桜舞う頃 【完結】
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ーなんでこうなったんだっけ?
深月はテニスコートの周りに集まる女子にキャーキャーと黄色い歓声をあげられながらプレイする安室を半眼で見つめた。
3時間前
「あ、深月!安室さんもおはよー!」
千紗と遊ぶ約束をした土曜日のこと。深月は東都大学のテニスコートに安室と来ていた。しかしそこには他にもたくさんのテニス部員がおり深月は首を傾げた。
『ねぇテニスするつもり…なんだよね?』
「うん。その予定だったんだけど実は今日、月に一度の校内ランキング戦の日だったのよ。」
『は?』
「ま、午前中には終わるし応援してってよ。」
「ならポアロのサンドイッチを持ってきて良かった。後でみんなで食べましょう。」
ニコッと笑って安室が言うと千紗は、わぁ!ありがとうございます!安室さん素敵!と叫んだ。深月はそんな千紗に呆れつつ約束していたもう1人がどこにいるのかと周囲を見回した。
『遠藤くんは?』
「遠藤なら今ネット張ってるよ。おーい、遠藤!」
千紗が奥のコートに呼びかけるとネットを張り終えた爽やかが代名詞のような美青年がこちらに駆けてきた。
「深月達来たよ!」
「おはよう、綾野。ごめんな、遊ぶ約束だったのに試合に付き合わせて。」
『おはよ。いいよ。悪いのは千紗だから。』
「もうごめんってばぁ!」
千紗が謝ると深月はフーッと息をはいて苦笑した。そんな深月の様子を気にして遠藤がもう一度謝ると深月は慌てて手を左右に振って否定した。
『本当に気にしなくていいよ。テニス自体はわりと好きだし。応援してるから頑張って。』
「あ、うん。サンキュ。」
深月の笑顔に遠藤がはにかみながら笑うと、深月の隣にいた安室も声をかけた。
「僕もお二人を応援してますね。」
「えと…?」
「あ、ごめん。遠藤と安室さん初対面だよね。安室さん、これ遠藤。私達の同級生で私のミックスダブルスの相棒。遠藤、こっち安室さん。よく深月と行く喫茶店の店員さん。」
千紗に紹介され2人はコートのフェンス越しにお辞儀をした。しかし千紗の紹介に遠藤は首を傾げた。
「でもなんで喫茶店の店員さんが?」
「それは…深月なんで?」
『え…それは…』
深月が言い淀むと安室が助け舟を出した。
「テニスをするのに人数は偶数のがいいからとテニスの経験のある僕を誘ってくれたんですよね?」
『そ、そう。千紗はミックスダブルスの選手だったしこっちもミックスのがいいのかなぁと。』
「別に気にしなくて良かったのに!ま、いっか!人数いた方が楽しいよね!」
大して疑問に思っていないのか笑う千紗に深月はホッと胸を撫で下ろした。
ピーッと言う笛の音が鳴ると集合の号令がかかり千紗と遠藤はそちらに行ってしまった。それを目で追っていると深月は隣の安室に声をかけられた。
「遠藤君は君に随分と惚れ込んでますね。」
『え?なんで?』
「あれで好意に気付かないから千紗さんが動いたんでしょう。」
『ん?』
深月が首を傾げると安室はハァとため息をついた。呆れられてるのがわかると深月は憎まれ口を叩いた。
『そんな態度、安室さんらしくないですよ。いつもの安室さんなら呆れていても苦笑で済ませてくれるところじゃないですか?』
「確かに。すみませんでした。」
ー上手く流した…ま、今は安室さんだもんね。
深月が感心していると試合を始めるためにテニス部員達がコートへと散らばって行った。
深月と安室が千紗と遠藤の試合が見えやすい位置に移動すると2人が手を振ってくれた。
2人はサークルの中でも強い様でどんどん勝ち進んでいき気付けば校内ランキングとはいえ決勝まで出場し惜しいところで力及ばず準優勝という結果に終わった。2人は試合を終えて深月達の所へと来ると千紗は悔しそうにしていた。
「あー負けたぁ!」
『接戦だったじゃん。惜しかったね。』
「2人ともお疲れ様でした。お昼あちらで食べましょうか。」
「やった!もうお腹ペコペコ〜!遠藤!安室さんのサンドイッチすごい美味しいから期待した方がいいよ。」
「あ、そうなの?楽しみだな!」
4人は休憩スペースになっているテーブルに着くと安室が持ってきたサンドイッチを食べ始めた。
