桜舞う頃〜その先〜
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共に誘拐されたとはいえ、隙をついて逃げ出したコナンのおかげで警察は現場へ早く到着し佐藤と深月は病院へと運ばれた。検査の結果、2人とも体に深刻なダメージはなく、いくつかの打撲と殴られた事で口内が切れたのと頬が腫れている程度だった。念のため1日だけ入院することになり2人は同じ部屋となり、事情聴取のために目暮と高木、それとコナンが病室にいた。
「しかしなぁ…本当に拳銃を撃ったのは佐藤君じゃないのか?」
「えぇ…私は男に押さえつけられていて身動きが取れず、そばにあった拳銃で彼女が。」
「えっと…綾野深月さんだったかな?」
『……いえ、市原深月といいます。綾野は母の旧姓です。』
目暮に学生証の情報からそう尋ねられるが深月は首を横に振った。拳銃を自分が扱ってしまった今、事が事だけに遅かれ早かれ自分の身分はわかる事だろうと深月はもう覚悟を決めた。
「ん?どういう事だ?」
『立場上普段は父の姓は名乗らないんです。みなさん私の父をよくご存知だと思いますよ。』
その場にいる者達が眉をひそめる中、コナンがひとり、あっ!と声を上げた。
「も、もしかして…市原祐太朗警察庁長官の娘…なの?」
『そう。よくわかったね。』
深月がニコリと笑うと目暮、高木、佐藤は、えぇ⁉︎と声を上げた。コナンは当然深月が警察官僚の娘でありかつ両親が降谷に深月の警護を依頼出来る立場の人間である事はわかっていたがさすがに警察組織のトップの娘だとは思っておらず、自分で言い当てたとはいえ目を丸くしていた。
『こんな事になったので隠しておける事でもないと思いますので…すみません。扱いにくいですよね。』
「いや…まぁそれは…」
目暮がハハッと苦笑すると病室をノックする音がし、高木が返事をし扉を開けるとそこにはニコリと笑う女性がいた。
「えと…どちら様でしょうか?」
「こんばんは。深月の母です。」
そう言うと恭子は高木を退けて病室に入り深月の前にまっすぐ歩いてきた。深月が視線を恭子に上げると恭子はパァンッと深月の頬を叩いた。
「深月、貴女自分が何をしたかわかってるの?」
恭子の瞳が冷たく光ると周りは部屋の温度が急激に下がったかの様な寒気を感じた。深月が叩かれた頬を押さえて何も言えずにいると恭子は続けた。
「警察官でもなんでもない貴女が拳銃を扱っていいとでも?」
「深月さんのお母さんとりあえず落ち着いて…」
目暮がそう声をかけると恭子はそちらに視線を向けてハァとため息をついた。
「深月のした事は当然問題があるわ。でもね、そういう状況を作ったのは刑事部だってわかってる?4件も続いた殺人事件の犯人を逮捕しきれずにさらに5件目になるところだった被害者は現役の刑事……ちょっと刑事部たるんでるんじゃないの?そこに一般人を2人も巻き込んでるのよ?」
深月とコナンを見て恭子が言うと目暮は言葉に詰まり、そんな状況に堪え切れず佐藤が声を出した。
「あの…本当にすみませんでした。私が油断しなければ…大切なお嬢さんを巻き込む事もなかったのに…」
「…佐藤警部補だったわね。謝罪ならいらないわ。今回はたまたま運が良かったって事を覚えておいて。でなければ貴女も深月も死んでいたかもしれないのだから。」
恭子はそう言うとポンと佐藤の肩に手を置いてニコリと笑った。
「失敗ってのは誰だってあるものよ。次にその経験をどう活かせるか…それが活かせなきゃ役立たずってだけ。」
「っ…承知しました。」
『お母さんっ!そんな言い方…』
「貴女は深く反省しなさい。現場を見てきたけど、あの場で拳銃を扱う以外にも鉄パイプやペンキ缶なんかもあったのだから相手を制圧せずとも怯ませる方法は他にもあったはずよ。」
『……はい。』
深月が頷くと病室の扉がバンッと大きな音を立てて開きひとりの男が入ってきた。髪を乱しスーツ姿だがネクタイも曲がるその人は深月を見つけると恭子を押し退けてギュッと強く抱きしめた。
「深月っ!大丈夫かっ⁉︎大きなケガはないと聞いたが…」
『お、お父さん…は、恥ずかしいからやめてっ!』
深月は父、祐太朗の腕の中で慌てて抗議するが気にしていないのか祐太朗はそのまま深月の髪を撫でた。
「良かった…お前が無事で本当に良かった。」
『わかった。わかったから!刑事さん達見てるから!』
深月がそう言うと祐太朗は漸く腕を緩めたが腫れる深月の頬を見てそっと撫でた。
