桜舞う頃〜その先〜
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深月はふと自分の隣に寝ていたはずの降谷がいないのに気付き目を開いた。覚醒し始めた脳はまだ回転が甘い様で深月はぼんやりとベッド横に置かれているローテーブルを見つめた。ゆっくりとベッドから起きればスーツの上着を羽織る降谷が和室に顔を出した。
「悪い、起こしたな。」
『…今、何時ですか?』
「3時頃だ。」
深月は時間を聞くと頭が冴えていった。
『なるほど…仕事ですか?』
深月があくび混じりに尋ねれば降谷にギュッと抱きしめられた。
「うん。ごめん。」
『大丈夫です。時間に左右される約束は難しいってわかってますから。機会があればでいいです。』
降谷が腕を緩めると深月はまだ少し眠そうに笑っていた。
「必ず一緒に見に行こう。」
降谷はそう言うと深月の髪にキスをしベッドをポンポンと叩いた。
「ほら、君はもう少し寝たらいい。」
『…零さん。』
「ん?」
深月が降谷の胸元を掴んで軽く引くと降谷は深月に顔を近付けた。そうすれば降谷は深月にチュッとキスをされ、ふわりと優しく笑われた。
『いってらっしゃい。』
「うん。いってきます。」
降谷は深月の頬に優しくキスをするとベッドに寝かせて布団をかけて髪をひと撫ですると家を出て行った。深月は降谷の出て行った方を見つめたが、暫くするともぞもぞと布団の中に潜り込んだ。そうすれば降谷の香りがするのに先ほどまで本人に抱きしめられていたせいか深月は物足りなくて寂しくなった。
ー変なの…ちょっと前まではここで布団に包まると安心したのに…寂しいって感じるなんて…
深月は眠れそうになくて布団から出るとベッド近くのクッションの上で眠るハロを撫でた。ハロは眠りが深いのか心地良さそうに寝息を立てた。
ーさて、どうしようかな。目は冴えちゃったし…
深月は少し悩むとスマートフォンで地図を検索し服を着替えて降谷の家を出た。目的の埠頭までは歩いて1時間半ほどで深月はひとりでそこへ行くと決めた。履き慣れた運動靴で歩くのはなんの問題もなく周りは暗かったが深月はスマートフォンの地図を頼りに目的地まで迷う事なく歩いた。埠頭へ着く頃には空がオレンジ色に染まり出し朝焼けのグラデーションが深月の瞳に映った。
『綺麗…』
深月はぽつりと呟くと肩をポンと叩かれ慌てて振り返った。そこにはよく知る人物がいて深月はふわりと笑顔になった。
『お父さん!』
「こんなところにひとりか?」
『うん。朝焼けが見たくなって。お父さんもひとりなの?』
「あぁ仕事帰りに寄った。まぁ正確にはひとりじゃないが。」
祐太朗が少し離れたところに停まる車の方へ視線を向けると深月は理解した。
『SPに付き合わせてないでさっさと帰ったらいいのに。可哀想。』
「そんな事を言ったら朝焼けは見れない。」
『お母さんに付き合ってもらいなよ。』
「静かにゆっくりしたい時もあるんだよ。」
『なるほどね…お邪魔なら私も帰るよ?』
深月が首を傾げると祐太朗はその手を取って手の甲にチュッとキスをした。
「お姫様、私とデートなどいかがでしょうか?」
『警察庁長官殿とご一緒出来るなんて光栄ですわ。』
祐太朗に合わせて深月も恭しく答えれば2人は顔を見合わせて、フフッと笑い合った。
スッと差し出された祐太朗の腕に違和感なく手を添えてしまってから深月はハッとした。
ーさらっとこういう事して違和感感じさせないってよく考えたらすごいな…
祐太朗と深月は埠頭の先まで来ると足を止めて青とオレンジのグラデーションが美しい朝焼けの空を見つめた。波打つ海がキラキラと光るのが少し眩しくて深月は目を細めた。
ーお母さんはここへお父さんに連れられてうっかり恋して、お父さんを守りたいと思ったって言ってたなぁ…
初めて母親に連れられてここの朝焼けを見た時に話されたそれを深月は思い出していた。横で自分と同じ様に目を細めて空と海を見つめる父親を深月は見つめて尋ねた。
『ねぇお父さん。』
「なんだい?」
『お母さんの事を守りたいって思った事ある?』
深月の突然の問いに祐太朗は、ふむ。と少し考えると答えた。
「そりゃある。危なっかしい女だから。」
『お母さんが?』
「そんな恭子はイメージにないか?」
『うん…なんでも出来るからそつなくこなしてたのかなって…』
深月がそう言うと祐太朗は苦笑した。
「まぁ確かに能力が高いからな。でもスマートに仕事をこなしていた印象はない。切り捨てるのが下手なアイツは何かと他と衝突する事も多かったし…私が守ってやらなきゃいけないと思っていたよ。上司としても男としても。」
