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何時かきっと、星空の下で

◇◇◇◇◇




「──っ!? 何が……」


 剣を弾き飛ばされた兵士が状況を把握しようと周囲に目を向けようとした瞬間に再び走った先程よりも強烈な閃光が、今度は兵士の身体を大きく吹き飛ばす。
 吹き飛ばされた兵士はそのまま地に叩き付けられる様に転がっていき、近くにあった家の壁にぶつかり動かなくなった。

 一体、何が。と。ルキナもまた状況を把握出来ずに居たが。


「その子を抱えてこっちに来なさい! 騒ぎに直ぐ様イーリス軍が集まってくるわ!! 死にたくなければ、早く!!」


 混乱したルキナの思考を一喝する様な凛とした声に、ルキナは現状を把握し直す。そうだ、今はこの子を守らなくては。
 兵士から庇ったばかりの幼い少女は恐怖でその身を震わせていたが。その身体を抱き締めて背を撫でてやればルキナへとしがみつく様に抱き着いてきたので、そのまま抱き抱えて、先程の声が聞こえてきた方へとルキナは駆け出した。
「こっちよ」、と誘導する声を今は信じて、ルキナは少女を抱えたまま森の中を駆ける。

 何れ程森の中を走ったのだろうか。気が付くと、ルキナは森の中を流れる川の岸辺に辿り着いていた。
 そこには、あの村から逃げ延びたのだろうと思われる十数人程の非武装の人々が、着の身着の侭と言って良い様な格好で、力無く座り込んだり、或いは呆然とした表情で村があった方向を見ていたりとしている。その異様な雰囲気に、ルキナは思わずたじろぐが。ふと、腕の中の少女が喜びの声を上げた。
 すると、一組の男女がルキナの方へと……その腕の中の少女へと駆け寄ってくる。どうやら、少女の両親であるらしい。
 彼等はルキナへと涙を流しながら何度も何度も感謝の言葉を述べて、娘をその手に抱き締めて滂沱の涙を流す。
 ルキナは少女の名も知らないが……しかし、こうして一つの『家族』を助ける事が出来た事には、僅かながらも安堵した。
 だが、そう言えば先程ルキナ達を導いた声は一体、とルキナが周囲を見回すと。少し離れた場所に居た、不思議な意匠のコートを纏った女性が目に付いた。
 周囲の人々が呆然としたり或いは騒然としながら混乱している中で、その女性は静かにそこに立ってルキナを見ている。
 まるでルキナを見定めようとしている様なその目に、ルキナは思わず仮面を被っている事も忘れ目を逸らしそうになる。


「……あの子を助けてくれてありがとう。
 所で、あなたは誰かしら? この辺りでは見ない顔だけど」


 女性のその声は、間違いなくルキナ達をここまで導いてくれた声であった。ルキナは一瞬、どう答えるべきかと迷った。


「僕は……偶然あの場に通り掛かった旅の者だ。
 それと、僕の方こそ、あなたに助けて貰った。ありがとう」

「…………そう。まあ、私も偶然の様なものだけどね。
 村が突然襲撃されて、一旦逃げ延びたはいいけど、途中までは一緒だった筈のあの子が何処かで逸れてしまった様だったから、助けに戻った所だったわ。あなた、運が良かったわね。
 それで? あなたはこれからどうするのかしら」


 そう問われ、ルキナは言葉に詰まる。
 これから、自分がどうするのか。どうすればいいのか。
 それが何も、見えてこないのだ。

『ギムレー』の復活を阻止し、「未来」を変える『使命』はある。
 だが、当初の自分が想定していた、「未来」を変える為に干渉する出来事は、未だ遠い未来の事になる。
 干渉する予定の事象の一つである『聖王エメリナの暗殺』は、今から少なくとも十五年以上は後の事になる。
 ここが『聖戦』の只中の時代であるのなら、そもそも今代の聖王はエメリナではなく……ルキナにとっては祖父に当たる人物だ。
 ……ルキナは、「過去」の出来事に関してそう詳しくはない。
 両親や周囲の人々からの伝聞でしか知らぬ事も多く、そしてそうやって伝え聞いた事の大半は、「今」から十五年以上後に起こる「ペレジア戦争」の前後以降の事ばかりで……。
 更にその後に起こる「ヴァルム戦争」が終結して少ししてから『ギムレー』が蘇ったと言う事もあって、あの「未来」を回避する為に干渉しなければならない事は、「ペレジア戦争」や「ヴァルム戦争」の辺りにあるのではないかと考えていた。
 それもあって、そこから更に十五年以上も過去に跳んでしまった今、どうすれば良いのか分からなくなっていたのだ。

