桜舞う頃 【完結】
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バレンタイン当日、降谷はポアロで朝の支度をしている所に深月からメールをもらった。チョコレートを渡すから実家の近くのあの公園に来て欲しいけど何時頃ならいいのか、無理なら別の日でいいという随分と淡白な内容で降谷は苦笑した。
ー2月14日 に渡そうって気がないな、コイツ。
降谷は今日の予定を頭の中で確認して、17時頃ならとメールを送れば了承した旨の返信はわりかし早めに返ってきた。
「さて、水出しコーヒー作るか。」
降谷は袖を捲り直すとポアロの準備に戻った。
「安室さん、こんにちはー!」
「いらっしゃいませ、千紗さん。」
15時頃、安室は1人でポアロに来た千紗をカウンター席へと案内し、千紗は席に座りながらコーヒーとケーキを注文した。
「今日はおひとりなんですね。」
「うん。深月も誘ったんだけど実家でなんかやりたい事があるらしくてテストが終わったら帰っちゃったんですよ。」
「そうなんですか。」
安室がケーキを用意しながら相槌を打つと千紗は鞄からラッピングされた袋を取り出した。
「この前はブラウニーありがとうございました。そんなわけで私からもお返しです。」
「ありがとうございます。でも受け取れないんです。」
丁寧に受け取りを拒否されると千紗はきょとんとし、次には安室の方へ前のめりになった。
「え?なんでですか?別に告白とかじゃないんで全然断られるのはいいんですけど…え?気になる!」
安室の浮いた話等は聞かないため千紗は興奮気味で捲し立てた。そんなに混雑してない店内だったが他の席の女子高生や噂好きのマダムもその話が気になる様で聞き耳を立てていた。
「大した事では…ただ僕の好きな人がそういう事を気にする方なので。」
「好きな人いるんですか⁉︎え?どんな人ですか⁉︎」
「そうですね…淡白なフリして実は親身で、少し天邪鬼なとこがあって、そして自分がどれだけ可愛いのか全く自覚してない人です。」
「んーなんか意外…」
「意外ですか?」
「安室さんはもっとみんなに優しくて素直で誰もが可愛い!って言う女の子が好きなのかと。」
「どんなイメージなんですか、それ。」
安室が苦笑すると千紗は、ふむ。と考えた。
「確かにこれってたぶん、みんなに優しくてなんでもこなすイケメンの安室さんには同じ様に完璧な美女じゃなきゃつり合わなさそうっていう勝手なイメージなんですよね。」
「僕は別に完璧な女性が好きなわけじゃないですよ。」
「あ、逆に自分がなんでもやってあげたいタイプですか?」
「何かしてあげるのは嫌じゃないですけどね。」
「いやーそんな幸運の乙女に告白はしないんですか?」
「告白ならしましたよ。」
「えぇ⁉︎」
安室の回答に千紗はガタンッと音を立てて立ち上がり、周りの席からも動揺してガタガタといろいろな音がした。しかしそんな事は気にしていないのか安室は平然としていた。
「え?え?それで?」
「一度、思い切り振られまして…」
「安室さんが⁉︎」
「えぇ…でも最近僕に好意を持ってくれてる事がわかったんです。ただ明確な答えを頂いてなくて…コーヒーとケーキです。どうぞ。」
安室が千紗の前にコーヒーとケーキを置くと千紗はゆっくりと席に戻った。
「あ、安室さんに答えを曖昧にしとくって…その子すごいですね。え?もしかして結構な悪女?」
「ぷっ…いや、すみません。全然そんなイメージがなくて…」
口元を押さえて顔を逸らす安室は笑いが堪えきれなくてその肩が微かに震えていた。千紗は見た事もない安室の姿に目を丸くしたがだんだんと口角を上げた。
「安室さん、その子の事、大好きでしょ?」
「え?」
「振り回されてますよ?」
ニマニマと笑ってそう言ってくる千紗に安室は一瞬驚くがすぐに笑った。
「えぇ、そうみたいなんです。」
「やん、もう安室さんの恋バナとか最高です!」
千紗はそう言うとケーキに手をつけた。
『ただいま。』
「おかえり〜深月!」
深月は自宅に入ると玄関で待っていた母親、恭子にギュッと抱きしめられた。深月はすり寄ってくる母親を引き離すとリュックからラッピングした袋を取り出し差し出した。
『はい。これ。』
「なぁに?」
『バレンタインチョコ作ったから。』
「え?」
恭子は驚き深月の差し出すそれと深月の顔を交互に見つめた。
『いらないの?』
「まさか!いるけど…どうしたの?最近はずっとなかったでしょ?」
恭子はそれを奪う様に素早く手中に納めると深月の顔をジッと見つめた。そう例のトラウマがあって以来深月は両親にもチョコレートをあげるのをやめてしまっていたのだ。
