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その面影に探して

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『絶望の未来』を変える為に、時を遡って。
 だけれども、果たして自分は「未来」を変える事が出来ているのだろうかと……そう不安で仕方が無くなる。

「自分自身」の存在の可否すらも賭けてでも『絶望の未来』は変えねばならぬと……そこに至る事の無い様に「過去」は変えねばならないと……そう覚悟していたのに。
 だからこそ、『絶望の未来』へと至った大きな原因の一つ……「歴史の分岐点」だと考えた『聖王エメリナの暗殺』を阻止しようとしたのだが……。
 結果として『暗殺』は阻止する事に成功したが、聖王エメリナを生き延びさせる事は……出来なかった。
 その死期を、ほんの数ヶ月遅らせただけだった。
 異国の処刑場で自ら死を選ぶか、或いは何も出来ぬまま『暗殺』されたかの違いはあるが……。
 それを「救えた」などと決して言えはしないであろう。

 あの処刑場を遠く離れた場所でその事の成り行きを見守っていたルキナは、「未来」を変える事など、どうやっても誰にも出来はしないのではないかと絶望していた。
 何かを変えようとしても、それを赦さぬとばかりに揺り戻し、「歴史」の帳尻を合わせようとするのでは、と。
 そう思ってしまう、そう考えてしまう。
 それはルキナにとっては『絶望』そのものであった。

 もしそうであるとしたら、一体自分は何の為に、自分が在るべき世界を見捨てる様に時を遡ったと言うのか。
 自分が本当に果たさなければならなかった『使命』を半ば投げ捨てて。
 恐らくもう一握にも満たぬ程にしか残ってはいなかったであろうが、それでもあの地獄の中で生きようと足掻いている人は僅かにでも居たであろうに。
 そんな人々を見捨てて、父と母たちが命を賭して守ろうとしていた世界を見殺しにして。
 そんな大罪に手を染めて、足掻いた結果示されたのが、『過去を変える事は出来ない』と言う残酷な現実なのか。

 いや、変わらないだけなら、まだ良い方だ。
 ルキナが過去に干渉した結果、聖王エメリナは『暗殺』ではなく『自害』と言う形でその生涯を終えた。
 彼女がぺレジア軍の手に囚われてから、あのぺレジアの処刑台に見せ物の様に引き摺り出されてゆくまでの間に、何れ程苛烈な扱いを受けていたのか……。
 それは遠目にであったが故にその痕跡をこの目で確かめる事は出来なかったが、だが……ぺレジアと言う国のイーリスに対する積年の恨みのその深さを思えば、彼女が「無事」であったとは到底思えない。
 何も出来ぬまま……だが酷い地獄を見る事も無く『暗殺』される事と。
 王都が陥落し民や自らを守護する騎士たちの無惨な最期を見せ付けられ……そして苛烈な辱めを受け……そしてその最期は異国の地でその民達から壮絶な憎悪と罵声を浴びせられて……そして『家族』を守る為にその命を自ら擲つ事と。
 その何方かがより「マシ」な最期であったかと言えば、それはきっと……──

『聖王エメリナの暗殺』と言う「過去」を変えてしまったからこそ、時の流れはその帳尻を合わせる為に、彼女にあの様な酷な『死』を用意したのだろうか。
 時の揺り戻しが、より悲惨な結末へと……その「歴史」の歪みを正してしまったのだろうか……? 
 だとすれば、ルキナが彼女の『暗殺』を防いだ「意味」とは、一体何だったのだろう。

 その『最期』は、確かに変わった。
 そしてそれに付随するかの様に変わった「過去」もある。
 だが、それが「良い」変化であるかなど分からない。
 聖王エメリナがより悲惨な結末を辿る事になった様に。
 一見「良い方向」に変わった様に見える「過去」が、本当にそうであるのか……より凄惨な「未来」へとその帳尻を合わせる為の変化にしかならないのではないかと。
 そう考えると、その恐ろしさに身動きも取れなくなりそうな程に、「恐怖」を覚えるのだ。

 ルキナは「未来」から来た……「未来」を知る者だ。
 だが、ルキナは「事実」として起こった出来事を知っているに過ぎない。
 そしてそれはルキナが「過去」に干渉する事によって容易に揺らぎ、また別の何かを引き起こす。
 それなのに、ルキナは変化したが故に起こる事は見通せない。
 ルキナは占者ではなく、また未来を見通す「予知」の力を持つ訳でも、並外れた先見性を持つ訳でも無いのだ。
 だからこそ、自らの干渉が引き起こした「揺らぎ」が齎すかもしれない「災禍」が恐ろしい。

「世界」を救う為にと……それを企図した行いの結果が、より最悪な「未来」へと繋がってしまったら、と。
 例えば、父が……より悲惨な死に方をする事になったり、或いは自分が知るあの『絶望の未来』よりももっと凄惨な地獄を招く要因になってしまったら、と。
 それを考えれば考える程に、足が竦む、心が竦む。

