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何時かきっと、星空の下で

◇◇◇◇◇




 ロビン達と共にルキナはフェリアを目指して北へと発った。

 ……あの場に逃げ延びていた者の中には、ルキナ達と同じ様にフェリアを目指そうとする者も居たが、その大半はペレジアに留まって縁者を頼って他の村や町へと向かうか、或いはただの焼け跡でしかない自分たちの村に帰り家族を弔うか……と言う者が大半であった。
 ルキナが助けた少女とその両親の一家も、縁者を頼って少し離れた町の方へと向かうらしい。
 …………『聖戦』で、ペレジア中の村や町が被害に遭ったと聞いた事があったルキナの本音としては、それを止めてフェリアに向かう様にと説得したかった。が、出来なかった。
 例え命を守る為でも、自らの生活基盤の大半や縁故などの人との繋がりも捨てて新天地に行こうなんて行動に移せるものが多くはない事を、ルキナはあの「未来」でよく知っている。
 ルキナが彼らに提示出来る言葉の中に、ペレジアに残ろうとする彼らを説得出来る様なものなんてない。残念ながら。
 だから、ルキナに出来るのは、せめて命助かった彼らが、『聖戦』の終結まで無事で居られる様にと祈る事だけだった。
 間違いなく「イーリス」の人間である自分がこんな事を祈っているだなんて知られたら、逆に恨まれるだろうけれど……。
 ……つい何時もの癖で神竜への祈りの言葉を口にしそうになって、ルキナは慌てて口を噤んだ。
 かの神竜が今この瞬間に、自らの名を「大義」に掲げられて行われている大虐殺に対して何を考え感じているのかなど、人に過ぎないルキナには分かる筈も無いけれど。
 少なくとも、今こうして狂った悍ましい「大義」の下にその命も尊厳も蹂躙されているペレジアの人々にとって彼の「神」の名は憎悪の対象にしかならないであろうから。
 かと言って、彼らの「神」であるあの邪竜に祈りを捧げる事など到底出来る筈も無くて。
 結局ルキナはどこぞの誰とも知れぬ「何か」へと、その祈りを捧げた。

 そうやってロビン達と共にフェリアに向けて出立したのだが……道中に立ち寄ったペレジアの村や町の状況は、想像していた以上に酷いモノであった。
 イーリス軍による蹂躙の被害をまだ直接には受けていない町や村でも、被害に遭った他の村や町から逃げ延びてきていた人々が流れ込んだ事で様々な物資に困窮し始めていたのだ。
 食料は勿論の事ながら、衣服や生活用品に至るまで……。
 元々耕作に適さぬ土地ばかりのペレジアでは、イーリスなどの肥沃な土地を多く持つ国からの輸入に食料供給を頼っている部分が多かったのだと言う。
 イーリスと戦争している以上イーリスから食料を輸入する事など出来ず、更にはイーリス軍がペレジア国内の通商網を徹底的に破壊してしまった為に物資の輸送が停滞し。
 そうやってカツカツになっていた場所に他所の村や町から人々が逃げ込んでくるのである。堪ったものではない。
 分け与え共に苦難を乗り越える……なんて綺麗事は、「分け合っても我慢すれば何とか凌げる」なら成り立つのであって。
 餓死するかもしれない様な程に困窮している状況でそんな事を実行出来る者は居ない。食料を巡って醜い争いが起きているのをルキナはフェリアに入るまでにも幾度も見てきた。
 が、それを「醜い」などと感じる権利など、端からルキナには存在しないのだ。……そんな争いを起こさなければ生きていけない状況に追い込んだのは、「イーリス」なのだから。

 イーリス軍は、ペレジアの軍人も民間人も等しく蹂躙し虐殺して、今やペレジアの国土全体を呑み込もうとしていた。
 ペレジア人の「根絶やし」が目的であるその侵攻は狂気に満ちていて、本来ならばイーリスにとっては攻め入る必要など殆ど無い筈のペレジアの北西部……ペレジアがフェリアと国境を接している辺りの町や村をも蹂躙していた。
 そこにはペレジア人がフェリアに逃げ込まない様に、と言う意図があるのかもしれない。
 だが、ペレジア軍もただ民を虐殺させる事など赦してなるものかとばかりに、消耗しながらも何とか奮戦し、一人でも多くの無辜の民がフェリアへと逃げられる様に手を尽くしているのだと言う。恐らくそう遠くない内にその抵抗ごとイーリスは踏み潰してしまうのだろうけれども……。

