現の狭間、悪夢の終わり
◇◇◇◇
深い闇の中を手を取って一緒に歌いながら歩いていく内に、どんどん私とおじさんの背丈の差は縮まります。
二人で歌っていたからなのか、それとも歌う事で闇を怖いと思う気持ちが薄れてきたからか、お父様の偽者が現れた後に他の人の偽者が現れた事はありません。
あれから闇の中を進む内に、更に沢山の記憶が戻ってきました。
記憶が戻ってきた私は……思い出して、しまったのです。
…………もう、お父様もお母様も、生きてはいない事を。
そして、“ギムレー”が復活し、世界が絶望に包まれてしまった事を。
私は、思い出しました。
それでも、私はおじさんの事を未だに思い出せません。
私の心は、おじさんの事を懐かしいと感じています。
おじさんの手の温もりを、おじさんの優しい声を私は心の何処かで知っています。
でも。
ほんの少しだけ、心の片隅で思ってしまったのです。
私の記憶の中に、おじさんは本当に居たのか?と。
一端そう思ってしまうと、どんどんと不安になっていきます。
『何れだけ歩いても、何処にも出口なんて見えないでしょう?
本当に、“おじさん”は出口に案内しているのかしら?』
耳元で誰かの囁き声が聞こえた気がします。
確かに、もう随分と歩いている筈なのに、出口は遠目にも何処にも見えません。
独りぼっちで闇の中で震えていた私の所にやって来て手を差し伸べてくれたから、私はおじさんの手を取りました。
必ずここから出してあげると言うその言葉を信じて、一緒に歩き続けました。
でも、もし。
おじさんが、私の味方では無いとしたら。
私をこの闇の中に閉じ込めようとしているのだとしたら。
『あんなにそっくりな“お父様”の偽物を作り出せるんだもの。
“おじさん”だって、あなたの記憶の中の誰かを装った偽者なんじゃないかしら』
でも、おじさんは、お父様の偽物を撃退してくれたのです。
だから──
『それがあなたに信頼させる為の演技だとしたら?』
その囁きに、息が詰まりました。
何時しか私は歌を口ずさむのを止めてしまっています。
そして、おじさんもまた歌うのを止めていました。
ランプの光だけが微かに揺れる闇の中に沈黙が落ちて。
それでもおじさんは私の手を掴んだまま何処かを目指して歩き続けています。
『どうして“おじさん”はこんな闇の中でも迷わずに進んでいるのかしら?
本当は、出口に向かっていないのだとしたら?
あなたは、このままその手を繋いでて良いのかしら?』
囁く声が止む気配は全くありません。
その囁きは、じわりじわりと私の胸の内を染めていきそうになります。
思わず、おじさんの右手を掴んでいる自分の左手に目を落としてしまいました。
痛くないように、でも絶対に離さない様な絶妙な力加減で、おじさんの手は私の手を握っています。
少しだけ、私は繋いだ手の力を緩めてしまいました。
おじさんは少しだけ気にする素振りを見せながらも何も言いません。
『今なら逃げられるわ。
その手を離して、来た道を戻れば良いの。
そうしたら、ここから出られるのよ』
耳元で囁く誰かの声は何処か急かす様にそう言います。
どんどんと膨れ上がる不安に、私はその手を離してしまいそうになりました。
すると──
「ルキナ」
おじさんは、静かに私の名前を呼びます。
立ち止まらずに、だけど、歩みが遅くなった私に歩調を合わせて。
「……きっと、今頃君には色んなモノが聞こえているんだろう。
恐らくは、僕を信じてはいけないとか、この手を離して逃げろとか、来た道を戻れとか、ね」
おじさんのその言葉に、私の耳元で囁いていた声がたじろぐのを感じます。
それに気付いているのかいないのか、おじさんは続けました。
「……僕を信じきれない気持ちは、分かるよ。
僕も、絶対に信じてくれなんて、言えない……。
君との約束を破ってしまった僕には、そんな資格は無い」
だけど、と。
確かな優しさと決意がこもった声で、おじさんは続けます。
「僕は君をここから逃がして見せる。
この闇の中から、君を……君を待つ人が居る世界に帰して見せる。
例え、君が僕を疑っているのだとしても、信じて貰えないのだとしても。
絶対に、だ」
おじさんはそう言って、私に振り向きました。
フードの下に、一瞬だけおじさんの目が見えました。
黄金色の瞳は、ランプの光でユラユラと揺らめきながら輝いています。
「だから、君は君を惑わそうとするその声に耳を傾けては駄目だ。
その声は、君を捕らえ心を食らおうとする、罠なんだ」
そしておじさんは私の背後を睨み付けました。
「お前ごときに、この子の心は、魂は喰わせやしないよ。
この子には、帰るべき場所がある、待っている人がいる。
そして、果たしたい使命も……あるんだ。