 だからこそ……ルキナは干渉する事を恐れた。
 自分が意図していなかった些細な「何か」が及ぼした変化が、より最悪な未来を招いてしまうのではないかと。
 本来はここに在るべきではないルキナが、存在する事、そして関わる事。ほんの些細な……生きている限りはそれを防ぐ事など出来ない小さな「変化」すら恐ろしくて。
 だが、そうであると同時に。目を閉じる度に心を苛むあの『絶望の未来』が、「過去」を変えなくてはならない……「未来」を変えなくてはならないのだと急き立てる。

 そう、「未来」は変えなければならない……あんな『絶望の未来』にしてはいけない……その為に、ルキナは今此処に居る、自分の「未来」を見捨てて……此処に居るのだ。
 あんな何の希望も無い「死」以外の救いの無い生き地獄だけが人の世の至るべき果てなんかではないのだと。
 何時か人の世に終わりが来る事は避けられないのだとしても、あんな終わりであって良い筈は無いのだと。
 そう足掻く為に、こんな所にまで来てしまった。

 だけれども……そもそもルキナは「過去」についてそう詳しい訳でも無かった。無論、王族として「歴史」についての教養は最低限はある。だが……。
 ルキナが変えねばならぬ「過去」。それはルキナがそれを学んでいた時点では「歴史」と呼ぶにはまだ早い出来事であり、そうであるが故にルキナが学んだ「歴史」などそう役立つものではない。
 過去が地続きである以上、「歴史」を学んだ事自体が全て無駄であると言う訳でも無いが。

 幼いルキナが幼い視点で見て来た「過去」。
 父から時折話聞かせて貰った「過去」。
『絶望の未来』へと世界が転げ落ちていく中で大人たちの話から知った「過去」。
 ……ルキナの知るそれは、酷く客観性に乏しく。
「出来事」と言うよりは「物語」と言う方が正しい程度には、主観や恣意的な解釈が差し挟まったモノだ。
 ある一つのモノも別の側面から見れば全く違う様に見えてくる様に。
「出来事」と言うモノはその「真実」を明らかにする為には多面的に見なくてはならない。
 少なくとも、一側面の……それも狭い視野の中で見えたそれだけで判断していては、「因果」の糸を正しく見つけ出す事は出来ないモノであるのだ。

 そう、例えば。
 ルキナは、ぺレジアと言う国が……そこの民がイーリスに深い怨恨を懐いていた事は「知識」として知っていた。
 しかし、その実際が何れ程のモノであったのかなど、全く以て知らなかったし、想像もしていなかった。
 イーリスの王女であるルキナの周りに居た、サーリャやヘンリーと言ったぺレジアの人達はイーリスに対してそんな恨みを懐いている様に全く見えなかったし、実際そうだからこそ父に協力してイーリスの側に付いて共に戦ってくれていたのだけれども。
 しかしルキナは、そんな自分の知る小さな世界でしか考えていなかった。

 だからこそ……あの砂漠の処刑場で感じた、全てを呑み込み渦巻いて押し流さんとばかりの……まるで地獄の釜を直接覗いているかの様な、決して絶える事など無い「怨嗟」や「憎悪」など知らなかった。
 何の武器も持たぬ民間人ですら、女も男も老いも若きも関係無く「殺気」に満ちた視線を、処刑台の上の無力な女性に向けていたのだ。
 それはまさに、その場に居るだけで「何か」に呑み込まれそうな、そんな恐ろしい程の強く深い感情の嵐だった。

 それ程の憎悪が、イーリスに向けられていたなどと……ルキナは露程も知らなかった。
 ……誰も教えなかったから。

 優しい周りの大人たちは、ルキナにそんな事を何一つ教えなかった。
 ルキナが子供だから、「過去」の事だから。
 ……しかし、知っておくべきだったのだ、ルキナは知らなくてはならない事だったのだ。
「過去」を変えようなどと、そう思いそれを実行してしまうのなら、尚更に。

 だがそうではなかった、ルキナは「無知」であった。
「無知」である事自体は罪では無いのだろう。
 だが、「無知」のままに何かを成そうとして……そしてそれが最悪な結果に繋がった時。「無知」は、何よりも重い罪である。
 それを罪だと認められる程度には、ルキナは自分を省みる心も、そしてそれを咎める良心も持ち合わせている。

