このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

その面影に探して

◇◇◇◇◇




 数多の犠牲者を出したぺレジアとの戦争も漸く終結し、イーリスと言う国は、その新たな旗頭となったクロムの下で、復興への道を歩み始めていた。
 王都まで陥落してしまったイーリスに残された戦禍の爪痕は深く、その復興は一朝一夕に成るものではないが、それでも……戦争が終わった事を喜び復興を始める人々のその顔には、確かな「希望」が在った。
 そこには新たなる時代が到来しつつある事への「期待」があると共に、何よりも戦争が終わった事に対する「安堵」と言うモノが大きく影響していた。

 元々、先王エメリナの統治下で「平和」である事に慣れ過ぎて「戦事」を忌避していた人々にとって、唐突とも言えるタイミングで始まり、あれよあれよと言う間に国土が蹂躙されてしまった事は、心理的にも肉体的にもその他様々な面からも、負担が大きい事であったのだろう。
 戦争の最中に、虜囚として敵国に身柄を拘束されていた先王エメリナが非業の死を遂げると言う一幕もあって。
 イーリスの民からは慕われていた……少なくとも表層上は彼女が作り上げた「平和」を享受していた人々は。
 彼女の非業の死を心から悼み哀しみ、各所の神竜教の教会でその魂の死後の安寧を祈っていたと言う。

 戦争が終わった今は、その遺骸の捜索を行うと共に、改めて国中が先王エメリナの喪に服している状態であった。
 正式な国葬は先だって行われたのだが、ぺレジアの地でその身を自ら投げた彼女の遺骸は未だ回収出来ていない。
 彼女が身を投げた崖下やその付近を幾ら捜索しても、衣服の残骸一つ骨の欠片一つすら見付からないのだ。
 遺体が散逸するには幾ら何でも早過ぎるし、野の獣が荒らしたにしろそれならもう少し痕跡があるだろう。
 ……彼女のその死を憐れんだ心あるぺレジアの民が、その遺骸を何処かにひっそりと埋葬してくれたのかもしれないが、却ってその行方は掴めなくなってしまっていた。
 王都の一画にある歴代の王族たちが眠る墓地には、当然ながら彼女の遺骸は無く。愛用していた装身具などがその代わりとして棺に納められている。

 ……そこに彼女の骸が無いのであれば、その「魂」とでも言うべきそれは、一体何処で眠っているのであろう? 
 民達が弔いその魂の安寧を祈る為に訪れているその遺骸無き墓の下に眠っているのであろうか。
 それとも、その命に自ら幕を降ろしてしまったあの砂塵舞う荒涼とした地に眠るのだろうか。
 或いは、この世の何処かを彷徨い続けているのだろうか。

 そんな事をルフレはぼんやりと考えてしまうが、死者の「魂」を見る目は持たず、また死後の世界と言うモノを覗き見た事も無いが故に果たしてそれがどの様なモノであるのかなど知る術は無く、どれもただの想像でしかない。
 ……ただ。ルフレとしても彼女には、せめて死後の世界では安らかに苦痛なく在って欲しいと思うのだ。

 あの日、ルフレ達は彼女を助ける事が出来なかった。
 予期出来なかった屍兵の乱入が有ったとは言え、処刑場にまで辿り着いていたと言うのに……ルフレ達の手は、後僅かの所で届かなかったのだ。
 そしてその救出の作戦を立案したのは、ルフレだった。
 ルフレの失策が、結果として彼女の命を奪ったのだ。
 クロムは己の無力を嘆いたが……しかし、本当にその責を最も負わねばならないのは、ルフレであるのだろう。
 その後の……戦争終結に至るまでの、まさに「弔い合戦」とでも言うべき戦いを勝利に導きイーリス陣営の勝利に終わらせた事で、最低限の責任は果たせたかと思うが。
 ……しかしだからと言って、あの日の悔悟を……クロムの慟哭を、リズの悲嘆を、仲間達の絶望を。
 それらの全てを忘れる事など、出来はしなかった。
 だから……。


