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恋物語も今は遠く

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 暖かな陽射しが優しく大地を照らす昼下がり。
 今日の分のお勉強を早速終わらせたルキナは、何時もの様に王城内を探検に出掛けた。
 幾度かの改修を経つつもイーリスの千年もの歴史を刻み続けてきた王城は広大で。
 外周部分にある大庭園や城下町と城とを隔てる城壁の辺りまでを含めると、大人の足でも一日掛けてでも到底回りきる事は出来ない。
 齢にして6つを数えようとする遊び盛りの年頃のルキナにとっては、そんな王城は格好の遊び場であり未知に溢れた冒険の舞台であった。
 従兄弟のウードや友達が王城に遊びに来ている時は中庭などでごっこ遊びをしたりするのだけれども、彼等は何時も王城に居る訳でもなくて。
 目ぼしい遊び相手が居ない時のルキナの“お楽しみ”は城内探検である。
 勿論、「危ない」と大人達に止められている場所には近付かない様にと約束して、だ。
 ルキナは自分の“好奇心”よりも“約束”を守れる“良い子”なので、大好きなお父様とお母様も、ルキナの小さな冒険を微笑ましく見守っていてくれるのであった。

 お気に入りのポシェットに可愛いハンカチと美味しいクッキーを入れて、今日もまたルキナは探索に出掛ける。
 今日は西の塔を探検しようか、それとも広い広い裏庭にしようか。
 どれもこれも、考えるだけでワクワクしてしまう。
 湧き上がる好奇心から軽く跳ねる様に、ルキナは王城の長く広い立派な廊下を駆けていく。
 廊下にパタパタと響く小さな足音は、小さなお姫様の冒険を微笑ましく見守る周りの大人達の頬を優しく緩ませているのであった。

 ルキナがあちらこちらを探検しながら歩いていると、ふと曲がり角の所に見覚えのある蒼い後ろ髪が揺れて消えた。
 その名前を呼び駆け寄ろうと初めは思ったルキナであったが、どうにもちょっとした悪戯心が擽られてしまい、見失わないようにしつつも足音を出来るだけ立てない様に用心して、曲がり角の向こうに消えたその人を追う。
 曲がり角の向こう、その先を少し行った所。
 そこにある一つの部屋の扉前に、そのドアノブへ軽く手を掛けながらもそのまま扉を開ける事もなく佇んでいるその人を見付ける。
 何時もならどんなにルキナが頑張って忍び寄ろうとしても、目敏くルキナの接近を見破ってしまうその人なのだけれども、何故か今は何か考え事をしている様で、まだ気が付いてはいなさそうであった。
 これをチャンスと捉えたルキナは、ある程度までそろそろと気配を殺して近寄ってから、一気に床を蹴ってその人の腰に抱き着く様にして飛び掛かる。


「ルキナおねーさま!」

「えっ、ええっ!?」


 ギュッと思いっきり抱き着いて、ルキナがその名前を呼ぶと。
 “ルキナお姉さま”はルキナの突然の襲来に驚いた様に目を白黒させて、ルキナを抱き止めてくれた。


「えへへ、おひさしぶりです、ルキナおねーさま!」


 久し振りに会えた事が嬉しくて、ルキナがニコニコと笑って見上げると、ルキナよりもうんと背の高い“ルキナお姉さま”は静かに微笑んでルキナの頭を優しく撫でてくれる。


「お久し振りです、ルキナ。
 また大きくなりましたね」

「はい!
 はやくルキナおねーさまみたいにおおきくなれるように、まいにちいっぱいたべて、いっぱいねてますから!
 お父さまもお母さまも、ルキナがいっぱいおおきくなってくれてうれしいって、いつもいってくれます」

「そんなに焦って大きくなろうとなんて思わなくても、あなたもきっと立派に大きくなれますよ」


 同じ名前と同じ髪色の“ルキナお姉さま”は、ルキナにとって憧れのお姉さんであった。
 優しくて、ルキナの事を沢山分かってくれる。
 ルキナにとっては、まさに理想の“姉”の様であった。
 同じ名前だと言うのも、ルキナにとってはとても親しみを覚える要素だ。
 幼い頃から知っているだけに、ルキナにとっては“ルキナお姉さま”が自分と共通するものを多く持っている事は何ら違和感を抱く様なものでもない。

 何時もは何処かを旅しているらしく、“ルキナお姉さま”が王城に居るのは季節の変わり目のほんの一時位なモノだ。
 だが、会う度に様々なお話をしてくれたり遊び相手になってくれたりする“ルキナお姉さま”は、ルキナにとっては何時も待ち焦がれている相手であった。


「わたし、ルキナおねーさまのおはなしをたくさんききたいです!
 だから、こんどこそ、もっとたくさんおはなししたりあそんだりしてくださいね!」

「……私はあまりここに長居は出来ませんが……いえ、大丈夫ですよ、そんなに直ぐに居なくなったりする訳でもありませんから。
 ですから、そんな顔をしないで下さい、ね?」


 折角会えた“ルキナお姉さま”がまた何処かに行ってしまうのかと、引き留めようとしたルキナが目を潤ませると。
 “ルキナお姉さま”は少し慌ててそれを打ち消す様に、ルキナの頭を撫でる。
 それにすっかり機嫌を直したルキナは、“ルキナお姉さま”が手を掛けている扉を指差して訊ねた。


「ところで、ルキナおねーさまはここでなにをしていたんですか?
 ここは、お父さまがだいじにしているおへやですよ?」


 その部屋がお父様にとっては特別に大切な場所であるのだと言う事はルキナもよく知っていた。
 だけれども、その部屋を何かに使っていると言う訳ではなさそうで。
 ルキナにとっては机にも床にも沢山の本が置いてあると言うだけの部屋だ。
 しかし時折、この部屋に入ってから少しして出てきたお父様が、少し寂しそうな顔をしているのがルキナの心に引っ掛かっていた。