「痛いか?殴ったのはどっちだ?」
『それは後で刑事さんに話すから。ちなみにそんな事気にせず頬を叩いたのはお母さんね。』
「恭子…」
祐太朗が恭子を非難めいた目で見ると恭子は眉をひそめた。
「貴方は深月に甘いの!叱るのは親の務めよ。わかってるの?」
「お前はそうやってすぐに手を出す…」
「貴方は逆に口ばかりでしょうが。たまには父親らしく鉄拳制裁くらい出来ないの?」
恭子が呆れた様に言うので祐太朗は深月に視線を戻すが恭子に叩かれたからか少し潤む深月の瞳を見るともう一度ギュッと深月を抱きしめた。
「そんなの可哀想で無理だ。」
「貴方ねぇ…」
「けれど…深月。拳銃を扱ったって?」
恭子は呆れた声を出すが、祐太朗は腕を緩めると鋭い目付きで深月の瞳をまっすぐに見つめた。
「それがどれだけ危ない事かわかっているか?」
『…はい。』
祐太朗の問いに深月が視線を逸らして頷くと祐太朗はハァとため息をついた。
「暫くは外出を禁止する。大学も許可しない。自分でよく考えるように。生活に必要な物はこちらで手配するから家から出ない様に。いいね?」
祐太朗の言葉に深月はただ頷くしかなかった。立場的なものと性格もあるが普段身なりは誰よりも気にして整えている父親がここまで乱れた状態で駆けつけてくれた事に深月は嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちが入り混じった。深月はそんな父親の曲がるネクタイを締め直すと謝った。
『忙しいだろうにこんなところ来させてごめんね。』
「いや、近くに用事もあったから気にするな。」
『……そっか。ありがとう。』
こんな取り乱した姿で現れておいて近くに用事がだなんてわかりやすい嘘に深月はあえて騙される事にした。父親の優しさがくすぐったかった。
祐太朗は深月から離れるとサッと手櫛で髪を整えて目暮に視線を向けた。
「事の詳細を後でこちらにあげる様に。迅速に頼むよ。」
「はっ!」
目暮が緊張気味に敬礼すると祐太朗は恭子に声をかけて病室を出て行った。一同はハァと息を吐き出しその場の緊張感が一気に緩んだ。
『ごめんなさい。空気がピリピリとしてしまって…』
「いや、それは何も君のせいではないから…」
「しかしすごい母親でしたね…もう少し娘の事を気遣ってもいいように思えましたが…」
高木が眉をひそめて非難めいた事を言うと深月は苦笑した。
『あれで母はかなり心配してくれてますよ。高木さんあまり滅多な事言っちゃいけませんよ。母も警察官でしたから…ネットワークの広い人です。誰からかその話が母へ伝えられるかもしれませんよ?』
深月が意地悪そうに笑いながら口の前で人差し指を立てて、しーっと言うと高木はビクッと肩を揺らした。
『さて、仕事を済ませましょう。事情聴取お願いできますか?』
「大丈夫かい…結構ショックな出来事だったとは思うんだが…」
『…慣れですかね。問題ありませんよ。記憶が新しい内に話させてください。』
深月が苦笑しながら答えると目暮はポリポリとその頭を帽子の上から掻いた。
翌日、無事退院し深月は恭子に連れ添われて自宅マンションへ帰ってきた。
恭子からはそこでさらに説教を小1時間ほどされて深月はソファーの上で体を小さくした。漸くそれも終わり帰り際に恭子に、お父さんから言われた事をきちんと守る様に。と念押しされ深月が素直に頷くと恭子はマンションを出て行った。深月は腫れは引いたもののまだ痛む頬を撫でながらソファーに仰向けに倒れ込んだ。
『疲れた…最終的に昔の事も蒸し返されて怒られた……』
どこか理不尽な様で深月は納得いかなかったが大人しく話を聞いた。そうでもしない限りあの説教が終わる事がない事をよくわかっていた。深月がお茶でも淹れようと体を起こすとインターホンが鳴り深月はその画面に映る金髪の人を見るとビクッと肩を揺らした。迷ったところで仕方ないので深月はひとまずインターホンに出た。
『はい。』
《こんにちは、深月さん。》
『こ、こんにちは。』
《近くまで来たので…良かったらあげてもらえますか?》
『…はい。』
深月は承諾するとエントランスのドアロックを解除した。正直、母に叱られた今深月は降谷に会いたくなかった。同じ様にくどくどと叱られるであろう事を考えると気が重かった。
ー畳み掛ける様に来なくてもいいのに……あ、でも実は私が事件に巻き込まれたとか知らないかも!本当にただ寄っただけかもしれないし…零さん私を何かに誘おうとしてたし。うんうん!
