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現の狭間、悪夢の終わり

◇◇◇◇




 闇の中を歩き続ける内に、少しずつ少しずつ記憶が埋まってゆき、それと共に私は大きくなっていきます。
 最初はうんと見上げなければならない程の開きがあったおじさんとの背丈も、少しずつ縮まっていきました。

 それでも、何れ程記憶が埋まっても、おじさんの事は思い出せないままです。
 お父様の事も、お母様の事も、仲間たちの事も、思い出せてきたのに。
 どうしても、おじさんの事と、どうして私がこんな場所にいるのかはまだ一向に思い出せないままでした。

 闇の中を歩いていく内に、ふと後ろから誰かの声が聞こえた気がします。
 私の名前を呼ぶその声に振り向こうとすると。


「駄目だよ。
 来た道は絶対に振り返っちゃいけない。
 何があっても、何に呼ばれても……。
 振り返ったら最後、君はこの闇の中から永遠に抜け出せなくなってしまう……」


 そう言っておじさんは私の手を強く引きました。
 そしてとても真剣な雰囲気で、私を諭します。


「出口にちょっと近付いてきたからね、あっちも必死なんだ。
 きっと有りとあらゆる手段で、君をここに引き留めようとしてくる筈だ。
 でも、絶対に振り向いちゃいけない、立ち止まってもいけないよ。
 僕を、僕が握るこの手だけを信じるんだ。
 大丈夫、僕が絶対に君をここから逃がして見せるからね……」


 おじさんの言葉に嘘はありませんでした。
 だから私はそれに頷き、背後から囁く様に私の名前を呼び続ける声に耳を塞ぎます。
 何時までも何時までも私の名前を壊れた様に繰り返しささやいていたその声は、次第に遠ざかって行き、やがては消えてしまいました。


 それからどれだけ歩き続けたのでしょう。
 また、私は名前を呼ばれました。
 今度は来た道からではなく、前の方からです。
 懐かしく大好きな声によく似たその声に思わず前を向いて闇に目を凝らすと、そこには。

 大好きなお父様がいました。

 お父様は、にこやかに笑って手を振りながら、「こっちにおいで」と優しく私を呼んでいます。
 思わず、おじさんの手を離して駆け寄ろうとした私を、手を離そうとした瞬間におじさんの手が痛い程の力で掴みそう直してそれを押し留めました。


「……クロムを出してくるなんて、悪趣味極まりないね……」


 静かに怒っている様に、だけどとても悲しそうに。
 おじさんは唸る様にお父様を睨みます。


「ただの悪夢の幻影のくせに、クロムの姿を取るなんて、良い度胸をしている。
 不愉快だ、消えてくれ」


 足を止める事も無く、おじさんは左手に持っていたランプをお父様に向けて振る様に翳しました。
 すると、まるで影が溶ける様に、確かにそこに居た筈のお父様の姿は消えてしまいます。
 そして何かの断末魔の様な声も響きました。
 それは到底お父様の声とは似ても似つかないものでした。


「例え偽物でも、クロムの姿をしたモノを消すなんて……、最悪な気分だ。
 ……もう、僕のクロムは……。
 ……いや、何でもない、じゃあ行こうか、ルキナ」


 何処か苦しそうにそう呟いたおじさんを放っておけなくて。
 私はその背中を、空いている右手で優しく擦りました。
 本当は頭を撫でてあげたかったのだけれど、背が全然足りなかったのです。


「大丈夫ですよ、おじさん。
 きっとお父様は許してくれますから」


 例え全くそっくりそのままの姿をしていたのだとしても、偽物を消した事をお父様が咎める事は絶対に無いでしょう。
 そんな当然の事を思ってかけた言葉だったのに、どうしてだかおじさんはフードの下で泣きそうな顔をした気がします。


「……赦して、くれるのかな……。
 ううん、あの時だって、クロムは……」


 泣かないで欲しかったのに、おじさんはポロポロと涙を溢してしまいました。


「おじさん、大丈夫ですか?」

「……ごめんね、心配かけちゃったかな。
 うん、僕は大丈夫だよ。
 ちょっとだけ哀しくて……そして嬉しかっただけだから……」


 フードの下で、私を安心させる様におじさんは微笑みます。
 でもその笑顔はとても寂しそうで。
 それを見ていると、私の胸はキュッと苦しくなりました。
 視界は潤み、ポタポタと涙の雫が頬を伝って行きます。

 おじさんが哀しんでいるのが、とても辛いのです。
 おじさんは私の事を沢山知っているのだから、絶対に私はおじさんの事をよく知っていた筈なのに……。
 それなのに思い出せない事が、とても悲しいのです。

 黙ったままポロポロと涙を溢していると、おじさんは途端にオロオロと狼狽えてしまいます。


「ごめんね、僕の所為……だよね……。
 駄目だな、君を哀しませたくなんて無いのに……」


 違うんです、と言いたくて。
 でもきっと言葉だけじゃ伝わらないから。
 私はおじさんの手をギュッと握りました。

 するとおじさんは、驚いた様に少しだけ息を詰め、優しくフワリと微笑みます。
 そして。
 そっと優しく手を握り返して、何処かとても懐かしい声で、とても懐かしく優しい歌を歌い始めました。
 誰かと一緒によく歌っていたその歌を、私も思わず口ずみます。
 すると、涙はいつの間にか止まっていました。

 暗い闇の中を歩きながらでも、そうやって歌を歌うとどうしてだか気持ちが前向きになれます。

 思い出せないけれど、何時か何処かで、私はおじさんとこうやって歌っていた事があったのでしょうか?

 それは分かりませんが、でもきっと。
 その思い出は私にとってとても大切なものだったのだろうと思いました。





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