『そうなんだ…お母さんもさ、お父さんを守りたいって思ったんだって言ってたよ。』
「あぁ何度も言われた。現場で何かあったら私が守ってあげるわって…上司にそんな事を言うなんて最初は嫌味かと思ってたが、一緒に仕事をしてる内に本気なんだとわかった。アイツは何かと漢気のある女だからなぁ。」
祐太朗が公安をしていた頃の恭子をいろいろと思い出したのか呆れた様にため息をつくと深月は言いづらそうに祐太朗に尋ねた。
『…女性が男性を守りたいって思うのはやっぱり変なのかな?』
「変だとは思わないが…彼はそんな風に思える相手なのか?」
祐太朗は深月の問いに目を見開いた。そんな風に質問をするという事は自分がそう思う相手がいるという事だろう。
深月は祐太朗の質問にこくんと小さく頷いた。
『拳銃を握ってしまった時ね、私死にたくないっていう正当性のある気持ちとは別に思ってた。これがあれば私なんかでも彼を支えられるんじゃないかって…守れるんじゃないかって。これだけはお母さんがケチをつけなかったから。きっと月並み以上の才能なんだよね?でも私はお母さんの様に好きな人以上の能力は持ち合わせていないし、お父さんの様に好きな人を権力的に守ってあげられる立場でもない。彼より優れているところなんてとてもなくて、私なんかに守られるほど彼は弱くないだろうに…それでも守りたいって思うほどには大切に思うの。』
深月のまっすぐな瞳が眩しくて祐太朗は目を細めた。"守りたい"なんて深月が言ったのは初めてだった。自分達が守ってきたはずの小さな少女が気付けば誰かを守りたいと思えるほどに大人になっていた事に祐太朗は少し驚き、感心し、どこか寂しくもあった。
「深月、お前は拳銃を持って守りたいのか?」
『え?』
「それを持つという事は、警察官になる、こちらの世界に踏み込むという事だ。」
『わかってる。それはわかってるんだけど……私は自分がどうするべきなのかまだ決められないの。』
深月が俯いてしまうと祐太朗は首を横に振った。
「そうじゃない。するべき事なんてのは他が提示出来る。けど、お前はどうしたいんだい?」
『っ!…私は…先生にだってなりたい。寂しい時にいつもそばにいていろんな事を教えてくれたおばあちゃんみたいな優しい先生になりたいって気持ちもあるよ。…でも、今まではお母さんとの約束通り何があっても拳銃は握らなかったのにそれを破ってしまうほどに私はそちらの世界に行きたいって思ってしまったの。』
「そうとまで思わせたのは降谷零か…」
『別に零さんのせいじゃ…』
「でもそれほどまでに想っているんだ。こちらが危険だという事をお前はよく知っているはずだ。その世界に自ら飛び込んでまで守りたいと思ったんだ。」
『…うん、そう思うくらいに大切みたい。』
深月が祐太朗の言葉に素直に頷けば祐太朗はその頭を撫でた。
「深月、ひとつとても大事な事を言う。守るっていうのは拳銃を握ったり物理的な事ばかりじゃない。」
『それは権力とか立場的な話?』
「もちろんそれもあるが…もっと大事な事がある。」
『もっと大事?』
深月が首を傾げると祐太朗は自分の胸をトントンと拳で軽く叩いた。
「心だ。私達はずっとお前を守ってきたけど、逆に守られてもいたんだ。命のやり取りになることもあるこの仕事をする中で、お前が家で待っていると思うと絶対に帰らなければ…帰りたいと思えた。そう強く思えるっていうのは土壇場で効いてくる。心を強くするとても大事な事だ。お前の"いってらっしゃい"と"おかえりなさい"がどれだけ支えになったか…どれだけ守られたか…お前はまだ気付いてなかったんだな。」
祐太朗の言葉に深月は目を見開きジッと祐太朗を見つめた。優しい眼差しで見つめてくる父親のあたたかさに深月の目頭が熱くなり、その瞳からポロッと涙が零れた。
『嘘…そんな…私が守ってたなんて…そんなわけ…』
「本当だ。寂しさに堪えて、いつも笑顔で見送って、そして迎えてくれるだろ。それはお前の強さだ。それに私達はかなり支えられて守られてきた。ありがとうな。」
祐太朗が笑ってそう言うと深月は堪えきれなくてギュッと祐太朗に抱きついて泣いた。深月はずっと両親に何もしてあげる事など出来ないのだと思ってきた。与えられるばかりで返す事など出来ないのだと。守られるだけでなく何か役に立てればいいのにと。けれどそうではなかった。そう思うと涙が止まらなかった。大好きな人のために自分も何か出来ていたのだという事がとても嬉しかった。
祐太朗が優しく背中を撫でてやれば暫くして深月は落ちつきを取り戻し祐太朗に回した腕を解いた。
『良かった…私、お父さん達のためになれてたんだね。何か返せないかなってずっと思ってたの。』
