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譲れないもの、一つ

◆◆◆◆





 ルフレが選んだのはルキナだけだと言うのはこの上無く正しい。
 が、それだけでは無い。
 ルキナがルフレを選び、望んだからこそ。
 ルフレはこの世界に居るのだから。



 ……ルフレはルキナを愛していた。
 仲間たちから距離をおくルキナを心配して、何かと気に掛ける様にしたのが始まりだったかもしれない。
 理由が何であるにしろ、ルキナと接する内にルフレの心の内には知らない想いが芽生え、それはゆっくりと成長し、やがて実を結ぶ。
 だが程無くしてルフレは自分が未来で何をするのかを知ってしまった。

 未来でクロムを裏切って殺した者。
 絶望の未来を作り出した張本人。
 それが、自分であった。
 きっと、自らの意志では無かったのだろう。
 でもそれは、何の言い訳にもならない。

 未来の禍根を断つ為に、と。
 ルキナが己にその剣を向けてきた時に、その目が苦悩に歪み哀しみに潤み、そして剣を持つ手がその心の葛藤を語る様に震えているのを見た時に。
 ルフレは想いを伝えるべきでなかったのかもしれない、と後悔した。
 もし想いを伝えていなかったら、ルフレの心の内に秘めておけば。
 今ルキナをここまで苦しめなかったのではないか、と。
 されども時は戻ることなく、やり直す事も出来ぬままに無情にも過ぎて行く。

 無抵抗に殺されるか、それとも抵抗するか。
 選べと迫るルキナに、ルフレは何も返せなかった。

 ルキナに剣を向けるなど、有り得ない。
 命を粗末にするつもりは無いけれど、それでも。
 泣きながら剣を向ける最愛の人の願いがそれであるのなら、その命を捧げる事に躊躇いは無かった。
 だがしかし、無抵抗に殺されたとして、その後ルキナが幸せになれるのかと考えた時に。
 ……恐らくそうはならないであろう、と結論に至ってしまった。
 この愛しい人は、災いの芽を摘んだだけだと割り切れる様な性格ではない。
 例え合意の上の殺害であったにしろ、ルキナは一生恋人殺しの罪を背負い自責の念に苛まれながら過ごしてしまう。
 ……ルキナの幸せを何よりも願うルフレとしては、それを看過する事は出来なかった。

 結局、ルキナが剣を取り落とし、クロムが乱入した事でその場は有耶無耶になったのだけれども。
 ルキナとルフレの間には、蟠りが生まれてしまった。
 一度は殺そうとした相手だからかルキナはルフレを避ける様になり、ルフレもまたそれを解消する術を思い付けないまま、ルフレは己に隠された更なる謎、“己が何者であるのか”と言う答えを知ってしまった。

 未来で甦り、世界を破滅に陥れた邪竜ギムレー。
 それが、自分だった。
 何れ未来の己が成り果てるのは、ルキナの仇であり、仲間たち皆の敵であった。

 それを知ってしまった時の絶望は、筆舌に尽くし難い。

 自分には、ルキナを愛する資格など無かった。
 ルキナを愛するなど、己には許されていなかったのだ。
 それでも。
 赦されざる想いだろうとも。
 ルキナを愛しく想う気持ちは止まる事を知らず、その心を焦がし続けた。

 ただ一つだけ、ルフレにも救いは残されていた。
 この命を使えば、今再び蘇ろうとしているギムレーも、この時間のギムレーも、どちらも葬り去る事が出来る。
 その可能性を示された時、ルフレの道は定まった。

 この身が消滅しようとも構わない。
 ルフレと共に生きる未来を望み、犠牲を拒むクロムを裏切る事になろうとも、構わない。

 ギムレーに止めを刺した時にルフレの心にあった想いは、ただ一人、ルキナのその未来と幸せであった。


『どうか幸せに。
 どうか君の未来に沢山の希望と幸せがありますように。
 ……また何時か何処かで君に出逢えるのなら、今度こそ僕が君を幸せに──』


 ルフレは、消え行くその手を掴もうと必死に手を伸ばすルキナに心からの笑顔を浮かべた。
 最後に紡いだ言葉は、ルキナに届いたのだろうか?
 それを確かめる術など無く、ルフレはこの世から消滅した。


 そう、消滅した筈だったのだ。


 だが、二年程の時が過ぎた頃。
 ルフレは再びこの世界に戻ってきた。


 それを最初に発見したのはクロムとリズであった。
 何時かの出逢いを焼き直したかの様に、草原に倒れたルフレを助け起こしてくれたその姿は、何時かのあの日よりも少し歳を重ねていて。

