桜舞う頃 【完結】
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深月はアンアンッと鳴く犬の声で目を覚ました。
『ん…ハロくん?』
ハロは深月のスマートフォンを咥えていて深月は首を傾げながらそれを受け取った。スマートフォンには何件もの千紗からのメールと着信があり深月は時間を見ると目を見開いた。
『寝坊した…』
時刻はすでに14時を回っていて深月は項垂れた。いくら酒が入っていたとはいえこんな時間まで寝ていた自分に呆れた。
『ハロくん、起こしてくれてありがとう。』
尻尾を振って褒めてくれと言わんばかりのハロの頭を深月は撫でて千紗から届いたたくさんのメールを開いた。そこには昨日の安室の件の事に始まり最後は講義に来ない深月を心配しての内容だった。
『あぁそうだ。零さん、恋人だって言っちゃったんだった…』
深月は今から家に帰って支度して大学に向かったところで講義には間に合わない上に千紗から質問攻めにあう未来を想像したらとても大学に行く気にはなれなかった。
『いいや、今日はサボっちゃえ。恋人を暴露した件は暴露した本人になんとかしてもらおう。』
深月は千紗に寝坊した件と詳細は安室に聞くようにとメールを済ませるとベッドから立ち上がった。ふとローテーブルを見るとそこには降谷からの書き置きがあった。それは冷蔵庫に作り置きがあるから適当に食べていいという内容だった。深月はここまでお世話になっておきながらご飯まで…と考えたが自分のお腹が正直にグーッと鳴くものだからとりあえず冷蔵庫を開けてみた。
『わ、綺麗な冷蔵庫。とても一人暮らしの男の人の冷蔵庫とは思えないな…』
深月はいくつかタッパーを覗いて取り出すと中身を出すための皿を探すために棚を開けた。すると何がしたいのかわかったのかハロがアンッと別の棚の扉の前でひと鳴きした。そこを開けると皿が入っていて深月はハロに笑いかけた。
『ありがとう、ハロくん。さすがご主人様に似て優秀だね。』
「アンッ!」
嬉しそうにもうひと鳴きするハロと共に深月は料理を皿に移して電子レンジで温めると、いただきます。と両手を合わせてそれを食べた。
『んー…なんでこの人こんなに料理上手かな…私があげたチョコ、美味しかったとは言ってくれたけど…零さん自分で作った方が100倍美味しいだろうからな…』
来年からのバレンタインを考えると何か手を打つべきだろうかと深月は真剣に悩んで、ハッとした。
ーいやいや、今から来年のバレンタインの心配って…それまで一緒にいる事が前提なんだけど…私ってば気が早すぎだな…
深月はフーッと息をついて熱くなった顔の熱を逃がすと、温めた料理が冷めない内にと食べ切って食器を洗ってハロを振り返った。
『ハロくん、じゃあ私帰るね。』
そう深月が言うとハロはクゥンと寂しそうに鳴いた。深月はそんな可愛らしいハロの姿に堪えられなくなりギュッと抱きしめた。
『私も寂しいよ!また来るからね!』
深月はハロと約束をして家を出ると降谷から渡された鍵を見つめた。
ー零さんの家の鍵、か。
自然と顔がニヤけると深月はペシペシと自分の頬を軽く叩いて、部屋の鍵をかけた。
深月は電車に乗って自分のマンションへと戻ると風呂に入ってひと息ついた。さっぱりとしてリビングに戻ってくるとちょうどスマートフォンに着信があり、深月は相手が千紗だとわかると悩んだが出る事にした。
『もしもし?』
《あ、やっと出た!深月!聞きたい事がいっぱいあるんだからね!》
『言うと思った。』
《大学サボってるんだから暇だよね⁉︎19時にポアロ!絶対だよ!》
『え?拒否権は?』
《ないよ!その時間は安室さんもいる事は梓さんに確認済みなんだからね!》
『へぇ。』
ー用意周到だこと。
深月は断るのも面倒だと思い承諾すると電話を切った。指定の時間までを深月はどう過ごすかなと考えながらお茶を淹れるためにヤカンを火にかけた。
深月は気乗りしないせいか千紗と約束した時間より少し遅れてポアロに着いた。カランカランと音を立てて扉を開けるとカウンター席にいた千紗が立ち上がり深月を出迎えた。閉店まで1時間を切ったこの時間帯に他に客もなく深月は少しホッとした。千紗に引きずられる様にして深月はカウンター席に座らされた。いらっしゃいませ、と笑う安室と梓に深月は渋い顔を向けるしかなかった。
ー誰のせいだ。誰の!にこやかに挨拶してこないでよ!腹立つ。
「さ、さっさと吐いちまいな。ネタは上がってんだよ。」