「バカ言っちゃいけない。お前にはもらってばかりだ。お前が笑うだけで私達には十分なんだ。だから将来の事は後悔のない自分が望む幸せになれる選択をしなさい。それがどんなものだろうと私達は受け入れるから。」
祐太朗の真剣な瞳を見ると深月も真剣に、はい。と頷いた。
気付けば太陽が上り空はその強い光に白んで鮮やかだったグラデーションが消えてしまっていた。
ー新しい朝が始まる…今日の事はきっとずっと忘れない。
『お父さん、ありがとう。私、考えてみる。』
「あぁ…じゃあ帰ろうか。深月は何でここまで来たんだい?」
『歩き。』
「歩き⁉︎あんな時間にひとりで歩いてきたのか⁉︎」
『あー…うん。ごめんなさい。』
深月は怒られる前にと先に謝った。深月が上目遣いにジッと見つめれば祐太朗は口ごもりハァとため息をついた。
「今後は暗い夜道をひとりで歩かない様に。さぁ車でマンションまで送る。それとも久しぶりに3人で朝食でもとるか?」
『あ、いいね!私、お父さんの作る卵焼き食べたい!』
「承知しました。お姫様。」
2人は笑い合うと車に乗り込み恭子の待つ家へと向かった。
「ねぇ深月、なんか機嫌いい?」
『え?』
千紗に尋ねられると深月は飲んでいたカフェオレのカップから口を外して目を丸くした。両親と朝食を終えた深月は休日だったためそのまま実家で暫く過ごしていたが千紗から昼食をポアロに誘われそれに出向いていた。千紗はハムサンドをもぐもぐと食べながら首を傾げていた。
『そう…見える?』
「うん。まぁなんとなくだけどね。あ!安室さんといい事あった?」
『いや、ないね。』
ーむしろ安室さんとは残念な事があったんだけど…
深月は降谷と朝焼けを見に行く予定が崩れた事を思い出したが、結果として父親とゆっくりと話す事が出来てそのうえ親子3人で朝食までとれたので気分はとても良かった。
ーお父さんがあんな風に思っててくれたって知れたし、お父さんの卵焼きは美味しかったし…充実した朝だったなぁ。早起きは三文の徳なんて上手い事言ったもんだよね。
深月がそんな事を考えていると千紗は、んーと悩んでいた。
「えーじゃあ何?誰かに告られた?」
『それは機嫌良くなる?』
「え?ならない?嬉しくない?自分の事好きって言ってくれる人がいるわけだよ?」
『あー…なるほどねぇ。確かにそうか。』
千紗の言い分もわからなくはないなと思い深月が相槌を打てば千紗はさらに考えた。
「これでもないとすると…んー…安室さん!深月が機嫌いいのはなんでだと思います?」
『ちょっ…!』
ちょうど隣の席の食器を片付けに来た安室に千紗が声をかけると安室は食器をお盆に乗せながら、んーと悩んだ。
「なんでしょうね?どんないい事があったんです?」
『は、はは…』
安室は自分との予定が延期になったにも関わらず機嫌の良い深月を不服に思うのか声のトーンがわずかに下がり深月はぎこちなく笑って返した。
「教えられない様な事なの?なになに?まさか他の男?」
『あぁ…確かに要因は他の男だね。』
「えぇ⁉︎本気で言ってんの⁉︎」
千紗は冗談のつもりでニマニマと口角を上げて尋ねたはずなのに深月の回答に目を見開き席を立ち上がるとガッと深月の肩を掴んだ。
「ダメだよ!こんな素敵な恋人いるのに何が不満なの⁉︎」
『いや、私は別に…』
「まさか二股⁉︎安室さんみたいな出来る恋人がいるのに何が足りないの⁉︎ハッ!まさか完璧過ぎて一緒にいるとしんどいとか⁉︎確かにたまにそういうの聞くけど!でもだからって他の男に手を出す事…」
『あぁもう!落ちついてよ!そういうんじゃないから!』
深月は勝手に勘違いして暴走する千紗の腕を掴んでとりあえず席に座らせた。千紗はまだ興奮気味で深月は言い方を間違えたなと反省した。
「それで、その男性とは?」
隣の席の片付けなんてとっくに終わっているだろうにそこから離れず、ニコリと笑っているものの冷たさの感じる笑顔で首を傾げてくる安室に深月は、こちらにも勘違いさせてるかとため息をついた。
『父親ですよ。』
「なぁんだ父親かぁ。つまんなーい。」
『ご期待に添えなかった様で。』
「お父さんと何をしたんです?」
『え?んー…デートですよ。』
深月は手の甲にキスをしてデートに誘ってきた父親を思い出してクスリと笑いながら安室に答えた。幸せそうに笑う深月を見ると安室はフッと笑みを零した。
千紗はもうその話題に興味がないのかカランカランとドアベルを鳴らして入ってきた客に視線を向けた。客は女でキャスケットを被り濃いめのサングラスをかけていたが服装はオーバーサイズのカットソーにショートパンツと高校生くらいの印象を受けた。
ー顔がわかんないけど、スタイルいいぞ!