『人に…人に誘われて作ってみて…いろいろあって…今年は作ってみよっかなって思ったの。それだけ。』
「そう…ありがとう。」
恭子はただそう言って深月を優しく抱きしめた。深月は明確にあのトラウマの件を両親に話した覚えはないが、両親は当然その事を把握していた。大好きだった祖母の死と相まって大きな傷となったその件にずっと触れられずにここまで来てしまったが、それがこうやって解決した事に恭子は嬉しさと申し訳なさが相まって涙が滲んだ。腕を解かれ深月は恭子の顔を見るとギョッとした。
『な、何泣いてんの⁉︎え?そんなにチョコ嬉しい?』
「えぇとても。ありがとう。」
『そこまで喜んでもらえるならまた何か作るよ…』
「楽しみにしてるわ!」
深月が恥ずかしそうに言うと恭子は目元を拭って微笑んだ。深月は父親の分を恭子に預けると時間を確認してもう家を出る事にした。
「あら、もう行くの?」
『もともとそれを渡すだけに来たしこの後約束があるから。』
「ふーん。」
恭子は玄関のドアに手をかける深月を見つめて尋ねた。
「ねぇ、チョコを作るの誘ってくれた人って?」
『え…』
恭子の質問に深月が振り返りだんだんと頬を赤くすると、恭子はクスリと笑った。
「今度お母さんにも紹介してね。」
『そ、その内ね!』
深月はそう言うと逃げる様に家を飛び出して約束の公園へと向かった。公園に着くと約束の時間より少し早く深月は桜並木をゆっくりと歩いて一本の桜の木の前で止まった。固く閉じた蕾を深月は見上げながら降谷とここで会った日の事を思い出した。
ーあの日…私はここで降谷さんに好きだと言われたんだ…みっくんとの約束の場所に入り込まれて私は大嫌いと言ってしまった…でも思えばなんであの時私はここに…
深月はそこまで考えて漸くあの時の自分の気持ちに気付いた。
ーそっか…私、ここにみっくんを想い出しに来たんだ…みっくんを好きだって確認したかったんだ…あの頃にはとっくに私は…
『好きだったんだ…』
「何が好きだったんだ?」
深月はビクッと肩を震わせ振り返った。振り返らなくたってそれが誰なのかなんてわかっていたけれど、振り返らずにはいられなかった。
『降谷さん…独り言につっこまないでくれますか?』
「大きな独り言を言った君にも問題があると思うが。」
『人がいるとは思わなかったんです…て、くだらない話をしてる時間はないんです。』
深月はふいっと踵を返すとベンチへと座って降谷を手招いた。降谷はそれに従って深月の隣に座った。
「時間ないのか?」
『私はありますけどね。お忙しいでしょ?』
「あぁ…まぁとりあえず1時間くらいは空いてる予定だ。」
『予定は未定だって私は知ってますよ。』
深月が半眼で笑うと降谷は苦笑するしかなかった。深月はリュックから諸伏に渡すトリュフチョコレートを取り出しそのリボンを取ると袋を開けた。
「どうするんだ?」
『食べます。え?だってみっくんは食べられないし。』
「まぁそうだが。」
『一緒に食べてくれます?』
深月が袋を差し出すと降谷はそこから一粒トリュフチョコレートを摘んだ。口にすれば甘みが口いっぱいに広がった。深月は降谷が食べるのを見ると自分も一粒口に含んだ。
『みっくんはこのチョコに何点くれると思います?』
「…100点じゃないか。」
『どうして?』
「君が作ったから。」
『…なんですか、その理由。』
深月が呆れて半眼になると降谷は苦笑しながら言った。
「いや、冗談抜きに景光 はそう言うだろうさ。君を妹の様に可愛がっていたみたいだから。」
降谷がそう言うと深月は目を見開き、その後降谷をジッと睨んだ。
『降谷さん、やっぱりみっくんと私のメール読みましたね?』
「…誰の携帯電話か調べるのに少しな。」
『プロフィールみたらすぐわかるでしょ。』
深月はムゥと頬を膨らませて降谷から顔を逸らした。しかし深月は自分があまり降谷に対して怒っていない事に気付いた。諸伏への想いの形が変わった今も諸伏とのやり取りは深月にとって変わらず大事なものだ。それを降谷と共有してもいいと思えるほどに自分にとって降谷が大事な人なのだと深月は改めてわかった。
ー本当に…いつから…私はこの人の事をこんなに…
深月はぼんやりとそんな事を考えているとグイッと肩を引かれて降谷の方へ向かされた。降谷は不機嫌そうでその理由は聞かずとも深月にもわかった。
「確かに勝手に見た僕が悪かった…でも無視する事ないだろ。」
『別に無視したわけじゃ…』
「じゃあ景光 の事を考えてぼんやりしていたんだろ。さすがに景光 の事でも2人きりの時に熟考されるのは腹が立つ。」