 ルキナの問い掛けに“ルキナお姉さま”は、まるでこの部屋から出てきた時のお父様の様な……いやそれよりももっと寂しそうな顔をする。


「ここは…………私にとっても、大切な部屋でしたので。
 つい、ここに来てしまったんですよね。
 でも──」

「わあ!
 ルキナおねーさまにとってもたいせつなおへやだったんですね!
 ルキナおねーさまなら、はいってもだいじょうぶですよ!
 お父さまだって、ルキナおねーさまの“たいせつ”なら、ぜったいゆるしてくれますから!」


 善は急げとばかりに、ルキナは“ルキナお姉さま”の手を引っ張ってその部屋へと入った。

 相変わらず、その部屋の中は本だらけであった。
 しかもそこにある本の何れもがルキナが好む様な物語の絵本やらとは全く違い、分厚くてルキナには重たすぎるし、何が書いてあるのかもルキナには全く分からないものである。
 ルキナにはよく分からない事が沢山書かれている紙も沢山散らばっていて。
 ルキナはこの部屋に入る度に、この部屋はどうしてこんなにも散らかっているのだろう?と思ってしまうのだ。
 ルキナだって、オモチャはちゃんと使ったらオモチャ箱に戻したりするのに。
 この部屋を使っていた人が居たのなら、その人はよっぽど“お片付け”が出来ない人だったのか、或いは“お片付け”が間に合わない程に“散らかしやさん”だったのだろう、とルキナは内心勝手に思っていた。

 だが、そんなルキナの反応とは対照的に“ルキナお姉さま”は、部屋に入るなり酷く懐かしそうな眼差しで、あらゆる所に散乱した本や紙を見詰めていた。
 床に落ちていた紙を拾ってそこに書かれている文字を宝物に触れる様に優しくなぞっては、寂しさを湛えた眼差しを伏せる。

 この部屋を使っていた人が、お父様や“ルキナお姉さま”にとって大切な人だったのだろうか?とルキナはふと思った。
 一体その人は誰なのだろう。
 この部屋に入るのは殆どお父様だけなので、きっと今は王城に居ない人なのだろうけれど。
 お父様や“ルキナお姉さま”にとってそんなに大切な人なら、どうして今ここに居ないのだろう。
 ルキナは幼い心ながらに、そう考えていた。


「ここのおへやをつかっていたのは、お父さまとルキナおねーさまのおともだちだったんですか?」


 そんな幼い子供特有のルキナの何の裏心も無いその問い掛けは、“ルキナお姉さま”の眼差しに静かな翳りを落とした。
 しかし、感情の細かい機微や含みを察するにはまだまだ幼いルキナはそれには気付けなくて。
 問い掛けたのに黙ってしまった“ルキナお姉さま”の顔を、ルキナは覗き込む様に見上げる。
 すると、覗き込んでくるルキナと目があった“ルキナお姉さま”は、ゆるりとその瞼を一度閉ざし何かを呟いたかの様に僅かにその唇を震わせた。
 が、再び目を開けてルキナへと向ける眼差しには、先程とはまた別の静かな哀しみが溶け込んでいて。


「……そう、ですね。
 ええ、とても……とても大切な人でした。
 私にとって、特別な……」


 その言葉に秘められている想いには、ルキナはまだ気付けない。
 ただ、『とても大切な人』が居なくて“ルキナお姉さま”が可哀想だと、そう幼心に感じた。

 どうしてその人は、ここに居ないのだろう。
 “ルキナお姉さま”も、そしてきっとこの部屋を幾度となく訪れているお父様も、きっとここに居て欲しいと思っているのに。

 ……そんな事を、ルキナはぼんやりと考えていた。
 まだ幼く“死”など周りに存在しないルキナには、“ルキナお姉さま”の力無い微笑みの影に沈んでいる“死”の別離など、理解出来よう筈も無くて。
 もしかしてケンカして家出してしまったのか?それとも迷子になっているのだろうか?と。
 そんな想像しか出来なかった。
 だが、“ルキナお姉さま”がルキナの問い掛けの所為で悲しんでいる事は何と無く伝わって。
 大好きな“ルキナお姉さま”を傷付けてしまったと思ったルキナは、慌てて別の話題に変えようとする。


「ルキナおねーさま、いつもみたいにおはなしをきかせてください!
 わたし、いっつもたのしみにしてるんです!」


 “ルキナお姉さま”が語って聞かせてくれる遠い国の景色だったり異国の昔話などのお話は、ルキナにとってのお楽しみの一つであった。
 会う度にお話をせがんでは、“ルキナお姉さま”を苦笑させてしまう程である。


「……ふふっ、良いですよ。
 丁度良いから、ここに座りましょうか」


 ルキナのおねだりに優しく微笑んだ“ルキナお姉さま”は、そう言って部屋にあった椅子を引いた。
 もう使われていない部屋ではあるけれど小まめに掃除されているらしく埃っぽさなどは全く無く、部屋に散らばる本はともかくとして、椅子などの調度も綺麗な状態に保たれている。
 ルキナは“ルキナお姉さま”に用意して貰った椅子に座って足をぶらぶらさせながらお話を待った。


「さて、どんなお話が良いですか?」

「おひめさまとかおうじさまとかがでて、わるいものをやっつけたりするおはなしがいいです!」


 最近では伝説の英雄やらのお話を特に好んでいるルキナがそうリクエストを出すと。
 “ルキナお姉さま”は暫し考える様な顔をして、そして「それなら」と呟いた。


「そうですね、ではあるお姫様のお話をするとしましょう」





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