「ね、深月。あの子絶対可愛いと思う!千紗ちゃんの美少女センサーがビビッときてる!」
『は?』
深月は千紗に袖を引かれて入ってきた客の女を見るとなんだか見覚えのあるその姿に眉をひそめた。その女は店内を見回しており深月を見ると口元をほころばせて駆け寄ってきた。
「あさひさん!」
『っ!ちょっとこっち!』
深月は声を聞くと誰だかはっきりわかり慌ててその女の腕を掴むとポアロを出てしまった。深月は少し周囲を気にしてから女に尋ねた。
『こんなところでどうしたの?』
「ファンの子からこの喫茶店にイケメンいるってオススメされたから来てみたんです!まさかあさひさんに会えるなんて思いませんでした!同席していいですか?」
女はそう言って深月の腕にギュッと抱きついた。深月は少し悩んでからそれを承諾した。
『ただ私の連れ結構口軽いから気をつけて。』
「はーい。」
女は上機嫌に返事をすると腕を組んだまま深月と一緒にポアロに戻った。席で待っていた千紗はその様子に不思議そうに目をしばたかせた。
「深月…男じゃなくて女に手を…それは安室さん勝ち目がないかも。」
『千紗、色ボケも大概にしないと縁を切るよ?』
「いやん。ごめんなさい。」
「あさひさんのお友達おもしろーい!」
深月が冷たく対応すると千紗は素直に謝りその様子がおかしくて女はクスクスと笑った。深月はハァとため息をつくと千紗に承諾を得て女に自分の席の隣を勧めた。女がその席に着くと安室がお冷をテーブルに置いた。
「いらっしゃいませ。ご注文が決まりましたらお呼びください。」
「わぁ貴方がうわさのイケメンウェイターですね!本当にイケメン!」
ーまぁ確かに芸能界で普段からイケメン見てるこの子でも安室さんはイケメンと思うよねぇ
女が感動している様子を見て深月は安室透というウェイターがかなり見目がよいんだなと改めて認識した。
「モデルさんとかですか?」
「いえいえ。僕なんかがそんな…」
「えーもったいない!」
『ほら、それより注文決めたら?』
深月がメニューを差し出して促すと女はそれを受け取らずにニコリと安室に笑いかけた。
「じゃああさひさんと同じ物をください。」
「ねぇねぇそういえば"あさひ"さんって?」
「深月さんの作詞家としての芸名ですよね?」
千紗の問いに安室が答えると深月は呆れた様に千紗を見つめた。
『知ってるでしょ?』
「あれ?そんな名前だったっけ?」
「あさひさんってば本名は深月さんって言うんですね?私も呼んでいいですか?」
ギュッと腕に絡んで女が尋ねれば深月は首を横に振った。
『ダメ。仕事場でうっかり本名で呼ばれたら困るから。』
「えー上手くやれる自信あるのにー」
『ダメ。』
「本当に?」
サングラスを外して女が上目遣いをすると深月はその可愛さに胸がキュンとするがそのおでこを小突いた。
『ダメったらダメ。』
「もう意地悪さん!」
女がそう言って笑うと千紗はあぁ!と声を上げた。その女の顔には確かに見覚えがあった。
「え、ハニハニのナナちゃん⁉︎」
「そうでーす!ハニハニのナナです♪」
女…ナナは驚く千紗にパチンとウィンクをしてみせた。
つづく
「悪い、起こしたな。」
『…今、何時ですか?』
「3時頃だ。」
深月は時間を聞くと頭が冴えていった。
『なるほど…仕事ですか?』
深月があくび混じりに尋ねれば降谷にギュッと抱きしめられた。
「うん。ごめん。」
『大丈夫です。時間に左右される約束は難しいってわかってますから。機会があればでいいです。』
降谷が腕を緩めると深月はまだ少し眠そうに笑っていた。
「必ず一緒に見に行こう。」
降谷はそう言うと深月の髪にキスをしベッドをポンポンと叩いた。
「ほら、君はもう少し寝たらいい。」
『…零さん。』
「ん?」
深月が降谷の胸元を掴んで軽く引くと降谷は深月に顔を近付けた。そうすれば降谷は深月にチュッとキスをされ、ふわりと優しく笑われた。
『いってらっしゃい。』
「うん。いってきます。」
降谷は深月の頬に優しくキスをするとベッドに寝かせて布団をかけて髪をひと撫ですると家を出て行った。深月は降谷の出て行った方を見つめたが、暫くするともぞもぞと布団の中に潜り込んだ。そうすれば降谷の香りがするのに先ほどまで本人に抱きしめられていたせいか深月は物足りなくて寂しくなった。
