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どうか私とワルツを

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 煌びやかな衣装を身に纏った男女が、ダンスホールの中央で音楽を供にしてダンスを踊っている。
 国内有数の演奏家達が奏でるワルツは聴いているだけでも耳に心地よく、そして踊っている時もその妨げにはならぬものであった。
 しかし、そうやって楽しげに踊る人々を横目に、ルフレは少し気疲れした様な面持ちで躍りの舞台となっている広間の中央から離れた、やや人気の無い壁際の所で振る舞われたグラスワインを口にしていた。

 正式にこの舞踏会に招かれた身であるルフレであるが、そもそもこのような場は不得手であった。
 軍師として、戦士として、或いは内政に携わる宰相として、ルフレが非凡な才を持ち合わせていたのは確かではあるのだけれども。
 所謂貴族的なマナーなどはさっぱりであり、貴族の嗜みなどは全くルフレの得手とする範疇にはない。
 そうは言っても、国の上層部に居るものとして最低限の付き合わなければならない慣習と言うのはどうしてもあって、一応フレデリクやマリアベルと言った仲間達やクロムの手を借りて、舞踏会における社交ダンスの作法などの……所謂“貴族的な”物事についても多少の心得はあるのだけれども。
 だが、それでもそう言った事柄に関してあまり気乗りしないのは確かであり、この様な舞踏会などは、ルフレにとってはただただ居心地の悪いものであった。

 ルフレは軍師として現聖王であるクロムによって登用され、戦争が終わった今では宰相としてこの国に仕える身ではあるのだが。
 元々はろくに出自も辿れぬ記憶喪失の行き倒れであり、家柄やら血筋やらその格やらにやたらと価値を見出だしているイーリスの貴族達からは、『何処の馬の骨とも知れぬぽっと出の若造』程度にしか思われず、どちらかと言えば嫌煙されていた。
 君主であるクロム自身が重用している臣下であり、出自が不明な点以外は取り立てて瑕疵も無かった為、そう表立っては排斥されてはいなかったのだけれども。
 後にその本来の出自が明らかにはなったのだけれども、その系譜が長年血を血で洗う戦争を繰り返してきた隣国の……それもこの世で最もこの国にとっては忌むべき古い血筋に列なる者であった事もあって、それは絶対の秘密とされていた。
 因みに、実父が前ペレジア王であった事を考えるとルフレにもペレジアの王位継承権があるのかも知れないが、ルフレとしてはもうこれ以上の厄介事は望んではいないし、それが何処の国のものであろうとも王位など欲しくはないので、その事に関しては絶対に口を噤む事に決めている。
 なので対外的には、ルフレは未だに出自不明・経歴不明の謎の男のままであった。
 まあ、そんな訳で貴族の多くからはあまり好まれていない事もあって、こう言った舞踏会に招かれる様な事は殆ど無かったのだけれども。
 しかし、ルフレがまだ若くしてイーリスの宰相となった事で、貴族達としてもルフレの存在は無視出来なくなったのだろう。
 やたらと、舞踏会だの茶会だのに招待される様になったのだ。
 その思惑もありありと分かってしまうだけに、正直全く嬉しくない。

 何だかんだと理由を付けては舞踏会の類いは断ってきたルフレであるのだが、しかし断り続けると言うのもやはり角が立ってしまう。
 そんな折りに、国内有数の有力貴族が主催するこの舞踏会に招かれて、流石にこの辺りで一度顔を見せておくべきなのだろうと観念したルフレは渋々と舞踏会に出席したのだ。