深月がそんな事を期待していればインターホンが鳴り深月は降谷を出迎えた。部屋に入ってきた降谷はスーパーの買い物袋を抱えていて深月は首を傾げた。
『なんの荷物ですか?』
「どこかの誰かが巣篭もりさせられるって聞いたからだよ。」
『あ…』
やはり当然降谷は今回の事件の事は知っていた様で深月は先ほど抱いた淡い期待が消えていくのを感じた。
降谷が冷蔵庫に食材を詰め込んでいる間深月はどうするべきかと居心地悪そうにその様子を見ていたが意を決して降谷に話しかけた。
『あ、あの、ごめんなさい!私が悪いのはわかってるんです!母からはもうだいぶ叱られて…あの…だから…』
あまり叱らないで。とは自分の口からは言えず深月は視線を下げて口ごもった。降谷は体を小さくさせて少し怯えた様な深月を見るとパタンと冷蔵庫の戸を閉めた。そんな些細な音にさえピクリと肩を揺らす深月に降谷は苦笑しその名前を優しく呼んだ。
「深月」
その優しい声音に深月は恐る恐る降谷を見上げると降谷は両腕を広げて笑った。
「おいで。」
深月がおずおずと近付けば腕を引かれて降谷の胸に倒れ込んだ。降谷は深月を包み込む様に優しく抱きしめると髪を撫でた。降谷の強くなる匂いに深月の胸がドキンと高鳴りそのぬくもりにじわりと涙が滲んだ。
「怖かったろ?もう大丈夫だよ。」
『っ!』
"怖かった"という言葉を聞いて深月は、あぁ、そうか。と納得した。冷静な様でいて深月はあの時怖かったのだ。男に襲われる佐藤を見て、佐藤に気絶させられた男が起きたらあの写真の女性達の様に殺されるのだと頭は理解する以前に感じていた。怖くて怖くて堪らなくて感情を遮断した。そうして握った拳銃は誰のためでもなく自分のために握った。死に直面して死にたくないと強く思ったのだ。
『ふっ…うぅ…零さぁん…』
ギュッと深月は強く降谷に抱きついて子供の様にわんわん泣いた。深月が泣く間降谷はずっと優しく深月の頭を撫でた。そのぬくもりの中に戻ってこれた事にホッとして深月は余計に涙が溢れた。どれほど時間が経ったのか深月にはわからなかったがひと通り泣いて落ち着いてくると鼻をすすりまだぼんやりとする頭で考えた。
ーどうしよう…こんな泣き方して零さん呆れてないかな…
「深月」
深月の気持ちを感じ取ったかのように降谷が優しく声をかければ深月はビクッと肩を揺らしてぐしゃぐしゃの顔を少しでも誤魔化そうと袖でぐしぐしと顔を拭ってから降谷をそっと見上げた。そうすれば青い瞳が深月が思ってた以上に優しく出迎えてくれて深月の瞳に引いたはずの涙がまたじわりと溢れた。
『っ…ごめんなさい。涙腺がバカになって…』
「泣きたいだけ泣いたらいい。大丈夫。そばにいるよ。」
『もう…そんな言葉かけないでください…こっちは涙止めたいのに…』
深月が困った様に眉を下げると降谷はそっと深月の頬に触れてその唇に唇を重ねた。角度を変えてゆっくりと優しく触れ合うと深月の涙が止まりその瞳に別の熱っぽさが宿った。
「これ以上するとまた別の意味で泣きそうだな。」
降谷が悪戯っぽくそう言って笑うので深月は恥ずかしくなって頬を赤くした。
『意地悪…』
「ん?続けて欲しい?」
『そうじゃないですよ!もう…』
深月が赤くなった顔をふいっと逸らすと降谷はそれを見て少し安心した。深月が落ち着いたようなので降谷は深月をソファーに座らせお茶を淹れる事にした。深月は自分が淹れると言ったが降谷はそれを制してお茶を淹れ、カップを持って深月の隣に腰を落とした。
『ありがとうございます。そういえば、巣篭もりするなんて誰から聞いたんです?』
「恭子さんからだよ。暫く外出禁止になったから面倒を見て欲しいと。」
『お母さんから…』
深月は降谷の言葉に耳を疑った。恭子は怒っていたはずだから。今回の件、恭子との約束を破ってしまった深月に彼女はひどく怒っていた。何かあった際には祐太朗がしたように抱きしめてケガの確認をしたりと親バカぶりを発揮する恭子が珍しくそんな事をかけらもしなかった。本気で恭子が怒っているのだと深月は頬を叩かれた時に気付いた。なのに降谷にここへ来るようにとお願いしたのは恭子だと言う…深月はポロッと一粒だけ涙が頬を転がっていった。
『お母さん、とても怒っていたはずなんです。私が約束を破ってしまったから。』
