このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

どうか私とワルツを

◇◇◇◇◇




 雲一つ無い夜空に、月が天高く輝く頃。
 やっと舞踏会から解放されたルフレが着替える事もなくそのままに真っ直ぐと家へ帰り着くと、直ぐ様ルキナが出迎えてくれた。
 愛しいルキナの顔を見て、気疲れから少しささくれ立っていたルフレの心も和らぐ。


「お帰りなさい、ルフレさん」

「ただいま、ルキナ。
 ごめんね、もっと早くに帰って来られたら良かったんだけれど」


 ルフレの姿を見掛けると、ひっきりなしに様々な貴族達がやって来るのだ。
 現聖王の側近中の側近で最も聖王からの信頼の厚いルフレと繋ぎを得る事で、聖王からの覚えをめでたくしようと言う魂胆なのは明白であった。
 それの所為で、思いの外抜け出すのに手間取ってしまった。
 これだから、貴族達の社交の場とやらは、必要なのだろうとは理解しつつも好きにはなれない。


「いえ、気にしてませんよ。
 ルフレさんが、そうして少しでも早く帰ろうと思ってくれただけで、私には十分ですから」

「そう思ってくれるなら助かるけど……。
 でも僕としては、君に寂しい思いをさせてしまうかもしれないのはやっぱり嫌だな……」


 ルフレの家は、家と言うよりは屋敷と言った方が良いのだろう。
 ルフレもルキナも、本当はもっと小じんまりとした家にしようと思っていたのだけれども、仮にも一国の宰相夫婦が住むのだからと周囲に言われ、あれよあれよと言う間に王都の一等地にちょっとした屋敷が建ってしまっていた。
 まあクロムなどは、いっそルキナ共々王城に住めば良いじゃないか……なんて空恐ろしい事を言ってたので、そうなるよりはずっとマシなのだけれども。
 宰相と言う地位にある者が住まうには質素で小じんまりとした屋敷であるのだけれども、二人だけの家として考えると広過ぎる。
 クロムは、その内に信頼の置ける王城務めの使用人の中から何人か推薦しようか?などと言っているけれども。
 少なくとも今はまだルフレとルキナの二人しか住んでは居ない。
 二人にも広過ぎる屋敷の中で、ルフレの帰りを一人待つルキナが寂しさを感じる事は無いとは言えないだろう。

 しかしそう言うと、ルキナは何やら楽し気に小さな笑い声を溢した。


「ふふふ……っ。
 ルフレさんたら、心配性なんですね。
 でも大丈夫。
 こうしてルフレさんを待っている時間も、寂しくなんてないんですよ?
 だって、ルフレさんは必ずここに帰ってきてくれるんだって、分かっていますから」


 かつて愛しい恋人と、生きて再び巡り逢えるかも不確かな、そんな別離を経験せざるを得なかったルキナのその言葉は、決して余人には計り知る事の出来ない重みを持っていた。
 ギムレーを自ら討ち共に消滅したルフレが、再びこの世に還ってくる時まで、そしてその腕の中に確かにその温もりを感じられるまで。
 ルキナの心を支配していた哀しみや後悔、苦しみや寂しさに比べれば。
 ほんの一時帰ってこない程度なら、何ともないものなのであろう。
 そんな苦しみを愛しい人に与えてしまった罪は、こうして戻ってこれた今でも、決してルフレの心の奥底から消え去ることは無い。


「それは…………」

「……でも、そうですね……。
 実は、ほんのちょっとだけ。
 舞踏会で踊るルフレさんの姿をもっと近くで見られたらな……と、そう思います」


 ルフレの言葉を優しく遮る様に、ルキナは微笑んだ。
 その言葉に、ルフレは数度目を瞬かせた。


「……僕は、そんなにダンスは上手くないよ?」

「あら?
 フレデリクさん達は、『筋は悪くない』とおっしゃってましたよ?」


 ルキナにそう言われ、ルフレは内心フレデリク達に少し文句を言いつつも、困った様に苦笑いした。
 ルフレは、舞踏会だのは好きではない。
 が、物覚えが良く、戦士として戦場を駆け抜けられる程鍛えているが故に体幹のバランス感覚などの運動能力も良く。
 ちゃんと基本さえきっちりと仕込まれれば、社交ダンスも直ぐ様覚えてしまった。
 上手くないと言っているのは、単純に踊る気がないからである。


「え、えーっと……」

「……ちょっとした冗談ですよ。
 そもそも、私は“舞踏会”とかには出られませんし」


 返答に窮したルフレを見て少しまた微笑んで、ルキナはそう言った。
 その表情に、寂しさとかは浮かんではいないが……。
 しかしそこには、何処か穏やかな諦めに似た色があった。

