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現の狭間、悪夢の終わり

◇◇◇◇




 歩き続ける内にルキナは十歳頃の姿に成長してゆく。
 そしてふと、何かを気にする様に、ルキナは来た道へと意識を向けていた。

 ……この呪術の質が悪い所は、一度抜け出そうと出口に向けて歩き始めたら、絶対に来た道を戻っても振り返ってもいけない事だ。
 立ち止まるだけならまだ何とかなるが、それでも。
 立ち止まる時間が長ければ長い程に、再び呪術に絡め取られる危険性が増していく。
 故に、一度歩き始めたのならば歩き続けなければならない。

 だが、呪術の核はそう易々とはそれを許しはしない。
 あの手この手で、獲物を逃すまいと引き留め元の道を辿らせようとしたり、出口とは異なる方向へと拐かそうとしたりしてくる。
 そう、例えば。
 後ろから名を呼んだり、とか。

 僕はあくまでもこの呪術にとっては異分子だ。
 そして不本意ながらも僕はギムレーでもあるので、この程度の呪術には害される事も無い。
 だから呪術の核は、僕に直接干渉して妨害する事は出来ないのだ。

 だが、ルキナは違う。

 ルキナは、こう言っては何だが呪術に対しては元々かなり無防備だ。
 それに、今も尚その記憶の多くを呪術に奪われたままである。
 どうしたって、優位性は呪術の核の方にあった。
 僕がこうして守っている以上は直接的に危害を与えてくる様な事は無いだろうが、ルキナ自身が足を止める様に間接的に誘導する位の事はやっているだろう。
 僕には何も聴こえないが、ルキナの耳には自分を呼ぶ誰かの声が聴こえているのかもしれない。

 だからこそ、振り返ってはいけないよ、と僕はルキナを諭した。
 この状況の異質さを肌で感じているからか、ルキナはそれに迷わずに頷き、僕には聴こえない何かの声を振り払う様にギュッと握る手に力をこめてくる。
 それに応える様に優しく握り返して、僕達は先を急いだ。

 まだ道程は遠いが、それでも着実に僕達は出口へと近付いてきていた。
 だが──


「ルキナ」


 僕の耳にもハッキリと届いたその声は。
 ……もう二度と聴く事が出来ない筈の、“半身”の様に大切な友の……クロムの声だった。
 だが、何処まで似ていようともそれは、勿論ながら本物のクロムの声ではない。

 出口とは全く逆方向の闇の中に佇むその人影は、限り無く僕の記憶の中にもあるクロムの姿に似ていた。
 クロムの姿をした“何か”は、笑って手を振りながらルキナを呼ぶ。
 おいでおいでと手招きをする様に誘うその姿に、吐き気を催す程の嫌悪感と怒りを覚えた。

 よりにもよって、クロムの姿を取ってルキナを喰らおうと言うのか。

 僕の逆鱗に触れる様なその行為に、僕は躊躇なくクロムの姿をした“何か”を消してやろうと、手にしていたランプを掲げた。
 悪夢の中で人の魂と心を啜るしか能の無い様な呪術の核が、ギムレーの魂の欠片で灯された光に抗える筈はなくて。
 仕留める事こそ出来なかったものの、呪術の核はクロムの姿を放り捨てて絶叫を上げてその場から逃げ出した。

 ……偽物であったとは言え、クロムの姿をした存在をこの手で消してしまったのは、心底堪える。
 あの時の悪夢の様な現実がフラッシュバックし、消える事なく胸の内を焦がし続けている絶望と後悔が勢いよく燃え盛ろうとするのだ。

 足は止めないながらも哀しみに沈む僕を気遣ってか、ルキナは僕の背をそっと擦る。
 そして、「大丈夫です」と。
「お父様はきっと許してくれるから」、と。
 ルキナは、そう言った。

 …………ルキナが、僕の後悔や絶望を汲んでそう言った訳ではないのだろうとは分かっている。
 だけれど。

 ルキナのその言葉に、僕は確かに救われた。

 ……あの時だって、クロムは。
 僕に殺されたと言うのに、「お前の所為じゃない」と、そして逃げろ……と、そう言ってくれていた。

 それでも僕は僕を赦せる筈なんてなくて。
 クロムだって本当は赦してなんていない筈なのだと、僕を憎んでいる筈だろうと、僕は自分を責め続けていたのだ。

 でもそれは、何よりもクロムに対する裏切りでもあったのだと、そう気付いてしまう。
 だから。

 もう取り返しの付かない過去が、やり直したいのにやり直せず、謝りたいのにもう謝るべきその相手は何処にも居ない現実が、その何もかもが辛くて悲しくても。
 それでも、クロムが願ったのなら。

 僕は、自分を許さなくてはならないのだ。

 それはとても優しくて、それでいて何よりも残酷な願いであった。

 堪えきれずに、僕は泣いてしまう。
 今はルキナを導かねばならないのに、それでも気持ちが溢れてしまって涙が止まらない。
 そして僕が泣いていたからか、ルキナまで涙を溢し始めてしまった。

 ポロポロとルキナの頬を伝う雫にどうしていいのか分からず狼狽えながらも、ごめんねと謝ると。
 違うのだと首を横に振って、ルキナは僕の手をギュッと握る。
 その姿に、ふと昔の記憶が甦った。


 何時だったかなんてハッキリとはもう覚えていない、とある日の事だった。
 クロムの代わりに面倒を見ていると、幼いルキナが突然泣き出してしまって。
 何が原因なのか分からなかった僕は狼狽えてあの手この手であやそうとしたけれど中々ルキナは泣き止んでくれなくて。
 でも、万策尽きた僕が苦し紛れに覚えたての子守唄を歌うと、途端に泣き止んで笑顔になってくれたのだ。
 それから、たまにルキナは僕に歌をせがむようになった。
 オリヴィエを始めとして僕よりもっと歌が上手い人なんて沢山いたと思うのだけれど。
 何故か、ルキナは僕の歌う声が好きだったらしい。

 だから時々、二人で歌ったりもしていた。
 きっと、ルキナはもう覚えていないだろうけれど。


 そんな懐かしくて愛しい過去を思い出した僕は、昔ルキナとよく一緒に歌っていた元気が出る歌を口ずさんでみた。
 するとルキナも釣られる様に歌い始め、ポロポロと溢れていた涙も止まる。

 昔と変わらないその姿に、僕は少し微笑んで。
 手を繋ぎ二人で歌いながら、出口を目指し始めた。




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