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その面影に探して

◇◇◇◇◇




 ……どうしてこんな事になっているのだろう。
 何度目かも分からない、自問自答をルキナは繰り返す。

 目の前のテーブルには、大衆的な料理の皿が所狭しと並べられていて。賑やかな店内は程好く喧騒に溢れていてルキナ達の存在を気に留めている者は居なさそうだ。


「全部僕が奢るから、遠慮無く食べて大丈夫だよ」


 そう言いながら、目の前の彼……ルフレは、スープを掬っていた。
 それに促される様に、状況に未だ戸惑いながらもルキナは料理に手を付ける。

 肉や野菜の切れ端を煮込んで味付けしたスープだ。
 具材も味もその日その日によって変わる、よくある大衆的な料理であった。
 決して豪勢ではないが、中々これも美味しいものだ。
 少なくとも、「未来」で白湯と大差無い様なスープを啜る事にすら困窮していたルキナにとっては、十分以上に満足出来るものであるし……これに「質素」や「粗末」と付ける者も居る事が、この時代の豊かさを象徴している。
 だがルキナは、料理の事以上にこの状況に困惑していた。

 エメリナ伯母様の墓所の前で出会ったルフレは、その場を立ち去ろうとしていたルキナを呼び止めて。
 そして、「お礼」をしたいのだと、そう言ってきた。
 だが、この時代の人間に深く関わる事を避けていたルキナはそれをやんわりと断ろうとしたのだが……。その時。
 タイミング悪く、少し腹が鳴ってしまったのだ。
 思えば最近あまり確りとは食べられていなかった……。
 そして、それを耳聡く聞き逃さなかったルフレにあれよあれよと丸め込まれる様にして、王都の一画にある大衆的な食事処に連れて来られたのだ。

 その顔立から想像出来ない程、ルフレの押しは強かった。
 まあこうして来てしまった以上は、何も食べないと言うのも角が立つし、誰も得はしない。
 だからルキナは観念した様にルフレに勧められるがままに料理を口にする。

 ……思えば。命の危険など無い状況で、こうしてゆっくりと誰かと食事をするのは随分と久方振りであった。
『絶望の未来』と化したあの「未来」では、食事など何の楽しみも希望も無いただの栄養補給でありそれにすら事欠いていたし……そして過去に遡ってからも、基本的にずっと独りで行動していた為、こうした時間を過ごすのは実に久しい事で……もしかしたら初めてかもしれない。
 思えば、比較的平和だった幼き日々でも、基本的に一緒に食事をしていたのは父や母と言った家族だけであるし。
 貴族達の晩餐会などに招かれた時には、ゆっくりとなんてあまり食べる事は出来なかった……。
 そう考えると、一対一で誰かとゆっくり食事をするのはほぼ初めての事で。その相手が時を越えた先の……「過去」のルフレであると言うのも不思議な感じがする。

 あの「未来」での彼……今も記憶の奥底に朧気に残る『ルフレおじさん』は、幼いルキナにお菓子をくれたり、遊んでくれたり、勉強を教えてくれたりと、とても親切だったのだけれども……でも『ルフレおじさん』と一緒に食事をした事は無かった様な気がする。
 いや……もしかしたらあったのかもしれないが……。
 何せもう随分と昔の事で記憶は大分曖昧になっている。
 まあ少なくとも、父が死に世界が『絶望の未来』に堕ちてからは、誰かとこうして食事した事は無かった。
 まあ……悪い感じではない。寛ぐと言うのも難しいが。

 ルキナは、自分の皿に手を付けながら、ルフレの様子を観察する様に窺う。

 イーリスの軍師、父の『半身』……。
 ルキナがルフレに関して知る事は、実はそう多くない。
 優しくして貰った覚えはあるが、彼の過去は知らない。
 どう言った経緯で父と出逢ったのか、そして共に戦う様になったのか、彼がそれまでどうやって生きていたのか。
 例え彼自身や人伝に聞いていたのだとしても、何分それを全て覚えているには、あの日々のルキナは幼過ぎたのだ。

 だが……今のルキナにとってそれはとても重要な事だ。
 あの「未来」で、『父の死』に関わっていた可能性が最も高い人物であるからだ。
 ……まあ、ここに居る彼にとってその未来は遥か先の事であり、今の彼を問い質したり或いは監視して付け回しても意味はないかもしれないが。
 だが、彼自身の「過去」を知る事は、彼の行動やその思惑を推し量る事にも役立つであろう。だから……。