降谷の勘違いに深月は目をしばたかせた。今までの自分の行動が降谷にそう勘違いさせたんだと思ったら深月はひどく申し訳ない気持ちになった。
『違いますよ。降谷さん。』
深月は相変わらず不機嫌そうに睨んでくる青い瞳をまっすぐに見つめて言った。
『貴方の事を考えていたんです。いつからこんなに好きになってたんだろうなって。』
深月は一度視線を落とすと意を決してもう一度降谷を見つめて口にした。
『降谷さん、貴方が好きです。』
降谷は深月のまっすぐな瞳にドクンと心臓が強く打つのを感じた。ずっと欲しかったその言葉に降谷は気付けば深月を抱きしめていた。
「突然なんだな。」
『降谷さんだってそうでしたよ?』
「深月」
『はい。』
「深月」
『はい。』
「深月」
『もう…なんですか?』
ギュッと抱きしめて何度も名前を呼んでくる降谷に深月が呆れ気味に尋ねると降谷は腕を緩めて深月を見つめた。
「好きだ。」
まっすぐに見つめてくる青い瞳があまりにも綺麗で深月は見惚れた。視線を外せないでいると降谷の顔が近付き深月は瞳を閉じた。直後重なった唇がとろけそうなほどに熱く甘く深月は頭がクラクラした。軽いキスが何度か続くと降谷は唇を離した。深月がぼんやりと降谷を見つめていると耳元で囁かれた。
「またそんな可愛い顔してると今度は本気で押し倒すぞ。」
『な、何言ってるんですか!』
「あまり冗談だと思っているなよ。こっちだってそれなりにブレーキはかけてて限界なんだからな。」
深月は何も言えなくなり頬を真っ赤に染めて俯いた。しかし手元のトリュフチョコレートが目に入ると、あ、と小さく呟いて深月はリュックからラッピングした箱を取り出した。
『忘れてました。降谷さんへのチョコです。』
「それは今回の主旨だろ。なんで忘れるんだ。」
『んー…告白が出来たから?』
「まぁいいけど。」
そんな風に言われてはなんとも返せずに降谷は素直に深月からチョコレートを受け取った。
『そういえば本当に他の人からチョコ受け取らなかったんですか?』
「あぁ。受け取らなかったよ。」
『え?どうやって?』
「素直に話しただけだが?」
『素直に、話した?』
降谷の言葉に深月は嫌な予感がして眉をひそめた。
「好きな人がそういう事を気にする人だから受け取れないと。」
『安室さん好きな人いちゃダメですよ⁉︎』
「どうして?」
『ポアロのアイドルなら恋愛禁止ですよね⁉︎』
「僕は芸能事務所に入った覚えはない。」
深月は項垂れるとハァとため息をついた。
『顧客減りますよ。』
「どうかな?そんなに影響はないと思うが。千紗さんは嬉々としてたし。」
『千紗?彼女に何話したんですか⁉︎』
「んー…いろいろ。」
『いろいろって⁉︎変な事言ってないですよね⁉︎』
「変な事は言ってないが…深月、隠しておくつもりなのか?」
『え…そりゃ…え?』
深月は当然この関係を隠すべきだと考えていたがどうやら降谷はそうとは考えていなかったようで深月は目をしばたかせた。
「僕は隠すつもりはなかったけど?」
『え、えぇ⁉︎』
「君と恋人だと言ったら何か問題が?」
『だって…安室さんに恋人はダメでしょ!絶対ダメ!』
「君の中で安室透ってなんなんだ。」
『手が届きそうで届かないみんなの憧れ、アイドル安室透。』
「……わかった。ひとまずは黙っておこう。」
何を言っても深月が頷きそうにないので降谷はひとまず諦め、深月はホッと胸を撫で下ろした。
深月はトリュフチョコレートがまだ手元に残っていたのでそれを1粒頬張っていると降谷に声をかけられた。
「ところで深月、僕の事は名前で呼んでくれるんじゃなかったのか?」
『え…あ、そうでした。』
「思い出したなら今後はそうしてもらえるんだな?」
『た、たぶん…』
「おい。」
深月が視線を明後日の方向に向けて答えると降谷は睨んだ。深月はそんな降谷の視線を無視してリュックからマグボトルを取り出すとお茶をひと口飲んだ。チョコレートで甘くなった口がスッキリとすると深月はマグボトルに視線を下げたまま呟くように言った。
『だって…なんか恥ずかしいんです。』
「景光 の事は名前で呼んでただろ。」
『みっくんは最初からみっくんですから。』
「じゃあ僕は一生"降谷さん"なのか?」
『さすがに一生って事は…』
「じゃあいつ変わるんだ?」
『そりゃ…』
深月は、結婚とかしたら。と言いそうになって慌てて口を噤んだ。
ー結婚って…私、何を考えてるの?確かに結婚したら名前で呼ぶだろうけど!でもそれって降谷さんと結婚したいみたいじゃん!いや、したくないわけじゃないけど…そもそもまだ付き合い始めたばかりでその考えは重い!……えーい、とにかく今のなし!