「約束?」
『"二度と拳銃には触れない事"それが母との約束でした。』
「"二度と"という事は触れた事があるんだな?」
降谷の問いに深月はこくんと小さく頷き話し出した。
『幼い頃……確か10年くらい前だと思うんですけど、その頃に警察官をモチーフにしたアクションアニメをテレビでやっていて結構人気があったんですよ。私もよく観ていて…そうきっかけは私が"お母さんもこんな風に悪者をバンバンッてピストルで倒すんだよね?カッコいい!見てみたい!"って褒めた事だったと思います。それで警視庁術科センターで母が射撃する姿を見せてもらったんですよ。』
「…その頃って恭子さん警察官を辞めてないか?」
『あ、気付きました?えぇ本来アウトですね。そして母はもうひとつアウトな事をします。』
「…まさか君に撃たせたのか?」
降谷が呆れた様に聞くと深月は苦笑気味にそれを肯定した。
『そうです。私がねだったんです。やってみたいと。母の姿はカッコよかったし混同してはいけないけれど同じ年頃のアニメのキャラだって撃ってましたからね。』
「それは恭子さんに問題がないか?」
『えぇ私もそう思います。母はきっと私の警察官としての素質を把握したかった…たぶんその程度の気持ちだったと思います。その頃はまだ私が警察官になってそれから学校の先生になるって訳のわからない事言ってましたから。別に警察学校の先生になりたかったわけじゃないですからね。』
深月が念を押すと降谷は苦笑しながら、だろうな。と相槌を打った。
『そして母は気付いたんです。私に射撃の素質があるって事に…あの約束には"私が警察官になるまでは"という条件が付く…母が私に約束させた理由はわかっています。何かあった時に咄嗟に私がそれに頼ってしまわない様にって…日本では警察官などの一部の職業にしかその所持は認められてませんから、私にとってそれがすぐ手の届く手段でない方がいいと思ったんでしょう。私だってそう思いますよ。それは母の判断が正しいと思います。』
深月はそう言って自分の手のひらを見つめた。
『あの約束以来触れた事などありませんでした。その一線を越えた事はなかったんですけど……私、路地で襲われた時に首を絞められてこのまま死ぬのかなって考えてしまって…その次に"死"というものを予感した時、私はとても自分本位でした。目の前で襲われる佐藤さんを助けたいとかそんな気持ちはなくて…怖いという感情に自然と蓋をして冷静に近くにあった佐藤さんの拳銃を握ってました。自分の生存率を冷静に考えてたんですよ。そのためにはまず佐藤さんを助けなきゃいけない。そこからは迷いなんてなかった。あの時は何も思わなかったけれど今思えば10年も触ってなかったはずなのにそれはちょうどいいような…むしろ大きくなった自分の手に馴染んで違和感なんてなかったって事が怖いですよ。』
深月は降谷に話している内にその時の自分の思考や感情が客観的に見えてきて、その瞳からは再びポロポロと涙が流れた。
『私は…あの時、自分が生きるためだけに発砲したんです。よりにもよって人を守るためにある警察官の拳銃で。』
深月はひどく後悔した。誇りに思うその人達の象徴とも言えるそれを自分のためだけに使った。桜の代紋に泥を塗った様な気分に深月は胸が苦しくなった。
ー自業自得…母親からはちゃんと約束を受けていたのに……この苦しさはちゃんと受け止めなきゃいけない…
深月がギュッと自分の胸元を握りしめると降谷に抱きしめられた。それにハッとして深月は顔を上げると降谷の胸を押した。
『ダメ!優しくしないで!』
「どうして?」
『ちゃんと後悔しなきゃいけない事だから…自分で…ちゃんと受け止めなきゃいけない事だから…』
「そうか。」
降谷は頷くとさらに腕に力を込めて深月を抱き寄せた。深月は目を見開き降谷の服を引っ張って抗議した。
『零さん!』
「言ったろ?僕は君に甘くあるべきだって。」
『っ…バカ言わないでください…お願い…離して…私、ちゃんと…』
「君はちゃんとその後悔に向き合って受け止めようとしてるだろ?そもそも後悔と向き合うのは君にしか出来ない。けど君がそれに苦しむなら、君を支えるのは僕の役目だ。君は以前、泣きそうな僕をひとりにしたくないって言ったろ?僕だって苦しくて泣く君をひとりにしたくないよ。」
