竜』が何時目覚めても良いように、ルフレは時間さえあれば『竜』の傍で過ごしていた。
『竜』の事が気に掛かるとは言え、四六時中『竜』だけを診ている訳にもいかない。
特に、何時目覚めても良いように『竜』に与える食料は蓄えておく必要がある。
『竜』の歯や顎の形を見るに肉食か或いは雑食であろうと当たりを付けて、ルフレは連日森で狩りや採集に勤しんでいた。
野生の獣なのだから血の滴る生肉が一番なのだろうけれど、流石にそのままでは日持ちしないので、狩った獲物は一日置いてから燻製にして保存している。
かなり弱っているであろう『竜』がいきなり燻製肉を消化出来るのかは分からないけれど、もしも殆ど食べられそうにない程に弱っているのなら、柔らかく煮込んでから与えてみるのも良いかもしれない。
……ただその場合も、人の手が入ったものを『竜』が食べてくれるのかと言う問題もあるのだが……。
元々、半ば発作的とも言える衝動で『竜』を治療したが故に、今後に対する計画性などは今の所は何も無くて。
勿論『竜』を助けた事自体には何一つとして後悔などしてはいないのだけれども、どうにも将来的な部分に関してはまだ考えあぐねてしまっている。
何はともあれ、『竜』が目覚めない事にはどうにもならない。
楽観視し過ぎるのは当然良くないが、今の時点であれやこれやと悪い方悪い方へと考える事もまた愚かしい。
その時その時に応じて考え対応していくしかないのだから。
そんな事を考えながら、ルフレは森の奥で仕留めた若い牡鹿の血抜き処理を行っていた。
首を一矢で射抜かれた鹿はとっくに絶命していて、首を切って木に逆さに吊られていても身動き一つしない。
辺りに血の匂いが充満し、森の獣達がおこぼれに預かろうと集まって来ているのは感じるが、彼等は獣除けに焚かれた火とそこで燻された特殊な調合薬の煙によって近寄れない。
血抜きの終わった鹿を、ルフレは大まかに解体し始めた。
細かい部分の処理は屋敷の方へ帰ってからするのだが、鹿の様な大きな獲物だとそのまま抱えて持ち帰るのは難しいので持ち運べる様にある程度の部位に分けておく必要がある。
手馴れた手付きで解体用のナイフを振るい、バラバラになった肉の塊を縄で縛って背負った。
解体した時に余った肉片や臓物の類は森の獣達への分け前としてその場に置いていくのが、ルフレの中での「決まり」だ。
……瀕死の所をルフレに助けられた『竜』と、ルフレによって狩られこうして肉として食われる鹿。
そのどちらもが同じ一つの命であり、そこに命としての「価値」の重さに変わりはないのだけれども、その命運は真逆だ。
生きるとは決して平等な事ではなくて、こうして他の命を奪わねば命は生きてはいけない。
生きると言う事は、そして何かを助けると言う事は、決して綺麗事では無くて、生きていればその手は血に汚れていく。
ただ……、それを当然と感じただ他の命を貪るのか、或いは儘ならぬそれを受け入れてもそこに「敬意」と「感謝」の気持ちを抱く事を忘れずに生きるのか……、そこに『人』としての心の尊厳があるのだと、かつてルフレは母に教えられていた。
だからこそ、ルフレは自身の手で殺した命に、敬意も感謝の念も、どちらも懐く事を忘れた事は一度たりとも無い。
それが、「人間」の傲慢、思い上がりの自己満足であっても。
……そして『命』への敬意があるからこそ、『救う』事を選択した命は、全霊を賭けて助けたいのだ。
解体した鹿肉を背負って屋敷まで戻ってきたルフレは、解体作業の続きをする前に『竜』の様子を見ようと、そのまま屋敷の裏手の森へと向かう。
それはここの所の決まったルーティンの様なもので、……残何ながら今までは良くも悪くも『竜』の様子に変わったモノは無かったのだけれども、しかし。
ルフレの足音に反応してか警戒する様な唸り声が聴こえ、それに急かされた様にルフレが足早に急いだそこには。
目覚めた『竜』が、怯える様にルフレを見詰めていた。
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あれから三日三晩経ったが『竜』が目覚める事はなかった。
『竜』は身動ぎ一つする事も無く、眠り続けている。
あの大嵐が近くの雨雲を全部吹き飛ばしていったのか、幸いな事にあの晩から雨が降る様な事もなく、『竜』は野晒しの状態ではあるが問題なく傷口は塞がったままである。
意識が戻る事はなかったが、所謂「峠」は越えられた様で、弱々しく消えそうだったその息も、今は小さいながらも静かに落ち着いたものになっている。
念の為化膿止めを塗っていたからなのか、或いは『竜』が人間よりも頑丈だからなのか、心配していた傷口の化膿も引き起こす事もなく経過自体は良好な様だ。
……とは言え、このまま目を覚まさなければ、何も口にしていないだろう『竜』は何れ弱って死んでしまうだろうが……。
