譲れないもの、一つ
◇◇◇◇◇
「ルフレさん、わたし、ルフレさんのお嫁さんになりたいです!」
イーリスが誇る軍師ルフレは、その言葉に一瞬とは言えまるで刻が停まったかの様に硬直した。
その驚愕の程を雄弁に表すかの如く琥珀色の瞳は大きく見開かれる。
だが、そこは神軍師とまで讃えられた者の矜持なのか何なのか、一瞬後にはルフレの頭脳は再起動を果たし、現状を整理し打開するべくフル回転を始めた。
そう今日は、ルキナの誕生日で。
だからそのお祝いをしようと、イーリス城に妻であるルキナと一緒にやって来て。
小さなルキナに贈り物と祝辞を述べた。
すると、その直後に。
小さなルキナがルフレの手を、まだ小さなその手で掴んで。
そして、こう言ったのだ。
『ルフレさんのお嫁さんになりたい』、と。
そこまで理解して、ルフレは心中で思わず呻いてしまった。
どう返すべきなのか、と考えるより何よりも。
小さなルキナの発言で同じく硬直してしまった周囲の、特に、俯いてしまったクロムと、ルフレの横に立つルキナが、その心中で何を考えているのか…………ルフレにとっては想像するだに恐ろしい。
ルフレを見上げる小さなルキナのその瞳は、最愛の人と同じ色で輝いていて。
まだ幼さが際立つ柔らかな頬は、熟れた林檎の様に赤い。
ルフレが見詰め返すと、小さなルキナは照れた様に一瞬目を逸らすが、ルフレの手を掴むその手は離そうとはしないし、再びモジモジとしながらルフレを見上げてきた。
微笑ましく可愛らしい幼い恋にルフレも笑みを浮かべたくなるが、それはその恋の相手が自分でなければの話だ。
ルフレは既に愛する人が居る身であり、例えそれが少し時を隔てた同一人物であると言えるのだとしても、『そういう意味』で愛しているのは小さなルキナではなく、ルキナただ一人である。
勿論、ルフレにとっては小さなルキナも大切な存在だ。
その小さな手には幸せが溢れていて欲しいし、その未来には沢山の希望が輝いていて欲しい。
そしてその名前の由来となった古い女神の様に、彼女もまた誰かに幸せや希望と言った“光”を与えられる様になって欲しい。
何時か彼女が大人になったその時には、ルフレやクロムがそうであった様に、心から愛し合える人と幸せになって欲しい。
が、ルフレにとって小さなルキナは、ただただ見守る様にその幸福を願い祈り守るべき存在であるのだ。
そこに“愛”はあるけれど、ルキナに向ける“愛”とは全く別のものであり両者が同一のものになる事は有り得ない。
何もかもを捨ててでもたった一人の幸せを願う様な、己の全てを焦がす程の苦しさすら伴う様な、激情とすら呼べるであろうそれが、小さなルキナに向く事は無い。
結局ルフレには、この小さなルキナの気持ちを受け止める事は出来ても応えられないのだ。
初恋を叶えてあげられない心苦しさはあるけれど、不可能な事は不可能なのである。
だから、と。
ルフレが口を開こうとした時だった。
「……さんぞ」
深く、地の底から響く様な声がルフレの耳に刺さる。
クロムだ。
クロムは、ルフレが何れ程ルキナの事を愛しているのか知っている。
だからこそ、万が一など起こり得ぬとは頭では解っているのだろう。
が、それとこれとは話が別であるのもまた親心と言うものか。
ルフレは覚悟を決めた。
「許さんぞ、ルフレ!
『お父様のお嫁さんになりたいです』とすら言って貰えてないのに、お前が先に言われる等と!」
「ってえぇっ!!?
気にするのは其処なのかい?!」
ルフレが予想していたものとは斜め上な方向に飛んだ話に、思わず大声を上げてしまう。
「黙れルフレ!
お前に娘を持つ親の気持ちが分かって堪るか!
