ルフルキ短編
◆◆◆◆◆
ルキナにとって眠りとは、『死』と隣合わせの……限りなく『死』に近付く恐ろしい行為であった。
死と絶望に支配された未来では、どうしても無防備になってしまう眠りは、最も『死』と近い状態だったのだ。
一体、幾千幾万の命が『死』への恐怖を押し殺し震え眠ったまま、『死』への旅路を逝ってしまったのだろうか。
ルキナが把握し切れる事では無いが、その数は最早数えきれるモノではない事位は容易に想像が付く。。
未来への希望などとうに喪っていても、それでも誰もが明日を望んで、苦しい生を必死に足掻いて。
そして命を繋げる事も叶わず、散っていったのだ。
だからこそ、ルキナは眠る事が何よりも怖かった。
目を閉じてまた目覚められる保証など何処にも無い世界では、転た寝でも『死』を覚悟しなくてはならなくて。
ファルシオンを継ぐ者として「世界を救う」と言うその身も心も圧し潰さんばかりに重い『使命』を、一身に背負わざるを得なかったルキナにとっては。
眠りの中で何も出来ないまま……何も成せないままに殺される可能性が、何よりも恐ろしく。
心の奥深く刻まれたその恐怖は、例えあの「未来」とは程遠い過去に来ても、早々拭えるものでも無くて。
戦いに備えて身体を休める為に眠らなくては、と言う思いで、何時でも飛び起きれる程に浅い睡眠を無理矢理取る事が精一杯であった。
それは、あの「未来」を変えなくてはならないと言う強い責任感と、それを独りで成さねばならないと言う孤独からより一層悪化の一途を辿っていたのだろう。
あの「未来」への分岐点となったであろう『エメリナの死』を防ぐ事に失敗し、『過去は変えられないのでは?』と過去へと遡る等と人の身には過ぎた禁忌にすら触れた自分の行為の正当性すら見失いかけ。
そうやって思い悩んだ挙げ句の果てに、過去を不用意に変えてしまいかねないからと自重していた筈の、「過去」の父達との積極的な関与を決意した辺りで、ルキナを苛む眠りへの恐怖は頂点に達しつつあった。
ろくに眠る事すら出来ぬままにずっと気を張り詰め続けていたルキナの身体は、悲鳴を上げ始めていたのだ。
それに真っ先に気付いたのは、ルキナ本人ではなくて。
何故か「父」の軍師であるルフレであったのは、ルキナにとって今でも不思議でならない事だ。
皮肉な事にあの「未来」での生活のお陰で無理や無茶を通す事に慣れていたルキナの身体は、ちょっとやそっとの事では不調の影響などおくびにも見せる事はなく、だから他人がそれを見抜くのは極めて困難であろうに。
それを一目で見抜きその深刻な状態に顔を青褪めさせた時のルフレの顔を、ルキナは今でも忘れられない。
ルキナが「父」達と合流してからの二週間程の間はヴァルム大陸への遠征の準備に忙しく戦闘の類いも無かったからか、ルキナは心配性のルフレに医務室に担ぎ込まれ、暫しの絶対安静を余儀無くされたのであった。
当時のルフレはイーリスの軍師として遠征の準備に掛かりきりになる程に忙しかった筈なのに、それでも折りを見て医務室にまでお見舞いに来てくれていたのは、今思えば当時のルキナを相当心配していたからなのだろう。
突然現れて「未来」からやって来た親友の一人娘であると主張するルキナの事を、当時のルフレがどう思っていたのかは分からないし、きっと今訊いても何かとはぐらかされてしまうだけかもしれないけれど。
それでも、ルキナを心から心配してくれていたのが嫌でも分かるルフレのその心遣いが、ルキナにとってはとても眩しいモノであったのは確かな事だ。
あの「未来」では誰もがその日その日を生き延びるのに精一杯で、誰も彼もの心から「優しさ」や「気遣い」と言った心の「余裕」は、大なり小なり喪われていた。
ファルシオンを継ぐ者として人々の希望とされていたルキナには、仲間達も民もきっと皆精一杯に心を尽くしてくれていたのだろうけれど……。
それでも、ただただ純粋に心配されると言うのは、今はもう遠い幼い記憶の中にしかない。
……父を裏切り殺したかもしれないその人は、とてもとても……優しい人だった。
そんな人を「裏切者」の候補として疑わなくてはならない事に、場合によっては父を殺す前に彼を殺さなくてはならない事に、心が痛まなかった訳ではない。
それでも、この世界の行く末をあんな「絶望の未来」にする事だけは絶対にしてはいけないのだから、と。
その為に、「過去改変」という人が侵してはならぬ「禁忌」に手を掛け過去にまで遡って来たのだから、と。
今更こんな所で躊躇っている余裕など無いのだと。
ルフレ一人の存在と、この世界の全て。そのどちらが「重い」ものであるのかなんて迷う必要は無いのだと。
彼が「裏切者」で父を殺そうとするならば、「世界」を救う為に、殺してでもそれを防がねばならないのだ、と。
チクチクと良心を痛ませる自分にそう言い聞かせながら、ルキナはルフレを監視し続けていた。
それでも、ずっと監視し続けていても、ルフレは裏切る素振りなど寸毫程も見せる事はなくて。
それ処か、疑心の眼差しを以て見詰めるルキナの目にですら、ルフレがどうしようもなく優しくお人好しで仲間想いな好青年にしか見えなかったのだ。
勿論、軍師としての抜け目の無さや強かさは確りと備えていたし、底を見通せない部分もある。
しかしそう言った部分を含めても、やはり。
ルフレは何処までも『善い人』だったのだ。
この人が、本当に父を裏切ったりするのだろうか?