「わ!うまっ!安室さん天才っ!」
「でっしょでしょ?結果はちょっと残念だったけど安室さんのサンドイッチ食べられたし幸せだわ〜」
『良かったね。』
深月がそう言うと千紗は深月に顔を寄せて耳打ちしてきた。
「たぶん私以上に遠藤のが悔しがってると思うけどね。」
『なんで?』
「だって今日は深月来てるから絶対優勝するって意気込んでたんだよ。カッコ悪いとこは見せられないって。」
深月は遠藤をチラッと見ると遠藤はそんな姿は微塵もなく安室と談笑しながらサンドイッチを美味しそうに頬張っていた。
『遠藤くん、そんな風には見えないけどな。』
「強がってるだけだよ。でもどう?キュンとしない?」
『え?』
首を傾げる深月に千紗はハァと大きなため息をついた。
「深月の乙女センサーはどこにあるのか…」
『乙女じゃないもんでね。センサーなんてないの。』
千紗はムゥと頬を膨らませるが深月が相手にしないとその内諦めた。
「え!安室さん、ジュニアの大会で優勝した事あるんですか!」
「昔の話ですけどね。」
「何々?安室さん経験者って言ってたけどそんなにすごいの⁉︎」
「午後、試合してもらってもいいですか?」
「えぇいいですよ。」
遠藤がキラキラと尊敬の眼差しで安室を見ていると、聞き耳を立てていた周りのテニス部員の女子が声をかけてきた。
「あの!良かったら私に指導してもらえませんか?」
「私にも!」
「あ、ズルい!私もお願いします!」
1人が声をかけるとどんどんその人数が増えて気付けば周りは女子部員だらけだった。安室はニコニコと笑いながらそれを快く引き受けた。
そして現在、サークル活動は終わったというのに女子部員に指導をする安室を深月は遠目に見ていた。
『私達遊びに来たんじゃなかったっけ?』
「いやでも仕方ないよ。安室さんイケメンだもん。その上、テニスも上手いとかもう女子からしたらヨダレが出ちゃう存在だよね。」
『ヨダレは出ないと思う。』
「とりあえず深月もテニスウェアに着替えよう!」
『は?いや運動出来る格好で来たからこれでいいよ。』
「ダメダメ!今日のために私ちゃんと用意したんだから!」
深月は有無を言わせてもらえず千紗に部室に連れ込まれてテニスウェアに着替えさせられた。深月は白プリーツのミニスカートの端をつまんで眉間にシワを寄せた。
『脚が寒い。』
「動いてれば暑くなるって!」
『ズボンないの?』
「ダメ。その可愛い姿で遠藤をノックアウトしよう!」
『いやボクシングじゃなくテニスやりに来たんだけど…』
深月は呆れながらも楽しそうにする千紗に付き合ってあげる事にした。
コートへ戻ってくると相変わらず安室は女子部員の相手に忙しそうだった。
ーまだやってる…またそうやって女の子達にデレデレして…ってだから私には関係ないってば!
深月はブンブンと頭を振って考えていた事をなかった事にした。
千紗はベンチに座ってラケットのガットを調整していた遠藤に声をかけた。
「遠藤!お待たせ!どうよ!深月可愛いでしょ?」
千紗にドンッと背中を叩かれて押し出された深月は遠藤の前に転びそうになりながら出た。遠藤は慌ててそんな深月を支えようと深月の両肩を掴んだ。
『ごめん。ありがとう。』
「いや、ケガない?」
『うん。大丈夫。』
自然と近くなった距離に遠藤の顔が心なしか赤くなったが深月は特に気にした風でもなく後ろでニマニマする千紗を振り返った。
『ちょっと千紗、危ないでしょ。』
「ごっめーん。早く深月を見てほしくてさ。ね、遠藤?」
「あ、うん。似合ってるよ。」
「似合ってるとかじゃなくてぇ、可愛いかって聞いてるの!」
「え…あ、か、可愛いよ…」
『あ、ありがとう。』
視線を逸らしながら顔を赤くして恥ずかしそうに遠藤に言われるとつられて深月まで頬が赤くなった。そんな2人に千紗は満足げに笑った。
「よっし!じゃあ遠藤、深月に教えてあげてよ!」
『いや、別にそこまで素人でもないよ?』
「え⁉︎そうなの?」
『うん。子供の頃やってたから。』
「えぇー!なんで言わないの⁉︎」
『聞かれた事なかったし。』
「じゃあ普通に試合しよ。俺か久米山が審判してさ。」
「んじゃ私審判する!」
そう言うと千紗は審判席に座った。子供の頃やっていたと言っても遠藤が気を遣って軽くラリーを続けてくれたおかげで深月は感覚を思い出し後半は試合らしいものへと変わった。