『っ…零さん…』
漸く深月が素直に降谷に抱きつくと降谷はその頭をゆっくりと優しく撫でた。
つづく
「しかしなぁ…本当に拳銃を撃ったのは佐藤君じゃないのか?」
「えぇ…私は男に押さえつけられていて身動きが取れず、そばにあった拳銃で彼女が。」
「えっと…綾野深月さんだったかな?」
『……いえ、市原深月といいます。綾野は母の旧姓です。』
目暮に学生証の情報からそう尋ねられるが深月は首を横に振った。拳銃を自分が扱ってしまった今、事が事だけに遅かれ早かれ自分の身分はわかる事だろうと深月はもう覚悟を決めた。
「ん?どういう事だ?」
『立場上普段は父の姓は名乗らないんです。みなさん私の父をよくご存知だと思いますよ。』
その場にいる者達が眉をひそめる中、コナンがひとり、あっ!と声を上げた。
「も、もしかして…市原祐太朗警察庁長官の娘…なの?」
『そう。よくわかったね。』
深月がニコリと笑うと目暮、高木、佐藤は、えぇ⁉︎と声を上げた。コナンは当然深月が警察官僚の娘でありかつ両親が降谷に深月の警護を依頼出来る立場の人間である事はわかっていたがさすがに警察組織のトップの娘だとは思っておらず、自分で言い当てたとはいえ目を丸くしていた。
『こんな事になったので隠しておける事でもないと思いますので…すみません。扱いにくいですよね。』
「いや…まぁそれは…」
目暮がハハッと苦笑すると病室をノックする音がし、高木が返事をし扉を開けるとそこにはニコリと笑う女性がいた。
「えと…どちら様でしょうか?」
「こんばんは。深月の母です。」
そう言うと恭子は高木を退けて病室に入り深月の前にまっすぐ歩いてきた。深月が視線を恭子に上げると恭子はパァンッと深月の頬を叩いた。
「深月、貴女自分が何をしたかわかってるの?」
恭子の瞳が冷たく光ると周りは部屋の温度が急激に下がったかの様な寒気を感じた。深月が叩かれた頬を押さえて何も言えずにいると恭子は続けた。
「警察官でもなんでもない貴女が拳銃を扱っていいとでも?」
「深月さんのお母さんとりあえず落ち着いて…」
目暮がそう声をかけると恭子はそちらに視線を向けてハァとため息をついた。
「深月のした事は当然問題があるわ。でもね、そういう状況を作ったのは刑事部だってわかってる?4件も続いた殺人事件の犯人を逮捕しきれずにさらに5件目になるところだった被害者は現役の刑事……ちょっと刑事部たるんでるんじゃないの?そこに一般人を2人も巻き込んでるのよ?」
深月とコナンを見て恭子が言うと目暮は言葉に詰まり、そんな状況に堪え切れず佐藤が声を出した。
「あの…本当にすみませんでした。私が油断しなければ…大切なお嬢さんを巻き込む事もなかったのに…」
「…佐藤警部補だったわね。謝罪ならいらないわ。今回はたまたま運が良かったって事を覚えておいて。でなければ貴女も深月も死んでいたかもしれないのだから。」
恭子はそう言うとポンと佐藤の肩に手を置いてニコリと笑った。
「失敗ってのは誰だってあるものよ。次にその経験をどう活かせるか…それが活かせなきゃ役立たずってだけ。」
「っ…承知しました。」
『お母さんっ!そんな言い方…』
「貴女は深く反省しなさい。現場を見てきたけど、あの場で拳銃を扱う以外にも鉄パイプやペンキ缶なんかもあったのだから相手を制圧せずとも怯ませる方法は他にもあったはずよ。」
『……はい。』
深月が頷くと病室の扉がバンッと大きな音を立てて開きひとりの男が入ってきた。髪を乱しスーツ姿だがネクタイも曲がるその人は深月を見つけると恭子を押し退けてギュッと強く抱きしめた。
「深月っ!大丈夫かっ⁉︎大きなケガはないと聞いたが…」
『お、お父さん…は、恥ずかしいからやめてっ!』
深月は父、祐太朗の腕の中で慌てて抗議するが気にしていないのか祐太朗はそのまま深月の髪を撫でた。
「良かった…お前が無事で本当に良かった。」
『わかった。わかったから!刑事さん達見てるから!』
深月がそう言うと祐太朗は漸く腕を緩めたが腫れる深月の頬を見てそっと撫でた。
「痛いか?殴ったのはどっちだ?」
『それは後で刑事さんに話すから。ちなみにそんな事気にせず頬を叩いたのはお母さんね。』
「恭子…」
祐太朗が恭子を非難めいた目で見ると恭子は眉をひそめた。