 日が暮れ始めた今の時刻に王都の外れにあるその一画を訪れる人は少なく、そこが歴代の王族たちが眠る墓地であるだけに、今この場に居る人影はルフレのものだけだ。
 聖王エメリナが人々に慕われていた事を示す様に、遺骸の無い棺の上に立つ墓標の前には一日も絶える事無く、主に王都の民達から慰霊の花が捧げられていた。
 クロムとリズは公務の合間などを縫って毎日欠かさずここを訪れている。……尤も、こんな物寂しい黄昏時ではなく、暖かな陽射しが射し込む昼中の事ではあるが。

 だがルフレは……敢えてこの時間に墓地を訪れる様にしていた。
 それは……彼女の死に対してある種の「気不味さ」と言うモノを今も感じているからかもしれない。
 陽が沈みゆき、強い西日によって何もかもの輪郭が曖昧に見えるこの黄昏時ならば。
 誰にその表情を見られたとしてもきっと良くは見えないだろうし……だからこそ自分も気にしなくていい。
 別に、誰かにそれを咎められたと言う事は無かった。
 お前の所為だと詰られた事も無い。
 ただただ……ルフレ自身がその後悔から、「合わせる顔が無い」と言う状態に近い心境になっていたのだ。
「誰に」、なのかはルフレ自身にもよく分かっていない。
 エメリナ様になのか、クロムになのか……或いはもっと別の「何か」に、なのか。それは分からなかった。
 何にせよ、ルフレは毎日では無いが、それなりに頻回にこの墓地を訪れていたのだった。

 目の前の、最高の品質の大理石を加工し磨き上げられて作られた、新しいが故に一点の曇りも欠けも摩耗も無いその墓石の下に、その人の身体は無い。
 そこにその魂が眠っているのかすらも分からない。
 それでも、ルフレはそこに花を手向け、暫し瞑目する。

 ……あの日、彼女を救出する事が出来ていたのなら。
 屍兵が現れていなければ……或いはルフレがその出現をも見越したより最善の策を示せていれば、あの状況下にあっても逆転出来る様な切り札があったのなら……。
 一体、どうなっていたのだろうか。
 こうして骸の無い墓に眠る事は無かったのだろうか。
 今もクロム達と共に、この国を導いていたのだろうか。
 ……クロムは、『家族』を喪わずに済んだのだろうか。
 幾ら考えても、それは分からない。
 結局それは、もうどうする事も出来ない「たられば」の話にしかならないのだから。
 ルフレ達が、彼女の犠牲の上に生き延びて、そして勝利を掴み取った事だけが「事実」なのだから。

 ……それでも考えてしまうのは、それが。
「過去」の記憶の一切を喪っていたルフレにとって、「初めて」の……取り返しなど付かない「失敗」だからか。
 だからこそ。それが、そしてその結果が、何よりも重くその心にのしかかるのだろうか……。

 どんな原因があったにせよ、ルフレは。
 この国にとって大切な存在であり……何よりも。
 唯一無二の友にして恩人であるクロムのそのたった一人の姉……大切な『家族』だったその人を、守れなかった。
 エメリナ様を喪ったクロムは、哀しみに沈み絶望の泥濘に足を取られたけれど……そうやって足を止めていたのはほんの少しの間で、彼はルフレを始めとする仲間達にその背を支えられたとはいえ、自らの足で再び歩き出した。
 ……だけれども、哀しみが癒えたと言う訳では無い。
 何よりも大切だった……守りたかった『家族』を。
 特に、幼い時に両親を喪ったクロムは、言葉も覚束無かった程幼かったリズを抱えて、エメリナ様と共に身を寄せ合って生きてきたのだ。それを喪った悲しみは深い。
 親代わり……と言うのは少し違うだろうが、単に血の繋がった『姉』と言う以上の想いがそこに在ったのだろう。
 フレデリクなどの忠実な臣下の存在も在っただろうが、宮中の魑魅魍魎とした者どもの浅ましく愚かな面を見つつも、それでもクロムが真っ直ぐな青年に育ったのは。
 やはり、エメリナ様の存在が大きかったと思うのだ。
 クロムにとって、エメリナ様の存在は自分にとっての「指標」の様な……そんなものだったのだろう。