ー変なの…ちょっと前まではここで布団に包まると安心したのに…寂しいって感じるなんて…
深月は眠れそうになくて布団から出るとベッド近くのクッションの上で眠るハロを撫でた。ハロは眠りが深いのか心地良さそうに寝息を立てた。
ーさて、どうしようかな。目は冴えちゃったし…
深月は少し悩むとスマートフォンで地図を検索し服を着替えて降谷の家を出た。目的の埠頭までは歩いて1時間半ほどで深月はひとりでそこへ行くと決めた。履き慣れた運動靴で歩くのはなんの問題もなく周りは暗かったが深月はスマートフォンの地図を頼りに目的地まで迷う事なく歩いた。埠頭へ着く頃には空がオレンジ色に染まり出し朝焼けのグラデーションが深月の瞳に映った。
『綺麗…』
深月はぽつりと呟くと肩をポンと叩かれ慌てて振り返った。そこにはよく知る人物がいて深月はふわりと笑顔になった。
『お父さん!』
「こんなところにひとりか?」
『うん。朝焼けが見たくなって。お父さんもひとりなの?』
「あぁ仕事帰りに寄った。まぁ正確にはひとりじゃないが。」
祐太朗が少し離れたところに停まる車の方へ視線を向けると深月は理解した。
『SPに付き合わせてないでさっさと帰ったらいいのに。可哀想。』
「そんな事を言ったら朝焼けは見れない。」
『お母さんに付き合ってもらいなよ。』
「静かにゆっくりしたい時もあるんだよ。」
『なるほどね…お邪魔なら私も帰るよ?』
深月が首を傾げると祐太朗はその手を取って手の甲にチュッとキスをした。
「お姫様、私とデートなどいかがでしょうか?」
『警察庁長官殿とご一緒出来るなんて光栄ですわ。』
祐太朗に合わせて深月も恭しく答えれば2人は顔を見合わせて、フフッと笑い合った。
スッと差し出された祐太朗の腕に違和感なく手を添えてしまってから深月はハッとした。
ーさらっとこういう事して違和感感じさせないってよく考えたらすごいな…
祐太朗と深月は埠頭の先まで来ると足を止めて青とオレンジのグラデーションが美しい朝焼けの空を見つめた。波打つ海がキラキラと光るのが少し眩しくて深月は目を細めた。
ーお母さんはここへお父さんに連れられてうっかり恋して、お父さんを守りたいと思ったって言ってたなぁ…
初めて母親に連れられてここの朝焼けを見た時に話されたそれを深月は思い出していた。横で自分と同じ様に目を細めて空と海を見つめる父親を深月は見つめて尋ねた。
『ねぇお父さん。』
「なんだい?」
『お母さんの事を守りたいって思った事ある?』
深月の突然の問いに祐太朗は、ふむ。と少し考えると答えた。
「そりゃある。危なっかしい女だから。」
『お母さんが?』
「そんな恭子はイメージにないか?」
『うん…なんでも出来るからそつなくこなしてたのかなって…』
深月がそう言うと祐太朗は苦笑した。
「まぁ確かに能力が高いからな。でもスマートに仕事をこなしていた印象はない。切り捨てるのが下手なアイツは何かと他と衝突する事も多かったし…私が守ってやらなきゃいけないと思っていたよ。上司としても男としても。」
『そうなんだ…お母さんもさ、お父さんを守りたいって思ったんだって言ってたよ。』
「あぁ何度も言われた。現場で何かあったら私が守ってあげるわって…上司にそんな事を言うなんて最初は嫌味かと思ってたが、一緒に仕事をしてる内に本気なんだとわかった。アイツは何かと漢気のある女だからなぁ。」
祐太朗が公安をしていた頃の恭子をいろいろと思い出したのか呆れた様にため息をつくと深月は言いづらそうに祐太朗に尋ねた。
『…女性が男性を守りたいって思うのはやっぱり変なのかな?』
「変だとは思わないが…彼はそんな風に思える相手なのか?」
祐太朗は深月の問いに目を見開いた。そんな風に質問をするという事は自分がそう思う相手がいるという事だろう。
深月は祐太朗の質問にこくんと小さく頷いた。