『私は被疑者なの?』
ドンッとテーブルを叩いてみせる千紗に深月はため息をついた。
「容疑者はこれからの質問にちゃんと答える事!」
『聞いてる?』
「あれ?容疑者?被疑者?」
『一緒!どっちでもいいよ。』
「じゃあなんでふたつ言い方あるの?気になる。」
『…マスコミ名称か法令用語かなだけ。』
「そうなの⁉︎」
『変な刑事ごっこするなら帰るよ。』
「被告人は大人しくしなさい!」
『いろいろぶっとんで私は起訴までされたのね。今度は裁判ごっこ?じゃあ私は弁護人をつけなきゃいけないわけね。誰が検察官で誰が裁判官なの?え、まさか裁判員制度は導入しないよね?』
深月がそこまで言うと千紗は、んーどうしようかな。と悩み始めたので深月は苦笑した。でもこんな風に冗談を言ってきてるという事は安室との事を隠していた事を怒ってはいないなと深月は少しホッとした。
「て、まぁ冗談は置いといて。本当にいつから付き合ってるの?」
『……』
いつから、と聞かれ深月は考えてみると明確にはバレンタインのあの時からだろうと思ったが、それ以前に告白まがいな事をしてキスとかしていた事を思い出すとあの中途半端な関係はなんだったんだろうと思った。
「バレンタインからですよね?」
黙ってしまった深月の代わりに答えたのは深月にカフェオレを出した安室だった。深月はそんな安室を一瞥しすぐにカフェオレに視線を移した。
「あ、じゃあ安室さんがバレンタインの時に言ってた好きな人って深月だったんだ!確かによくよく考えたら"淡白なフリして実は親身で、少し天邪鬼なとこがあって、自分がどれだけ可愛いのか全く自覚してない人"だわ。」
『ちょっと待って、何その評価。全然納得出来ない。』
「そうかな?言われたら、あー!って納得なんだけど。」
『…納得なんだ。』
深月は複雑な気持ちになるもここで何か言ったところで無駄になる気がして黙った。千紗は安室との会話を思い出して、あ!と声を上げた。
「え、じゃあ深月ってば1回安室さんの事振っておいてやっぱり気がある素振りしときながら告白もせずにキープしてたの⁉︎」
『え…えぇ⁉︎』
確かに端的に述べればそうなのかもしれないが深月は納得出来なかった。
「やだ、そんな悪女に育てた覚えないのに!」
『育てられた覚えはないし、なんかそれはちょっと語弊がある気がする。』
「キープの相手が大物過ぎる。恐ろしい子…」
『別にそんな気は…言うタイミングがなかっただけで…』
「ていうかバレンタインも渡す気なかったんだよね?どうする気だったの?」
『ど、どうと言われても…』
「やだ…安室さん可哀想…」
『え…いや、まぁ…』
人に言われてみると深月も悪女と言われても仕方ない行動をしていたのかもしれないと思った。相手が自分に好意がある事は深月にはわかっていたしそこにつけ込んでいい様に扱っていたと言われたら確かにそうかもしれないと深月も思った。
ー零さんにものすごい甘えていたわけか…あ、すっごい申し訳なくなってきた…
『はい。すみませんでした。』
深月が素直に謝るとカウンター越しに安室はニコリと笑った。
「別に構いませんよ。結果として深月さんの恋人になれたんですから。」
「安室さん健気…深月、ちゃんと安室さんに感謝しなきゃダメだよ。」
『…はい。』
健気な恋人というポジションにおさまった安室に深月は納得がいかないも波風を立てるのは得策じゃないなと判断し相槌を打った。
「でも本当に深月ちゃんと安室さん付き合ってるんですね。びっくりしました。」
「私もびっくりしましたよ!まさか深月だなんて!」
『そうなるから黙ってたかったんですけどね。』
梓と千紗がしきりに驚いたと言うので深月は半眼で安室を睨んだ。安室はそんな深月の視線に苦笑で返した。
「それは…深月さんがフリーだと周りに思われると合コンとかに行ってしまうじゃないですか。出来ればそれは避けたいですし…僕の我儘なんですけどね。」
「やだ、めっちゃ愛されてるじゃん!深月ちゃんと断らなきゃダメじゃん!」
『断れなくしたのは千紗でしょ!安室さんも私が恋人いながらも自ら合コンに行くみたいな言い方しないでもらえます?梓さんが心底びっくりしてますから。』
え、そんな子だったの?という軽蔑の交じる眼差しを梓から受けて深月は自分の名誉のためにも言い返した。
『大体、この関係を隠したかったのはポアロの看板でもある安室さんに恋人がいるのはよくないと思ったからで…それ以上に意図はないんですが。』