 だからこそ、クロムの中には。
 その心にも、彼自身が気付いて居ないだろう様々所にも、エメリナ様の存在の名残が、今も沢山遺されている。
 ルフレがエメリナ様と顔を合わせた事は、ほんの数回しか無いのだけれども。
 きっと恐らく……無意識の所作の中にも、その影響は在ったと思うのだ。
 無論、男女の差はあるので何から何まで……なんて事は当然無いだろうけれど。
 リズとクロムを見ていても、『家族』としての繋がりを感じる……無意識での共通する所作があるのだから。
 それはきっと、エメリナ様ともあったのだろう。

 志半ばにして無念の死を迎えたエメリナ様の意志を、彼女が理想として描いていたそれを少しでも実現させるべく、クロムはその為の道を模索しながら歩き出している。
 ……そしてそうやってエメリナ様の描いていた軌跡を追っていくからこそ、彼女を喪ったその哀しみは折に触れてクロムの心に打ち寄せる波の様に蘇るのだ。
 何時しかそれらの喪失の哀しみも、何か別の感情へと昇華していくのかもしれないけれども……。
 少なくとも今はまだ。クロムは深い哀しみの中に居る。
 そしてそれが分かってしまうからこそ、それはルフレの心を苛む様に、重くのしかかるのだ。

「自分の所為だ」と、そう責める自分が居る。
「お前の所為だ」と、そう詰る自分の姿の幻影が居る。
 それは、大切な友の深い哀しみを、どうやっても晴らし切る事など出来ぬ自身の無力への絶望なのだろうか。

 己を責め苛む事もまた一つの「逃避」であるのかもしれないが……しかしその幻影に「違う」と叫ぶ事もやはりまた別の「逃避」にしかならない気がするのだ。
 だから、ルフレはどうすれば良いのか分からないまま、それでもどうしてだかこの墓の前に来てしまうのだ。
 しかし何時までもこうして墓の前に居る訳にもいかず。
 その魂の安寧の祈りと共に……言葉になど決して出来ぬ懺悔を終えたルフレは、そろそろ帰ろうかと立ち上がる。
 そして、その時ふと。
 少し離れた墓所の入り口近くの樹の陰に、誰かが隠れる様に佇んでいるのに気付いた。

 強い西日の所為で、その顔ははっきりとは分からない。
 でも、その長い髪やその格好は、見覚えがある。
 誰だっただろうかと記憶を探るまでも無く、ルフレの記憶はその人を導き出した。


「そんな所に佇んで、どうしたんだい。マルス……」


 そう声を掛けると、ルフレに気付かれているとは思っていなかったのか、その肩を驚きと共に微かに跳ねさせる。
 マルス。今も伝承としてこの世界に残されている、遥か古の偉大なる英雄王。……その名を名乗る存在。女性だ。
 彼女と邂逅したのはほんの三回だが、しかしマルスは二度もルフレ達を助けてくれた。
 初めて出逢ったその時には屍兵の襲撃からリズたちを守ってくれたし……、そして三度目の邂逅では、暗殺者の魔の手が迫っていたエメリナ様を助けてくれた。
 名前と性別以外が一切不詳で、最初に出逢った時には仮面でその顔を隠し性別も偽っていた事を考えると「マルス」の名前も本来のモノではないのかも知れない……そんな正体不明な彼女であるが。クロムは……そしてルフレは、彼女に深い感謝の気持ちを懐いていた。
 彼女が居なければ、あの日リズ達の命は無かったかもしれないし、そしてエメリナ様は暗殺されていただろう。
『「未来」を知る者』と、彼女は自身をそう称していた。
 それが一体どう言う事なのか、そして「未来」とやらを知る彼女は一体何者なのかと、そんな疑問は尽きないが。
 しかしそこにどの様な事情や思惑が隠されているのだとしても、助けられた事実だけは絶対に変わらない。
 だから、クロムもルフレも彼女にお礼がしたくて、その行方を捜してはみたのだけれど……彼女の痕跡は全く何処にも見付からなかったのだ。
 だから、エメリナ様の暗殺を阻止しに来てくれた時に逢ったきりになっていたのだが……。

 そんな彼女は、戸惑う様にこちらを見ている様だった。
 よく見れば、その手には小さな花束がある。
 ああ、彼女もなのか、と。
 そうぼんやりと理解したルフレは彼女を手招いた。




◆◆◆◆◆
2/4ページ