 ……ルキナとしては、こんな狂った大虐殺など、何があってもそこに正当性など存在しないとそう声を上げたいし、叶うのならば今代の聖王に直訴してでもこの『聖戦』を止めたいとも思う。
 だが、ルキナの声には何の力も無い。
 イーリス城に侵入したとしても、そこで囚われて処刑されて終わりだろう。
「未来」から来たのだと訴えたとしても、そんなものはただの狂人の狂言にしかならない。
 ルキナには止められない、変えられない。何も。
 ただただ……「イーリス」の狂気に踏み潰された夥しい犠牲者たちに、心の中で謝る事しか出来なかった。
 そして、そんな謝罪には、何の価値もありはしないのだ。

 …………この狂気が、巡り巡ってイーリスを襲う事になるのだろう。この狂気が育てた憎悪と怨恨が、十数年後に再び戦争を引き起こす事になる。そしてきっと……邪竜ギムレーの復活にすら、これが関与しているのかもしれない。
 ペレジアの人々の中には、邪竜ギムレーの復活を願っていた者が大勢居たと言う話を聞いた時。ルキナはそれを「信じられない」としか感じなかった。ペレジアの人々は狂っていたのだろうかと、そんな事すら考えた。
 …………だけれども、今ならば、少し分かるのだ。
 あの「未来」で、絶望に曳き潰されてゆく人々が縋りつく様に神竜への信仰を高め祈り続け「救済」を願った様に。
 イーリスに抗い様の無い暴力で蹂躙され尽くし何もかもを喪ったペレジアの人々が、自らの神に縋りついた事を誰が責められるというのだろう。
 どうかあの悪鬼どもを誅してくれ、どうかあの悪魔たちをこの世から消し去ってくれ、と。
 そんな破滅的な……しかし、心が在る以上はどうしても抱いてしまう憎悪や怨恨と共に願う事を、誰が責められるのか。
 ……そんな人々の願いであんな「未来」になってしまうのなら、ルキナは何としてでも止めなくてはならないのだけれど。
 しかし、もう今のルキナには、この「過去」に辿り着く前の様には、考えられなくなってしまった。

 本当に正しい「正義」なんて、この世にはない。
 人々を救う、世界を救う、と。ルキナが願い抱いた『使命』ですら、それの根本が絶望と怨嗟に血塗られた因果の応酬の果てに在ったモノでしかないのなら。
 その願いですら、きっと全くの「正しさ」ではないのだろう。
 その様に考え方、モノの捉え方が変わった事が、果たして良い事なのかは分からないけれども……。
 少なくとも、ルキナは「盲目」ではなくなった。

 そしてだからこそ、ルキナ自身の傲慢を以てして、やはり『使命』を果たしたいと強く願うのだ。
 ……苦しみ絶望し何もかも失って慟哭する人々の最後に待つものが、あんな「未来」だなんて、認めたくないから。
 ペレジアの民にもイーリスの民にも、どんな国の民にだって。
 あんな「未来」は、経験して欲しくないのだから。

 イーリスが残した無惨な爪痕を見詰める事になった旅であるが、それでもルキナの心が罪悪感ともつかぬ暗く重い感情に押し潰されずに済んでいるのは、やはり同行者の……特に幼いルフレのお陰であった。

 幼いルフレと他愛もない様な事を話したり、何かをする時間は、とても心が安らぐのだ。……遠い記憶の『あの人』にとってもそうであったのだろうか? 
 幼い自分に対してとても優しかった『彼』の事を思い出しながら、ふとルキナは考える。
『あの人』も、ルキナと過ごしていた時間の中に、こんな暖かな安らぎを感じていたのであろうか、と。
 その答えは、きっともう一生分からないだろうけれど。
 それでも、少しでもそうであったら良いな、と。
 ルキナはそう思うのだ。