『確かにひと試合すると暑いかも。』
「でしょ?」
「お疲れ。やってただけあって綾野上手いね。」
『それは遠藤くんが最初ゆるくやってくれたからだよ、ありがとう。』
笑い合う2人に千紗はもうひと押しだと思ったのか、あ!と声を上げた。
「飲み物ないし2人で買いに行ったら?近くに自販機あるし、ほら、行った行った!」
『え?』
千紗に追い出されるようにして深月と遠藤はコートを出た。2人は顔を見合わせると小さく笑って飲み物を買いに行く事にした。
「ふふん。上手くいくかなー?」
「何が上手くいくんですか?」
気付いたら指導を終えたのか背後から安室に話しかけられて千紗はビクッと肩を揺らした。
「安室さん!お疲れ様です!いやぁ実は遠藤って深月の事好きなんですよ。」
「へぇそうなんですね。」
「深月の可愛いウェア姿で遠藤の事はもう少しプッシュ出来たし、ひと試合したら深月も遠藤と打ち解けたみたいだし…上手くいくといいなって。」
「千紗さんは遠藤君と深月さんに上手くいって欲しいんですか?」
「うん。そこらの男と比べたら遠藤って結構いいと思うんですよ!爽やかだしイケメンなのに硬派だし…深月の事、本当に好きみたいだから。」
「そうなんですか。」
安室は千紗の言葉をニコリと笑って聞いていたが内心は何も面白くなかった。
遠藤と深月は自販機で飲み物を買うとまっすぐにコートへ戻りながら話した。
「けど、綾野がこんなにテニス上手いと思わなかったよ。」
『そんなに上手くないよ。小さい頃お父さんに教わってたから基本はある程度出来るけど。』
「基本が大事なんだって。俺もよく基本の動きを練習するしさ。」
『そっか。だから遠藤くんは上手なんだ。』
「あー…て言っても優勝逃した奴が言う事じゃ説得力ないか。カッコ悪いとこ見せちゃったよな。」
ハハッと遠藤が苦笑すると深月はそれを否定した。
『そんな事ないよ。確かに結果は準優勝だったかもしれないけど、真剣にテニスやってる遠藤くん、カッコ良かったよ。』
深月が笑ってそう言うと遠藤は急に足を止めた。深月は不思議そうに振り返ると真剣な眼差しの遠藤と目があった。
「綾野、もう久米山から聞いて知ってると思うけど、俺本気だから。」
そう言って近付いてきた遠藤に深月は抱きしめられて持っていたお茶のペットボトルを落とした。
「俺本気で綾野の事好きだから。」
『っ…私…』
深月は遠藤の言葉よりも遠藤に抱きしめられて最初によぎった事に驚き声が出なくなった。
ー私、なんで…なんで降谷さんの事、思い出したの…
戸惑い何も言えない深月がまさか他の男の事を考えているなんて想像も出来ない遠藤は深月から離れると、その表情を見てギョッとしすぐに謝った。
「ご、ごめん!急に抱きしめたりして嫌だったよな!本当にごめん…泣かせたかったわけじゃ…」
『え?』
深月は遠藤に指摘されるまで自分が涙を流していたなんて気付かなかった。
『あ、違うの。これは別に泣く程嫌だったとかそういうわけじゃなくて…でもごめんなさい。私、遠藤くんの気持ちには答えられない。』
「え…それは……誰か好きな人がいるの?」
遠藤の問いに深月は涙を拭いて小さく頷いた。遠藤はハァとため息をつくと苦笑した。
「そっか。それじゃしゃあないな。」
『ごめんなさい。』
「いいよ、謝られるのもなんか変だし。じゃあさ、友達…ではいてくれるか?たまにこうやって久米山とかと一緒に遊ばない?」
『うん。』
深月が頷くと遠藤は、悪い。俺、先帰るわ。と言って走り去ってしまった。深月は落としたお茶のペットボトルを拾うとそれを胸に抱いた。
ーあぁわかったよ。みっくん。私が貴方に言おうとしていた事が。
深月は空を見上げると胸がギュッと苦しくなった。
ーみっくん。私ね、降谷さんが好き。
会えなくなるのを寂しいと感じたのも、青いあの瞳を見ると鼓動が強く波打つのも、あの腕の中がホッとしてしまうのも、その腕が離れると少し寂しいのも、他の女性と楽しそうだと苛立つのも…全部全部たったひとつの答えに繋がっていたのだと、遠藤に抱きしめられて降谷を思い出してしまった事で深月は漸く気付いた。
ーいつの間にみっくんの事が思い出になってたんだろう?