 状況が上手く飲み込めず記憶も混濁状態にあったルフレを伴って王城に帰還したクロム達を出迎えたのは、ルキナであった。

 ルキナの姿を目に留めた瞬間、溢れんばかりの愛しさが込み上げてきて。
 混濁していたルフレの記憶は、急速に整理されていった。
 そしてその勢いに突き動かされるままに、胸に飛び込んで来たルキナを抱き止めて。
 そして、後になって思い返せば恥ずかしくなる位に、ボロボロと涙を溢して、ルキナに縋り付く様にその身体を抱き締めていた。

「お帰りなさい」とか「ただいま」だとか、そう言う言葉も交わした気もするが、その時の記憶は今となっては定かではなく。
 それでも、ルキナの体温を確かに感じられた事がどうしようも無い程に嬉しくて、その愛しい声が自分の名前を呼ぶ事が嬉しくて、世界で一番大切な相手が自分を見詰めてくれている事が堪らなく嬉しかった事は、ちゃんと覚えている。


 二年間、ルキナはルフレを待ってくれていた。
 帰ってくるとすら約束しなかったルフレを、『人としての心が勝れば、或いは』と言うナーガの希望的観測の様な言葉を頼りに。
 帰ってくる、必ず帰ってくるのだ、と。
 信じて、ルキナは待っていた。
 帰って来た時に直ぐにルフレを見付けられる様に、と。
 ギムレーとの戦いの後も悩みながらイーリス城に留まり、同じくルフレの帰還を信じていたクロムと一緒にルフレを探しながら。


 ルフレが帰って来る事が出来たのは、そうやって信じて待っていてくれた人が居るからだ。
 ルキナが信じてくれたから、ギムレーの心に勝てたのだろう。
 ナーガが何も語らぬ以上真実を知る者は無いが、ルフレはそう確信していた。


 その後少ししてから、ルフレはルキナと正式に式を挙げた。
 身内だけの、細やかなものであったけれども。
 あの戦いを共に駆け抜けた仲間たちは皆集まって、ルフレとルキナを祝福してくれた。

 夫婦になってからも、本当に色々な事があった。
 ルキナや彼女と同じく未来からやって来た子供達が身を隠さずとも済む様な工作や根回しを、彼等の親と協力して敢行したりしたのもその一つだ。
 やった事がルキナにバレた時には少し悶着したものだが、今となってはそれも良い思い出である。
 何にせよ、未来から来た子供たちは今や誰もが皆好きな様に己の道を歩いていた。
 頻繁では無いものの時折王城に顔を出すルキナを、小さなルキナが『ルキナお姉さん』と慕う様になったのもこの頃だ。


 こんな泣きたい程の幸せをルフレにくれたのは、ルキナだ。
 ルキナが居てくれたから、…………ギムレーと同一であると言っても過言では無いルフレを、それでも愛しているのだと望んでくれたら、ルフレはここに居られる。

 だからこそ、ルフレはあの日の言葉通りに、ルキナを己の全てを賭けて幸せにすると誓ったのだ。





◇◇◇◇





「ね、ルフレさん。
 私の初恋は、ルフレさんだったんですよ」


 ポツリと、抱き締めた腕の中でルキナが呟いた。


「それは、……もう一人の僕の事?」

「はい。
 ……あの未来の、ルフレさんです」


 未来のルフレ。ギムレーと成り果てた己。
 過去にまでルキナを追い掛けてきた彼は、過去跳躍によって失った竜の力を再び取り戻し、この時間でギムレーとして復活した。

 彼を許す事は、出来ない。
 そこに“ルフレ”の意志が無かったにせよ、ルキナを苦しめその未来に絶望を落とした事は許せない。
 だけど、きっと……。


「……きっと、あの僕もルキナの事が大切だったんだね……。
 僕が、小さなルキナを大切にしているのと同じで。
 ……同じ僕だからね、何と無く分かるよ」

「そう、でした。
 あのルフレさんは、私にとても優しくしてくれて……。
 きっと、……憧れみたいなものだったんです。
 でも、本当にあのルフレさんの事が大好きだったんです」


 ルキナは、彼とのまだ幸せだったであろう頃の記憶に想いを馳せる様に目を閉じた。
 ルキナにそう想われていると言うだけで、少しだけあの自分の事を羨んでしまう。
 でも、ルキナの心の片隅に居る事を赦されるのは、後悔と絶望の中に沈み果ててしまったあの自分にとっては確かな救いになるだろうから。
 ルフレは少しだけ、あの自分に譲ってあげるのだ。

 でも、ルキナの初恋があの自分だろうと、ルキナの心はルフレのものだ。
 それだけは、誰にも譲れない。
 ルキナが過去から未来に至る全てで出会う人の中で誰よりも、ルフレがルキナを愛している自信がある。
 そして、あのルフレでは叶わなかったであろう事、ルキナを誰よりも幸せに出来る。


「ルキナ、お誕生日おめでとう。
 生まれてきてくれて、僕に出会ってくれて、僕を愛してくれて有り難う。
 愛しているよ、ずっと、誰よりも」






◇◇◇◇
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