『拳銃を握ってしまった時ね、私死にたくないっていう正当性のある気持ちとは別に思ってた。これがあれば私なんかでも彼を支えられるんじゃないかって…守れるんじゃないかって。これだけはお母さんがケチをつけなかったから。きっと月並み以上の才能なんだよね?でも私はお母さんの様に好きな人以上の能力は持ち合わせていないし、お父さんの様に好きな人を権力的に守ってあげられる立場でもない。彼より優れているところなんてとてもなくて、私なんかに守られるほど彼は弱くないだろうに…それでも守りたいって思うほどには大切に思うの。』
深月のまっすぐな瞳が眩しくて祐太朗は目を細めた。"守りたい"なんて深月が言ったのは初めてだった。自分達が守ってきたはずの小さな少女が気付けば誰かを守りたいと思えるほどに大人になっていた事に祐太朗は少し驚き、感心し、どこか寂しくもあった。
「深月、お前は拳銃を持って守りたいのか?」
『え?』
「それを持つという事は、警察官になる、こちらの世界に踏み込むという事だ。」
『わかってる。それはわかってるんだけど……私は自分がどうするべきなのかまだ決められないの。』
深月が俯いてしまうと祐太朗は首を横に振った。
「そうじゃない。するべき事なんてのは他が提示出来る。けど、お前はどうしたいんだい?」
『っ!…私は…先生にだってなりたい。寂しい時にいつもそばにいていろんな事を教えてくれたおばあちゃんみたいな優しい先生になりたいって気持ちもあるよ。…でも、今まではお母さんとの約束通り何があっても拳銃は握らなかったのにそれを破ってしまうほどに私はそちらの世界に行きたいって思ってしまったの。』
「そうとまで思わせたのは降谷零か…」
『別に零さんのせいじゃ…』
「でもそれほどまでに想っているんだ。こちらが危険だという事をお前はよく知っているはずだ。その世界に自ら飛び込んでまで守りたいと思ったんだ。」
『…うん、そう思うくらいに大切みたい。』
深月が祐太朗の言葉に素直に頷けば祐太朗はその頭を撫でた。
「深月、ひとつとても大事な事を言う。守るっていうのは拳銃を握ったり物理的な事ばかりじゃない。」
『それは権力とか立場的な話?』
「もちろんそれもあるが…もっと大事な事がある。」
『もっと大事?』
深月が首を傾げると祐太朗は自分の胸をトントンと拳で軽く叩いた。
「心だ。私達はずっとお前を守ってきたけど、逆に守られてもいたんだ。命のやり取りになることもあるこの仕事をする中で、お前が家で待っていると思うと絶対に帰らなければ…帰りたいと思えた。そう強く思えるっていうのは土壇場で効いてくる。心を強くするとても大事な事だ。お前の"いってらっしゃい"と"おかえりなさい"がどれだけ支えになったか…どれだけ守られたか…お前はまだ気付いてなかったんだな。」
祐太朗の言葉に深月は目を見開きジッと祐太朗を見つめた。優しい眼差しで見つめてくる父親のあたたかさに深月の目頭が熱くなり、その瞳からポロッと涙が零れた。
『嘘…そんな…私が守ってたなんて…そんなわけ…』
「本当だ。寂しさに堪えて、いつも笑顔で見送って、そして迎えてくれるだろ。それはお前の強さだ。それに私達はかなり支えられて守られてきた。ありがとうな。」
祐太朗が笑ってそう言うと深月は堪えきれなくてギュッと祐太朗に抱きついて泣いた。深月はずっと両親に何もしてあげる事など出来ないのだと思ってきた。与えられるばかりで返す事など出来ないのだと。守られるだけでなく何か役に立てればいいのにと。けれどそうではなかった。そう思うと涙が止まらなかった。大好きな人のために自分も何か出来ていたのだという事がとても嬉しかった。
祐太朗が優しく背中を撫でてやれば暫くして深月は落ちつきを取り戻し祐太朗に回した腕を解いた。
『良かった…私、お父さん達のためになれてたんだね。何か返せないかなってずっと思ってたの。』
「バカ言っちゃいけない。お前にはもらってばかりだ。お前が笑うだけで私達には十分なんだ。だから将来の事は後悔のない自分が望む幸せになれる選択をしなさい。それがどんなものだろうと私達は受け入れるから。」
祐太朗の真剣な瞳を見ると深月も真剣に、はい。と頷いた。
気付けば太陽が上り空はその強い光に白んで鮮やかだったグラデーションが消えてしまっていた。
ー新しい朝が始まる…今日の事はきっとずっと忘れない。