「貴方は深月に甘いの!叱るのは親の務めよ。わかってるの?」
「お前はそうやってすぐに手を出す…」
「貴方は逆に口ばかりでしょうが。たまには父親らしく鉄拳制裁くらい出来ないの?」
恭子が呆れた様に言うので祐太朗は深月に視線を戻すが恭子に叩かれたからか少し潤む深月の瞳を見るともう一度ギュッと深月を抱きしめた。
「そんなの可哀想で無理だ。」
「貴方ねぇ…」
「けれど…深月。拳銃を扱ったって?」
恭子は呆れた声を出すが、祐太朗は腕を緩めると鋭い目付きで深月の瞳をまっすぐに見つめた。
「それがどれだけ危ない事かわかっているか?」
『…はい。』
祐太朗の問いに深月が視線を逸らして頷くと祐太朗はハァとため息をついた。
「暫くは外出を禁止する。大学も許可しない。自分でよく考えるように。生活に必要な物はこちらで手配するから家から出ない様に。いいね?」
祐太朗の言葉に深月はただ頷くしかなかった。立場的なものと性格もあるが普段身なりは誰よりも気にして整えている父親がここまで乱れた状態で駆けつけてくれた事に深月は嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちが入り混じった。深月はそんな父親の曲がるネクタイを締め直すと謝った。
『忙しいだろうにこんなところ来させてごめんね。』
「いや、近くに用事もあったから気にするな。」
『……そっか。ありがとう。』
こんな取り乱した姿で現れておいて近くに用事がだなんてわかりやすい嘘に深月はあえて騙される事にした。父親の優しさがくすぐったかった。
祐太朗は深月から離れるとサッと手櫛で髪を整えて目暮に視線を向けた。
「事の詳細を後でこちらにあげる様に。迅速に頼むよ。」
「はっ!」
目暮が緊張気味に敬礼すると祐太朗は恭子に声をかけて病室を出て行った。一同はハァと息を吐き出しその場の緊張感が一気に緩んだ。
『ごめんなさい。空気がピリピリとしてしまって…』
「いや、それは何も君のせいではないから…」
「しかしすごい母親でしたね…もう少し娘の事を気遣ってもいいように思えましたが…」
高木が眉をひそめて非難めいた事を言うと深月は苦笑した。
『あれで母はかなり心配してくれてますよ。高木さんあまり滅多な事言っちゃいけませんよ。母も警察官でしたから…ネットワークの広い人です。誰からかその話が母へ伝えられるかもしれませんよ?』
深月が意地悪そうに笑いながら口の前で人差し指を立てて、しーっと言うと高木はビクッと肩を揺らした。
『さて、仕事を済ませましょう。事情聴取お願いできますか?』
「大丈夫かい…結構ショックな出来事だったとは思うんだが…」
『…慣れですかね。問題ありませんよ。記憶が新しい内に話させてください。』
深月が苦笑しながら答えると目暮はポリポリとその頭を帽子の上から掻いた。
翌日、無事退院し深月は恭子に連れ添われて自宅マンションへ帰ってきた。
恭子からはそこでさらに説教を小1時間ほどされて深月はソファーの上で体を小さくした。漸くそれも終わり帰り際に恭子に、お父さんから言われた事をきちんと守る様に。と念押しされ深月が素直に頷くと恭子はマンションを出て行った。深月は腫れは引いたもののまだ痛む頬を撫でながらソファーに仰向けに倒れ込んだ。
『疲れた…最終的に昔の事も蒸し返されて怒られた……』
どこか理不尽な様で深月は納得いかなかったが大人しく話を聞いた。そうでもしない限りあの説教が終わる事がない事をよくわかっていた。深月がお茶でも淹れようと体を起こすとインターホンが鳴り深月はその画面に映る金髪の人を見るとビクッと肩を揺らした。迷ったところで仕方ないので深月はひとまずインターホンに出た。
『はい。』
《こんにちは、深月さん。》
『こ、こんにちは。』
《近くまで来たので…良かったらあげてもらえますか?》
『…はい。』
深月は承諾するとエントランスのドアロックを解除した。正直、母に叱られた今深月は降谷に会いたくなかった。同じ様にくどくどと叱られるであろう事を考えると気が重かった。
ー畳み掛ける様に来なくてもいいのに……あ、でも実は私が事件に巻き込まれたとか知らないかも!本当にただ寄っただけかもしれないし…零さん私を何かに誘おうとしてたし。うんうん!