 しかしながら、いざ舞踏会に出席しても、やはり自分はこういった場には合わないと言う事を痛感するだけであった。
 宰相となってからも神軍師としてクロムから与えられた衣装に少しばかり装飾の類いを着けたものを公的な場でも着続けてきたルフレにとって、舞踏会の為の衣装は堅苦しくてしょうがない。
 華やかに踊る男女の裏で、ドロドロとした権謀術数が渦巻いているのも、ルフレとしては気疲れするだけである。
 料理や酒にしても、貴族がその権勢を誇示するかの様に用意された豪勢なだけの料理と言うのは、根が貧乏性なのか基本的に質素な生活を好むルフレとしてはあまり合わない。
 しかも、ルフレは誰よりも愛する妻が居る身だ。
 例え社交ダンスでペアとして踊った相手とどうこうなる様なモノでは無い事を重々承知の上で、ルキナ以外の女性と踊ろうなどとは欠片も思えないのだ。
 益々、何の為にこの場に居るのかが分からない。
 適当な所で挨拶を済ませたらさっさと帰ってしまおうか……なんて思ってしまう。
 と言うか、早く帰りたい。

 居たくもないし特に長居する理由もない貴族達の舞踏会と、愛しい妻が待っている家。
 どちらに居たいのかなど、一々考えるまでもなく明白な事である。
 ここにルキナも居るのならば、まだ多少はこの気持ちも上向きになるのかも知れないが……。

 しかし、ルフレの妻であるルキナがこう言った場に出るのには、些か障りがあった。
 異なる“未来”から時を越えて渡ってきたが故に、その歳こそ違えどもこの世界には同一人物である未だ幼い“ルキナ”は既に存在していて。
 更には、聖王家に連なる事を雄弁に示す様に、その左の瞳に聖痕が刻まれている。
 場所が場所だけにそれを完全に隠し通すのは難しく。
 ルキナにとって確かに父の血を継ぐ何よりもの証であり、誇りそのものでもあるそれは、逆に時の異邦人となったルキナの未来を戒めるモノにもなってしまっていた。
 余人に、幼い“ルキナ”と同一人物だと知られるのは最悪の事態であるけれども、そうでなくとも聖王家に列なる者であると悟られるのもかなりの危険を孕んでいる。
 ルキナは幼い“自身”の未来によりにもよって己れの存在で陰を落とす事を決して望まず、故にルキナの存在はその正体を知る者達にとってのトップシークレットであった。
 だからこそ、そう言ったルキナの事情を知らぬ者ばかりが集まる、こう言った場にルキナが赴く事は出来ない。
 例え、宰相夫人と言う立場があるのだとしても、だ。

 共に戦場を駆け抜けた仲間達との集まりにならルキナも何の憂いもなく集まれるし、彼女が何よりも認めてほしいクロム達両親からは娘として認めて貰えている上に、幼い“ルキナ”からは姉の様に慕われている。
 そう思うと、決してルキナは不幸な訳ではないのだろうし、ルキナ自身は今の生活に不満を抱く様子もなく幸せそうに過ごしてくれている。
 ギムレーを討ち滅ぼし世界を救うと言う使命を見事果たして、そうして勝ち取った世界で想いを通わせあったルフレと共に生きる事が出来て。
 それはきっと、ルフレがそう望んでいた様に、ルキナにとっても最善の未来であるのだろう。

 だから、ルキナの現状に僅かながらも心の奥に棘の様な鬱屈とした感情を抱いてしまっているのは、まさに身勝手な“傲慢さ”であると言えるのはルフレは何より自覚していた。

 しかし、どうしても考えてしまう。

 ギムレーが甦らなければ、ルキナにとっての父の半身である“ルフレ”がギムレーへと成り果てる事が無ければ。
 ルキナには、もっと別の“幸せ”があったのではないのだろうか、と。
 こんな人目を忍ぶ様な生き方をせずとも、もっと誰の目を憚る事もなく思うがままに生きられたのではないか、と。
 そちらの方が、もっとルキナにとっては“幸せ”な生き方であったのではないか、と。
 …………もしそうだとしても、その“幸せ”の中には今ここに居るルフレは存在しないのであるけれども……。
 だが、例え自分がその“幸せ”の中に居られないのだとしても、ルキナがより幸せで在れるのなら、とも考えてしまうのだ。
 ルフレは決して、ルキナの手を離す事など出来ないと分かっているのに。
 ……きっと、こんな考えを懐いている事を知られれば、ルキナには呆れられてしまうのだろう。

 小さく溜め息を吐いたルフレは、手にしていたグラスを給仕の者に返して、広間の中程へと進み出るのであった。





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