深月の瞳から涙が一筋流れると寂しい気持ちとそれ以上に清々しい気持ちが深月の胸の中に広がった。
ーみっくん。バイバイ。
「深月さん。」
『降谷さん…』
深月は振り返らなくてもわかるその声に振り返る前から名前を呼んだ。振り返った深月の顔を見るや降谷が険しい顔をしたので深月は首を傾げた。
『どうしたんです?』
「あいつに何かされたのか?大体硬派だなんだって言ったって男は何するかわからないんだからな。」
『え?なんの話です?』
深月が降谷の言った事がわからずに不思議そうにしていると近付いてきた降谷に目元を親指で撫でられた。
「なんで泣いてるんだ?」
『あ…』
自分が泣いていたなんて忘れていた深月は慌てて目元を袖で拭った。
『別に何かあったわけじゃ…』
「何もなくて泣いたりしないだろ。」
『えと…』
ー降谷さんの事が好きだってわかったなんて言える訳ない!
カァと頬を赤く染めて黙ってしまった深月に降谷の機嫌はいっそう悪くなった。
「やっぱり遠藤に何かされたな。」
『ち、違います!本当に遠藤くんは何も悪くなくて…』
「庇うのか?」
凄みの増す降谷に深月は泣きたくなった。
ー言えば言うほど降谷さんの機嫌悪くなってる気がするんだけど。
『もう違うんですってば!確かに遠藤くんに告白されましたけど、それは断ったんです!それだけです!』
「断ったのか。」
降谷が驚いた様に言うものだから深月はムッとして眉をひそめた。
『…断らない方が良かったんですか?』
「そうじゃなくて…少し考えてから返事をするんだと思っていた。」
『それは…私もちょっと前までそう思ってました。』
そう、深月ももし遠藤に告白をされたらすぐに答えを出さずに少し落ち着いて考えようと思っていた。けれど遠藤に告白されると同時に降谷への想いがはっきりしたので深月はすぐに断ってしまったのだ。
「じゃあなんで…」
降谷が不思議そうに聞くと深月は少し考えてからニコッと笑った。
『秘密です。』
深月があまりにも綺麗に笑うものだから降谷はそれに見惚れて何も言えなくなった。暫くして降谷はため息交じりに呟いた。
「ずるいな、君は。」
『何か言いました?』
「なんでもない。」
降谷はそう言うと背後から千紗に声をかけられ振り返った。
「安室さーん!あ、深月もこんなとこにいた!」
千紗は来るやいなやガッと深月の肩を掴んで詰め寄った。
「遠藤と何があったの⁉︎」
『え?』
「遠藤しょんぼりしながら帰っちゃったんだけど!」
『あー…告白されて断っちゃった。』
「断っちゃったぁ⁉︎」
苦笑して伝えてくる深月に千紗は目を見開きその肩を揺らした。
「いやいやあんな優良物件をなんでっ!」
『物件って…』
「遠藤ってそんなダメだった?」
千紗が自信喪失して落ち込んでしまったので深月は素直に話す事にした。
『ごめん。私、好きな人がいるの。』
「え…えぇ⁉︎そんな事今まで…」
『ごめん。』
深月がもう一度謝ると千紗はハァと大きくため息をついた。
「もう早く言ってよ!私ちょー余計な事したじゃん!ごめん!」
『千紗が謝る事じゃないから。』
「でもそっか……え、誰?私も知ってる人?」
『どうかな?』
「えー意味深!気になるじゃん!」
『あれ?千紗、今日バイトじゃなかった?』
「あ、やばい。もう行かないと!安室さん今日はありがとうございました!深月、また今度その話絶対聞くからね!」
叫ぶ様に言いながら行ってしまった千紗を見送ると深月は降谷を見上げた。
『帰りましょう。えっと…降谷さん?それとも安室さん?』
「帰ろうか。」
降谷が笑うと2人は校門に向かって歩き出した。しかし深月はふと自分がテニスウェアから着替えていなかった上に着替えが部室内だという事を思い出した。
『…もうコートには誰もいなかったですよね?あぁ服が部室から取り戻せない…』
「さすがに今からじゃ千紗さんには追いつかないだろうな。」
『これで帰るのか…』
深月はミニ丈のプリーツスカートの裾を摘んでヒラヒラとするそれにため息をついた。
「いいじゃないか。よく似合ってるし、可愛いよ。」
『…わぁお世辞がお上手ですね。』
「君は少しは素直に受け取ったらどうだ…けどそれじゃ寒いだろ。」
深月が照れ隠しに憎まれ口を叩くと降谷は呆れながらも自分のコートを深月の肩にかけた。
『え、でも…』