 ルフレは、こんな幼い時に『聖戦』だなんて狂気に触れてしまったと言うのに、必要以上にそれに怯える事も無く、母を純粋に信じてその言葉に従っていた。
 ルフレも、そしてロビンも。ルキナが自身に関して何も語る事が出来ないのと同じ様に、二人も自身の事に関してルキナに話してくれる事は殆ど無かったけれども。
 断片的に伝わってくる情報を繋ぎ合わせていくと。
 ルフレ達親子は、元々は「過去」に遡った直後のルキナがその惨事を目撃する事になったあの村の人間では無いらしく。
 ペレジアの各地を転々としていた所で、たまたま少し長めに逗留していただけであったらしい。
 そんな中で、イーリス軍の襲撃に遭った、と言う訳だ。
 そんな事情もあったからこそ、「ペレジアを離れてフェリアへと向かう」と言う決断が出来たのかもしれない。
 何にせよそう言う事情もあるから、まだ幼いルフレも旅暮らしにはそこまで不自由を感じていないのだそうだ。
 ……だが、何故二人がそんな旅から旅への根無し草に近い様な生活を続けているのか。その理由は訊けなかった。
 それとなく訊いてみても、ロビンにははぐらかされてしまう。
 ルフレはルフレで、幼いからなのか分かっていない様だった。
 まあ、ルキナも自分の素性など、答えられない部分が多過ぎるのでそう深くまでは探れないのだが。
 共に旅をするようになって、ルフレはルキナの事を「マルス」として大層慕ってくれるようになった。
 事ある毎に「マルス、マルス」と笑いかけてくれるこの幼子に、ルキナが庇護欲の様な……それとはまた少し違う様な暖かな感情を抱く様になったのは、ある意味では必然であったのかもしれない。……まるで、あの頃とは丸っきり逆になった様な関係には、やはり不思議なモノを感じるけれど。
 戦う事ばかりしか出来なかったルキナが、幼いルフレに与えてやれるものは本当に少ないのだけれども。
 それでもかつて『彼』から……ルフレにとっては遠い未来の『彼自身』から教えて貰った事を、思い出して反芻する様にしながらルキナはルフレへと与えていく。
 それは、かつて『彼』に読み聞かせて貰った物語であったり、或いは夜空を見上げながら星々を指差して貰いながら教えて貰った物語であったり、小さな役立つ知恵など。
 そう言ったものを、ルキナはルフレへと「返して」いた。
 そんなルキナを、ロビンは何時も静かに見守っている。
 ルフレと触れ合い語り合うルキナを、見詰める彼女が一体何を考えているのかはルキナには分からない。
 分からないと言えば、どうしてそもそもこうして旅に誘われたのかも分からないのだ。
 行く宛も何もなかったルキナにとっては好都合な……「都合が良過ぎる」それの意図を、ルキナは今も理解しかねている。
「母と幼い子の二人旅よりは」と言うその言葉は一見筋が通っているが、そもそもの話その同行者がルキナである必要などないのだ。そこであの時に敢えて何処の誰とも知れぬ不審なルキナを選ぶ理由など全く思い付かない。
 だが、その答えは今も分かりそうにも無かった。

 そんな風にその意図は分からないけれど、ロビンと旅する事自体には不満など特には無いのだ。
 寧ろ、「親子」だからなのか、未来での『ルフレ』と彼女は少し似ていて、それが懐かしくもあり安心感がある。
『ルフレ』が、戦術など以外にも万の事に精通している程賢かったのは、ロビン譲りであったのかもしれないと思う程に、ロビンのその頭脳は卓越しているのであった。
 ロビンの過去が気になる程だけども、それを答えてくれる事はなくて。それでも不満などなく、ルキナは旅をしていた。

 立ち寄ったフェリアの村で一晩の宿を得たルキナ達は、久方振りのベッドで眠れる夜を有難く満喫しようとしていた。
 しかし……うとうととし始めたルフレだが、それでも中々寝付けないらしく、ぐずる様に少し機嫌を損ねてしまう。
 そんなルフレに、ルキナはかつて『彼』が度々自分に歌ってくれていたあの子守唄を、口遊む様にルフレに向けて歌った。


「あ……それ、おかあさんがうたってくれるうただ……。
 マルスのうたも、じょうずだね……」


 聞き馴染んでいた大好きな歌だったからなのか、ルフレは途端に機嫌を直して嬉しそうに微笑んだ。
 そして先程までの寝付の悪さが嘘であった様に、目を閉じたかと思うと安らかな寝息を立て始める。
 まるでかつての幼い頃のルキナ自身の姿の様に感じて、微笑ましく思っていると。
 ふと、ロビンが真剣な目を自分に向けている事に気付いた。
 どうかしたのだろうか、とルキナがそう思った次の瞬間。


「マルス……。
 あなた、もしかして、「未来」を知っているの?」


 その静かな問いに、ルキナは絶句するしかなかった。



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