深月がそんな事を期待していればインターホンが鳴り深月は降谷を出迎えた。部屋に入ってきた降谷はスーパーの買い物袋を抱えていて深月は首を傾げた。
『なんの荷物ですか?』
「どこかの誰かが巣篭もりさせられるって聞いたからだよ。」
『あ…』
やはり当然降谷は今回の事件の事は知っていた様で深月は先ほど抱いた淡い期待が消えていくのを感じた。
降谷が冷蔵庫に食材を詰め込んでいる間深月はどうするべきかと居心地悪そうにその様子を見ていたが意を決して降谷に話しかけた。
『あ、あの、ごめんなさい!私が悪いのはわかってるんです!母からはもうだいぶ叱られて…あの…だから…』
あまり叱らないで。とは自分の口からは言えず深月は視線を下げて口ごもった。降谷は体を小さくさせて少し怯えた様な深月を見るとパタンと冷蔵庫の戸を閉めた。そんな些細な音にさえピクリと肩を揺らす深月に降谷は苦笑しその名前を優しく呼んだ。
「深月」
その優しい声音に深月は恐る恐る降谷を見上げると降谷は両腕を広げて笑った。
「おいで。」
深月がおずおずと近付けば腕を引かれて降谷の胸に倒れ込んだ。降谷は深月を包み込む様に優しく抱きしめると髪を撫でた。降谷の強くなる匂いに深月の胸がドキンと高鳴りそのぬくもりにじわりと涙が滲んだ。
「怖かったろ?もう大丈夫だよ。」
『っ!』
"怖かった"という言葉を聞いて深月は、あぁ、そうか。と納得した。冷静な様でいて深月はあの時怖かったのだ。男に襲われる佐藤を見て、佐藤に気絶させられた男が起きたらあの写真の女性達の様に殺されるのだと頭は理解する以前に感じていた。怖くて怖くて堪らなくて感情を遮断した。そうして握った拳銃は誰のためでもなく自分のために握った。死に直面して死にたくないと強く思ったのだ。
『ふっ…うぅ…零さぁん…』
ギュッと深月は強く降谷に抱きついて子供の様にわんわん泣いた。深月が泣く間降谷はずっと優しく深月の頭を撫でた。そのぬくもりの中に戻ってこれた事にホッとして深月は余計に涙が溢れた。どれほど時間が経ったのか深月にはわからなかったがひと通り泣いて落ち着いてくると鼻をすすりまだぼんやりとする頭で考えた。
ーどうしよう…こんな泣き方して零さん呆れてないかな…
「深月」
深月の気持ちを感じ取ったかのように降谷が優しく声をかければ深月はビクッと肩を揺らしてぐしゃぐしゃの顔を少しでも誤魔化そうと袖でぐしぐしと顔を拭ってから降谷をそっと見上げた。そうすれば青い瞳が深月が思ってた以上に優しく出迎えてくれて深月の瞳に引いたはずの涙がまたじわりと溢れた。
『っ…ごめんなさい。涙腺がバカになって…』
「泣きたいだけ泣いたらいい。大丈夫。そばにいるよ。」
『もう…そんな言葉かけないでください…こっちは涙止めたいのに…』
深月が困った様に眉を下げると降谷はそっと深月の頬に触れてその唇に唇を重ねた。角度を変えてゆっくりと優しく触れ合うと深月の涙が止まりその瞳に別の熱っぽさが宿った。
「これ以上するとまた別の意味で泣きそうだな。」
降谷が悪戯っぽくそう言って笑うので深月は恥ずかしくなって頬を赤くした。
『意地悪…』
「ん?続けて欲しい?」
『そうじゃないですよ!もう…』
深月が赤くなった顔をふいっと逸らすと降谷はそれを見て少し安心した。深月が落ち着いたようなので降谷は深月をソファーに座らせお茶を淹れる事にした。深月は自分が淹れると言ったが降谷はそれを制してお茶を淹れ、カップを持って深月の隣に腰を落とした。
『ありがとうございます。そういえば、巣篭もりするなんて誰から聞いたんです?』
「恭子さんからだよ。暫く外出禁止になったから面倒を見て欲しいと。」
『お母さんから…』
深月は降谷の言葉に耳を疑った。恭子は怒っていたはずだから。今回の件、恭子との約束を破ってしまった深月に彼女はひどく怒っていた。何かあった際には祐太朗がしたように抱きしめてケガの確認をしたりと親バカぶりを発揮する恭子が珍しくそんな事をかけらもしなかった。本気で恭子が怒っているのだと深月は頬を叩かれた時に気付いた。なのに降谷にここへ来るようにとお願いしたのは恭子だと言う…深月はポロッと一粒だけ涙が頬を転がっていった。
『お母さん、とても怒っていたはずなんです。私が約束を破ってしまったから。』
「約束?」
『"二度と拳銃には触れない事"それが母との約束でした。』