「あぁ確かに。常連のJKが悲しんじゃうかしら?」
「でも梓さん、逆に人間味が出ていいかもしれませんよ!誰かと付き合ってるって事は自分にもチャンスがあるかもって思えるし。」
「なるほど。一理あるかも!」
『それはもはや破局予定って事ね。』
「破局しなくたってありえるよ。まぁ安室さんが浮気はしないと思うけど、安室さんレベルのイケメン相手なら2番や3番でもいいからって狙う女子はいると思うよ。女子って案外肉食だからねぇ。」
千紗がニヤリと笑うと深月はそれを呆れた様に半眼で見つめた。
『あーはいはい。もういろいろと私の杞憂だって言うなら別にいい。ポアロの売り上げ落ちても私は知りません。』
「そんなに影響はないと思いますよ。別にそればかりではないでしょうから。」
「こればかりは結果がわかりませんね。」
「まぁ知れちゃった事は仕方ないし。それよりさ、深月ってばいつから安室さんの事好きだったの?最初は興味なかったじゃん。」
千紗がニマニマと気味の悪い笑顔で聞いてくると深月は小さくため息をついて考えた。
ーいつからだろ?自覚したのは遠藤くんがきっかけだけど…いつって言われると…降谷零だって知る前から会えなくなる事を寂しく思ったり他の人とは違った存在ではあったと思うんだよなぁ…でもそうなると私は安室透に恋したの?確かにあの時にはみっくんへの想いをわざわざ確認しようとしてあの公園に行ったし…んー…
『……さぁ?』
「いや、こんだけ考えといて答え短っ!」
『そんな事言われても…考えてもわからない事はなんとも言えないし。』
「でも遠藤に告白された時には好きだったわけでしょ?」
『…そうだね。ていうかなんでこんな事を…』
「ずっと黙ってた罰。」
『…せめて2人きりでお願いできます?』
「やだ。安室さんだって気になるでしょ?」
千紗が小首を傾げると安室はニコリと笑って答えた。
「えぇそうですね。深月さんの事ならなんでも。」
「ほらぁ。深月も聞きたい事あるなら聞いてみたら?」
『聞きたい事?』
深月は千紗に言われて首を捻るが特に何も出てこなかったので首を横に振った。
『ない。』
「…本当に安室さんの事好きなんだよね?」
『一応。付き合うくらいには。』
「素直に好きのひとつでも言ってみたら?」
『言わない…それより千紗は怒るのかと思ってた。』
「何が?」
深月が恥ずかしくなって話題を変えると千紗は深月の言った事の意味がわからず首を傾げた。
『安室さんとの事を隠してたから。』
「あぁ…え?怒った方がいい?」
『いや、怒られたくはないけど。』
「んー…まぁびっくりしたよ。けどさ、深月が黙ってたって事はそれなりに理由があるからじゃん。自分のためだけにそういう秘密作るタイプじゃないのはわかってるからさ。」
千紗はニコッと笑いながら言い、深月は千紗から向けられた信頼にこそばゆくなった。深月は小さく息をつくと千紗を見てはにかみながら微笑んだ。
『ん、ありがとう。』
「っ…深月っ!」
その笑顔を見ると千紗はギュッと深月を抱きしめ、突然の事に深月は驚いて目を丸くした。
『な、何?』
「もうもう可愛い奴め〜!私が男なら絶対恋人になるのに!安室さんと私ならどっちがいい?」
『は?その妄想に付き合う気ないんだけど。』
「ひどっ!私の事は嫌いなのっ⁉︎」
『…まぁほっとけないタイプではあるよね。でも男なら願い下げ。』
「振られた…」
『はいはい。つまり今の関係が一番いいんだからそれでいいでしょ?』
「仕方ないな、それでいいよ。」
ブーと口を尖らせるが千紗は満足そうで深月も安心してカフェオレに口をつけた。
ふと千紗は、あ!と声を上げたかと思うと鞄の中から1枚のプリントを取り出し深月に差し出した。
「これ、今日の講義で出た課題。講義をサボっちゃった深月の分ももらってきたこの千紗様に感謝してよね!」
『ありがとう。助かる。この課題、講義で配られたプリント以外で提出出来ないし。』
深月が感謝してそのプリントをリュックにしまっていると安室が不思議そうに尋ねた。
「今日は大学へ行かなかったんですか?」
「そうなんですよ、この子寝坊して。」
「寝坊?」
「起きたの14時過ぎだったでしょ?酒の後にしてもちょっと寝過ぎじゃない?」
『私もそう思ってるよ。』
「だよねぇ。」
ニマニマとした笑みをたたえて見つめてくる千紗に深月は居心地悪そうに首を傾げた。
『何?』
「いやぁほら昨日は安室さんと帰ったから…どうだったのかなぁと。」
『どう?』
