マーダーミステリーD~断罪のリゾートホテル

【断罪のリゾートホテル、2日目~3日目】

ティキはまだ意識を失ったままだ。

リンクの部屋の中は静まり返っていて、その静けさが、かえってアレンを不安にさせる。

ふと視線が、机の灰皿に止まる。

リンクはタバコは吸わない。

代わりに紙を燃やしたような灰が残っていた。

「……?」

アレンはそっと灰皿を手に取った。

中には黒く縮れた紙片がいくつか残っている。

そのひとつを慎重に拾い上げると、燃え残った文字が目に入った。

『7年前の…で手…貸……時点で、…う終…っ……た』

アレンの手が止まる。

次の紙片。

『Sはまた…じ…とを繰り返し…。今回も……片づけさせる気だ』

さらに別の一枚。

『金…受け取った…だが…こ……最後に…る』

「これ……」

ハワード・リンクの字だろうか。

確証はない。けれど、あまりにも生々しい。

七年前。
S。
金。
片付け。

アレンは喉の奥がぎゅっと縮むのを感じた。

「まさか……」

灰皿を置き、今度は旅行鞄へ手を伸ばす。

中は驚くほど整然としていた。

折り畳まれた替えのシャツ。

きっちり揃えられた白手袋の予備。

胃薬。

几帳面すぎるほど整った私物の並びが、逆に息苦しい。

だが、その底に押し込まれた茶封筒を見つけた瞬間、アレンは眉をひそめた。

開ける。

中には、帯封のついた札束がいくつも入っていた。

「……っ!」

思わず封筒を落としそうになる。

一介の警察官が持ち歩く額ではない。

旅行用の現金でも、どう考えてもない。

(なんで……?)

七年前の事件。

S=シェリル?

“金は受け取った”。

そこまで思考が繋がった瞬間、ぞっとする考えが浮かぶ。

(……支配人を脅してた?…それとも脅されてた?)

封筒の下から、さらに一枚の写真が滑り落ちた。

港を背にした視察のような場で、今より少しだけ若いリンクと、その隣に立つシェリル・キャメロットが写っている。

アレンは息を呑んだ。

「やっぱり……」

ずっと前から、二人は繋がっていた。

リンクは正義の人間なんかじゃなかった。

そしてティキが話していたことも、ただの出まかせではなかったのだ。

その時だった。

背後で、カーペットが擦れる音がした。

アレンは弾かれたように振り返る。

「ティキ・ミック卿!?」

カーペットの上で、ティキの指先がぴくりと動いた。

やがて、ゆっくりと瞼が開く。

「……ん……」

焦点の合わない目が天井をさまよい、数秒の沈黙のあと、ティキはぽつりと呟いた。

「……ここは誰、俺はどこ」

「ティキ・ミック卿!?」

アレンが弾かれたように立ち上がる。

「……俺は?」

「えっ」

アレンは一瞬だけ真顔になり、次の瞬間、洗面台のアメニティの横にあった手鏡をさっと掴んだ。

「はい!」

そして、ビュン!と戻ってきてはティキの目の前に差し出す。

鏡の中に映るのは、包帯を巻かれた青年だった。

ティキは半目のままそれを見つめる。

「……へえ」

「わ、分かりますか!?」

「いい男だな」

「そんなこと言ってる場合ですか!?」

そこでティキの目が、すっと細まった。

「で」

低い声。

「そのいい男の後頭部をぶん殴ったのは、お前か?」

アレンは勢いよく床へ滑り混むように土下座をした。

「ごめんなさい!! ほんとに、ほんとにすみません!!
僕、ティキ・ミック卿が犯人じゃないって、今なら分かるんです!
でもその“今”が遅すぎたんです、ほんとにすみません!!
あの、手当てはしました! タオルで止血して、シーツ裂いて巻いて、頭も高くして……!
だからお願いです、死なないでください!!」