深月は熱を持ってしまった頬を冷ましたくて手で顔を扇いだ。突然黙ったかと思えば頬を赤く染めた深月に降谷は首を傾げた。
「"そりゃ"の続きは?」
『い、いえ…時間が経てばその内?』
「…その赤い顔はどうした?何を考えてたんだ?」
降谷が疑問を口にすれば深月はビクッと肩を揺らし、明らかな動揺が降谷には読み取れた。降谷は深月の顔に顔を近付けジッとその瞳を見つめた。
「素直に話した方がいいと思うが。」
『べ、別に…その……け、結婚とかしたら呼ぶんじゃないですか…いや、結婚したいとかそう言ってるわけではなくてっ!…ただ必要に迫られる状況ってそうかなって…』
「あぁなるほど。じゃあ結婚しようか。」
『は?』
深月は降谷の突拍子もない発言に目を見開いた。しかしそんな事には目もくれず降谷は続けた。
「そうなると君のご両親に挨拶に行かなきゃいけないが…突然の挨拶じゃ許してもらえないだろうからまずはいろいろと手を回して…」
『ちょ、ちょっと待って下さい!そんな…え?』
深月が慌てて降谷の腕を掴むと降谷は笑った。
「ま、それは冗談として。」
『変な冗談やめて下さい…』
「ただそう言うくらいには君に名前で呼ばれたいって思ってるって事がわかってもらえればいい。」
真剣にそんな事を言われれば深月は降谷から視線が外せなくなった。深月は緊張から自然と降谷の腕を掴んだ手に力がこもった。
『れ…零さん…』
深月が小さく名前を呼ぶと降谷はふわりと優しく笑った。
ーあぁもうその笑顔はずるい…
ドキドキと早くなる鼓動に深月の頬が熱を持ちその頬を降谷はそっと撫でた。深月はそっと細まる降谷の瞳をぼんやりと見つめていたが、スマートフォンの着信音によってハッと意識が浮上した。降谷は深月の頭をポンポンと叩くと胸ポケットからスマートフォンを出して電話に出た。深月は電話する降谷を見ながら先ほどの話を考えていた。
ー冗談、か…いや、別に残念じゃない。けどやっぱ冗談って言われると…いやいや本気だとそっちのが困るし。うん。
深月は自分の中で話をつけると桜の枝を見上げた。まだ固い蕾がピンク色に色付くのはまだ先。それを心待ちに感じる自分がいる事に深月は嬉しくなった。
降谷が電話を終えると深月は降谷に笑いかけた。
『桜が咲いたらまたここで会ってくれます?』
降谷は深月の言葉に目を見開いた。桜の咲くこの場所は深月にとって特別で大切な場所である事は降谷にも十分わかっていた。そんな場所でしかも桜の咲く時期に自分と会う約束をする…深月にとって諸伏の事が本当に思い出になったのだと降谷は理解した。
降谷は瞳を閉じゆっくりと開くと微笑みながら答えた。
「もちろん。」
『ありがとうございます。』
深月は降谷の答えにホッとした。きっと降谷ならそう答えてくれると深月は思っていたけれど本人の口から聞くまでやっぱりどこか不安があった。
深月はリュックを持って立ち上がると降谷を振り返った。
『さぁ行きましょう。』
「深月」
『?』
ベンチに座ったまま降谷に名前を呼ばれ深月は首を傾げた。電話の受け答えを聞く限り仕事へ向かうように思えたのでなぜ降谷が立ち上がらないのか不思議だった。
「さっきの話、冗談なのは時期だからな。」
『時期?』
「今はまだ…でも必ず君をもらいにご両親に挨拶に行くから。」
『え…あ、はい。』
まっすぐに見つめられて真剣に言われると深月はただ返事をする事しか出来なかった。何かもっと気の利いた事を言いたいのに言葉が上手く出てこなかった。だんだんと熱を持ち始めた頬を隠したくて深月が頬に手を当てるとその手をいつの間にか目の前に立つ降谷が取って指を絡めた。
「家まで送るよ。」
『え…でも仕事じゃ…』
「君のマンションでいいんだろ?通り道だから。」
そう言う降谷は深月のそっけない返事など気にしていないのかそのまま歩き出すので、深月は繋がれた手を引かれるようにその後を歩いた。公園の近くの駐車場に停められた降谷の車へ2人は乗り込むと降谷は深月のマンションに向かった。そんなに距離もなかったのと降谷の道の選び方が良かったからか深月が考えていたよりずっと早くマンションまで着いてしまった。深月は普通にお礼を伝えて降りようかと思ったが、先ほどの自分のそっけない返事に変わる何かがしたくて膝の上の手をグッと握りしめた。降谷はなかなか降りない深月を不思議に思い声をかけた。
「深月?どうし…」
どうした?と言いかけた唇は気付けば深月の唇に塞がれた。降谷はすぐに離れてしまったそれを目で追うと真っ赤になった深月と目が合った。