「あなたは……どう言った経緯で、……クロム、様と出逢ったのですか?」


 そう、ルフレに対して切り出してみた。……仕方ない事ではあるが、父の事を「クロム様」と呼ぶのは慣れない。
 ルキナに問われたルフレは、一瞬キョトンとした様な顔をして……そしてどう説明するべきか迷う様に少し唸る。
 何か複雑な事情でもあるのだろうかと、ルキナは少し驚き……そして「期待」した。


「僕は記憶喪失でね……クロムに拾われるよりも前の記憶が全く無いんだ。自分の事で覚えていたのは、名前位で。
 えっと……覚えているかな? 僕と君が初めて顔を合わせた日。……まあ暗い夜の森だったし、僕の顔なんて覚えてないかもしれないけど……。
 あの日、僕はクロムに拾われたんだ。
 そして成行きで街を襲っていた賊と戦う事になって……それが切っ掛けで自警団に軍師として入ったんだ。
 ちょっと信じ難いかな?」

「記憶が……無いんですか?」


 果たして、「未来」の彼もそうだったのだろうか……。
 朧気な記憶を思い返してみてもそんな素振りは無かったが……目の前の彼も、言われなければ分からない。


「そうは見えないって? よく言われるんだよね、それ。
 でも本当だよ。
 僕が一体何処の誰で、どうやって生きて来たのか……何も分からないんだ。
 親の顔も住んでいた村や町やら……何処の国の人間なのかも、何も分からない。
 持っていた物からも、何か辿れる様なモノは無くて。
 身元不詳の記憶喪失の行き倒れ、だったんだよね……。
 今も、何にも手掛かりは無し、記憶も戻らずって所」


 彼の話すそれは……到底笑い話になど出来はしないだろう、深刻なモノだと思うのだけれども。
 彼はあっけらかんとした様子でそれを話した。


「記憶が無くて、不安になりませんか……?」


 依って立つモノが無い、家族の顔も名前も分からない。
 それは、酷く恐ろしい事なのでは無いだろうか。
 少なくとも、ルキナにとってそれは想像するだけで怖気立つ程に恐ろしい事だ。
 記憶を失くし、父の事も母の事も世界の事も使命の事も、何もかも忘れて。ただ目的も無く世界を彷徨う。
 そうなった時そこに居るのは「ルキナ」なのだろうか? 
 分からない……。だが、そうなる事だけは避けたい。
 ルキナの思いとは裏腹に、ルフレは少し肩を竦めた。


「不安……か。
 幸か不幸か、不安に思う為の記憶の欠片すら何も残ってなくてね……本当に、綺麗さっぱりと。
 だからなのか、正直『何も』思えないんだ。
 それまでの「僕」がどんな生き方をしてこようと、今の僕はクロムの『半身』で……その軍師なんだから。
 それだけはハッキリしているんだ。……でも少しだけ。
 もし、「僕」がクロムの害になる存在だとしたら……」


 だがルフレは、それ以上は続きを言わなかった。
 そして、その手にあったパンを半分に千切る。

 もっと追及するべきかと、ルキナはそう一瞬考えたが。
 しかし、記憶喪失であると言う事が本当で……そしてそうであるが故に今ここに彼が、そしてあの「未来」の『ルフレおじさん』が居たのだとしたら。
 怪物が潜む藪を荒らしてそれを呼び覚ましてしまう事になるかもしれない。
 だから、それ以上深入りは出来なかった。
 そしてそうやって黙ってしまったルキナに、ルフレは。


「……僕は、ずっと君にお礼を言いたかったんだ」


 と、そう静かに切り出した。
 お礼……? とそう鸚鵡返しにすると。彼は頷いて。


「君のお陰で、あの日僕達はエメリナ様を暗殺者から守る事が出来たんだ……。
 それを僕からもお礼を言いたくて」

「エメリナ、様の……。ですが、結局……」


 その『死』の運命を変える事は出来なかったのだ、と。
 より悲惨な最期を辿らせてしまったのだと。
 そう悔悟の気持ちを隠し切れず、ルキナが思わず目を伏せると。
 ルフレは、感情の読み取り辛い穏やかな声音で訊ねる。