ティキはしばらく黙ってアレンを見下ろし、それから傷に響くのを堪えるように小さく息を吐いた。

「……うるせぇし、情報が多い」

ティキはゆっくりと瞬きを繰り返し、意識を現実へ引き戻すように天井を見た。

包帯の下で疼く痛みに眉を寄せながらも、その視線は次第に鋭さを取り戻していく。

そして、土下座したままのアレンへ視線を落とした。

「で、いま何時?」

「今は……夜の八時です」

アレンが答えると、ティキは一度だけ天井を仰いだ。

「そっか」

包帯の巻かれた後頭部がまだずきずきと疼くのか、目を閉じたまま小さく息を吐く。

「中途半端に目ぇ覚めちまったな」

その声はかすれていたが、意識はもうだいぶはっきりしているようだった。

ティキはゆっくり視線を横へ流し、土下座したままのアレンを見る。

「で、俺が寝てる間に何かなかったか?」

「いいえ……何も……」

アレンは正直に答えた。

コムイやリナリーが二人を探しに来るかと思っていた。

少なくとも、一度くらいは廊下をうろつく気配があると思っていた。

だが、拍子抜けするほど何も起きなかった。

リンクの部屋の外には、時折誰かの足音が遠くを横切るくらいで、扉の前に立ち止まる者はいない。

ホテルそのものが、次の放送まで不気味な休憩に入ったみたいに静かだった。

ティキはベッドの上で少しだけ身体を起こした。

その瞬間、痛みが走ったのか眉を寄せる。

「無理しないでください!」

アレンが慌てて手を伸ばす。

「うるせぇよ」

そう言って、自分の腹のあたりへ視線を落とし、ぽつりと呟く。

「……腹減ったな」

アレンが目を瞬かせる。

「は?」

一拍の沈黙。

それからアレンは、思わず素っ頓狂な声を上げた。

「この状況でですか!?」

「この状況だからだろ」

ティキは半目でアレンを見る。

「血ぃ流しすぎた。肉が食いてえ」

「そ、そういうものなんですか……?」

「知らんが、今、俺がそうなんだからそういうもんなんだろ」

アレンは返す言葉を失った。

ついさっきまで死にかけていた男が、起き抜けに言うのがそれなのか。

呆れるべきなのか、少し安心するべきなのか、自分でも分からない。

けれど、ティキがこうして文句を言えるくらいには戻ってきたのだと思うと、胸の奥にほんの少しだけ力が戻る気がした。

「……厨房、行って来ましょうか?」

アレンが恐る恐る言うと、ティキは鼻で笑った。

「お前、それ死亡フラグだろ」

「そ、そんな…!」

「1人になるな」

「僕…貴方を信じていいんですよね?」

「…まだ言うか。見たんだろ?」

「は、はい」

リンクの部屋の重たい空気の中で、ほんの一瞬だけ、いつも通りの馬鹿みたいな会話が戻る。

だが、その安堵も長くは続かない。

次の放送が鳴れば、またゲームが始まる。

それまでに何を掴み、誰を信じ、どう動くのか。

二人とも、もう分かっていた。

このわずかな静けさは、休息ではない。

嵐の真っ只中にある、ほんの一呼吸にすぎないのだと。



❄︎  ❅  *.  ❅  ✥  ✣  ✤



朝。

館内に、あの無機質な機械音声が響き渡った。

『ピンポンパンポーン――オハヨウゴザイマス。良く眠れマシタカ? 皆様、食堂へお集まりクダサイ。3回目の話し合いを開始シマス』

もう、驚く者はいない。

ただ、それぞれが昨夜よりも確実に削られた顔で、重い足取りのまま食堂へ向かう。

アレンが食堂に着いた瞬間、全員の視線がアレンを貫いた。

全員と言ってもコムイとリナリーだけだが。

「……ティキミックとかいう人は?」

席へ向かいながら、コムイが不安げに周囲を見回す。

「全員揃わないと、誰かが犠牲になるんじゃなかったっけ?」

その声は、いかにも“追い詰められた一般人”のものだった。

アレンはその一言に、顔を強張らせた。

蒼白なまま、唇を噛む。

そして次の瞬間、ほとんど悲鳴みたいな声で叫んだ。

「……ごめんなさいっ!」

コムイとリナリーが同時に振り返る。

「え?」
「な、何……?」

アレンの目には、今にも零れそうな涙が浮かんでいた。

「ぼ、僕が……」

声が震える。

「僕が、花瓶で殺してしまいました……!」

「「え!?」」

二人の声が重なる。

もちろんその驚きの中には、純粋な驚愕だけではない。

昨夜、廊下で花瓶の割れる音を聞いた時のことが、二人の脳裏に同時に蘇っていた。

――ああ、あの時か。

その内心を表に出さないまま、リナリーが青ざめた顔で問う。

「ど、どういうこと……?」

アレンは拘束される前から泣き出しそうだった。

「僕……彼が犯人なんじゃないかって思って……昨日……花瓶で……」

そこで、昨日と同じように、金属音が食堂に響いた。

――ガチャン、ガチャンッ!