「僕は問題ない。」
有無を言わせない降谷の圧に負けて深月は大人しくコートに袖を通した。指が少しだけ出る袖の長さに深月は降谷が男性である事を意識し頬がほんのりと赤くなった。
『ありがとうございます。』
「じゃあ駅に向かおう。」
降谷に促され深月は素直に頷き、2人は駅に向かって歩き出した。
つづく
深月はテニスコートの周りに集まる女子にキャーキャーと黄色い歓声をあげられながらプレイする安室を半眼で見つめた。
3時間前
「あ、深月!安室さんもおはよー!」
千紗と遊ぶ約束をした土曜日のこと。深月は東都大学のテニスコートに安室と来ていた。しかしそこには他にもたくさんのテニス部員がおり深月は首を傾げた。
『ねぇテニスするつもり…なんだよね?』
「うん。その予定だったんだけど実は今日、月に一度の校内ランキング戦の日だったのよ。」
『は?』
「ま、午前中には終わるし応援してってよ。」
「ならポアロのサンドイッチを持ってきて良かった。後でみんなで食べましょう。」
ニコッと笑って安室が言うと千紗は、わぁ!ありがとうございます!安室さん素敵!と叫んだ。深月はそんな千紗に呆れつつ約束していたもう1人がどこにいるのかと周囲を見回した。
『遠藤くんは?』
「遠藤なら今ネット張ってるよ。おーい、遠藤!」
千紗が奥のコートに呼びかけるとネットを張り終えた爽やかが代名詞のような美青年がこちらに駆けてきた。
「深月達来たよ!」
「おはよう、綾野。ごめんな、遊ぶ約束だったのに試合に付き合わせて。」
『おはよ。いいよ。悪いのは千紗だから。』
「もうごめんってばぁ!」
千紗が謝ると深月はフーッと息をはいて苦笑した。そんな深月の様子を気にして遠藤がもう一度謝ると深月は慌てて手を左右に振って否定した。
『本当に気にしなくていいよ。テニス自体はわりと好きだし。応援してるから頑張って。』
「あ、うん。サンキュ。」
深月の笑顔に遠藤がはにかみながら笑うと、深月の隣にいた安室も声をかけた。
「僕もお二人を応援してますね。」
「えと…?」
「あ、ごめん。遠藤と安室さん初対面だよね。安室さん、これ遠藤。私達の同級生で私のミックスダブルスの相棒。遠藤、こっち安室さん。よく深月と行く喫茶店の店員さん。」
千紗に紹介され2人はコートのフェンス越しにお辞儀をした。しかし千紗の紹介に遠藤は首を傾げた。
「でもなんで喫茶店の店員さんが?」
「それは…深月なんで?」
『え…それは…』
深月が言い淀むと安室が助け舟を出した。
「テニスをするのに人数は偶数のがいいからとテニスの経験のある僕を誘ってくれたんですよね?」
『そ、そう。千紗はミックスダブルスの選手だったしこっちもミックスのがいいのかなぁと。』
「別に気にしなくて良かったのに!ま、いっか!人数いた方が楽しいよね!」
大して疑問に思っていないのか笑う千紗に深月はホッと胸を撫で下ろした。
ピーッと言う笛の音が鳴ると集合の号令がかかり千紗と遠藤はそちらに行ってしまった。それを目で追っていると深月は隣の安室に声をかけられた。
「遠藤君は君に随分と惚れ込んでますね。」
『え?なんで?』
「あれで好意に気付かないから千紗さんが動いたんでしょう。」
『ん?』
深月が首を傾げると安室はハァとため息をついた。呆れられてるのがわかると深月は憎まれ口を叩いた。
『そんな態度、安室さんらしくないですよ。いつもの安室さんなら呆れていても苦笑で済ませてくれるところじゃないですか?』
「確かに。すみませんでした。」
ー上手く流した…ま、今は安室さんだもんね。
深月が感心していると試合を始めるためにテニス部員達がコートへと散らばって行った。
深月と安室が千紗と遠藤の試合が見えやすい位置に移動すると2人が手を振ってくれた。
2人はサークルの中でも強い様でどんどん勝ち進んでいき気付けば校内ランキングとはいえ決勝まで出場し惜しいところで力及ばず準優勝という結果に終わった。2人は試合を終えて深月達の所へと来ると千紗は悔しそうにしていた。
「あー負けたぁ!」
『接戦だったじゃん。惜しかったね。』
「2人ともお疲れ様でした。お昼あちらで食べましょうか。」
「やった!もうお腹ペコペコ〜!遠藤!安室さんのサンドイッチすごい美味しいから期待した方がいいよ。」
「あ、そうなの?楽しみだな!」