「まさか普通に家に帰ったの?」
『え…いや、そうではなかったけど。』
「でしょ!お泊まりだ!」
『はぁ…まぁ確かにお泊まりだったけど…え?』
興奮気味の千紗に対しそれを理解出来ない深月は再び首を傾げた。それを聞いていた梓は千紗の言いたい事を理解したのかカァと頬を赤く染めていた。しかしそれに比べて慌てたり誤魔化したりしない深月を見て千紗は違和感を持つと顔をしかめた。
「まさか普通にお泊まりしたの?」
『普通にって?』
「え…え?」
千紗は助けを求める様に安室へ視線を向けると安室は苦笑して肩をすくめて見せた。千紗は"何もなかった"普通のお泊まりだった事を理解すると深月の両肩をガッと掴んだ。
「深月…」
『な、何?』
千紗の普段とは違う真剣な声音に深月は緊張しながら尋ねた。
「その純情な所はとっても可愛い所なんだけど……小学校の林間学校じゃないんだよ!むしろ修学旅行先で友達に部屋を変えてもらった高校生カップルだって今どき何もないなんてあり得ないよ!そりゃ親友としては良かったような気もするけど…さすがに安室さんに同情するよ。恋人が泊まりに来て何もないって何…切なっ!そんな状況女の私だって期待するわっ!」
『は、はい…ごめんなさい…』
千紗に捲し立てられ深月はその圧に飲まれて気付けば口から謝罪が出ていた。
「あぁ疎いとは思ってたけど…どこまで乙女なのよ…こんな子今どきいないって…天然記念物か。」
『はぁ…すみません。』
千紗の言葉に深月が完全に萎縮してしまっていると見兼ねた安室が口を挟んだ。
「まぁまぁ落ち着いてください、千紗さん。それも深月さんの良い所ですから。深月さんが望まない事はしたくありませんし、ゆっくりと慣れていけばいいかと。」
「安室さん…天使なの?それとも菩薩?深月、あんな出来た人いないよ。深月のペースに合わせてくれようとしてくれるなんて…」
『え?や、たぶん千紗が思ってるほどその人、私に合わせてはくれない…』
「ここまで言ってくれてる人になんて事言うの!」
ーえぇ⁉︎私が悪いの?でも今までの経験上、絶対その人、グイグイ来るよ!こっちのペースなんてあったもんじゃないんだよ!
深月はいろいろと言いたい事もあったが安室透という人物像を思うと口を噤むしかなかった。
『…わかりました。ではぜひ私のペースでゆっくりお願い申し上げます。』
「なんでそんなぶっきらぼうに言うの?こんな彼氏がいて何が不満なの?」
『いろいろとね。じゃあそろそろ帰るね。あとはメールした通りそちらに聞いて。』
「えぇ⁉︎帰るの?まだ閉店まで時間あるよ?」
『もらった課題やらなきゃ。』
「えーそんなの明日でいいじゃん!」
『学生の本分は学業ですので。申し訳ありませんが失礼させていただきます。』
深月が丁寧に断ると千紗は、あ、まずいな。と感じた。
「ごめん、深月。そんな怒らないでよ。」
『千紗のせいじゃないから。』
深月は代金を千紗に預けるとポアロを後にした。カランカランと音を立てて閉まる扉を見て千紗は首を傾げた。
「私のせいじゃないなら、深月は何を怒ってるんですかね?」
「さぁ?まぁちょっと恥ずかしいお話だったからかしら?」
千紗と梓が不思議そうにしているのを横目に安室は深月の使ったカップをシンクへと置いた。
「大丈夫ですよ。明日にはきっと機嫌も直ってますよ。」
そう安室が笑うと2人も、そうですね。と頷いた。
深月は家に帰るとイライラとした気持ちをどうにかしたくてソファーにリュックを乱暴に置いた。キッチンで水を一杯飲むとフーッと息を吐き出し、深月はこの苛立ちを紛らわすためにも千紗から渡された課題をやる事にした。しかし暫くしても苛立ちが治らず深月はシャーペンを手放した。
ーあぁもう!なんで私があんなに謝らなきゃいけないの?零さんってばうまーくいいポジションについて…私ばっかりなんか悪いみたいじゃん!確かに零さんの気持ちに甘えていた所もあった…けどそもそも立場を考えたら想いを伝えるのはやめた方がいいんじゃないかと私は悩んでいたわけで…キープとかそんなんじゃないし。合コンだって私のせいじゃないし!お泊まりだってあれは…車で寝ちゃった私が悪いけど…心の準備も何もあったわけじゃないのに……何が天使よ、何が出来た人よ。安室透のイメージは壊せないからあんまり反論も出来ないし…そもそもこの関係は秘密にする約束だったのに零さんがバラすからこんな面倒な事に…私ばっかり恥ずかしい思いさせられてた気がするし…あぁ腹立つ!
