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ルフルキ短編

◇◇◇◇◇




「母さんの髪って、本当に綺麗ですよね!
 こんなに伸ばしてるのに全然絡まったりしませんし、柔らかくて艶々してて、何だか憧れちゃいます」


 親子水入らずでやって来た異界の湯屋の自慢の露天風呂。
 その湯上がりにルキナが髪を拭いていると、横から“娘”であるマークがそう言ってきた。


「あら、そう言って貰えるのは嬉しいです。
 でも、マークの髪だってとても素敵な髪ですよ」


 そう返しながらルキナはまだ水気が取り切れていなかったマークの髪を拭いてやる。
 マークは嬉しいのか少し擽ったそうに笑い、ルキナとお揃いの深蒼の髪が揺れた。

 父親との記憶以外を全て喪っていたマークとの距離をどう取れば良いのか、最初はお互いに迷いながら手探りであったけれど。
 ちょっとした切っ掛けから普通に“親子”として接する事が出来る様になっていて。
 元気一杯なマークは、記憶を喪ったからなのかそれとも元々なのかは知らないが、お父さんっ子であるのと同じ位にお母さんっ子でもあった様で。
 ルキナを母親として甘えてくるマークを、ルキナは精一杯慈しみ愛していた。

 “娘”と言っても、ルキナとマークの間の歳は十も空いてない。
 ルキナは未だ子を産んだ事は無いし、産む機会が訪れるにしろそれはもう少し先の事になるであろう。
 が、マークは義理の娘とかでもない。
 歴とした、ルキナと血の繋がった娘である。
 ……尤も、“未来からやって来た”と言う但し書きが必要にはなるけれど。

 ルフレと思い結ばれて少しして出逢ったこの娘は、父親であるルフレの事以外は何も思い出せなかった。
 マークの喪われた記憶の中には母親であるルキナの事も含まれていて。
 当初、マークはルキナが母親である実感はあまり無かった様であった。
 まあ、それはルキナの方もそうなのではあるけれど。

 ルキナ自身、未来からやって来た人間だ。
 だから、マークが未来からやって来たと言うのも驚きはしたものの受け入れてはいた。
 が、そもそもの話をすれば、ルキナが結ばれたルフレは本来は別の時間の人間で。
 ルキナが過去にやって来ない限りは結ばれる筈もない人であった。
 マークがやって来た“未来”とは一体“何処”なのか、マークの“母親”は本当にルキナなのかなど。
 マークがやって来てからルキナは大いに悩んだのだけれども、マークに聖痕が現れていた事や他に幾つか間違いなくルキナの血を引いている事を示す確固たる事実があった事などを踏まえて、マークの“母親”は間違いなくルキナなのだろうとは理解した。
 マークがやって来た“未来”やそもそも過去へとやって来た理由など気になる事はまだまだ山積みではあるけれど、肝心のマークが一切の記憶を喪っている事もあってあまり深くは考えない様にしている。
 時の迷い子であるこの子の親が間違いなく“ルフレ”と“ルキナ”であるという事実だけで、ルキナとルフレには十分だったのだ。

 まだ産まれてもいない“娘”とこうして時を過ごすと言うのは、不思議なんて言葉では言い表せない程の事であるけれど。
 それでも決してこの時間は悪いものではなかった。
 いや、はっきりと正直に言えば、“幸せ”であった。


 マークが誉めたルキナの長い髪。
 それは、ルキナにとっては亡き“両親”を偲ぶ為の形見でもあり、どうしても切り捨てる事が出来なかった未練と感傷であった。
 未来からこの時間にやって来たその時、ルキナは男装し性別を偽っていた。
 髪は結って織り込む事で何とかその長さを誤魔化していたのだけれども。
 そもそも、より万全を期するならば髪は切ってしまうべきだった。
 髪の長い男性だって居なくはないけれど髪が長いのは女性の方が圧倒的に多い、もし何かの拍子に髪が解けてしまったりしたらルキナの正体がバレて危険な事態になっていたかも知れなかったからだ。
 最終的に正体を全て隠さずこの時間の父に話して理解を得て貰えた今となっては、あれは不要な悩みだったのかもしれないがそれはあくまでも結果論でしかない。
 ルキナは果たさねばならぬ使命があり、その為ならば全てを擲つ覚悟であったしそれは今も変わらない。
 だが、それでもルキナは自分の髪を切れなかった。
 何故ならば、ルキナの髪は……。
 亡き父と母に“綺麗”と褒められてきたモノだったからだった。
 母に櫛で髪を梳いて貰うのが大好きだった。
 父に『似合っている』と褒められ撫でられるのが好きだった。
 父との思い出も母との思い出も、その縁とする形あるモノの多くは、“絶望の未来”を生き抜く内に喪われていって。
 残っているのは父から受け継いだファルシオンとこの髪位なモノだった。
 だから、切れなかった。

 この髪は、ルキナにとって大切な思い出であるのと同時に、全てを捨てきれなかった弱い心の象徴でもあった。
 ……それでも、あの時切らなくて本当に良かったと、ルキナは思ってしまうのだ。

 ルフレが愛し気にこの髪を掬ってそこに口付けを落とした時、そしてこうして娘と髪について話せた時。
 ルキナは、確かに失い難い“幸せ”を感じたのだから。
 この“幸せ”を守る為に戦おうと、そう心に新たな火を灯す事が出来たのだから。
 それらは、間違いなくルキナに強い力を与えていた。


 マークの髪をある程度拭いてやったルキナは、変な癖が付いてしまう前にとその髪を梳いてやる。
 幸せそうに笑い声を溢すマークに、ルキナの目は無意識の内に優しく柔らかな暖かさを帯びた。

 マークがやって来た“未来”はどんな所だったのだろう。
 この子が“幸せ”になれていた世界だろうか。
 邪竜の恐怖に怯える事もなく、誰かを傷付け殺し合う必要もなく。
 そんな、“幸せ”な“未来”なのだろうか?
 そうだったら良い。
 そうじゃなかったのだとしても、これからルキナ達が変えていけば良い。
 この子の“幸せ”を何としてでも守りたいと、そうルキナは心から想った。
 母がそうであった様に、ルキナもまたそうであった。
 ルキナにとって、母親とはそう言う存在なのだ。



「母さん! 今度は私がお母さんの髪を梳きたいです!」

「ふふ、じゃあお願いしますね」


 母子の“幸せ”な時間を味わう様に、ルキナは優しく微笑んだ。




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