「"二度と"という事は触れた事があるんだな?」
降谷の問いに深月はこくんと小さく頷き話し出した。
『幼い頃……確か10年くらい前だと思うんですけど、その頃に警察官をモチーフにしたアクションアニメをテレビでやっていて結構人気があったんですよ。私もよく観ていて…そうきっかけは私が"お母さんもこんな風に悪者をバンバンッてピストルで倒すんだよね?カッコいい!見てみたい!"って褒めた事だったと思います。それで警視庁術科センターで母が射撃する姿を見せてもらったんですよ。』
「…その頃って恭子さん警察官を辞めてないか?」
『あ、気付きました?えぇ本来アウトですね。そして母はもうひとつアウトな事をします。』
「…まさか君に撃たせたのか?」
降谷が呆れた様に聞くと深月は苦笑気味にそれを肯定した。
『そうです。私がねだったんです。やってみたいと。母の姿はカッコよかったし混同してはいけないけれど同じ年頃のアニメのキャラだって撃ってましたからね。』
「それは恭子さんに問題がないか?」
『えぇ私もそう思います。母はきっと私の警察官としての素質を把握したかった…たぶんその程度の気持ちだったと思います。その頃はまだ私が警察官になってそれから学校の先生になるって訳のわからない事言ってましたから。別に警察学校の先生になりたかったわけじゃないですからね。』
深月が念を押すと降谷は苦笑しながら、だろうな。と相槌を打った。
『そして母は気付いたんです。私に射撃の素質があるって事に…あの約束には"私が警察官になるまでは"という条件が付く…母が私に約束させた理由はわかっています。何かあった時に咄嗟に私がそれに頼ってしまわない様にって…日本では警察官などの一部の職業にしかその所持は認められてませんから、私にとってそれがすぐ手の届く手段でない方がいいと思ったんでしょう。私だってそう思いますよ。それは母の判断が正しいと思います。』
深月はそう言って自分の手のひらを見つめた。
『あの約束以来触れた事などありませんでした。その一線を越えた事はなかったんですけど……私、路地で襲われた時に首を絞められてこのまま死ぬのかなって考えてしまって…その次に"死"というものを予感した時、私はとても自分本位でした。目の前で襲われる佐藤さんを助けたいとかそんな気持ちはなくて…怖いという感情に自然と蓋をして冷静に近くにあった佐藤さんの拳銃を握ってました。自分の生存率を冷静に考えてたんですよ。そのためにはまず佐藤さんを助けなきゃいけない。そこからは迷いなんてなかった。あの時は何も思わなかったけれど今思えば10年も触ってなかったはずなのにそれはちょうどいいような…むしろ大きくなった自分の手に馴染んで違和感なんてなかったって事が怖いですよ。』
深月は降谷に話している内にその時の自分の思考や感情が客観的に見えてきて、その瞳からは再びポロポロと涙が流れた。
『私は…あの時、自分が生きるためだけに発砲したんです。よりにもよって人を守るためにある警察官の拳銃で。』
深月はひどく後悔した。誇りに思うその人達の象徴とも言えるそれを自分のためだけに使った。桜の代紋に泥を塗った様な気分に深月は胸が苦しくなった。
ー自業自得…母親からはちゃんと約束を受けていたのに……この苦しさはちゃんと受け止めなきゃいけない…
深月がギュッと自分の胸元を握りしめると降谷に抱きしめられた。それにハッとして深月は顔を上げると降谷の胸を押した。
『ダメ!優しくしないで!』
「どうして?」
『ちゃんと後悔しなきゃいけない事だから…自分で…ちゃんと受け止めなきゃいけない事だから…』
「そうか。」
降谷は頷くとさらに腕に力を込めて深月を抱き寄せた。深月は目を見開き降谷の服を引っ張って抗議した。
『零さん!』
「言ったろ?僕は君に甘くあるべきだって。」
『っ…バカ言わないでください…お願い…離して…私、ちゃんと…』
「君はちゃんとその後悔に向き合って受け止めようとしてるだろ?そもそも後悔と向き合うのは君にしか出来ない。けど君がそれに苦しむなら、君を支えるのは僕の役目だ。君は以前、泣きそうな僕をひとりにしたくないって言ったろ?僕だって苦しくて泣く君をひとりにしたくないよ。」
『っ…零さん…』
漸く深月が素直に降谷に抱きつくと降谷はその頭をゆっくりと優しく撫でた。
つづく