『ダメだ。お風呂入ろう…』
深月は気分を変えるためにお風呂に入る準備をした。
つづく
『ん…ハロくん?』
ハロは深月のスマートフォンを咥えていて深月は首を傾げながらそれを受け取った。スマートフォンには何件もの千紗からのメールと着信があり深月は時間を見ると目を見開いた。
『寝坊した…』
時刻はすでに14時を回っていて深月は項垂れた。いくら酒が入っていたとはいえこんな時間まで寝ていた自分に呆れた。
『ハロくん、起こしてくれてありがとう。』
尻尾を振って褒めてくれと言わんばかりのハロの頭を深月は撫でて千紗から届いたたくさんのメールを開いた。そこには昨日の安室の件の事に始まり最後は講義に来ない深月を心配しての内容だった。
『あぁそうだ。零さん、恋人だって言っちゃったんだった…』
深月は今から家に帰って支度して大学に向かったところで講義には間に合わない上に千紗から質問攻めにあう未来を想像したらとても大学に行く気にはなれなかった。
『いいや、今日はサボっちゃえ。恋人を暴露した件は暴露した本人になんとかしてもらおう。』
深月は千紗に寝坊した件と詳細は安室に聞くようにとメールを済ませるとベッドから立ち上がった。ふとローテーブルを見るとそこには降谷からの書き置きがあった。それは冷蔵庫に作り置きがあるから適当に食べていいという内容だった。深月はここまでお世話になっておきながらご飯まで…と考えたが自分のお腹が正直にグーッと鳴くものだからとりあえず冷蔵庫を開けてみた。
『わ、綺麗な冷蔵庫。とても一人暮らしの男の人の冷蔵庫とは思えないな…』
深月はいくつかタッパーを覗いて取り出すと中身を出すための皿を探すために棚を開けた。すると何がしたいのかわかったのかハロがアンッと別の棚の扉の前でひと鳴きした。そこを開けると皿が入っていて深月はハロに笑いかけた。
『ありがとう、ハロくん。さすがご主人様に似て優秀だね。』
「アンッ!」
嬉しそうにもうひと鳴きするハロと共に深月は料理を皿に移して電子レンジで温めると、いただきます。と両手を合わせてそれを食べた。
『んー…なんでこの人こんなに料理上手かな…私があげたチョコ、美味しかったとは言ってくれたけど…零さん自分で作った方が100倍美味しいだろうからな…』
来年からのバレンタインを考えると何か手を打つべきだろうかと深月は真剣に悩んで、ハッとした。
ーいやいや、今から来年のバレンタインの心配って…それまで一緒にいる事が前提なんだけど…私ってば気が早すぎだな…
深月はフーッと息をついて熱くなった顔の熱を逃がすと、温めた料理が冷めない内にと食べ切って食器を洗ってハロを振り返った。
『ハロくん、じゃあ私帰るね。』
そう深月が言うとハロはクゥンと寂しそうに鳴いた。深月はそんな可愛らしいハロの姿に堪えられなくなりギュッと抱きしめた。
『私も寂しいよ!また来るからね!』
深月はハロと約束をして家を出ると降谷から渡された鍵を見つめた。
ー零さんの家の鍵、か。
自然と顔がニヤけると深月はペシペシと自分の頬を軽く叩いて、部屋の鍵をかけた。
深月は電車に乗って自分のマンションへと戻ると風呂に入ってひと息ついた。さっぱりとしてリビングに戻ってくるとちょうどスマートフォンに着信があり、深月は相手が千紗だとわかると悩んだが出る事にした。
『もしもし?』
《あ、やっと出た!深月!聞きたい事がいっぱいあるんだからね!》
『言うと思った。』
《大学サボってるんだから暇だよね⁉︎19時にポアロ!絶対だよ!》
『え?拒否権は?』
《ないよ!その時間は安室さんもいる事は梓さんに確認済みなんだからね!》
『へぇ。』
ー用意周到だこと。
深月は断るのも面倒だと思い承諾すると電話を切った。指定の時間までを深月はどう過ごすかなと考えながらお茶を淹れるためにヤカンを火にかけた。
深月は気乗りしないせいか千紗と約束した時間より少し遅れてポアロに着いた。カランカランと音を立てて扉を開けるとカウンター席にいた千紗が立ち上がり深月を出迎えた。閉店まで1時間を切ったこの時間帯に他に客もなく深月は少しホッとした。千紗に引きずられる様にして深月はカウンター席に座らされた。いらっしゃいませ、と笑う安室と梓に深月は渋い顔を向けるしかなかった。
ー誰のせいだ。誰の!にこやかに挨拶してこないでよ!腹立つ。
「さ、さっさと吐いちまいな。ネタは上がってんだよ。」
『私は被疑者なの?』
ドンッとテーブルを叩いてみせる千紗に深月はため息をついた。