『い、いってらっしゃい。零さん。』
それだけ言うとすぐに車を出てマンションのエントランスへと走っていってしまった深月を降谷はただ目で追った。深月が見えなくなると降谷はハンドルにもたれかかる様に俯きハーッと長く息を吐き出した。
「不意打ちにこれはくるな…」
降谷は熱くなった頬が冷めるまで暫くそのままでいるしかなかった。
つづく
ー
降谷は今日の予定を頭の中で確認して、17時頃ならとメールを送れば了承した旨の返信はわりかし早めに返ってきた。
「さて、水出しコーヒー作るか。」
降谷は袖を捲り直すとポアロの準備に戻った。
「安室さん、こんにちはー!」
「いらっしゃいませ、千紗さん。」
15時頃、安室は1人でポアロに来た千紗をカウンター席へと案内し、千紗は席に座りながらコーヒーとケーキを注文した。
「今日はおひとりなんですね。」
「うん。深月も誘ったんだけど実家でなんかやりたい事があるらしくてテストが終わったら帰っちゃったんですよ。」
「そうなんですか。」
安室がケーキを用意しながら相槌を打つと千紗は鞄からラッピングされた袋を取り出した。
「この前はブラウニーありがとうございました。そんなわけで私からもお返しです。」
「ありがとうございます。でも受け取れないんです。」
丁寧に受け取りを拒否されると千紗はきょとんとし、次には安室の方へ前のめりになった。
「え?なんでですか?別に告白とかじゃないんで全然断られるのはいいんですけど…え?気になる!」
安室の浮いた話等は聞かないため千紗は興奮気味で捲し立てた。そんなに混雑してない店内だったが他の席の女子高生や噂好きのマダムもその話が気になる様で聞き耳を立てていた。
「大した事では…ただ僕の好きな人がそういう事を気にする方なので。」
「好きな人いるんですか⁉︎え?どんな人ですか⁉︎」
「そうですね…淡白なフリして実は親身で、少し天邪鬼なとこがあって、そして自分がどれだけ可愛いのか全く自覚してない人です。」
「んーなんか意外…」
「意外ですか?」
「安室さんはもっとみんなに優しくて素直で誰もが可愛い!って言う女の子が好きなのかと。」
「どんなイメージなんですか、それ。」
安室が苦笑すると千紗は、ふむ。と考えた。
「確かにこれってたぶん、みんなに優しくてなんでもこなすイケメンの安室さんには同じ様に完璧な美女じゃなきゃつり合わなさそうっていう勝手なイメージなんですよね。」
「僕は別に完璧な女性が好きなわけじゃないですよ。」
「あ、逆に自分がなんでもやってあげたいタイプですか?」
「何かしてあげるのは嫌じゃないですけどね。」
「いやーそんな幸運の乙女に告白はしないんですか?」
「告白ならしましたよ。」
「えぇ⁉︎」
安室の回答に千紗はガタンッと音を立てて立ち上がり、周りの席からも動揺してガタガタといろいろな音がした。しかしそんな事は気にしていないのか安室は平然としていた。
「え?え?それで?」
「一度、思い切り振られまして…」
「安室さんが⁉︎」
「えぇ…でも最近僕に好意を持ってくれてる事がわかったんです。ただ明確な答えを頂いてなくて…コーヒーとケーキです。どうぞ。」
安室が千紗の前にコーヒーとケーキを置くと千紗はゆっくりと席に戻った。
「あ、安室さんに答えを曖昧にしとくって…その子すごいですね。え?もしかして結構な悪女?」
「ぷっ…いや、すみません。全然そんなイメージがなくて…」
口元を押さえて顔を逸らす安室は笑いが堪えきれなくてその肩が微かに震えていた。千紗は見た事もない安室の姿に目を丸くしたがだんだんと口角を上げた。
「安室さん、その子の事、大好きでしょ?」
「え?」
「振り回されてますよ?」
ニマニマと笑ってそう言ってくる千紗に安室は一瞬驚くがすぐに笑った。
「えぇ、そうみたいなんです。」
「やん、もう安室さんの恋バナとか最高です!」
千紗はそう言うとケーキに手をつけた。
『ただいま。』
「おかえり〜深月!」
深月は自宅に入ると玄関で待っていた母親、恭子にギュッと抱きしめられた。深月はすり寄ってくる母親を引き離すとリュックからラッピングした袋を取り出し差し出した。
『はい。これ。』
「なぁに?」
『バレンタインチョコ作ったから。』
「え?」
恭子は驚き深月の差し出すそれと深月の顔を交互に見つめた。
『いらないの?』
「まさか!いるけど…どうしたの?最近はずっとなかったでしょ?」
恭子はそれを奪う様に素早く手中に納めると深月の顔をジッと見つめた。そう例のトラウマがあって以来深月は両親にもチョコレートをあげるのをやめてしまっていたのだ。