 十五年以上潜伏して、「その時」を待つ……と言う事も一つの手ではあるのだろう。
 だが、十五年と言う月日は、ルキナにとっては余りにも長過ぎる。
 思いもよらぬ形で変えてしまった小さな「過去」が、より大きな変化を巻き起こして、自分が知る「十五年後の過去」とは全く違う「過去」に変えてしまうかもしれない。
 その危険性は、「過去」に居る時間が長ければ長い程大きく、そしてより深刻な問題になるだろう。
 ……それに、十五年後の自分は、果たして十全に戦える状態を保てているのかどうかと言う問題もある。
 ……あの「未来」を知り、「命」と言うモノの儚さも知るが故の懸念だ。
『使命』を果たす為には五体満足かつ万全の状態である事が望ましく、だがそれを十五年も維持し続ける事は困難である。
 十五年……それは待つ事が全く不可能な時間ではないが、だが待ち続ける事はとても難しい時間であった。
 更に問題があるとすれば、十五年後に辿り着いたからと言ってそれで終わりではない。
 更にその後も、変えなければならないかもしれない「過去」は沢山ある。
 そこまで自分がファルシオンを振るい続けられるのかは、全くの未知数であった。
 ……可能ならば、今直ぐにでも十五年後の「未来」へと再び時を渡ってしまいたい。
 だが、過去へ遡る事もそうではあるけれども、未来へと向かって一息に時を跳び越える事もまた、ただの人に過ぎぬこの身には不可能な事である。
 神竜の力を借りる事が出来るなら、とは思うのだけれども。
 この時代の神竜に呼び掛ける為のモノを、ルキナは何一つとして持たない。
 あの不完全な『炎の紋章』は、時の扉を開く為の「要」として使われた為、あの「未来」に置いてきた。
 この手にあるのは、僅かに神竜の力を与えられたファルシオンだけなのだが……果たしてそれで彼の神竜がルキナの呼びかけに答えてくれる事などあるのだろうか。
 あの「未来」が不可逆の破綻を来すまで、ルキナや人々の祈りや願いに応える事も言葉を届ける事も無かったのに……? 
 この時代の神竜がルキナに対して「特別に配慮」したりその力をルキナの為に揮ってくれるなどと、夢見がちで甘い考えは、あの「未来」を生き抜く中でとうに消え失せていた。
 だからこそ、現状ルキナの取れる選択肢は「十五年以上の歳月を待つ」と言うそれしかないのであるけれども……。
 なら、それを選ぶにしたって、それまでの十五年以上の歳月をどうやって生きていくのかと言う問題はある。
 寝て起きたら十五年経っているなんて事は無くて、生きていく以上は何らかの手段で稼いだりして自分でどうにかしてその日の糊口を凌がなくてはならないのだ。
 何処でどうやってどんな風に生活基盤を築くのか。
 十五年を待つのだとしても、その問題は大きかった。
 更にはこの『聖戦』の真っ只中と言う時代も状況も最悪だ。
『聖戦』の所為で、人心は荒れに荒れたと……そうルキナは聞いている。そして、その所為で伯母が味わった苦しみも。
 そんな世界で、どうしていけば良いのか。道は見えない。
 だからこそ、「これからどうするのか」と言う問い掛けに、何も答えられなかった。

 黙り込んでしまったルキナを見て、女性は小さく溜息を吐く。


「……あなたがどうするにせよ、この辺りに留まり続ける事は危険ね。
 ……ここも、そう時間を置かずしてイーリス軍に見付かるわ。
 ……あなたはその恰好からしてペレジア人には見えないけれど。あいつ等は、ペレジア人だろうとそうじゃなかろうと、お構い無しに皆殺しにしようとしてくるわよ」