 それは、ルフレと共にこの世界で生きる事を選んだ以上は、何度でも何度でも、ルキナの心に現れる色なのだろう。
 時の異邦人となったその時から、ルキナにはその覚悟はあった。
 だからこそ、ルキナはギムレーを討った後はひっそりとイーリスから遠く離れた何処かへと身を隠し、祖国に想いを馳せながら静かに生きるつもりであったのだろう。
 誰からの称賛を受ける事もなく、ギムレーを討って世界を救った事だけを唯一の報酬として、“存在しない者”として、生きていこうと。
 そうはしなかったのは、偏にルフレと思い結ばれると言うイレギュラーが起きたからだ。
 ルフレがそう望んだからこそ、ルキナは数多のリスクを承知の上でこうしてその傍で共に生きてくれている。
 ルフレは、その覚悟と想いに応えるべく、ルキナを必ずや“幸せ”にしてみせると心に固く誓っていた。
 そう、決してルキナは“不幸せ”な訳ではないのだろう。
 “幸せ”だと、そう語るルキナのその表情に、その言葉に、嘘はない。
 だが、こうしてルフレと共に過ごすと言う事は、もう自分には決して手に入らないモノを見せ付けられる事でもあって。
 ……それは、疲れきった旅人の前にご馳走を用意して、その上でそれを食べる事を禁じる様な……そんな残酷な事なのではないかと、ルフレはそうも思ってしまう。

 堪らずに、ルフレはルキナの身体を優しく抱き締めた。
 ルキナは少し驚いた様にその手を彷徨わせたが、やがて「仕方の無い人ですね」とでも言いたげな優しい顔で、ルフレの背中へと手を回して優しく擦る。


「ルキナ……すまない……」

「ルフレさん、あの、本当に気にしないで良いんですよ?
 私には、こうしてルフレさんと過ごせる日々があるだけで、もうこれ以上なんて無い程に幸せなんですから」


 そう言って微笑むルキナは、本当に幸せそうで。
 それはきっと嘘なんかではないのだろう。
 だけれども、ルフレはルキナに何一つとして、それが本当にちっぽけなモノであるのだとしても、“幸せ”を諦めてなど欲しくはなかった。
 もうこれ以上無い程に“幸せ”を奪われ続け、人の身には過ぎたモノを背負わされ続けてきたのだ。
 それをルキナに強いてしまった根本的な原因が成り果ててしまったもう一人の“ルフレ”自身である事も相俟って、ルフレは誰よりも強くルキナの“幸せ”に貪欲であった。

 が、無理に舞踏会にルキナを連れ出しても、結局それはルキナ自身に本当の意味では“幸せ”を与える事が出来ない事も、ルフレはよく理解している。
 だから──


「……ねえ、ルキナ。
 ここにはワルツを奏でる楽団なんて居ないけれど。
 もし君が良ければ、僕とここで踊ってくれないかい?」


 舞踏会で踊る姿を見せる事は出来ないけれど。
 ルフレが踊る姿なら、幾らでも見せてあげられる。
 別に、舞踏会のホールでしか踊ってはいけないなんて決まりはないのだから。
 尤も、相手が居なくては始まらないのだけれど。

 しかしルフレがそう言うと、途端にルキナは戸惑い慌て出す。


「えっ、あの……!?
 その……私は……。
 服はドレスじゃないですし、それに……。
 こう言うのは何なのですが、ダンスには慣れていないんですよ」


 だから、と続けようとしたその唇を、優しく人差し指を当てて閉ざした。


「別に、良いじゃないか。
 ドレスじゃなきゃ踊ってはいけないなんて決まりはないよ?
 それに、誰が見ている訳でもないんだ。
 ルキナがステップを間違えたって、気にする人なんて誰も居やしない。
 大丈夫、僕がちゃんとリードするから。ね?」


 そう言うと、反論する言葉が思い付かなかったのか、ルキナは頬を赤く染めながら頷いた。

 その手を恭しく取って、ルフレは屋敷の庭へと出る。
 折角の綺麗な月夜なのだ。
 月の光の下で踊ると言うのも、中々にロマンチックで良いのではないだろうか?

 楽団の奏でるワルツの代わりに、口ずさむ様な恋の歌を。
 豪奢なダンスホールの代わりに、月灯りに銀に照らし出された庭を。

 それはきっと、細やかな“幸せ”に満たされた一時になるであろう。




「お姫様、どうか私と一曲踊って頂けますか?」

「……ええ、喜んで」







design
◇◇◇◇◇
2/2ページ