『お父さん、ありがとう。私、考えてみる。』
「あぁ…じゃあ帰ろうか。深月は何でここまで来たんだい?」
『歩き。』
「歩き⁉︎あんな時間にひとりで歩いてきたのか⁉︎」
『あー…うん。ごめんなさい。』
深月は怒られる前にと先に謝った。深月が上目遣いにジッと見つめれば祐太朗は口ごもりハァとため息をついた。
「今後は暗い夜道をひとりで歩かない様に。さぁ車でマンションまで送る。それとも久しぶりに3人で朝食でもとるか?」
『あ、いいね!私、お父さんの作る卵焼き食べたい!』
「承知しました。お姫様。」
2人は笑い合うと車に乗り込み恭子の待つ家へと向かった。
「ねぇ深月、なんか機嫌いい?」
『え?』
千紗に尋ねられると深月は飲んでいたカフェオレのカップから口を外して目を丸くした。両親と朝食を終えた深月は休日だったためそのまま実家で暫く過ごしていたが千紗から昼食をポアロに誘われそれに出向いていた。千紗はハムサンドをもぐもぐと食べながら首を傾げていた。
『そう…見える?』
「うん。まぁなんとなくだけどね。あ!安室さんといい事あった?」
『いや、ないね。』
ーむしろ安室さんとは残念な事があったんだけど…
深月は降谷と朝焼けを見に行く予定が崩れた事を思い出したが、結果として父親とゆっくりと話す事が出来てそのうえ親子3人で朝食までとれたので気分はとても良かった。
ーお父さんがあんな風に思っててくれたって知れたし、お父さんの卵焼きは美味しかったし…充実した朝だったなぁ。早起きは三文の徳なんて上手い事言ったもんだよね。
深月がそんな事を考えていると千紗は、んーと悩んでいた。
「えーじゃあ何?誰かに告られた?」
『それは機嫌良くなる?』
「え?ならない?嬉しくない?自分の事好きって言ってくれる人がいるわけだよ?」
『あー…なるほどねぇ。確かにそうか。』
千紗の言い分もわからなくはないなと思い深月が相槌を打てば千紗はさらに考えた。
「これでもないとすると…んー…安室さん!深月が機嫌いいのはなんでだと思います?」
『ちょっ…!』
ちょうど隣の席の食器を片付けに来た安室に千紗が声をかけると安室は食器をお盆に乗せながら、んーと悩んだ。
「なんでしょうね?どんないい事があったんです?」
『は、はは…』
安室は自分との予定が延期になったにも関わらず機嫌の良い深月を不服に思うのか声のトーンがわずかに下がり深月はぎこちなく笑って返した。
「教えられない様な事なの?なになに?まさか他の男?」
『あぁ…確かに要因は他の男だね。』
「えぇ⁉︎本気で言ってんの⁉︎」
千紗は冗談のつもりでニマニマと口角を上げて尋ねたはずなのに深月の回答に目を見開き席を立ち上がるとガッと深月の肩を掴んだ。
「ダメだよ!こんな素敵な恋人いるのに何が不満なの⁉︎」
『いや、私は別に…』
「まさか二股⁉︎安室さんみたいな出来る恋人がいるのに何が足りないの⁉︎ハッ!まさか完璧過ぎて一緒にいるとしんどいとか⁉︎確かにたまにそういうの聞くけど!でもだからって他の男に手を出す事…」
『あぁもう!落ちついてよ!そういうんじゃないから!』
深月は勝手に勘違いして暴走する千紗の腕を掴んでとりあえず席に座らせた。千紗はまだ興奮気味で深月は言い方を間違えたなと反省した。
「それで、その男性とは?」
隣の席の片付けなんてとっくに終わっているだろうにそこから離れず、ニコリと笑っているものの冷たさの感じる笑顔で首を傾げてくる安室に深月は、こちらにも勘違いさせてるかとため息をついた。
『父親ですよ。』
「なぁんだ父親かぁ。つまんなーい。」
『ご期待に添えなかった様で。』
「お父さんと何をしたんです?」
『え?んー…デートですよ。』
深月は手の甲にキスをしてデートに誘ってきた父親を思い出してクスリと笑いながら安室に答えた。幸せそうに笑う深月を見ると安室はフッと笑みを零した。
千紗はもうその話題に興味がないのかカランカランとドアベルを鳴らして入ってきた客に視線を向けた。客は女でキャスケットを被り濃いめのサングラスをかけていたが服装はオーバーサイズのカットソーにショートパンツと高校生くらいの印象を受けた。
ー顔がわかんないけど、スタイルいいぞ!