4人は休憩スペースになっているテーブルに着くと安室が持ってきたサンドイッチを食べ始めた。
「わ!うまっ!安室さん天才っ!」
「でっしょでしょ?結果はちょっと残念だったけど安室さんのサンドイッチ食べられたし幸せだわ〜」
『良かったね。』
深月がそう言うと千紗は深月に顔を寄せて耳打ちしてきた。
「たぶん私以上に遠藤のが悔しがってると思うけどね。」
『なんで?』
「だって今日は深月来てるから絶対優勝するって意気込んでたんだよ。カッコ悪いとこは見せられないって。」
深月は遠藤をチラッと見ると遠藤はそんな姿は微塵もなく安室と談笑しながらサンドイッチを美味しそうに頬張っていた。
『遠藤くん、そんな風には見えないけどな。』
「強がってるだけだよ。でもどう?キュンとしない?」
『え?』
首を傾げる深月に千紗はハァと大きなため息をついた。
「深月の乙女センサーはどこにあるのか…」
『乙女じゃないもんでね。センサーなんてないの。』
千紗はムゥと頬を膨らませるが深月が相手にしないとその内諦めた。
「え!安室さん、ジュニアの大会で優勝した事あるんですか!」
「昔の話ですけどね。」
「何々?安室さん経験者って言ってたけどそんなにすごいの⁉︎」
「午後、試合してもらってもいいですか?」
「えぇいいですよ。」
遠藤がキラキラと尊敬の眼差しで安室を見ていると、聞き耳を立てていた周りのテニス部員の女子が声をかけてきた。
「あの!良かったら私に指導してもらえませんか?」
「私にも!」
「あ、ズルい!私もお願いします!」
1人が声をかけるとどんどんその人数が増えて気付けば周りは女子部員だらけだった。安室はニコニコと笑いながらそれを快く引き受けた。
そして現在、サークル活動は終わったというのに女子部員に指導をする安室を深月は遠目に見ていた。
『私達遊びに来たんじゃなかったっけ?』
「いやでも仕方ないよ。安室さんイケメンだもん。その上、テニスも上手いとかもう女子からしたらヨダレが出ちゃう存在だよね。」
『ヨダレは出ないと思う。』
「とりあえず深月もテニスウェアに着替えよう!」
『は?いや運動出来る格好で来たからこれでいいよ。』
「ダメダメ!今日のために私ちゃんと用意したんだから!」
深月は有無を言わせてもらえず千紗に部室に連れ込まれてテニスウェアに着替えさせられた。深月は白プリーツのミニスカートの端をつまんで眉間にシワを寄せた。
『脚が寒い。』
「動いてれば暑くなるって!」
『ズボンないの?』
「ダメ。その可愛い姿で遠藤をノックアウトしよう!」
『いやボクシングじゃなくテニスやりに来たんだけど…』
深月は呆れながらも楽しそうにする千紗に付き合ってあげる事にした。
コートへ戻ってくると相変わらず安室は女子部員の相手に忙しそうだった。
ーまだやってる…またそうやって女の子達にデレデレして…ってだから私には関係ないってば!
深月はブンブンと頭を振って考えていた事をなかった事にした。
千紗はベンチに座ってラケットのガットを調整していた遠藤に声をかけた。
「遠藤!お待たせ!どうよ!深月可愛いでしょ?」
千紗にドンッと背中を叩かれて押し出された深月は遠藤の前に転びそうになりながら出た。遠藤は慌ててそんな深月を支えようと深月の両肩を掴んだ。
『ごめん。ありがとう。』
「いや、ケガない?」
『うん。大丈夫。』
自然と近くなった距離に遠藤の顔が心なしか赤くなったが深月は特に気にした風でもなく後ろでニマニマする千紗を振り返った。
『ちょっと千紗、危ないでしょ。』
「ごっめーん。早く深月を見てほしくてさ。ね、遠藤?」
「あ、うん。似合ってるよ。」
「似合ってるとかじゃなくてぇ、可愛いかって聞いてるの!」
「え…あ、か、可愛いよ…」
『あ、ありがとう。』
視線を逸らしながら顔を赤くして恥ずかしそうに遠藤に言われるとつられて深月まで頬が赤くなった。そんな2人に千紗は満足げに笑った。
「よっし!じゃあ遠藤、深月に教えてあげてよ!」
『いや、別にそこまで素人でもないよ?』
「え⁉︎そうなの?」
『うん。子供の頃やってたから。』
「えぇー!なんで言わないの⁉︎」
『聞かれた事なかったし。』
「じゃあ普通に試合しよ。俺か久米山が審判してさ。」
「んじゃ私審判する!」