「イーリス軍」の事をそう語る彼女に、ルキナは思わず俯いてしまった。
 ……この時代の「イーリス軍」とルキナに直接の関係はないけれども、それでもルキナにとって自国の軍だ。
 イーリス軍による虐殺が揺るぎ無い事実である事もあって、その被害者である彼女たちへとルキナは顔向け出来ない。
 そこまで恥知らずには、なれなかった。


「僕は…………。
 ……そう言うあなたは、これからどうするんだい?」


 結局答えられないまま、ルキナは彼女にそう尋ねる。
 ……彼女たちが住んでいたのであろう村は、もう火の海の中に沈み、跡形も無い。あそこに暮らす事は不可能だ。
 ならば村を離れ、何処かへ逃げるしかないのだろうけれども。
 しかし、突然に自らの生活の場を放棄しなくてはならなくても、それを受け入れられるのかはまた別の問題だ。
 ……あの「未来」でも、屍兵の襲撃に遭って廃墟同然となっても、住み慣れた村を離れられなかった者は少なくなかった。
 ルキナに問われた彼女は、周囲の村人たちを見回して、そしてその行く末を憂う様にその瞳を曇らせる。


「そう、ね……。私達は、ここを離れるわ。
 こんな国境に近い辺境の村にまでイーリス軍が押し寄せているのだもの……。もう、ペレジア国内に安全な場所は何処にも無いでしょうね。フェリアに逃げるのが、一番でしょう。
 ……他の人達がどうするかは、私が決める事ではないけど。
 ……私は、この子を守らなきゃいけない。
 だから、ここで死ぬわけにはいかないわ」


「私達」とそう女性が口にした事でルキナは、女性のコートの陰に隠れる様に小さな影がその背後に居る事に気が付いた。
 ルキナが先程助けた名も知らぬ少女程の大きさの小さな影は、そっとコートの陰からルキナを窺う様に覗いている。
 その白銀に近い不思議な色合いの髪色に、その金と琥珀を混ぜた様な色合いの瞳に。ルキナは強烈な既視感を覚えた。


「おかあさん……」


 不安そうにそう零す幼子の頭を女性は愛情を感じる優しい手付きで撫でてやり、幼子はそれに安堵した様に微笑む。


「大丈夫よ、ルフレ。お母さんが必ずあなたを守るから……」


 愛しい存在を見詰める慈愛と母性愛に溢れた「母親」の目をする女性のその姿に、そして彼女に絶対の信頼を預ける様な……そんな幼い少年の姿に。ルキナは動揺を隠せなかった。

 ……『ルフレ』。
 ルキナは、その名前をよく知っていた。
 遠く幼いあの日々の記憶、優しくて大好きだった『あの人』。

 ここがあの「未来」から三十年程度過去である以上、この世界の何処かには父や『あの人』が存在するのは当然で。
 だが、まさかこんな場所で、幼き日の『あの人』に出逢う事になるとは全く思ってもみなかったのだ。
 当然ながら、目の前の幼子はルキナの事など知る筈も無く。
 見上げてくる無垢なその幼い瞳は、『あの人』のそれと色は同じでも、そこに映す心は全く異なるもので。
 それがむず痒い様な落ち着かない様な……何とも言えない感覚を与える。
 ここでこうしてルキナが『ルフレ』に出逢うだなんて一体何れ程の影響を「未来」に与えてしまうのか考えるだけで落ち着かなくなるし、またそれ以上に奇妙なモノを感じるのだ。
 今のルキナは仮面で表情を隠し、そしてその装いも、言葉遣いも……本来の『ルキナ』のそれとは違うのだけれども……。