ルフレと俺のどっちが好きかルキナに訊いたら、『る、ルフレさん……です』と頬を赤らめて答えられた俺の気持ちが!」
そう言うなり、その時を思い出してしまったのかクロムは一気に落ち込む。
茸でも生えてきそうなクロムの沈みっぷりに、責が無いとは言えルフレは罪悪感を抱いた。
「わ、分からないけど、取り敢えずごめん……」
ルフレがそう謝る傍らでルキナが身をフルフルと震わせ、小さなルキナに掴まれていない方のルフレの手をグッと掴んだ。
そして。
「る、ルフレさんは私のです!
貴女にはあげられません!」
ギュウッと、ルフレの腕を引きながらそう宣言する。
「うぅ……。
ルキナお姉さんは、ルフレさんのおくさんであってお嫁さんじゃないじゃないですか!
だから、わたしはルフレさんのお嫁さんになります!」
ルキナの言葉に一瞬だけ怯んだ小さなルキナも、負けじとルフレのローブの袖口を掴みグイグイと幼いながらに手加減を知らない全力の力で引っ張る。
どうやら、まだ幼いルキナは、“お嫁さん”と“奥さん”は別物だと認識しているらしい。
「だ、ダメです!
ルフレさんのお嫁さんも奥さんも私だけです!」
普段の落ち着いた態度などかなぐり捨てて、ルキナはルフレを離すまいとしがみつく。
「二人とも落ち着──」
「イヤです!
だってルフレさんのことが大好きなんです!」
「私の方が、ルフレさんの事が大好きです!」
取り敢えず落ち着いて貰おうとした言葉は、二人の言い合いに遮られた。
二人とも、わたしが私の方がと主張しながらルフレを引っ張るのを止めない。
最早こうなってしまっては渦中のルフレに成す術は無い。
ふと目を向けた窓の外を鳥達が軽やかに飛び回っている。
(ああ、良い天気だな……)
その場にフレデリクやリズ達が駆け付けてくるまで、ルフレはそうやって現実逃避していたのであった。
◇◇◇◇◇
「ルフレさん、わたし、ルフレさんのお嫁さんになりたいです!」
イーリスが誇る軍師ルフレは、その言葉に一瞬とは言えまるで刻が停まったかの様に硬直した。
その驚愕の程を雄弁に表すかの如く琥珀色の瞳は大きく見開かれる。
だが、そこは神軍師とまで讃えられた者の矜持なのか何なのか、一瞬後にはルフレの頭脳は再起動を果たし、現状を整理し打開するべくフル回転を始めた。
そう今日は、ルキナの誕生日で。
だからそのお祝いをしようと、イーリス城に妻であるルキナと一緒にやって来て。
小さなルキナに贈り物と祝辞を述べた。
すると、その直後に。
小さなルキナがルフレの手を、まだ小さなその手で掴んで。
そして、こう言ったのだ。
『ルフレさんのお嫁さんになりたい』、と。
そこまで理解して、ルフレは心中で思わず呻いてしまった。
どう返すべきなのか、と考えるより何よりも。
小さなルキナの発言で同じく硬直してしまった周囲の、特に、俯いてしまったクロムと、ルフレの横に立つルキナが、その心中で何を考えているのか…………ルフレにとっては想像するだに恐ろしい。
ルフレを見上げる小さなルキナのその瞳は、最愛の人と同じ色で輝いていて。
まだ幼さが際立つ柔らかな頬は、熟れた林檎の様に赤い。
ルフレが見詰め返すと、小さなルキナは照れた様に一瞬目を逸らすが、ルフレの手を掴むその手は離そうとはしないし、再びモジモジとしながらルフレを見上げてきた。
微笑ましく可愛らしい幼い恋にルフレも笑みを浮かべたくなるが、それはその恋の相手が自分でなければの話だ。
ルフレは既に愛する人が居る身であり、例えそれが少し時を隔てた同一人物であると言えるのだとしても、『そういう意味』で愛しているのは小さなルキナではなく、ルキナただ一人である。
勿論、ルフレにとっては小さなルキナも大切な存在だ。