そう言うと千紗は審判席に座った。子供の頃やっていたと言っても遠藤が気を遣って軽くラリーを続けてくれたおかげで深月は感覚を思い出し後半は試合らしいものへと変わった。
『確かにひと試合すると暑いかも。』
「でしょ?」
「お疲れ。やってただけあって綾野上手いね。」
『それは遠藤くんが最初ゆるくやってくれたからだよ、ありがとう。』
笑い合う2人に千紗はもうひと押しだと思ったのか、あ!と声を上げた。
「飲み物ないし2人で買いに行ったら?近くに自販機あるし、ほら、行った行った!」
『え?』
千紗に追い出されるようにして深月と遠藤はコートを出た。2人は顔を見合わせると小さく笑って飲み物を買いに行く事にした。
「ふふん。上手くいくかなー?」
「何が上手くいくんですか?」
気付いたら指導を終えたのか背後から安室に話しかけられて千紗はビクッと肩を揺らした。
「安室さん!お疲れ様です!いやぁ実は遠藤って深月の事好きなんですよ。」
「へぇそうなんですね。」
「深月の可愛いウェア姿で遠藤の事はもう少しプッシュ出来たし、ひと試合したら深月も遠藤と打ち解けたみたいだし…上手くいくといいなって。」
「千紗さんは遠藤君と深月さんに上手くいって欲しいんですか?」
「うん。そこらの男と比べたら遠藤って結構いいと思うんですよ!爽やかだしイケメンなのに硬派だし…深月の事、本当に好きみたいだから。」
「そうなんですか。」
安室は千紗の言葉をニコリと笑って聞いていたが内心は何も面白くなかった。
遠藤と深月は自販機で飲み物を買うとまっすぐにコートへ戻りながら話した。
「けど、綾野がこんなにテニス上手いと思わなかったよ。」
『そんなに上手くないよ。小さい頃お父さんに教わってたから基本はある程度出来るけど。』
「基本が大事なんだって。俺もよく基本の動きを練習するしさ。」
『そっか。だから遠藤くんは上手なんだ。』
「あー…て言っても優勝逃した奴が言う事じゃ説得力ないか。カッコ悪いとこ見せちゃったよな。」
ハハッと遠藤が苦笑すると深月はそれを否定した。
『そんな事ないよ。確かに結果は準優勝だったかもしれないけど、真剣にテニスやってる遠藤くん、カッコ良かったよ。』
深月が笑ってそう言うと遠藤は急に足を止めた。深月は不思議そうに振り返ると真剣な眼差しの遠藤と目があった。
「綾野、もう久米山から聞いて知ってると思うけど、俺本気だから。」
そう言って近付いてきた遠藤に深月は抱きしめられて持っていたお茶のペットボトルを落とした。
「俺本気で綾野の事好きだから。」
『っ…私…』
深月は遠藤の言葉よりも遠藤に抱きしめられて最初によぎった事に驚き声が出なくなった。
ー私、なんで…なんで降谷さんの事、思い出したの…
戸惑い何も言えない深月がまさか他の男の事を考えているなんて想像も出来ない遠藤は深月から離れると、その表情を見てギョッとしすぐに謝った。
「ご、ごめん!急に抱きしめたりして嫌だったよな!本当にごめん…泣かせたかったわけじゃ…」
『え?』
深月は遠藤に指摘されるまで自分が涙を流していたなんて気付かなかった。
『あ、違うの。これは別に泣く程嫌だったとかそういうわけじゃなくて…でもごめんなさい。私、遠藤くんの気持ちには答えられない。』
「え…それは……誰か好きな人がいるの?」
遠藤の問いに深月は涙を拭いて小さく頷いた。遠藤はハァとため息をつくと苦笑した。
「そっか。それじゃしゃあないな。」
『ごめんなさい。』
「いいよ、謝られるのもなんか変だし。じゃあさ、友達…ではいてくれるか?たまにこうやって久米山とかと一緒に遊ばない?」
『うん。』
深月が頷くと遠藤は、悪い。俺、先帰るわ。と言って走り去ってしまった。深月は落としたお茶のペットボトルを拾うとそれを胸に抱いた。
ーあぁわかったよ。みっくん。私が貴方に言おうとしていた事が。
深月は空を見上げると胸がギュッと苦しくなった。
ーみっくん。私ね、降谷さんが好き。
会えなくなるのを寂しいと感じたのも、青いあの瞳を見ると鼓動が強く波打つのも、あの腕の中がホッとしてしまうのも、その腕が離れると少し寂しいのも、他の女性と楽しそうだと苛立つのも…全部全部たったひとつの答えに繋がっていたのだと、遠藤に抱きしめられて降谷を思い出してしまった事で深月は漸く気付いた。
ーいつの間にみっくんの事が思い出になってたんだろう?