『人に…人に誘われて作ってみて…いろいろあって…今年は作ってみよっかなって思ったの。それだけ。』
「そう…ありがとう。」
恭子はただそう言って深月を優しく抱きしめた。深月は明確にあのトラウマの件を両親に話した覚えはないが、両親は当然その事を把握していた。大好きだった祖母の死と相まって大きな傷となったその件にずっと触れられずにここまで来てしまったが、それがこうやって解決した事に恭子は嬉しさと申し訳なさが相まって涙が滲んだ。腕を解かれ深月は恭子の顔を見るとギョッとした。
『な、何泣いてんの⁉︎え?そんなにチョコ嬉しい?』
「えぇとても。ありがとう。」
『そこまで喜んでもらえるならまた何か作るよ…』
「楽しみにしてるわ!」
深月が恥ずかしそうに言うと恭子は目元を拭って微笑んだ。深月は父親の分を恭子に預けると時間を確認してもう家を出る事にした。
「あら、もう行くの?」
『もともとそれを渡すだけに来たしこの後約束があるから。』
「ふーん。」
恭子は玄関のドアに手をかける深月を見つめて尋ねた。
「ねぇ、チョコを作るの誘ってくれた人って?」
『え…』
恭子の質問に深月が振り返りだんだんと頬を赤くすると、恭子はクスリと笑った。
「今度お母さんにも紹介してね。」
『そ、その内ね!』
深月はそう言うと逃げる様に家を飛び出して約束の公園へと向かった。公園に着くと約束の時間より少し早く深月は桜並木をゆっくりと歩いて一本の桜の木の前で止まった。固く閉じた蕾を深月は見上げながら降谷とここで会った日の事を思い出した。
ーあの日…私はここで降谷さんに好きだと言われたんだ…みっくんとの約束の場所に入り込まれて私は大嫌いと言ってしまった…でも思えばなんであの時私はここに…
深月はそこまで考えて漸くあの時の自分の気持ちに気付いた。
ーそっか…私、ここにみっくんを想い出しに来たんだ…みっくんを好きだって確認したかったんだ…あの頃にはとっくに私は…
『好きだったんだ…』
「何が好きだったんだ?」
深月はビクッと肩を震わせ振り返った。振り返らなくたってそれが誰なのかなんてわかっていたけれど、振り返らずにはいられなかった。
『降谷さん…独り言につっこまないでくれますか?』
「大きな独り言を言った君にも問題があると思うが。」
『人がいるとは思わなかったんです…て、くだらない話をしてる時間はないんです。』
深月はふいっと踵を返すとベンチへと座って降谷を手招いた。降谷はそれに従って深月の隣に座った。
「時間ないのか?」
『私はありますけどね。お忙しいでしょ?』
「あぁ…まぁとりあえず1時間くらいは空いてる予定だ。」
『予定は未定だって私は知ってますよ。』
深月が半眼で笑うと降谷は苦笑するしかなかった。深月はリュックから諸伏に渡すトリュフチョコレートを取り出しそのリボンを取ると袋を開けた。
「どうするんだ?」
『食べます。え?だってみっくんは食べられないし。』
「まぁそうだが。」
『一緒に食べてくれます?』
深月が袋を差し出すと降谷はそこから一粒トリュフチョコレートを摘んだ。口にすれば甘みが口いっぱいに広がった。深月は降谷が食べるのを見ると自分も一粒口に含んだ。
『みっくんはこのチョコに何点くれると思います?』
「…100点じゃないか。」
『どうして?』
「君が作ったから。」
『…なんですか、その理由。』
深月が呆れて半眼になると降谷は苦笑しながら言った。
「いや、冗談抜きに
降谷がそう言うと深月は目を見開き、その後降谷をジッと睨んだ。
『降谷さん、やっぱりみっくんと私のメール読みましたね?』
「…誰の携帯電話か調べるのに少しな。」
『プロフィールみたらすぐわかるでしょ。』
深月はムゥと頬を膨らませて降谷から顔を逸らした。しかし深月は自分があまり降谷に対して怒っていない事に気付いた。諸伏への想いの形が変わった今も諸伏とのやり取りは深月にとって変わらず大事なものだ。それを降谷と共有してもいいと思えるほどに自分にとって降谷が大事な人なのだと深月は改めてわかった。
ー本当に…いつから…私はこの人の事をこんなに…
深月はぼんやりとそんな事を考えているとグイッと肩を引かれて降谷の方へ向かされた。降谷は不機嫌そうでその理由は聞かずとも深月にもわかった。
「確かに勝手に見た僕が悪かった…でも無視する事ないだろ。」
『別に無視したわけじゃ…』
「じゃあ
降谷の勘違いに深月は目をしばたかせた。今までの自分の行動が降谷にそう勘違いさせたんだと思ったら深月はひどく申し訳ない気持ちになった。