椅子に腰を下ろした三人の首と手首が、冷たいベルトで一斉に固定される。

アレンの肩がびくりと跳ねる。

「ひっ……」

それを待っていたかのように、スピーカーがジジッと震えた。

『デハ、話し合いを始めてくだサイ』

カチリ。

壁のタイマーが作動する。

30:00

赤い数字が、容赦なく時を刻み始めた。

コムイはアレンを見た。

目には驚き。

声には混乱。

「……もしかして」

一拍置いて、ゆっくりと問う。

「支配人を殺ったのも、君かい?」

食堂の空気が、ぴたりと張り詰める。

アレンは息を呑んだ。

「ち、違います!」

反射的に叫ぶ。

「僕は、支配人の件は本当に知りません! でも……でも、ティキ・ミック卿のことは……!」

アレンは拘束されたまま泣きそうな顔で続ける。

「最初は……ティキ・ミック卿が犯人だと思ったんです……。ジョニーも死んでたし、色々知りすぎてたし、あの余裕も怖くて……! だから、背後から……花瓶で……」

「で、殺したの?」

コムイが問う。

アレンの顔がくしゃりと歪んだ。

「……はい」

もはや“誰が犯人か”なんて話より先に、アレン・ウォーカー自身が危険人物ということになる。

けれど、リナリーの視線は、アレンを見てはいなかった。

コムイもまた、表向きは混乱した顔のまま、頭のどこかで別の計算を始めている。

アレンは息を呑む。

「支配人を殺したのは僕ではありません」

「私目線、支配人をあんな姿にしたのは、あなたたちのどちらかしか居ないのよ。おかしいじゃないの!胸像を運んできたボーイ、そして同じく裏手から入ってきた司会者!」

リナリーが食い気味に言った。

その目は怯えているようでいて、どこか鋭い。

「支配人を殺したのはあなた達のどちらかよ!」

「…僕は…違っ」

アレンの喉が震える。

「仮に支配人を殺ってなくても、あなたは人を殺したのよ」

「ち、違……」

「何が違うの?」

コムイが静かに畳みかけた。

「この妙な機械(ボーガン)といい、アナウンスといい、そんな細工が出来るのは従業員でないと出来ないと思うがね」

淡々とした口調。

けれど逃げ道をひとつずつ塞いでいくような言い方だった。

「僕はもう答えが出てるよ」

アレンは拳を握りしめた。

首も手首も固定され、逃げ場がない。

言葉しかない。

なのに、その言葉がうまくまとまらない。

「ぼ、僕は……!」

「どちらかが、支配人を殺して、新婚さんも殺して、他のふたりまで消した」

リナリーが続ける。

「どちらかしかいないのよねえ」

「僕は違います!!」

アレンの声が、食堂に響いた。

自分でも驚くほど大きな声だった。

コムイとリナリーの目が、一瞬だけ見開かれる。

アレンは荒い呼吸のまま続けた。

「たしかに、僕はティキ・ミック卿を殴りました! それは事実です! でも――」

そこで一度、言葉を切る。

怖い。

喉がひりつく。

それでも言わなければ、ここで終わる。

「僕は絶対に支配人を殺すわけなんかない!前も言いましたけど、僕はお金が欲しいんだから!」

食堂に、一瞬の沈黙が落ちた。

アレンは必死に声を繋ぐ。

「支配人が死ねば給料が貰えるか怪しいのに!! 僕がティキ・ミック卿を殴ったことと、支配人殺しを一緒にしないでください!」

コムイの目が、わずかに細まる。

「……つまり、自分は別件の殺人をしただけで、本件とは無関係だと?」

「“だけ”って何ですか!?」

アレンが思わず叫ぶ。

「僕だって、自分がとんでもないことをしたって分かってます! でも、だからって支配人殺しまで僕がやったことにはなりません!」

リナリーが唇を噛む。

コムイは、なおも冷静を装っていた。

「口ではどうとでも言えるよ」

「口だけじゃありません!」

アレンは叫び返した。

そして、そこで勢いのまま、次の一手を打つ。

「ジョニーが死んでたんです!」

「……え?」

今度こそ、リナリーの顔から色が抜けた。

コムイの眉もぴくりと動く。

アレンは構わず続けた。

「ボーイ兼料理長のジョニー・ギルです! !配電室で頭を鈍いもので殴られて、死んでた!」

「な……」

リナリーが言葉を失う。

「ジョニーの制服、ボタンが一つ無くなってました! 支配人のポケットから出てきたボタンは、ジョニーのものです!」

「それを、どうして今まで黙ってたの!」

リナリーの声がひっくり返る。

「信じてもらえないと思ったからです!」

アレンも負けじと叫び返す。

「おかしいですよね!?昨日、リナリーさんとコムイさんは配電室を捜査してたのに、死体を見たなんて言わなかった! ふたりは本当に気づかなかったんですか!? ジョニーが死んでる事に!」

コムイが口を開く。

「へえ…死んでたんだ…」

低い声。

「それは君にも言えるよね?僕らが出た後に殺した!そうじゃないのかい!?」

アレンが息を詰める。

確かにその可能性もゼロではない。

だが、ここで黙ったら負ける。

「いいえ!素人の僕でもわかる!ジョニーはもっと早く殺されてる!彼は、確かに3周年記念パーティーの準備中まで居ました!胸像だってふたりで運ぶ予定だったんだ!僕は探した、探したけど見つからず、仕方なくひとりで台車を押した」