深月の瞳から涙が一筋流れると寂しい気持ちとそれ以上に清々しい気持ちが深月の胸の中に広がった。
ーみっくん。バイバイ。
「深月さん。」
『降谷さん…』
深月は振り返らなくてもわかるその声に振り返る前から名前を呼んだ。振り返った深月の顔を見るや降谷が険しい顔をしたので深月は首を傾げた。
『どうしたんです?』
「あいつに何かされたのか?大体硬派だなんだって言ったって男は何するかわからないんだからな。」
『え?なんの話です?』
深月が降谷の言った事がわからずに不思議そうにしていると近付いてきた降谷に目元を親指で撫でられた。
「なんで泣いてるんだ?」
『あ…』
自分が泣いていたなんて忘れていた深月は慌てて目元を袖で拭った。
『別に何かあったわけじゃ…』
「何もなくて泣いたりしないだろ。」
『えと…』
ー降谷さんの事が好きだってわかったなんて言える訳ない!
カァと頬を赤く染めて黙ってしまった深月に降谷の機嫌はいっそう悪くなった。
「やっぱり遠藤に何かされたな。」
『ち、違います!本当に遠藤くんは何も悪くなくて…』
「庇うのか?」
凄みの増す降谷に深月は泣きたくなった。
ー言えば言うほど降谷さんの機嫌悪くなってる気がするんだけど。
『もう違うんですってば!確かに遠藤くんに告白されましたけど、それは断ったんです!それだけです!』
「断ったのか。」
降谷が驚いた様に言うものだから深月はムッとして眉をひそめた。
『…断らない方が良かったんですか?』
「そうじゃなくて…少し考えてから返事をするんだと思っていた。」
『それは…私もちょっと前までそう思ってました。』
そう、深月ももし遠藤に告白をされたらすぐに答えを出さずに少し落ち着いて考えようと思っていた。けれど遠藤に告白されると同時に降谷への想いがはっきりしたので深月はすぐに断ってしまったのだ。
「じゃあなんで…」
降谷が不思議そうに聞くと深月は少し考えてからニコッと笑った。
『秘密です。』
深月があまりにも綺麗に笑うものだから降谷はそれに見惚れて何も言えなくなった。暫くして降谷はため息交じりに呟いた。
「ずるいな、君は。」
『何か言いました?』
「なんでもない。」
降谷はそう言うと背後から千紗に声をかけられ振り返った。
「安室さーん!あ、深月もこんなとこにいた!」
千紗は来るやいなやガッと深月の肩を掴んで詰め寄った。
「遠藤と何があったの⁉︎」
『え?』
「遠藤しょんぼりしながら帰っちゃったんだけど!」
『あー…告白されて断っちゃった。』
「断っちゃったぁ⁉︎」
苦笑して伝えてくる深月に千紗は目を見開きその肩を揺らした。
「いやいやあんな優良物件をなんでっ!」
『物件って…』
「遠藤ってそんなダメだった?」
千紗が自信喪失して落ち込んでしまったので深月は素直に話す事にした。
『ごめん。私、好きな人がいるの。』
「え…えぇ⁉︎そんな事今まで…」
『ごめん。』
深月がもう一度謝ると千紗はハァと大きくため息をついた。
「もう早く言ってよ!私ちょー余計な事したじゃん!ごめん!」
『千紗が謝る事じゃないから。』
「でもそっか……え、誰?私も知ってる人?」
『どうかな?』
「えー意味深!気になるじゃん!」
『あれ?千紗、今日バイトじゃなかった?』
「あ、やばい。もう行かないと!安室さん今日はありがとうございました!深月、また今度その話絶対聞くからね!」
叫ぶ様に言いながら行ってしまった千紗を見送ると深月は降谷を見上げた。
『帰りましょう。えっと…降谷さん?それとも安室さん?』
「帰ろうか。」
降谷が笑うと2人は校門に向かって歩き出した。しかし深月はふと自分がテニスウェアから着替えていなかった上に着替えが部室内だという事を思い出した。
『…もうコートには誰もいなかったですよね?あぁ服が部室から取り戻せない…』
「さすがに今からじゃ千紗さんには追いつかないだろうな。」
『これで帰るのか…』
深月はミニ丈のプリーツスカートの裾を摘んでヒラヒラとするそれにため息をついた。
「いいじゃないか。よく似合ってるし、可愛いよ。」
『…わぁお世辞がお上手ですね。』
「君は少しは素直に受け取ったらどうだ…けどそれじゃ寒いだろ。」
深月が照れ隠しに憎まれ口を叩くと降谷は呆れながらも自分のコートを深月の肩にかけた。
『え、でも…』
「僕は問題ない。」
有無を言わせない降谷の圧に負けて深月は大人しくコートに袖を通した。指が少しだけ出る袖の長さに深月は降谷が男性である事を意識し頬がほんのりと赤くなった。
『ありがとうございます。』
「じゃあ駅に向かおう。」
降谷に促され深月は素直に頷き、2人は駅に向かって歩き出した。
つづく