『違いますよ。降谷さん。』
深月は相変わらず不機嫌そうに睨んでくる青い瞳をまっすぐに見つめて言った。
『貴方の事を考えていたんです。いつからこんなに好きになってたんだろうなって。』
深月は一度視線を落とすと意を決してもう一度降谷を見つめて口にした。
『降谷さん、貴方が好きです。』
降谷は深月のまっすぐな瞳にドクンと心臓が強く打つのを感じた。ずっと欲しかったその言葉に降谷は気付けば深月を抱きしめていた。
「突然なんだな。」
『降谷さんだってそうでしたよ?』
「深月」
『はい。』
「深月」
『はい。』
「深月」
『もう…なんですか?』
ギュッと抱きしめて何度も名前を呼んでくる降谷に深月が呆れ気味に尋ねると降谷は腕を緩めて深月を見つめた。
「好きだ。」
まっすぐに見つめてくる青い瞳があまりにも綺麗で深月は見惚れた。視線を外せないでいると降谷の顔が近付き深月は瞳を閉じた。直後重なった唇がとろけそうなほどに熱く甘く深月は頭がクラクラした。軽いキスが何度か続くと降谷は唇を離した。深月がぼんやりと降谷を見つめていると耳元で囁かれた。
「またそんな可愛い顔してると今度は本気で押し倒すぞ。」
『な、何言ってるんですか!』
「あまり冗談だと思っているなよ。こっちだってそれなりにブレーキはかけてて限界なんだからな。」
深月は何も言えなくなり頬を真っ赤に染めて俯いた。しかし手元のトリュフチョコレートが目に入ると、あ、と小さく呟いて深月はリュックからラッピングした箱を取り出した。
『忘れてました。降谷さんへのチョコです。』
「それは今回の主旨だろ。なんで忘れるんだ。」
『んー…告白が出来たから?』
「まぁいいけど。」
そんな風に言われてはなんとも返せずに降谷は素直に深月からチョコレートを受け取った。
『そういえば本当に他の人からチョコ受け取らなかったんですか?』
「あぁ。受け取らなかったよ。」
『え?どうやって?』
「素直に話しただけだが?」
『素直に、話した?』
降谷の言葉に深月は嫌な予感がして眉をひそめた。
「好きな人がそういう事を気にする人だから受け取れないと。」
『安室さん好きな人いちゃダメですよ⁉︎』
「どうして?」
『ポアロのアイドルなら恋愛禁止ですよね⁉︎』
「僕は芸能事務所に入った覚えはない。」
深月は項垂れるとハァとため息をついた。
『顧客減りますよ。』
「どうかな?そんなに影響はないと思うが。千紗さんは嬉々としてたし。」
『千紗?彼女に何話したんですか⁉︎』
「んー…いろいろ。」
『いろいろって⁉︎変な事言ってないですよね⁉︎』
「変な事は言ってないが…深月、隠しておくつもりなのか?」
『え…そりゃ…え?』
深月は当然この関係を隠すべきだと考えていたがどうやら降谷はそうとは考えていなかったようで深月は目をしばたかせた。
「僕は隠すつもりはなかったけど?」
『え、えぇ⁉︎』
「君と恋人だと言ったら何か問題が?」
『だって…安室さんに恋人はダメでしょ!絶対ダメ!』
「君の中で安室透ってなんなんだ。」
『手が届きそうで届かないみんなの憧れ、アイドル安室透。』
「……わかった。ひとまずは黙っておこう。」
何を言っても深月が頷きそうにないので降谷はひとまず諦め、深月はホッと胸を撫で下ろした。
深月はトリュフチョコレートがまだ手元に残っていたのでそれを1粒頬張っていると降谷に声をかけられた。
「ところで深月、僕の事は名前で呼んでくれるんじゃなかったのか?」
『え…あ、そうでした。』
「思い出したなら今後はそうしてもらえるんだな?」
『た、たぶん…』
「おい。」
深月が視線を明後日の方向に向けて答えると降谷は睨んだ。深月はそんな降谷の視線を無視してリュックからマグボトルを取り出すとお茶をひと口飲んだ。チョコレートで甘くなった口がスッキリとすると深月はマグボトルに視線を下げたまま呟くように言った。
『だって…なんか恥ずかしいんです。』
「
『みっくんは最初からみっくんですから。』
「じゃあ僕は一生"降谷さん"なのか?」
『さすがに一生って事は…』
「じゃあいつ変わるんだ?」
『そりゃ…』
深月は、結婚とかしたら。と言いそうになって慌てて口を噤んだ。
ー結婚って…私、何を考えてるの?確かに結婚したら名前で呼ぶだろうけど!でもそれって降谷さんと結婚したいみたいじゃん!いや、したくないわけじゃないけど…そもそもまだ付き合い始めたばかりでその考えは重い!……えーい、とにかく今のなし!