この世に「絶対」など存在しないと理解しながらも、ルキナですらそう思わざるを得なかった。
若しかしたら、ルフレ自身の意志ではなく、例えば絶対に斬り捨てられない誰かを「人質」に取られた結果の裏切りだったのでは……?
或いは、呪術か何か……そう言った対象の意思を奪う何らかの手段の結果の裏切りだったのでは……?と。
そう、ルキナは考え始める様になった。
それはきっと、 ルキナがルフレを……彼の優しさやその心を疑いたくは無かったからなのだろう。
それ程までに、彼は優しい人だったのだ。
あの「未来」で「裏切った」事実があるのだとしても、もしそれが「ルフレ」の意志ではなかったのなら。
そこに至ってしまった原因を取り除けば、ルフレを殺さずとも「未来」を変えられるのではないか、と。
何時しかそう考える様になってしまっていた。
…………恐らくその時には、ルキナにとってルフレは、例え「世界」の為であるのだとしても切り捨てたくはない……切り捨てられない人になっていたのだろう。
有り体に言えばきっと。
その時には、ルキナはルフレに恋をしていたのだ。
ルフレは仲間の誰にでも優しかったけれども。
ルキナが仲間として合流した時の状態が原因なのか。
ルフレは、ルキナには一際心を配っている様であった。
直ぐに無茶をするとでも思われていたのかもしれない。
戦いの時も野営地での一時も、何かとルキナを気遣ってくれるルフレに、ルキナも次第に絆されていったのだ。
未来には花と呼べる様なモノはもう殆ど残されていなかったと言えば、恐らく近くの草原で彼が態々摘んできたのであろう細やかな花束を渡され。
「未来」では食料事情が悪化した為劣悪な食事環境だったと人伝に聞いたのか、細やかながら何かとちょっとしたお菓子の類いをルキナに頻繁に差し入れてきて。
そんな風にまめまめしく気遣ってくるルフレを、そもそもルキナが嫌いになれる訳が無かったのだろう。
何時しかその胸に芽吹いていた小さな芽は、ルフレと関わる内に少しずつ成長し、やがて大輪の花を咲かせた。
ルフレから彼がその心に秘めていた想いを告白され、想い結ばれたのも丁度その頃の事だ。
恋人として同じ天幕で夜を共にする様になった時も、ルフレは不眠気味のルキナを心配してばかりであった。
安心して眠れる様にと、安眠に効く香を贈ってくれたり添い寝をしてくれたり時には子守唄を歌ったり……。
何だか幼子を寝かし付けているかの様で、子守唄やらはちょっと気恥ずかしかったけれども。
眠りに沈むその時も心から愛する人が傍にいてくれる事は、その優しさが包み込む様に守ってくれている事は、ルキナの中の眠りへの恐怖を少しずつ解く様に和らげていってくれたのだった。
夜眠る時に、ルフレの温もりを感じていられる事がどんなに安心出来る事なのか。
眠りの先に明日は来るのだと、目覚めは来るのだと。
そう確信させてくれるその声がその温もりを感じていられる事が、何れ程得難い「幸せ」であるのか。
眠りに怯えずに済む事の「素晴らしさ」を。
……ルフレはきっと何も知らないだろう。
でもそれでも良い。それで良いのだ。
あの恐ろしさを、ルフレは知らなくても良い。
あの「未来」は、あの絶望は。
この世界には絶対に訪れさせてはならないのだから。
だから、ルフレは一生そんな恐怖は知らなくても良い。
その為にも、ルキナがこうしてここにいるのだから。
そう決意を固め直して。
また「明日」。目覚めたその時に。
「おはよう」と、愛しい人に言う為に。
ルキナは微笑んで目を閉じるのであった。
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ルキナにとって眠りとは、『死』と隣合わせの……限りなく『死』に近付く恐ろしい行為であった。
死と絶望に支配された未来では、どうしても無防備になってしまう眠りは、最も『死』と近い状態だったのだ。
一体、幾千幾万の命が『死』への恐怖を押し殺し震え眠ったまま、『死』への旅路を逝ってしまったのだろうか。
ルキナが把握し切れる事では無いが、その数は最早数えきれるモノではない事位は容易に想像が付く。。
未来への希望などとうに喪っていても、それでも誰もが明日を望んで、苦しい生を必死に足掻いて。
そして命を繋げる事も叶わず、散っていったのだ。
だからこそ、ルキナは眠る事が何よりも怖かった。
目を閉じてまた目覚められる保証など何処にも無い世界では、転た寝でも『死』を覚悟しなくてはならなくて。