「容疑者はこれからの質問にちゃんと答える事!」
『聞いてる?』
「あれ?容疑者?被疑者?」
『一緒!どっちでもいいよ。』
「じゃあなんでふたつ言い方あるの?気になる。」
『…マスコミ名称か法令用語かなだけ。』
「そうなの⁉︎」
『変な刑事ごっこするなら帰るよ。』
「被告人は大人しくしなさい!」
『いろいろぶっとんで私は起訴までされたのね。今度は裁判ごっこ?じゃあ私は弁護人をつけなきゃいけないわけね。誰が検察官で誰が裁判官なの?え、まさか裁判員制度は導入しないよね?』
深月がそこまで言うと千紗は、んーどうしようかな。と悩み始めたので深月は苦笑した。でもこんな風に冗談を言ってきてるという事は安室との事を隠していた事を怒ってはいないなと深月は少しホッとした。
「て、まぁ冗談は置いといて。本当にいつから付き合ってるの?」
『……』
いつから、と聞かれ深月は考えてみると明確にはバレンタインのあの時からだろうと思ったが、それ以前に告白まがいな事をしてキスとかしていた事を思い出すとあの中途半端な関係はなんだったんだろうと思った。
「バレンタインからですよね?」
黙ってしまった深月の代わりに答えたのは深月にカフェオレを出した安室だった。深月はそんな安室を一瞥しすぐにカフェオレに視線を移した。
「あ、じゃあ安室さんがバレンタインの時に言ってた好きな人って深月だったんだ!確かによくよく考えたら"淡白なフリして実は親身で、少し天邪鬼なとこがあって、自分がどれだけ可愛いのか全く自覚してない人"だわ。」
『ちょっと待って、何その評価。全然納得出来ない。』
「そうかな?言われたら、あー!って納得なんだけど。」
『…納得なんだ。』
深月は複雑な気持ちになるもここで何か言ったところで無駄になる気がして黙った。千紗は安室との会話を思い出して、あ!と声を上げた。
「え、じゃあ深月ってば1回安室さんの事振っておいてやっぱり気がある素振りしときながら告白もせずにキープしてたの⁉︎」
『え…えぇ⁉︎』
確かに端的に述べればそうなのかもしれないが深月は納得出来なかった。
「やだ、そんな悪女に育てた覚えないのに!」
『育てられた覚えはないし、なんかそれはちょっと語弊がある気がする。』
「キープの相手が大物過ぎる。恐ろしい子…」
『別にそんな気は…言うタイミングがなかっただけで…』
「ていうかバレンタインも渡す気なかったんだよね?どうする気だったの?」
『ど、どうと言われても…』
「やだ…安室さん可哀想…」
『え…いや、まぁ…』
人に言われてみると深月も悪女と言われても仕方ない行動をしていたのかもしれないと思った。相手が自分に好意がある事は深月にはわかっていたしそこにつけ込んでいい様に扱っていたと言われたら確かにそうかもしれないと深月も思った。
ー零さんにものすごい甘えていたわけか…あ、すっごい申し訳なくなってきた…
『はい。すみませんでした。』
深月が素直に謝るとカウンター越しに安室はニコリと笑った。
「別に構いませんよ。結果として深月さんの恋人になれたんですから。」
「安室さん健気…深月、ちゃんと安室さんに感謝しなきゃダメだよ。」
『…はい。』
健気な恋人というポジションにおさまった安室に深月は納得がいかないも波風を立てるのは得策じゃないなと判断し相槌を打った。
「でも本当に深月ちゃんと安室さん付き合ってるんですね。びっくりしました。」
「私もびっくりしましたよ!まさか深月だなんて!」
『そうなるから黙ってたかったんですけどね。』
梓と千紗がしきりに驚いたと言うので深月は半眼で安室を睨んだ。安室はそんな深月の視線に苦笑で返した。
「それは…深月さんがフリーだと周りに思われると合コンとかに行ってしまうじゃないですか。出来ればそれは避けたいですし…僕の我儘なんですけどね。」
「やだ、めっちゃ愛されてるじゃん!深月ちゃんと断らなきゃダメじゃん!」
『断れなくしたのは千紗でしょ!安室さんも私が恋人いながらも自ら合コンに行くみたいな言い方しないでもらえます?梓さんが心底びっくりしてますから。』
え、そんな子だったの?という軽蔑の交じる眼差しを梓から受けて深月は自分の名誉のためにも言い返した。
『大体、この関係を隠したかったのはポアロの看板でもある安室さんに恋人がいるのはよくないと思ったからで…それ以上に意図はないんですが。』
「あぁ確かに。常連のJKが悲しんじゃうかしら?」
