ルフルキ短編
◇◇◇◇◇
深々とした静けさが帳を下ろした様に世界を包んでいる。
誰もが皆夜の眠りの世界に誘われ、夜明けを待っているのだろう。
世界を照らすのは、月明かりと星明かりばかりで。
それと僅かばかりの篝火が、夜闇を薄れさせている。
そんな静かな世界で、ルキナは自らの天幕を脱け出して夜空を見上げていた。
地に生きる人々にとっては“年の瀬”と言う特別な日、特別な夜ではあるけれども。
空に輝く星々は、何時もと何一つとして変わりはしない輝きを地へと投げ掛けている。
あの“未来”でも、星の輝きは変わらなかった。
きっとそれは、昼も夜も空があの厚い雲に覆われ続けて日の光も月と星の光が夜空から消えてしまっていても、地に生きる人々の目には見えずとも、その雲の向こうにあったであろう星の輝きは変わっていなかったのだろう。
変わる事の無い夜空を見上げていると、何時だって胸に巣食い続けている焦燥や恐怖や苦悩は少しだけ軽くなる。
ルキナの抱える苦悩も何もかもが、ちっぽけなモノの様に思えて。
ルキナが何をしようと、何処に居ようと、この星々の輝きは変わらないのだと思うと、それが何故だか少しばかり“救い”の様にも思えてしまうのだ。
勿論、ルキナは星とて不滅の存在では無い事も、変わりがない様に見える夜空でも千年二千年と言う人間で言えば途方もなく永遠にも思える時の中で見れば、変わっていってしまう事も知っている。
それでも星達の瞬きは、永遠どころか百年を生きる事すら稀である人の身からすれば、不滅の様に感じてしまうのもまた事実なのである。
満天の星空にただただ魅入られた様に見上げ続けているルキナの横に、ふと新たに誰かが座る。
思わず星空から目を離して横を見ると、恋人であるルフレが優しく微笑みながら手にしたマグを手渡してきた。
「こんな時間まで夜更かしかい?
明日も行軍があるんだし、あんまり感心しないね」
そんな言葉を言いながらも、その声音にルキナを咎めようとする意図はなく。
ルフレが手渡してきたそのマグは、柔らかな甘い香りと共に暖かな湯気を立てていた。
「ルフレさんこそ、こんな時間まで夜更かししてるじゃないですか」
少しからかう様にルキナがそう返すと、ルフレは少し肩を竦めて微笑む。
「そうだね。
まあ、明日の行軍路とか、今後の策を練っていたからね。
で、そろそろ寝ようかと思ったら、とっくに寝ている時間だろうに天幕には君が居ないときた。
全く……今日はとても冷えるのに、そんな格好で長いこと外に居たら風邪を引いてしまうよ?」
そう言うなり、ルフレはそっとルキナの指先に軽く触れる。
「ほら、こんなに指先が冷たくなってるし……。
夜空を見上げるのも良いけれど、少しはルキナは自分の身体を気遣ってあげて欲しいね」
そう苦笑いして、ルフレは懐に持っていた毛布を広げてルキナの肩に掛け、一人分にしてはかなり余るその端を自分の肩へと掛けた。
自然と密着する身体から、服越しに伝わるその温もりに、ルキナは心の寄る辺を見付けたかの様な安堵を感じて、ルフレとより身体が接する様に寄り添う。
「そんなお小言を言いながら、ルフレさんも星が見たいんですか?」
「そうだね。
折角こんなに星が綺麗な夜なんだから。
これをちゃんと見ずに、眠ってしまうのも少しばかり勿体無い。
それに……もうそろそろ日が昇る時間だからね」
そう言いながら、ルフレは自分の分のマグの中身を一口飲む。
ルキナもそれに促される様に、自分の分を一口。
途端に口の中に広がるのは、ミルクと蜂蜜の優しい甘さと、それに絡み合う様にすっかり冷えた身体を芯から温めてくれる生姜の仄かな辛さに似た味であった。
ルキナが夜空を見ている事に気が付いたルフレが、きっとルキナの為に用意してくれたのだろう。
毛布と共に感じるその温もりは、身体だけではなく、胸の奥からも湧き上がって来る。
愛しい恋人と、こうして穏やかで静かな時を共に過ごせる事に、言葉では溢れてしまう程の幸せな想いを感じてしまう。