さあ、もういい加減ルキナを惑わせるのは止めて貰おう」
そう言って、おじさんはお父様の偽物を消した時の様に闇に向かってランプを翳します。
すると、あれ程までにしつこく耳元で囁いていた声は、悲鳴を上げながら急速に遠ざかっていきました。
声が完全に聞こえなくなっても、おじさんはランプを油断なく翳し続けます。
そして、暫し暗闇を睨んだ後に、一つ溜め息を溢しておじさんは再び前を向きました。
「追い払えはしたけど、完全には消せなかったみたいだね。
きっとまた、何処かで仕掛けてくるつもりだろう。
だから、絶対に油断してはいけないよ。
アイツは君をここに縛り付けて、君のその魂を喰らってしまうつもりなんだ」
おじさんの言葉に、私は確りと頷きます。
あの声が遠くに消えた途端に、あの囁きに耳を傾けていた時の自分の異常な行動をやっと実感出来たからです。
あんなにも妖しい囁き声の言葉を、どうして信じようとなんてしていたのでしょう。
そしてそれと同時に、おじさんに対して申し訳無くなりました。
おじさんの事を思い出せないのは、おじさんの所為ではありません。
なのに、私はあの囁き声に唆されていたとは言え、ここまで導いてくれていた人を拒絶しようとしていたのです。
見捨てられたって、文句は言えない行動でした。
ごめんなさいと謝る私に、おじさんは首を横に振ります。
「そんな事で君が僕に謝らなくたって良いんだよ……。
僕は、……僕の為にも、君を助けたいだけなんだ。
これは僕の我が儘でもあるんだから、君が気にしなくていいんだよ」
そう言って寂しそうに微笑んだおじさんは、一瞬だけ私を通して誰かを見ていました。
どうして、と。
思わずそう訊ねたくて。
でもその疑問は言葉として出ていく事はありませんでした。
おじさんが、どうしてそこまでして私を助けてくれるのか。
どうしてそんなにも寂しそうな顔をするのか。
おじさんの事をまだ思い出せない私には分かりません。
だけど。
おじさんが深い深い哀しみを抱えて私に微笑んでいるのは分かります。
きっとその理由を訊ねる事は、おじさんの哀しみに満ちた心をより深く傷付けてしまうのでしょう。
そう私は直感で判断し、だからこそそれ以上は何も言えなくなってしまったのです。
そして、そのままずっと。
私とおじさんは手を繋いで歩き続けました。
◇◇◇◇
深い闇の中を手を取って一緒に歌いながら歩いていく内に、どんどん私とおじさんの背丈の差は縮まります。
二人で歌っていたからなのか、それとも歌う事で闇を怖いと思う気持ちが薄れてきたからか、お父様の偽者が現れた後に他の人の偽者が現れた事はありません。
あれから闇の中を進む内に、更に沢山の記憶が戻ってきました。
記憶が戻ってきた私は……思い出して、しまったのです。
…………もう、お父様もお母様も、生きてはいない事を。
そして、“ギムレー”が復活し、世界が絶望に包まれてしまった事を。
私は、思い出しました。
それでも、私はおじさんの事を未だに思い出せません。
私の心は、おじさんの事を懐かしいと感じています。
おじさんの手の温もりを、おじさんの優しい声を私は心の何処かで知っています。
でも。
ほんの少しだけ、心の片隅で思ってしまったのです。
私の記憶の中に、おじさんは本当に居たのか?と。
一端そう思ってしまうと、どんどんと不安になっていきます。
『何れだけ歩いても、何処にも出口なんて見えないでしょう?
本当に、“おじさん”は出口に案内しているのかしら?』
耳元で誰かの囁き声が聞こえた気がします。
確かに、もう随分と歩いている筈なのに、出口は遠目にも何処にも見えません。
独りぼっちで闇の中で震えていた私の所にやって来て手を差し伸べてくれたから、私はおじさんの手を取りました。
必ずここから出してあげると言うその言葉を信じて、一緒に歩き続けました。
でも、もし。
おじさんが、私の味方では無いとしたら。
私をこの闇の中に閉じ込めようとしているのだとしたら。
『あんなにそっくりな“お父様”の偽物を作り出せるんだもの。
“おじさん”だって、あなたの記憶の中の誰かを装った偽者なんじゃないかしら』
でも、おじさんは、お父様の偽物を撃退してくれたのです。
だから──
『それがあなたに信頼させる為の演技だとしたら?』
その囁きに、息が詰まりました。
何時しか私は歌を口ずさむのを止めてしまっています。
そして、おじさんもまた歌うのを止めていました。
ランプの光だけが微かに揺れる闇の中に沈黙が落ちて。
それでもおじさんは私の手を掴んだまま何処かを目指して歩き続けています。
『どうして“おじさん”はこんな闇の中でも迷わずに進んでいるのかしら?