「えっと……あなたはだれですか?」


 ルキナが仮面の奥から自分を見ている事に気付いたのか。
 幼いルフレは、小さくその首を傾げて、舌足らずながらもしっかりとした言葉遣いでルキナに問う。


「僕は、……僕は『マルス』だ」

「『マルス』? まえにおかあさんがおはなししてくれたおはなしのえいゆうさんとおんなじなまえだ!」

「あ、あぁ……そうだね」


 同じも何も、その偽名はその英雄王から取ったのだが。
 だが幼いルフレにとっては、憧れの英雄と同じ名前であると事は、いたくその心の琴線に触れる事であったらしい。
 キラキラとした眼差しがルキナに向けられる。
 そう言えば、幼い日の自分も、『あの人』にお話を読み聞かせて貰った後にはよくこんな顔をしていたなと。
 ふと、胸の奥がツンとなる様な懐かしさすら感じた。


「マルスは、さっきあのこをたすけてくれたんでしょ? 
 すごい! ほんとうの『えいゆうさん』なんだね!」


 ……『本当の、英雄』。
 ……元々は、あの絶望に満ちた未来での「願掛け」の様な……己の心を支える為の「お呪い」の様なものから始まった、『英雄王マルス』のを模した装いと振る舞いだった。だからそう見えるのは、寧ろ意図通りで。
 だけれども。ルフレの幼い瞳に残酷なまでに真っ直ぐ射抜かれてしまったルキナは、何も言えなくなった。

 ……ルキナは、それには成れなかった者だ。
 結局自分の力では世界を救う事も出来なくて、だからこうやって「過去」にやって来て『過去改変』だなんて禁忌に手を染めようとしている。いや、染めてしまった。
 自分は、この幼い『あの人』に、そんな眼差しで見詰められるに足る存在ではないのだ。それでも。
 その輝いた瞳を前にして、それを否定する事も出来なかった。
 だからこそ、ただただどうしようもなく居た堪れなくなる。

 ……「過去」に来てからずっと、想定外の事や衝撃的な事が多過ぎて、心が疲れてきてしまったのかもしれない。
 考えねばならぬ事、成さねばならぬ事。
 良い解決の糸口など見えぬままに、ただただそれらはグルグルと頭の中を無意味に回り続けて、ルキナを疲弊させるのだ。
 そんなルキナの様子を黙って見ていたルフレの「母」は、小さくまた溜息を吐いて、ルキナに言葉を掛ける。


「何か色々と訳アリの様だけれど……。何処にも行く宛が無いのなら、私達と一緒にフェリアに行くのはどう? 
 ……ペレジアを旅するのも、今のイーリスに向かうのも。どちらもとても無謀な事だもの。
 あなた、色々と怪しいけれど、見ず知らずの子供を助ける為に飛び出す様な『良い人』みたいだしね。
 ここで見捨てるのも寝覚めが悪いわ」

「フェリアに……?」


 確かに、今が『聖戦』の只中であると言うのなら、この大陸で一番安全なのはフェリアであるのだろう。
 あの国は元々難民などが各地から流入する国だ。
 そう言う者達がフェリアで生き延びるには、腕っぷしの強さも大事になるが。……まあルキナの剣の腕なら傭兵としても何とかやっていけなくもないだろう。
 今後どうするのかはまだ何も見通しが立っていない状態であるが、ならばこそフェリアに向かうのは良い選択と言える。


「僕があなた達と一緒に行っても大丈夫なのかい?」

「単純に、『幼い子供を連れた母親』よりは、『幼い子供も居る家族』とかの方が安全なのよね、色々と。
 フェリアの東の王都に辿り着くまでで良いから、良かったらどうかしら? まあ無理にとは言わないけれどね」


 成る程。元々が蛮族蔓延る流刑の地であったフェリアはその気風は今でも受け継がれていて何かと血気盛んな者が多く、食い扶持にあぶれた傭兵達が山賊や盗賊に変わって人々を襲う様になる事も珍しくはないと言う。
 ならば確かに母子連れよりは、同行者は一人でも多い方が良いのであろう。
 まあその肝心の同行者に、こんな会ったばかりの何の素性も分からぬ怪しい人物を選ぶのは本当に大丈夫なのかと思うが。
 彼女が「良い」と言うのなら、どうせ行く宛など何も無いルキナがそれに大きく反対する理由も無かった。


「そうか……あなたがそれで良いのなら……」

「交渉成立ね。私はロビン。この子は息子のルフレよ」


 そう言って、ロビンはルキナに微笑むのであった。




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