「あの未来は知らなかったと。そう言いたいのかい?」


「未来」を知っているのだと、そう言っておきながら。あの様な未来を防げなかったのか、と。
 そう咎められている様な気がして、ルキナは思わず唇を噛んだ。しかし。


「……君は、「神様」にでもなったつもりかい? 
 君が言う『「未来」を知る者』と言う言葉の意味は、……まあそう深くは訊ねないけど。
 君は、神様じゃない。
 この世に起こる全て、その未来を見通す事なんて、誰にも出来ないんだ。
 未来を自分の好きな様にする事もね。
 君はあの日確かにエメリナ様を救ってくれた、暗殺を防いでくれた……それで十分じゃないか。
 君が変えてくれた未来で、エメリナ様を死なせてしまったのは、君の責任なんかじゃない……僕達の、……僕の責任さ。
 その責任まで、自分の所為だと思い込んで背負い込もうとするのは、自罰的どころか、逆に傲慢な事じゃないかな? 
 この世に起こる「全て」が君の責任なんて事は無いよ」


 口調こそルキナを突き放す様に、多少厳しくとも。
 その声音には、確かな優しさと思い遣りが在った。


「それは……。私は、そんなつもりで言った訳では……」

「……マルス、君が一体何の為にエメリナ様の暗殺を防いでくれたのか……君が一体「何」を知っているのか……。
 僕はそれを知らないし、君が望まない詮索もしない。
 ただ……君は君が成し遂げた事を認めるべきだと思う。
 ……君があの日エメリナ様の命を救ってくれたから、短い時間ではあったけど、クロム達はエメリナ様と過ごす事が出来た、話す事が出来た……。
 それは、途方も無い『価値』がある事だと……そう思わないかな? 
 君はそれを守ったんだ。
 だから、己の成した事を否定してはいけないよ」


 そうルキナを諭すルフレの眼差しは、優しかった。
 それは、記憶に朧気に残る『ルフレおじさん』の様で。
 どうしてなのか、その優しさに少し胸が痛くなる。


「……エメリナ様を助けられなかったのは僕の落ち度だ。
 本来なら、策を提示した僕が背負うべき責だった……。
 でも、クロム達は優しいから……僕を責めてくれない」


 ポツリと、そう呟く様なルフレのその言葉に。
「そんな事は無い」と、そう言いそうになったが。
 しかしルフレ自身は、んな言葉を欠片も望んでいない。
 それが、分かってしまう。分かってしまったから……。
 ルキナは何も言わず、食事を再開する。
 暫し、二人とも無言のままであった。だが。


「やっぱり、……似てるな……」

「えっ……? その、何がでしょうか……」


 唐突なその独り言に、思わずルキナは戸惑う。
 恐らくは意識していなかった言葉だったのだろう。
 それを指摘されたルフレは、少し焦った様な顔をした。


「あ、えっと……。
 何だか変な話に聞こえるのかも知れないけど……似ているなって、そう思って。
 その、君とクロムの食事の時の所作が……似ていて。
 テーブルマナー的なモノだけじゃなくて、何と言うのか……無意識のクセ? みたいなものが……。
 ううん、クロムだけじゃない……リズとも、似ている。
 あ、あくまで印象の話だからね!」


 詮索するつもりじゃないし気を悪くしたりしないでね、と念を押すルフレの言葉が半ば耳に入って来なくなる程に、ルフレのその言葉にルキナは動揺を隠せなかった。

 似ている……。それは、親子だからだろうか。
 思いもよらなかった所に隠しきれなかった痕跡を見付けてしまい、思わず呻いてしまいそうになる。
 そして、それと同時に、かつても似た様な事を指摘された様な気がして……ルキナは無意識に記憶の棚を探した。