ファルシオンを継ぐ者として「世界を救う」と言うその身も心も圧し潰さんばかりに重い『使命』を、一身に背負わざるを得なかったルキナにとっては。
眠りの中で何も出来ないまま……何も成せないままに殺される可能性が、何よりも恐ろしく。
心の奥深く刻まれたその恐怖は、例えあの「未来」とは程遠い過去に来ても、早々拭えるものでも無くて。
戦いに備えて身体を休める為に眠らなくては、と言う思いで、何時でも飛び起きれる程に浅い睡眠を無理矢理取る事が精一杯であった。
それは、あの「未来」を変えなくてはならないと言う強い責任感と、それを独りで成さねばならないと言う孤独からより一層悪化の一途を辿っていたのだろう。
あの「未来」への分岐点となったであろう『エメリナの死』を防ぐ事に失敗し、『過去は変えられないのでは?』と過去へと遡る等と人の身には過ぎた禁忌にすら触れた自分の行為の正当性すら見失いかけ。
そうやって思い悩んだ挙げ句の果てに、過去を不用意に変えてしまいかねないからと自重していた筈の、「過去」の父達との積極的な関与を決意した辺りで、ルキナを苛む眠りへの恐怖は頂点に達しつつあった。
ろくに眠る事すら出来ぬままにずっと気を張り詰め続けていたルキナの身体は、悲鳴を上げ始めていたのだ。
それに真っ先に気付いたのは、ルキナ本人ではなくて。
何故か「父」の軍師であるルフレであったのは、ルキナにとって今でも不思議でならない事だ。
皮肉な事にあの「未来」での生活のお陰で無理や無茶を通す事に慣れていたルキナの身体は、ちょっとやそっとの事では不調の影響などおくびにも見せる事はなく、だから他人がそれを見抜くのは極めて困難であろうに。
それを一目で見抜きその深刻な状態に顔を青褪めさせた時のルフレの顔を、ルキナは今でも忘れられない。
ルキナが「父」達と合流してからの二週間程の間はヴァルム大陸への遠征の準備に忙しく戦闘の類いも無かったからか、ルキナは心配性のルフレに医務室に担ぎ込まれ、暫しの絶対安静を余儀無くされたのであった。
当時のルフレはイーリスの軍師として遠征の準備に掛かりきりになる程に忙しかった筈なのに、それでも折りを見て医務室にまでお見舞いに来てくれていたのは、今思えば当時のルキナを相当心配していたからなのだろう。
突然現れて「未来」からやって来た親友の一人娘であると主張するルキナの事を、当時のルフレがどう思っていたのかは分からないし、きっと今訊いても何かとはぐらかされてしまうだけかもしれないけれど。
それでも、ルキナを心から心配してくれていたのが嫌でも分かるルフレのその心遣いが、ルキナにとってはとても眩しいモノであったのは確かな事だ。
あの「未来」では誰もがその日その日を生き延びるのに精一杯で、誰も彼もの心から「優しさ」や「気遣い」と言った心の「余裕」は、大なり小なり喪われていた。
ファルシオンを継ぐ者として人々の希望とされていたルキナには、仲間達も民もきっと皆精一杯に心を尽くしてくれていたのだろうけれど……。
それでも、ただただ純粋に心配されると言うのは、今はもう遠い幼い記憶の中にしかない。
……父を裏切り殺したかもしれないその人は、とてもとても……優しい人だった。
そんな人を「裏切者」の候補として疑わなくてはならない事に、場合によっては父を殺す前に彼を殺さなくてはならない事に、心が痛まなかった訳ではない。
それでも、この世界の行く末をあんな「絶望の未来」にする事だけは絶対にしてはいけないのだから、と。
その為に、「過去改変」という人が侵してはならぬ「禁忌」に手を掛け過去にまで遡って来たのだから、と。
今更こんな所で躊躇っている余裕など無いのだと。
ルフレ一人の存在と、この世界の全て。そのどちらが「重い」ものであるのかなんて迷う必要は無いのだと。
彼が「裏切者」で父を殺そうとするならば、「世界」を救う為に、殺してでもそれを防がねばならないのだ、と。
チクチクと良心を痛ませる自分にそう言い聞かせながら、ルキナはルフレを監視し続けていた。
それでも、ずっと監視し続けていても、ルフレは裏切る素振りなど寸毫程も見せる事はなくて。
それ処か、疑心の眼差しを以て見詰めるルキナの目にですら、ルフレがどうしようもなく優しくお人好しで仲間想いな好青年にしか見えなかったのだ。
勿論、軍師としての抜け目の無さや強かさは確りと備えていたし、底を見通せない部分もある。
しかしそう言った部分を含めても、やはり。
ルフレは何処までも『善い人』だったのだ。
この人が、本当に父を裏切ったりするのだろうか?