深月は熱を持ってしまった頬を冷ましたくて手で顔を扇いだ。突然黙ったかと思えば頬を赤く染めた深月に降谷は首を傾げた。
「"そりゃ"の続きは?」
『い、いえ…時間が経てばその内?』
「…その赤い顔はどうした?何を考えてたんだ?」
降谷が疑問を口にすれば深月はビクッと肩を揺らし、明らかな動揺が降谷には読み取れた。降谷は深月の顔に顔を近付けジッとその瞳を見つめた。
「素直に話した方がいいと思うが。」
『べ、別に…その……け、結婚とかしたら呼ぶんじゃないですか…いや、結婚したいとかそう言ってるわけではなくてっ!…ただ必要に迫られる状況ってそうかなって…』
「あぁなるほど。じゃあ結婚しようか。」
『は?』
深月は降谷の突拍子もない発言に目を見開いた。しかしそんな事には目もくれず降谷は続けた。
「そうなると君のご両親に挨拶に行かなきゃいけないが…突然の挨拶じゃ許してもらえないだろうからまずはいろいろと手を回して…」
『ちょ、ちょっと待って下さい!そんな…え?』
深月が慌てて降谷の腕を掴むと降谷は笑った。
「ま、それは冗談として。」
『変な冗談やめて下さい…』
「ただそう言うくらいには君に名前で呼ばれたいって思ってるって事がわかってもらえればいい。」
真剣にそんな事を言われれば深月は降谷から視線が外せなくなった。深月は緊張から自然と降谷の腕を掴んだ手に力がこもった。
『れ…零さん…』
深月が小さく名前を呼ぶと降谷はふわりと優しく笑った。
ーあぁもうその笑顔はずるい…
ドキドキと早くなる鼓動に深月の頬が熱を持ちその頬を降谷はそっと撫でた。深月はそっと細まる降谷の瞳をぼんやりと見つめていたが、スマートフォンの着信音によってハッと意識が浮上した。降谷は深月の頭をポンポンと叩くと胸ポケットからスマートフォンを出して電話に出た。深月は電話する降谷を見ながら先ほどの話を考えていた。
ー冗談、か…いや、別に残念じゃない。けどやっぱ冗談って言われると…いやいや本気だとそっちのが困るし。うん。
深月は自分の中で話をつけると桜の枝を見上げた。まだ固い蕾がピンク色に色付くのはまだ先。それを心待ちに感じる自分がいる事に深月は嬉しくなった。
降谷が電話を終えると深月は降谷に笑いかけた。
『桜が咲いたらまたここで会ってくれます?』
降谷は深月の言葉に目を見開いた。桜の咲くこの場所は深月にとって特別で大切な場所である事は降谷にも十分わかっていた。そんな場所でしかも桜の咲く時期に自分と会う約束をする…深月にとって諸伏の事が本当に思い出になったのだと降谷は理解した。
降谷は瞳を閉じゆっくりと開くと微笑みながら答えた。
「もちろん。」
『ありがとうございます。』
深月は降谷の答えにホッとした。きっと降谷ならそう答えてくれると深月は思っていたけれど本人の口から聞くまでやっぱりどこか不安があった。
深月はリュックを持って立ち上がると降谷を振り返った。
『さぁ行きましょう。』
「深月」
『?』
ベンチに座ったまま降谷に名前を呼ばれ深月は首を傾げた。電話の受け答えを聞く限り仕事へ向かうように思えたのでなぜ降谷が立ち上がらないのか不思議だった。
「さっきの話、冗談なのは時期だからな。」
『時期?』
「今はまだ…でも必ず君をもらいにご両親に挨拶に行くから。」
『え…あ、はい。』
まっすぐに見つめられて真剣に言われると深月はただ返事をする事しか出来なかった。何かもっと気の利いた事を言いたいのに言葉が上手く出てこなかった。だんだんと熱を持ち始めた頬を隠したくて深月が頬に手を当てるとその手をいつの間にか目の前に立つ降谷が取って指を絡めた。
「家まで送るよ。」
『え…でも仕事じゃ…』
「君のマンションでいいんだろ?通り道だから。」
そう言う降谷は深月のそっけない返事など気にしていないのかそのまま歩き出すので、深月は繋がれた手を引かれるようにその後を歩いた。公園の近くの駐車場に停められた降谷の車へ2人は乗り込むと降谷は深月のマンションに向かった。そんなに距離もなかったのと降谷の道の選び方が良かったからか深月が考えていたよりずっと早くマンションまで着いてしまった。深月は普通にお礼を伝えて降りようかと思ったが、先ほどの自分のそっけない返事に変わる何かがしたくて膝の上の手をグッと握りしめた。降谷はなかなか降りない深月を不思議に思い声をかけた。
「深月?どうし…」
どうした?と言いかけた唇は気付けば深月の唇に塞がれた。降谷はすぐに離れてしまったそれを目で追うと真っ赤になった深月と目が合った。
『い、いってらっしゃい。零さん。』
それだけ言うとすぐに車を出てマンションのエントランスへと走っていってしまった深月を降谷はただ目で追った。深月が見えなくなると降谷はハンドルにもたれかかる様に俯きハーッと長く息を吐き出した。
「不意打ちにこれはくるな…」
降谷は熱くなった頬が冷めるまで暫くそのままでいるしかなかった。
つづく