本当は、出口に向かっていないのだとしたら?
あなたは、このままその手を繋いでて良いのかしら?』
囁く声が止む気配は全くありません。
その囁きは、じわりじわりと私の胸の内を染めていきそうになります。
思わず、おじさんの右手を掴んでいる自分の左手に目を落としてしまいました。
痛くないように、でも絶対に離さない様な絶妙な力加減で、おじさんの手は私の手を握っています。
少しだけ、私は繋いだ手の力を緩めてしまいました。
おじさんは少しだけ気にする素振りを見せながらも何も言いません。
『今なら逃げられるわ。
その手を離して、来た道を戻れば良いの。
そうしたら、ここから出られるのよ』
耳元で囁く誰かの声は何処か急かす様にそう言います。
どんどんと膨れ上がる不安に、私はその手を離してしまいそうになりました。
すると──
「ルキナ」
おじさんは、静かに私の名前を呼びます。
立ち止まらずに、だけど、歩みが遅くなった私に歩調を合わせて。
「……きっと、今頃君には色んなモノが聞こえているんだろう。
恐らくは、僕を信じてはいけないとか、この手を離して逃げろとか、来た道を戻れとか、ね」
おじさんのその言葉に、私の耳元で囁いていた声がたじろぐのを感じます。
それに気付いているのかいないのか、おじさんは続けました。
「……僕を信じきれない気持ちは、分かるよ。
僕も、絶対に信じてくれなんて、言えない……。
君との約束を破ってしまった僕には、そんな資格は無い」
だけど、と。
確かな優しさと決意がこもった声で、おじさんは続けます。
「僕は君をここから逃がして見せる。
この闇の中から、君を……君を待つ人が居る世界に帰して見せる。
例え、君が僕を疑っているのだとしても、信じて貰えないのだとしても。
絶対に、だ」
おじさんはそう言って、私に振り向きました。
フードの下に、一瞬だけおじさんの目が見えました。
黄金色の瞳は、ランプの光でユラユラと揺らめきながら輝いています。
「だから、君は君を惑わそうとするその声に耳を傾けては駄目だ。
その声は、君を捕らえ心を食らおうとする、罠なんだ」
そしておじさんは私の背後を睨み付けました。
「お前ごときに、この子の心は、魂は喰わせやしないよ。
この子には、帰るべき場所がある、待っている人がいる。
そして、果たしたい使命も……あるんだ。
さあ、もういい加減ルキナを惑わせるのは止めて貰おう」
そう言って、おじさんはお父様の偽物を消した時の様に闇に向かってランプを翳します。
すると、あれ程までにしつこく耳元で囁いていた声は、悲鳴を上げながら急速に遠ざかっていきました。
声が完全に聞こえなくなっても、おじさんはランプを油断なく翳し続けます。
そして、暫し暗闇を睨んだ後に、一つ溜め息を溢しておじさんは再び前を向きました。
「追い払えはしたけど、完全には消せなかったみたいだね。
きっとまた、何処かで仕掛けてくるつもりだろう。
だから、絶対に油断してはいけないよ。
アイツは君をここに縛り付けて、君のその魂を喰らってしまうつもりなんだ」
おじさんの言葉に、私は確りと頷きます。
あの声が遠くに消えた途端に、あの囁きに耳を傾けていた時の自分の異常な行動をやっと実感出来たからです。
あんなにも妖しい囁き声の言葉を、どうして信じようとなんてしていたのでしょう。
そしてそれと同時に、おじさんに対して申し訳無くなりました。
おじさんの事を思い出せないのは、おじさんの所為ではありません。
なのに、私はあの囁き声に唆されていたとは言え、ここまで導いてくれていた人を拒絶しようとしていたのです。
見捨てられたって、文句は言えない行動でした。
ごめんなさいと謝る私に、おじさんは首を横に振ります。
「そんな事で君が僕に謝らなくたって良いんだよ……。
僕は、……僕の為にも、君を助けたいだけなんだ。
これは僕の我が儘でもあるんだから、君が気にしなくていいんだよ」
そう言って寂しそうに微笑んだおじさんは、一瞬だけ私を通して誰かを見ていました。
どうして、と。
思わずそう訊ねたくて。
でもその疑問は言葉として出ていく事はありませんでした。
おじさんが、どうしてそこまでして私を助けてくれるのか。
どうしてそんなにも寂しそうな顔をするのか。
おじさんの事をまだ思い出せない私には分かりません。
だけど。
おじさんが深い深い哀しみを抱えて私に微笑んでいるのは分かります。
きっとその理由を訊ねる事は、おじさんの哀しみに満ちた心をより深く傷付けてしまうのでしょう。
そう私は直感で判断し、だからこそそれ以上は何も言えなくなってしまったのです。
そして、そのままずっと。
私とおじさんは手を繋いで歩き続けました。
◇◇◇◇