「過去」とは単純な「事象」の羅列ではない。
 そこにはそこで生きる人が居て、各々に何かを思い行動している。
 人が歴史を作る以上、どんな結果にもそこには人々の心や感情と言ったモノも関わるのだ。
 ぺレジアの人々の怨恨が戦争を引き起こした様に。
 国と言う大きな群体が動く以上、そこにあるのは感情ばかりでは無くある種の損得や合理性もあるだろうが。
 しかし、民の憎悪が、イーリスへの報復を願うその想いが、戦争に強く結び付いているのは間違いないだろう。
 そして、そう言った強い「感情」や複雑な因果の糸が絡まり合っているのなら、一つの「事象」に単純に干渉した程度でその最終的な結果が変わる事は無いのだ。

 もし、本当に『聖王エメリナの死』を回避しようとするのならば、一度の『暗殺』を防いだ程度で干渉を止めるべきでは無かったのだし、どうにかして彼女を守るなり或いは囚われた彼女を救い出すなりするべきだった。
 だが、ルキナはそれをしなかった。
「過去」に干渉し過ぎてはいけないのだと、「過去」への影響は最低限に留めなくてはならないのだと。
 そんな今更な……偽善にすらならない様な建前で。
 一番変えなくてはならない『父の死』と『邪竜ギムレーの復活』を阻止する事に注力するべきなのだと……。

 結局の所、ルキナは無意識にでも恐れていたのだろう。
 自分が「過去」を変えた事によって、『父の死』や『邪竜ギムレーの復活』が回避不可能なモノになる事を……。

 そもそも、『父の死』も『邪竜ギムレー』の復活も、「結果」としてのそれのみしか殆ど知らず、一体そこに何が在ってその結果に至ったのか、全く分かっていないのだ。
 だからこそ、恐れたのだ。
 ルキナが知る「過去」から大きくズレ過ぎた結果、ルキナが対処出来る様な事象では無くなってしまう事を。
 それ故に……『聖王エメリナの死』が「歴史の分岐点」だとそう考えながらも、『暗殺の阻止』と言う中途半端な干渉で留めてしまったのだ。

 それは彼女を「見殺し」にした事と何が違うのだろう。
「見殺し」処か、より酷な地獄へと突き落としただけ。
 ならルキナの行動に何の意味があった? 
 分からない。何れ程考えてもその答えは出なかった。

 それでも、ルキナは人目を忍んで彼女の墓前に赴いた。
 彼女に謝りたいのか……それすらも分からない。
 そもそも、ルキナは彼女の事をあまり知らない。
 産まれる前に既に故人であった彼女の事は、王城に飾られた絵画と父やリズ叔母様の話伝にしか知らない。
 父達は、優しく聡明な人であったと、彼女をそう語り。
 そして彼女の身を襲った悲劇を、哀しみと共に語った。
 血の繋がった伯母ではあるが、実感と言うモノは薄い。
 そしてだからこそ、彼女を心から思い偲び悼んでいるのかと言われれば……恐らくはそうではないのだろう。
 思い偲べる様な思い出は無いのだから。……ただ。
 自分の干渉が原因であの様な最期を迎えさせてしまった事に対しては……悔悟ともつかない感情を懐いている。
 ……ただそれは、エメリナ伯母様に対しての感情なのか、それとも……父やリズ叔母様の心により深い絶望と後悔を懐かせてしまった事への感情なのか……分からない。
 それでも、やはりその墓前に赴くべきだと思ったのだ。

 人目を忍ぶ為に、人の気配も絶える黄昏時を狙って、決して父などに出逢わない様に注意しながら、ルキナは彼女が眠る墓所を訪れた。
 ……かつての「未来」では、そこに父やリズ叔母様も眠っていたのだ。だから、王家の墓所はかつて知ったる場所でもあった。
 だが、誰も居ないと思っていた墓所には、先客が居た。
 黄昏時の中でも目に付くその特徴的なローブの後ろ姿は、イーリスの軍師であり……父の『半身』として共に幾度も難局を切り抜けてきた……そして切り抜けていく、未来では「神軍師」と讃えられていた、ルフレその人だ。
 こんな人気の無い時間に態々墓前を訪れる様な人だとは思っていなかったので、思いもよらずルキナは動揺し、咄嗟に墓所の入り口近くに在った樹の陰に隠れてしまう。
 このまま彼がここを去るのを待つか……と思っていたのだが。立ち上がりこちらに振り返った彼に気付かれた。
 そして、名指しで声を掛けられてしまっては立ち去るのも不自然であって、仕方なくルキナは彼の前に姿を現す。
 黄昏時の全ての輪郭が曖昧になる光の中では、目の前に居ても彼の表情は今一つ判別し難い。


「マルスも、エメリナ様に……?」


 ルキナの手の中にある白百合の小さな花束を見た彼は、そう訊ねてきた。
 こんな場所に来てそれを偽る意味も無いので素直にそれに頷き、その墓前に花を手向ける。
 用事は済ませたと、踵を返して去ろうとしたその時。
 ルフレが、何故かルキナを呼び止めた。




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