今が戦時中である事も、ルキナかルフレのそのどちらかが戦場に倒れる可能性があるのだとしても。
それでも、こうして共に過ごせる時は、こんなにも愛しくて。
それ故に、僅かな苦味と、どうしようもない息苦しさにも似た感情の奔流を感じてしまう。
何時か、この人は父を裏切り殺そうとするのだろうか。
何時か、自分はこの人を殺さなくてはならなくなるのだろうか。
何時か、その時が来たら、……来てしまったら、自分は……。
この人を、殺す事が出来るのだろうか。
共に過ごす日々は、共に過ごす時間は、その記憶は。
こんなにも愛しいのに、こんなにも大切なのに。
それを……この温もりを、自ら喪う様な事を、その選択を……自分は出来るのだろうか。
分からない。
それは、ルキナには分かり様が無い事だ。
ルキナに出来るのは、そんな未来が絶対に来ない様にと願うだけ。
ルキナの抱えている疑念が、全てルキナの気の所為で終わる事を望むだけだ。
ルキナの胸の中に、静かに苦悩の陰りが忍び寄ろうとしたその時。
「ルキナ」
優しく囁く様に名を呼ばれ、そしてルキナの肩をそっと抱き寄せる。
「大丈夫、大丈夫だよ、ルキナ。
どんな夜だって、必ず明けるんだ。
ルキナの苦しみも、悩みも、終わる時は、終わらせられる時は、必ず来る。
だからこそ僕らは、少しでも“良い終わり方”が出来る様に努力するんだ。
その為なら、君の為なら、僕は何だってする、何だって出来る、してみせるから」
ゆっくりと、ルキナに言い聞かせる様にそう語るルフレの表情は、月明かりを横切る様に雲が流れていった為影が落ちていてよくは見えなかった。
ただ、その声音に込められたその熱に、ルキナはもどかしくもまだ何も返せなくて。
それでも溢れた想いは浅い吐息の様に零れ落ちていく。
そのまま不意にキスをされそうな程の近くで見詰め合い続けていたが二人だが、月明かりを遮っていた雲が途切れると同時にルフレの気配が少し緩む。
そして、僅かに茶目っ気を滲ませながら、ルフレは微笑んだ。
「僕は一応これでもクロムの軍師として、策を考える頭だけは誰にも負けないと自負しているからね。
ルキナの為の策なら、どんな戦局だって引っくり返せる様なモノを考え付いてみせるさ」
僕の軍師としての力は信頼してるだろう?と、そう続けたルフレの言葉に、思わず知らず知らずの内に強張っていた肩の力は抜けて、ルキナは少し苦笑する様に頷いた。
「そうですね……。
何時も頼りにしてるんですよ? 軍師としての貴方の策は」
「それは光栄至極に存じますね、僕のお姫様」
そう言って、二人して顔を見合わせて少し笑う。
ふと見上げた夜空の端が少し白み始めてきた事に気が付いて、ルキナはふとそこを指差した。
「もう日が登りますね」
「そうだね、新しい年の初めての日の出をこうして一緒に見られるなんて、中々幸先が良い様な気がするよね」
夜の闇は少しずつ白い輝きに追いやられる様に星明かりと共に去り、夜明け前に現れる何処までも透き通る様な蒼が天を彩っていく。
「良い一年になると良いですね」
「そうだね、きっと、そう出来る筈だよ」
どちらからと言う訳でもなく、互いに手を握りあった。
ルフレの右手とルキナの左手の指先が絡み合う様に繋がれ、二人は鳥の番の様に身を寄せ合う。
何時か、この手を離さなければならぬ日が来るのかもしれない。
何時か、この温もりをこの手で喪わなくてはならぬ時が来るのかもしれない。
そうやって、ルキナは自分が抱え続けていた苦悩に答えを出して終わらせてしまうのかもしれない。
だけれども。
そうではない道も、そうでは無い終わり方も、きっと何処かにある筈だ。
あるのだと、信じたい。
明けぬ夜は無く、必ず何時か太陽は昇る。
ならば、何時かこの“夜”の終わりが、素敵なものになる事を、そう出来ると信じて。
精一杯に足掻いてみせよう。
そう決意を新たに、ルキナは世界を優しく照らし出す日の輝きを、その眩しさに目を細めながら見詰めるのであった。
◇◇◇◇◇
深々とした静けさが帳を下ろした様に世界を包んでいる。