どうにかしてやりたいとは思うものの、こうして『竜』の目が覚めない事にはどうにも出来ないし、『竜』が目を覚ました所でルフレ自身が餌として襲われてしまう可能性も否めない。
ここは付近の村からも大分離れているので、ちょっとやそっと『竜』が暴れた程度では誰に迷惑がかかると言うものでもないが、万が一にもこの『竜』が人を好んで襲い喰らおうとする様な「人食い竜」だった場合は……可哀想ではあるしルフレとても助けた手前心が痛むが、『竜』が人里を襲わぬよう、ルフレが責任を持って『竜』を殺さねばならないだろう。
そうならない事を願うが、何にせよ『竜』が目覚めない事にはどうにもならない。
『竜』が何時目覚めても良いように、ルフレは時間さえあれば『竜』の傍で過ごしていた。
『竜』の事が気に掛かるとは言え、四六時中『竜』だけを診ている訳にもいかない。
特に、何時目覚めても良いように『竜』に与える食料は蓄えておく必要がある。
『竜』の歯や顎の形を見るに肉食か或いは雑食であろうと当たりを付けて、ルフレは連日森で狩りや採集に勤しんでいた。
野生の獣なのだから血の滴る生肉が一番なのだろうけれど、流石にそのままでは日持ちしないので、狩った獲物は一日置いてから燻製にして保存している。
かなり弱っているであろう『竜』がいきなり燻製肉を消化出来るのかは分からないけれど、もしも殆ど食べられそうにない程に弱っているのなら、柔らかく煮込んでから与えてみるのも良いかもしれない。
……ただその場合も、人の手が入ったものを『竜』が食べてくれるのかと言う問題もあるのだが……。
元々、半ば発作的とも言える衝動で『竜』を治療したが故に、今後に対する計画性などは今の所は何も無くて。
勿論『竜』を助けた事自体には何一つとして後悔などしてはいないのだけれども、どうにも将来的な部分に関してはまだ考えあぐねてしまっている。
何はともあれ、『竜』が目覚めない事にはどうにもならない。
楽観視し過ぎるのは当然良くないが、今の時点であれやこれやと悪い方悪い方へと考える事もまた愚かしい。
その時その時に応じて考え対応していくしかないのだから。
そんな事を考えながら、ルフレは森の奥で仕留めた若い牡鹿の血抜き処理を行っていた。
首を一矢で射抜かれた鹿はとっくに絶命していて、首を切って木に逆さに吊られていても身動き一つしない。
辺りに血の匂いが充満し、森の獣達がおこぼれに預かろうと集まって来ているのは感じるが、彼等は獣除けに焚かれた火とそこで燻された特殊な調合薬の煙によって近寄れない。
血抜きの終わった鹿を、ルフレは大まかに解体し始めた。
細かい部分の処理は屋敷の方へ帰ってからするのだが、鹿の様な大きな獲物だとそのまま抱えて持ち帰るのは難しいので持ち運べる様にある程度の部位に分けておく必要がある。
手馴れた手付きで解体用のナイフを振るい、バラバラになった肉の塊を縄で縛って背負った。
解体した時に余った肉片や臓物の類は森の獣達への分け前としてその場に置いていくのが、ルフレの中での「決まり」だ。
……瀕死の所をルフレに助けられた『竜』と、ルフレによって狩られこうして肉として食われる鹿。
そのどちらもが同じ一つの命であり、そこに命としての「価値」の重さに変わりはないのだけれども、その命運は真逆だ。
生きるとは決して平等な事ではなくて、こうして他の命を奪わねば命は生きてはいけない。
生きると言う事は、そして何かを助けると言う事は、決して綺麗事では無くて、生きていればその手は血に汚れていく。
ただ……、それを当然と感じただ他の命を貪るのか、或いは儘ならぬそれを受け入れてもそこに「敬意」と「感謝」の気持ちを抱く事を忘れずに生きるのか……、そこに『人』としての心の尊厳があるのだと、かつてルフレは母に教えられていた。
だからこそ、ルフレは自身の手で殺した命に、敬意も感謝の念も、どちらも懐く事を忘れた事は一度たりとも無い。
それが、「人間」の傲慢、思い上がりの自己満足であっても。
……そして『命』への敬意があるからこそ、『救う』事を選択した命は、全霊を賭けて助けたいのだ。
解体した鹿肉を背負って屋敷まで戻ってきたルフレは、解体作業の続きをする前に『竜』の様子を見ようと、そのまま屋敷の裏手の森へと向かう。
それはここの所の決まったルーティンの様なもので、……残何ながら今までは良くも悪くも『竜』の様子に変わったモノは無かったのだけれども、しかし。
ルフレの足音に反応してか警戒する様な唸り声が聴こえ、それに急かされた様にルフレが足早に急いだそこには。
目覚めた『竜』が、怯える様にルフレを見詰めていた。
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