『ルキナの食べ方は、クロムに似ている所があるね。
 やっぱり親子なんだなぁ……。癖がそっくりだ』


 そう言って優しく笑ったその人に父は嬉しそうに笑った。


『おお、そうか? 俺としては、俺よりもリズや……姉さんに似ていると思うのだが……。
 しかしそう言われるのも中々嬉しいものだな』


 なぁ、ルキナ。と。父はそう優しく頭を撫でてくれた。
「姉さん」と言う部分は、少し寂しそうに口にして。


『そっか……じゃあ、ルキナの中には、クロムだけじゃなくて、リズやエメリナ様との「繋がり」もあるんだね。
 ……「家族」って、良いモノだね……』


 沁々と言った彼に、父は頷き言い聞かせる様に言う。


『ああそうだ、良いモノだぞ? 
 だからお前も、誰か大切な人を見付けると良い。お前には「家族」が必要なんだ』

『またその話かい? ……いや、僕は良いよ。
 僕は、君達や……皆と居るだけで十分幸せなんだから』


 彼は優しく微笑んで、ルキナに温かな眼差しを向けた。



 ……それはもう随分と昔の事で。その記憶の場面も朧気になってしまっていて、大分ぼやけてしまっているが。
 それでも父と彼のその言葉は記憶の片隅に残っていた。
 優しい記憶だった……「幸せ」な時間だった。
 満ち足りていた幼き日々の……その欠片。
 それに思いもよらぬタイミングで触れてしまった事で、ルキナ自身にも判別し難い感情が込み上げる。
「懐かしさ」とも、或いは「哀しみ」とも異なるそれに、ルキナは思わず深く息を吐いた。


「そう……ですか。私が、……クロム、様と……」


 今はもう亡き……そしてこの世界では『親子』ではない……限りなく近い「他人」にしかなれぬ父と。
 それでも、そこに「面影」があると言うのなら。そう言ったカタチで、受け継がれたモノがあると言う事は。
 それは微かであっても確かな「繋がり」であり。
 父と、リズ叔母様やエメリナ伯母様の縁であった。
 そしてそれは、ルキナにとって一つの救いでもある。

 気分を害してしまったのではないかと……ルキナの様子をそっと窺うルフレを、ルキナは見詰め返す。
 その姿に、その眼差しに、その言葉に、遠い「未来」の彼……『ルフレおじさん』の面影を確かに感じた。
 同一人物だから当然と言えるのかもしれないけれど。

 こうしてルキナと出逢い……そしてそれに付随する様にして「今」が変わってしまった彼が、あの『ルフレおじさん』と同じ様になるのかはルキナには分からなかった。
 それでも、きっとあの人の面影は必ず在るのだろう。

 ルフレがそれを意図したのかは分からないが……彼の言葉は、確かにルキナの心を僅かながらに救った。
 その心を苛む荊は僅かに緩み……そして、その枷を自らに課してしまった、行き過ぎる余りに傲慢にもなりつつあった自らを呵責する心は鎮められていた。

 ……ルキナは、「神様」にはなれない。残念ながら。
 時を遡り「過去」を変えようとしているのだとしても。
 神ならぬ人でしかないルキナには、思うがまま望むがままに、その全ての行く末を操る事など出来はしない。
 それは分かっている筈であった。

 しかし……実際に自分の行いが思いもよらぬ形で跳ね返った時に、ルキナはそれを「仕方の無い事」とは諦められなかった。
 だが、この世の全ての事象がルキナを中心に廻っている訳では無く、この世に生きる無数の人々の選択や行動が積み重なった流れによって起こる。
 ルキナに出来るのは、ほんの僅か、流れの中に石を投げ入れる事だけなのだろう。

 だからと言って無責任になる訳にもいかないが、……この世の全てを背負える程ルキナの器は大きくは無いのだ。
 自分に背負える範囲でその選択に責任を持って生きると言う事もまた、身の程を知り「善く」生きると言う事だ。
 人の身には過ぎた願いを抱えてしまったが故に、ルキナは何時しかそれを見失っていたのかもしれない。
 それをルフレの言葉によって気付かされ、何時しか自ら己を呪う様に掛けてしまっていた「呪詛」は薄れてゆく。


「……有難う、ございます」

「えっと、どういたしまして……?」


 礼を言われたルフレは戸惑う様に首を傾げる。
 元々ルキナへの「お礼」のつもりだった為、何故自分がそれを言われているのか心当たりが無かったのだろうか。
 だが、ルキナは感謝の言葉を伝えたかった。
 きっと彼は自分の言葉でルキナが何れ程救われたのか知らないのだろう。……人生などそんなモノなのかもしれない。

 誰もが、誰かの何かを大なり小なり変えていく。
 それ故に生まれる絶望もあればそれによって救われる事もあるのだろう。

 ……何時か、またこうして彼と出逢い時を過ごす事はあるのだろうか? 
 それは分からないけれども。

 その時には……彼ともっと言葉を交わしてみたい。
 そんな「もしも」を思って、ルキナはその場を後にした。

 その「もしも」がもう少し先で叶う事を、まだルキナは……そしてルフレも知らないのであった。




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