誰もが皆夜の眠りの世界に誘われ、夜明けを待っているのだろう。
世界を照らすのは、月明かりと星明かりばかりで。
それと僅かばかりの篝火が、夜闇を薄れさせている。
そんな静かな世界で、ルキナは自らの天幕を脱け出して夜空を見上げていた。
地に生きる人々にとっては“年の瀬”と言う特別な日、特別な夜ではあるけれども。
空に輝く星々は、何時もと何一つとして変わりはしない輝きを地へと投げ掛けている。
あの“未来”でも、星の輝きは変わらなかった。
きっとそれは、昼も夜も空があの厚い雲に覆われ続けて日の光も月と星の光が夜空から消えてしまっていても、地に生きる人々の目には見えずとも、その雲の向こうにあったであろう星の輝きは変わっていなかったのだろう。
変わる事の無い夜空を見上げていると、何時だって胸に巣食い続けている焦燥や恐怖や苦悩は少しだけ軽くなる。
ルキナの抱える苦悩も何もかもが、ちっぽけなモノの様に思えて。
ルキナが何をしようと、何処に居ようと、この星々の輝きは変わらないのだと思うと、それが何故だか少しばかり“救い”の様にも思えてしまうのだ。
勿論、ルキナは星とて不滅の存在では無い事も、変わりがない様に見える夜空でも千年二千年と言う人間で言えば途方もなく永遠にも思える時の中で見れば、変わっていってしまう事も知っている。
それでも星達の瞬きは、永遠どころか百年を生きる事すら稀である人の身からすれば、不滅の様に感じてしまうのもまた事実なのである。
満天の星空にただただ魅入られた様に見上げ続けているルキナの横に、ふと新たに誰かが座る。
思わず星空から目を離して横を見ると、恋人であるルフレが優しく微笑みながら手にしたマグを手渡してきた。
「こんな時間まで夜更かしかい?
明日も行軍があるんだし、あんまり感心しないね」
そんな言葉を言いながらも、その声音にルキナを咎めようとする意図はなく。
ルフレが手渡してきたそのマグは、柔らかな甘い香りと共に暖かな湯気を立てていた。
「ルフレさんこそ、こんな時間まで夜更かししてるじゃないですか」
少しからかう様にルキナがそう返すと、ルフレは少し肩を竦めて微笑む。
「そうだね。
まあ、明日の行軍路とか、今後の策を練っていたからね。
で、そろそろ寝ようかと思ったら、とっくに寝ている時間だろうに天幕には君が居ないときた。
全く……今日はとても冷えるのに、そんな格好で長いこと外に居たら風邪を引いてしまうよ?」
そう言うなり、ルフレはそっとルキナの指先に軽く触れる。
「ほら、こんなに指先が冷たくなってるし……。
夜空を見上げるのも良いけれど、少しはルキナは自分の身体を気遣ってあげて欲しいね」
そう苦笑いして、ルフレは懐に持っていた毛布を広げてルキナの肩に掛け、一人分にしてはかなり余るその端を自分の肩へと掛けた。
自然と密着する身体から、服越しに伝わるその温もりに、ルキナは心の寄る辺を見付けたかの様な安堵を感じて、ルフレとより身体が接する様に寄り添う。
「そんなお小言を言いながら、ルフレさんも星が見たいんですか?」
「そうだね。
折角こんなに星が綺麗な夜なんだから。
これをちゃんと見ずに、眠ってしまうのも少しばかり勿体無い。
それに……もうそろそろ日が昇る時間だからね」
そう言いながら、ルフレは自分の分のマグの中身を一口飲む。
ルキナもそれに促される様に、自分の分を一口。
途端に口の中に広がるのは、ミルクと蜂蜜の優しい甘さと、それに絡み合う様にすっかり冷えた身体を芯から温めてくれる生姜の仄かな辛さに似た味であった。
ルキナが夜空を見ている事に気が付いたルフレが、きっとルキナの為に用意してくれたのだろう。
毛布と共に感じるその温もりは、身体だけではなく、胸の奥からも湧き上がって来る。
愛しい恋人と、こうして穏やかで静かな時を共に過ごせる事に、言葉では溢れてしまう程の幸せな想いを感じてしまう。
今が戦時中である事も、ルキナかルフレのそのどちらかが戦場に倒れる可能性があるのだとしても。