この世に「絶対」など存在しないと理解しながらも、ルキナですらそう思わざるを得なかった。
若しかしたら、ルフレ自身の意志ではなく、例えば絶対に斬り捨てられない誰かを「人質」に取られた結果の裏切りだったのでは……?
或いは、呪術か何か……そう言った対象の意思を奪う何らかの手段の結果の裏切りだったのでは……?と。
そう、ルキナは考え始める様になった。
それはきっと、 ルキナがルフレを……彼の優しさやその心を疑いたくは無かったからなのだろう。
それ程までに、彼は優しい人だったのだ。
あの「未来」で「裏切った」事実があるのだとしても、もしそれが「ルフレ」の意志ではなかったのなら。
そこに至ってしまった原因を取り除けば、ルフレを殺さずとも「未来」を変えられるのではないか、と。
何時しかそう考える様になってしまっていた。
…………恐らくその時には、ルキナにとってルフレは、例え「世界」の為であるのだとしても切り捨てたくはない……切り捨てられない人になっていたのだろう。
有り体に言えばきっと。
その時には、ルキナはルフレに恋をしていたのだ。
ルフレは仲間の誰にでも優しかったけれども。
ルキナが仲間として合流した時の状態が原因なのか。
ルフレは、ルキナには一際心を配っている様であった。
直ぐに無茶をするとでも思われていたのかもしれない。
戦いの時も野営地での一時も、何かとルキナを気遣ってくれるルフレに、ルキナも次第に絆されていったのだ。
未来には花と呼べる様なモノはもう殆ど残されていなかったと言えば、恐らく近くの草原で彼が態々摘んできたのであろう細やかな花束を渡され。
「未来」では食料事情が悪化した為劣悪な食事環境だったと人伝に聞いたのか、細やかながら何かとちょっとしたお菓子の類いをルキナに頻繁に差し入れてきて。
そんな風にまめまめしく気遣ってくるルフレを、そもそもルキナが嫌いになれる訳が無かったのだろう。
何時しかその胸に芽吹いていた小さな芽は、ルフレと関わる内に少しずつ成長し、やがて大輪の花を咲かせた。
ルフレから彼がその心に秘めていた想いを告白され、想い結ばれたのも丁度その頃の事だ。
恋人として同じ天幕で夜を共にする様になった時も、ルフレは不眠気味のルキナを心配してばかりであった。
安心して眠れる様にと、安眠に効く香を贈ってくれたり添い寝をしてくれたり時には子守唄を歌ったり……。
何だか幼子を寝かし付けているかの様で、子守唄やらはちょっと気恥ずかしかったけれども。
眠りに沈むその時も心から愛する人が傍にいてくれる事は、その優しさが包み込む様に守ってくれている事は、ルキナの中の眠りへの恐怖を少しずつ解く様に和らげていってくれたのだった。
夜眠る時に、ルフレの温もりを感じていられる事がどんなに安心出来る事なのか。
眠りの先に明日は来るのだと、目覚めは来るのだと。
そう確信させてくれるその声がその温もりを感じていられる事が、何れ程得難い「幸せ」であるのか。
眠りに怯えずに済む事の「素晴らしさ」を。
……ルフレはきっと何も知らないだろう。
でもそれでも良い。それで良いのだ。
あの恐ろしさを、ルフレは知らなくても良い。
あの「未来」は、あの絶望は。
この世界には絶対に訪れさせてはならないのだから。
だから、ルフレは一生そんな恐怖は知らなくても良い。
その為にも、ルキナがこうしてここにいるのだから。
そう決意を固め直して。
また「明日」。目覚めたその時に。
「おはよう」と、愛しい人に言う為に。
ルキナは微笑んで目を閉じるのであった。
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