「でも梓さん、逆に人間味が出ていいかもしれませんよ!誰かと付き合ってるって事は自分にもチャンスがあるかもって思えるし。」
「なるほど。一理あるかも!」
『それはもはや破局予定って事ね。』
「破局しなくたってありえるよ。まぁ安室さんが浮気はしないと思うけど、安室さんレベルのイケメン相手なら2番や3番でもいいからって狙う女子はいると思うよ。女子って案外肉食だからねぇ。」
千紗がニヤリと笑うと深月はそれを呆れた様に半眼で見つめた。
『あーはいはい。もういろいろと私の杞憂だって言うなら別にいい。ポアロの売り上げ落ちても私は知りません。』
「そんなに影響はないと思いますよ。別にそればかりではないでしょうから。」
「こればかりは結果がわかりませんね。」
「まぁ知れちゃった事は仕方ないし。それよりさ、深月ってばいつから安室さんの事好きだったの?最初は興味なかったじゃん。」
千紗がニマニマと気味の悪い笑顔で聞いてくると深月は小さくため息をついて考えた。
ーいつからだろ?自覚したのは遠藤くんがきっかけだけど…いつって言われると…降谷零だって知る前から会えなくなる事を寂しく思ったり他の人とは違った存在ではあったと思うんだよなぁ…でもそうなると私は安室透に恋したの?確かにあの時にはみっくんへの想いをわざわざ確認しようとしてあの公園に行ったし…んー…
『……さぁ?』
「いや、こんだけ考えといて答え短っ!」
『そんな事言われても…考えてもわからない事はなんとも言えないし。』
「でも遠藤に告白された時には好きだったわけでしょ?」
『…そうだね。ていうかなんでこんな事を…』
「ずっと黙ってた罰。」
『…せめて2人きりでお願いできます?』
「やだ。安室さんだって気になるでしょ?」
千紗が小首を傾げると安室はニコリと笑って答えた。
「えぇそうですね。深月さんの事ならなんでも。」
「ほらぁ。深月も聞きたい事あるなら聞いてみたら?」
『聞きたい事?』
深月は千紗に言われて首を捻るが特に何も出てこなかったので首を横に振った。
『ない。』
「…本当に安室さんの事好きなんだよね?」
『一応。付き合うくらいには。』
「素直に好きのひとつでも言ってみたら?」
『言わない…それより千紗は怒るのかと思ってた。』
「何が?」
深月が恥ずかしくなって話題を変えると千紗は深月の言った事の意味がわからず首を傾げた。
『安室さんとの事を隠してたから。』
「あぁ…え?怒った方がいい?」
『いや、怒られたくはないけど。』
「んー…まぁびっくりしたよ。けどさ、深月が黙ってたって事はそれなりに理由があるからじゃん。自分のためだけにそういう秘密作るタイプじゃないのはわかってるからさ。」
千紗はニコッと笑いながら言い、深月は千紗から向けられた信頼にこそばゆくなった。深月は小さく息をつくと千紗を見てはにかみながら微笑んだ。
『ん、ありがとう。』
「っ…深月っ!」
その笑顔を見ると千紗はギュッと深月を抱きしめ、突然の事に深月は驚いて目を丸くした。
『な、何?』
「もうもう可愛い奴め〜!私が男なら絶対恋人になるのに!安室さんと私ならどっちがいい?」
『は?その妄想に付き合う気ないんだけど。』
「ひどっ!私の事は嫌いなのっ⁉︎」
『…まぁほっとけないタイプではあるよね。でも男なら願い下げ。』
「振られた…」
『はいはい。つまり今の関係が一番いいんだからそれでいいでしょ?』
「仕方ないな、それでいいよ。」
ブーと口を尖らせるが千紗は満足そうで深月も安心してカフェオレに口をつけた。
ふと千紗は、あ!と声を上げたかと思うと鞄の中から1枚のプリントを取り出し深月に差し出した。
「これ、今日の講義で出た課題。講義をサボっちゃった深月の分ももらってきたこの千紗様に感謝してよね!」
『ありがとう。助かる。この課題、講義で配られたプリント以外で提出出来ないし。』
深月が感謝してそのプリントをリュックにしまっていると安室が不思議そうに尋ねた。
「今日は大学へ行かなかったんですか?」
「そうなんですよ、この子寝坊して。」
「寝坊?」
「起きたの14時過ぎだったでしょ?酒の後にしてもちょっと寝過ぎじゃない?」
『私もそう思ってるよ。』
「だよねぇ。」
ニマニマとした笑みをたたえて見つめてくる千紗に深月は居心地悪そうに首を傾げた。
『何?』
「いやぁほら昨日は安室さんと帰ったから…どうだったのかなぁと。」
『どう?』
「まさか普通に家に帰ったの?」
『え…いや、そうではなかったけど。』