その小さな手には幸せが溢れていて欲しいし、その未来には沢山の希望が輝いていて欲しい。
そしてその名前の由来となった古い女神の様に、彼女もまた誰かに幸せや希望と言った“光”を与えられる様になって欲しい。
何時か彼女が大人になったその時には、ルフレやクロムがそうであった様に、心から愛し合える人と幸せになって欲しい。
が、ルフレにとって小さなルキナは、ただただ見守る様にその幸福を願い祈り守るべき存在であるのだ。
そこに“愛”はあるけれど、ルキナに向ける“愛”とは全く別のものであり両者が同一のものになる事は有り得ない。
何もかもを捨ててでもたった一人の幸せを願う様な、己の全てを焦がす程の苦しさすら伴う様な、激情とすら呼べるであろうそれが、小さなルキナに向く事は無い。
結局ルフレには、この小さなルキナの気持ちを受け止める事は出来ても応えられないのだ。
初恋を叶えてあげられない心苦しさはあるけれど、不可能な事は不可能なのである。
だから、と。
ルフレが口を開こうとした時だった。
「……さんぞ」
深く、地の底から響く様な声がルフレの耳に刺さる。
クロムだ。
クロムは、ルフレが何れ程ルキナの事を愛しているのか知っている。
だからこそ、万が一など起こり得ぬとは頭では解っているのだろう。
が、それとこれとは話が別であるのもまた親心と言うものか。
ルフレは覚悟を決めた。
「許さんぞ、ルフレ!
『お父様のお嫁さんになりたいです』とすら言って貰えてないのに、お前が先に言われる等と!」
「ってえぇっ!!?
気にするのは其処なのかい?!」
ルフレが予想していたものとは斜め上な方向に飛んだ話に、思わず大声を上げてしまう。
「黙れルフレ!
お前に娘を持つ親の気持ちが分かって堪るか!
ルフレと俺のどっちが好きかルキナに訊いたら、『る、ルフレさん……です』と頬を赤らめて答えられた俺の気持ちが!」
そう言うなり、その時を思い出してしまったのかクロムは一気に落ち込む。
茸でも生えてきそうなクロムの沈みっぷりに、責が無いとは言えルフレは罪悪感を抱いた。
「わ、分からないけど、取り敢えずごめん……」
ルフレがそう謝る傍らでルキナが身をフルフルと震わせ、小さなルキナに掴まれていない方のルフレの手をグッと掴んだ。
そして。
「る、ルフレさんは私のです!
貴女にはあげられません!」
ギュウッと、ルフレの腕を引きながらそう宣言する。
「うぅ……。
ルキナお姉さんは、ルフレさんのおくさんであってお嫁さんじゃないじゃないですか!
だから、わたしはルフレさんのお嫁さんになります!」
ルキナの言葉に一瞬だけ怯んだ小さなルキナも、負けじとルフレのローブの袖口を掴みグイグイと幼いながらに手加減を知らない全力の力で引っ張る。
どうやら、まだ幼いルキナは、“お嫁さん”と“奥さん”は別物だと認識しているらしい。
「だ、ダメです!
ルフレさんのお嫁さんも奥さんも私だけです!」
普段の落ち着いた態度などかなぐり捨てて、ルキナはルフレを離すまいとしがみつく。
「二人とも落ち着──」
「イヤです!
だってルフレさんのことが大好きなんです!」
「私の方が、ルフレさんの事が大好きです!」
取り敢えず落ち着いて貰おうとした言葉は、二人の言い合いに遮られた。
二人とも、わたしが私の方がと主張しながらルフレを引っ張るのを止めない。
最早こうなってしまっては渦中のルフレに成す術は無い。
ふと目を向けた窓の外を鳥達が軽やかに飛び回っている。
(ああ、良い天気だな……)
その場にフレデリクやリズ達が駆け付けてくるまで、ルフレはそうやって現実逃避していたのであった。
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