「ね、深月。あの子絶対可愛いと思う!千紗ちゃんの美少女センサーがビビッときてる!」
『は?』
深月は千紗に袖を引かれて入ってきた客の女を見るとなんだか見覚えのあるその姿に眉をひそめた。その女は店内を見回しており深月を見ると口元をほころばせて駆け寄ってきた。
「あさひさん!」
『っ!ちょっとこっち!』
深月は声を聞くと誰だかはっきりわかり慌ててその女の腕を掴むとポアロを出てしまった。深月は少し周囲を気にしてから女に尋ねた。
『こんなところでどうしたの?』
「ファンの子からこの喫茶店にイケメンいるってオススメされたから来てみたんです!まさかあさひさんに会えるなんて思いませんでした!同席していいですか?」
女はそう言って深月の腕にギュッと抱きついた。深月は少し悩んでからそれを承諾した。
『ただ私の連れ結構口軽いから気をつけて。』
「はーい。」
女は上機嫌に返事をすると腕を組んだまま深月と一緒にポアロに戻った。席で待っていた千紗はその様子に不思議そうに目をしばたかせた。
「深月…男じゃなくて女に手を…それは安室さん勝ち目がないかも。」
『千紗、色ボケも大概にしないと縁を切るよ?』
「いやん。ごめんなさい。」
「あさひさんのお友達おもしろーい!」
深月が冷たく対応すると千紗は素直に謝りその様子がおかしくて女はクスクスと笑った。深月はハァとため息をつくと千紗に承諾を得て女に自分の席の隣を勧めた。女がその席に着くと安室がお冷をテーブルに置いた。
「いらっしゃいませ。ご注文が決まりましたらお呼びください。」
「わぁ貴方がうわさのイケメンウェイターですね!本当にイケメン!」
ーまぁ確かに芸能界で普段からイケメン見てるこの子でも安室さんはイケメンと思うよねぇ
女が感動している様子を見て深月は安室透というウェイターがかなり見目がよいんだなと改めて認識した。
「モデルさんとかですか?」
「いえいえ。僕なんかがそんな…」
「えーもったいない!」
『ほら、それより注文決めたら?』
深月がメニューを差し出して促すと女はそれを受け取らずにニコリと安室に笑いかけた。
「じゃああさひさんと同じ物をください。」
「ねぇねぇそういえば"あさひ"さんって?」
「深月さんの作詞家としての芸名ですよね?」
千紗の問いに安室が答えると深月は呆れた様に千紗を見つめた。
『知ってるでしょ?』
「あれ?そんな名前だったっけ?」
「あさひさんってば本名は深月さんって言うんですね?私も呼んでいいですか?」
ギュッと腕に絡んで女が尋ねれば深月は首を横に振った。
『ダメ。仕事場でうっかり本名で呼ばれたら困るから。』
「えー上手くやれる自信あるのにー」
『ダメ。』
「本当に?」
サングラスを外して女が上目遣いをすると深月はその可愛さに胸がキュンとするがそのおでこを小突いた。
『ダメったらダメ。』
「もう意地悪さん!」
女がそう言って笑うと千紗はあぁ!と声を上げた。その女の顔には確かに見覚えがあった。
「え、ハニハニのナナちゃん⁉︎」
「そうでーす!ハニハニのナナです♪」
女…ナナは驚く千紗にパチンとウィンクをしてみせた。
つづく