「でしょ!お泊まりだ!」
『はぁ…まぁ確かにお泊まりだったけど…え?』
興奮気味の千紗に対しそれを理解出来ない深月は再び首を傾げた。それを聞いていた梓は千紗の言いたい事を理解したのかカァと頬を赤く染めていた。しかしそれに比べて慌てたり誤魔化したりしない深月を見て千紗は違和感を持つと顔をしかめた。
「まさか普通にお泊まりしたの?」
『普通にって?』
「え…え?」
千紗は助けを求める様に安室へ視線を向けると安室は苦笑して肩をすくめて見せた。千紗は"何もなかった"普通のお泊まりだった事を理解すると深月の両肩をガッと掴んだ。
「深月…」
『な、何?』
千紗の普段とは違う真剣な声音に深月は緊張しながら尋ねた。
「その純情な所はとっても可愛い所なんだけど……小学校の林間学校じゃないんだよ!むしろ修学旅行先で友達に部屋を変えてもらった高校生カップルだって今どき何もないなんてあり得ないよ!そりゃ親友としては良かったような気もするけど…さすがに安室さんに同情するよ。恋人が泊まりに来て何もないって何…切なっ!そんな状況女の私だって期待するわっ!」
『は、はい…ごめんなさい…』
千紗に捲し立てられ深月はその圧に飲まれて気付けば口から謝罪が出ていた。
「あぁ疎いとは思ってたけど…どこまで乙女なのよ…こんな子今どきいないって…天然記念物か。」
『はぁ…すみません。』
千紗の言葉に深月が完全に萎縮してしまっていると見兼ねた安室が口を挟んだ。
「まぁまぁ落ち着いてください、千紗さん。それも深月さんの良い所ですから。深月さんが望まない事はしたくありませんし、ゆっくりと慣れていけばいいかと。」
「安室さん…天使なの?それとも菩薩?深月、あんな出来た人いないよ。深月のペースに合わせてくれようとしてくれるなんて…」
『え?や、たぶん千紗が思ってるほどその人、私に合わせてはくれない…』
「ここまで言ってくれてる人になんて事言うの!」
ーえぇ⁉︎私が悪いの?でも今までの経験上、絶対その人、グイグイ来るよ!こっちのペースなんてあったもんじゃないんだよ!
深月はいろいろと言いたい事もあったが安室透という人物像を思うと口を噤むしかなかった。
『…わかりました。ではぜひ私のペースでゆっくりお願い申し上げます。』
「なんでそんなぶっきらぼうに言うの?こんな彼氏がいて何が不満なの?」
『いろいろとね。じゃあそろそろ帰るね。あとはメールした通りそちらに聞いて。』
「えぇ⁉︎帰るの?まだ閉店まで時間あるよ?」
『もらった課題やらなきゃ。』
「えーそんなの明日でいいじゃん!」
『学生の本分は学業ですので。申し訳ありませんが失礼させていただきます。』
深月が丁寧に断ると千紗は、あ、まずいな。と感じた。
「ごめん、深月。そんな怒らないでよ。」
『千紗のせいじゃないから。』
深月は代金を千紗に預けるとポアロを後にした。カランカランと音を立てて閉まる扉を見て千紗は首を傾げた。
「私のせいじゃないなら、深月は何を怒ってるんですかね?」
「さぁ?まぁちょっと恥ずかしいお話だったからかしら?」
千紗と梓が不思議そうにしているのを横目に安室は深月の使ったカップをシンクへと置いた。
「大丈夫ですよ。明日にはきっと機嫌も直ってますよ。」
そう安室が笑うと2人も、そうですね。と頷いた。
深月は家に帰るとイライラとした気持ちをどうにかしたくてソファーにリュックを乱暴に置いた。キッチンで水を一杯飲むとフーッと息を吐き出し、深月はこの苛立ちを紛らわすためにも千紗から渡された課題をやる事にした。しかし暫くしても苛立ちが治らず深月はシャーペンを手放した。
ーあぁもう!なんで私があんなに謝らなきゃいけないの?零さんってばうまーくいいポジションについて…私ばっかりなんか悪いみたいじゃん!確かに零さんの気持ちに甘えていた所もあった…けどそもそも立場を考えたら想いを伝えるのはやめた方がいいんじゃないかと私は悩んでいたわけで…キープとかそんなんじゃないし。合コンだって私のせいじゃないし!お泊まりだってあれは…車で寝ちゃった私が悪いけど…心の準備も何もあったわけじゃないのに……何が天使よ、何が出来た人よ。安室透のイメージは壊せないからあんまり反論も出来ないし…そもそもこの関係は秘密にする約束だったのに零さんがバラすからこんな面倒な事に…私ばっかり恥ずかしい思いさせられてた気がするし…あぁ腹立つ!
『ダメだ。お風呂入ろう…』
深月は気分を変えるためにお風呂に入る準備をした。
つづく