それでも、こうして共に過ごせる時は、こんなにも愛しくて。
それ故に、僅かな苦味と、どうしようもない息苦しさにも似た感情の奔流を感じてしまう。
何時か、この人は父を裏切り殺そうとするのだろうか。
何時か、自分はこの人を殺さなくてはならなくなるのだろうか。
何時か、その時が来たら、……来てしまったら、自分は……。
この人を、殺す事が出来るのだろうか。
共に過ごす日々は、共に過ごす時間は、その記憶は。
こんなにも愛しいのに、こんなにも大切なのに。
それを……この温もりを、自ら喪う様な事を、その選択を……自分は出来るのだろうか。
分からない。
それは、ルキナには分かり様が無い事だ。
ルキナに出来るのは、そんな未来が絶対に来ない様にと願うだけ。
ルキナの抱えている疑念が、全てルキナの気の所為で終わる事を望むだけだ。
ルキナの胸の中に、静かに苦悩の陰りが忍び寄ろうとしたその時。
「ルキナ」
優しく囁く様に名を呼ばれ、そしてルキナの肩をそっと抱き寄せる。
「大丈夫、大丈夫だよ、ルキナ。
どんな夜だって、必ず明けるんだ。
ルキナの苦しみも、悩みも、終わる時は、終わらせられる時は、必ず来る。
だからこそ僕らは、少しでも“良い終わり方”が出来る様に努力するんだ。
その為なら、君の為なら、僕は何だってする、何だって出来る、してみせるから」
ゆっくりと、ルキナに言い聞かせる様にそう語るルフレの表情は、月明かりを横切る様に雲が流れていった為影が落ちていてよくは見えなかった。
ただ、その声音に込められたその熱に、ルキナはもどかしくもまだ何も返せなくて。
それでも溢れた想いは浅い吐息の様に零れ落ちていく。
そのまま不意にキスをされそうな程の近くで見詰め合い続けていたが二人だが、月明かりを遮っていた雲が途切れると同時にルフレの気配が少し緩む。
そして、僅かに茶目っ気を滲ませながら、ルフレは微笑んだ。
「僕は一応これでもクロムの軍師として、策を考える頭だけは誰にも負けないと自負しているからね。
ルキナの為の策なら、どんな戦局だって引っくり返せる様なモノを考え付いてみせるさ」
僕の軍師としての力は信頼してるだろう?と、そう続けたルフレの言葉に、思わず知らず知らずの内に強張っていた肩の力は抜けて、ルキナは少し苦笑する様に頷いた。
「そうですね……。
何時も頼りにしてるんですよ? 軍師としての貴方の策は」
「それは光栄至極に存じますね、僕のお姫様」
そう言って、二人して顔を見合わせて少し笑う。
ふと見上げた夜空の端が少し白み始めてきた事に気が付いて、ルキナはふとそこを指差した。
「もう日が登りますね」
「そうだね、新しい年の初めての日の出をこうして一緒に見られるなんて、中々幸先が良い様な気がするよね」
夜の闇は少しずつ白い輝きに追いやられる様に星明かりと共に去り、夜明け前に現れる何処までも透き通る様な蒼が天を彩っていく。
「良い一年になると良いですね」
「そうだね、きっと、そう出来る筈だよ」
どちらからと言う訳でもなく、互いに手を握りあった。
ルフレの右手とルキナの左手の指先が絡み合う様に繋がれ、二人は鳥の番の様に身を寄せ合う。
何時か、この手を離さなければならぬ日が来るのかもしれない。
何時か、この温もりをこの手で喪わなくてはならぬ時が来るのかもしれない。
そうやって、ルキナは自分が抱え続けていた苦悩に答えを出して終わらせてしまうのかもしれない。
だけれども。
そうではない道も、そうでは無い終わり方も、きっと何処かにある筈だ。
あるのだと、信じたい。
明けぬ夜は無く、必ず何時か太陽は昇る。
ならば、何時かこの“夜”の終わりが、素敵なものになる事を、そう出来ると信じて。
精一杯に足掻いてみせよう。
そう決意を新たに、ルキナは世界を優しく照らし出す日の輝きを、その眩しさに目を細めながら見詰めるのであった。
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