「それがなんだって言うの?」

リナリーが冷たく言う。

「そもそも、ジョニーが仕事をすっぽかすなんてありえない。彼はその時、もう殺されていたんだ。そう、多分、配電盤に細工するところを見て殺されたんじゃないかな?」

アレンの声が裏返る。

「だから、ラビさんが亡くなったあと、配電室に入った貴方たちが、ジョニーを見てないなんてありえないんです!」

「段ボールの後ろなんて見えるわけないわ!」

リナリーのその一言に、二人の表情がほんのわずかに変わった。

アレンは見逃さなかった。

「やっぱり……!」

喉が鳴る。

「やっぱり、ジョニーのこと知ってるんですね!」

「……何を言ってるんだい?」

コムイが静かに返す。

だが、その静けさが逆にわざとらしい。

アレンはもう止まらない。

「僕はジョニーの遺体が段ボールの後ろにあったなんて一言も言ってない!」

「そ、そんなの、見ればわかるじゃない、あそこには段ボールしか隠せるようなものは無かったし」

リナリーの返しは早かった。

早すぎるほどに。

アレンはその違和感に食いつく。

「“見ればわかる”じゃない! どうしてあなたは最初から“隠せる場所”がどこかって目線で配電室を見てるんですか!?」

「……え?」

「壁際に積まれていた段ボールが壁から離れて不安定に置かれてたんですよ! それなら、段ボールと壁の間に何かあると思うのは当然でしょ!」

リナリーが言葉に詰まる。

その沈黙を、コムイがすぐに埋めた。

「アレンくん、感情的にならずに話そうよ」

「時間が無いのにそんな悠長にしてられません!」

アレンが吠える。

「ティキ・ミック卿もジョニーも死んで、リンクさんも死んだ! なのにあなたたちは、誰がどう死んだかより先に、僕を犯人にしたがってる!」

「当然だろ!?犯人を当てないと生死がかかってるんだ!」

コムイの声はまだ冷静だ。

だが、その冷静さが食堂の空気をさらに張りつめさせた、その時。

――パン、パン、パン。

乾いた拍手が、食堂の入り口から響いた。

全員の視線が、一斉にそちらへ向く。

「はいはい注目」

気だるげで、どこか笑いを含んだ声。

扉の前に立っていたのは、ティキ・ミックだった。

頭部にはまだ包帯が巻かれ、顔色も万全とは言いがたい。

それでも、その口元にはいつもの不敵な笑みが浮かんでいる。

コムイとリナリーの顔が、まるで鳩が豆鉄砲を食らったみたいに固まった。

アレンが絶叫する。

「遅いですよ!!」

ティキは肩をすくめた。

「ごめんねえ。頑張る少年が可愛くて、つい見入っちゃってた」

「見てたんですか!?」

「うん」

さらりと答える。

その余裕が、逆に食堂の空気を不穏にした。

ティキはゆっくりと歩み寄ると、懐から折り畳まれた紙束を取り出し、テーブルの上へ放った。

七年前の港湾開発反対派夫婦死亡事故に関する資料。

関係者メモ。

燃え残りの紙片。

そして、破れた控え。

「答え合わせといこうか」

低い声。

だが、それだけでは終わらない。

ティキはさらに、懐から一本の鞘付きナイフを取り出した。

「……っ!」

アレンが息を呑む。

ティキはそのまま、ゆっくりと鞘を引き抜いた。

銀色の刃が、食堂の照明を受けて冷たく光る。

そして、誰も止める暇もなく、ティキはリナリーの背後へ回り込んだ。

「な――」

リナリーが目を見開く。

次の瞬間、ティキの腕が彼女の肩口を押さえ、刃の先が白い首筋へぴたりと添えられた。

「やっ……!」

リナリーの喉がひきつる。

だが、ティキの視線は彼女ではなく、隣のコムイへ向けられていた。

その目は笑っていない。

「今すぐ、このボーガンを引っ込めろ」

食堂の空気が凍る。

「でないと、妹の首を掻っ切るぞ」

「いもうと!?」

アレンの素っ頓狂な叫びが響く。

ティキは薄く笑ったまま、刃先をわずかに押し当てる。

「ああ。このふたりは他人のフリをしていたが、七年前のあの夫妻の子供だ。いやあアジア系の顔はみんな同じに見えるから分かんなかったなあ」

「な……」

アレンの顔が真っ青になる。

コムイは一瞬だけ表情を消した。

ほんの一瞬。

だが、その空白だけで十分だった。

ティキはその反応を見逃さず、さらに低く言い放つ。

「さあ。今すぐだ。止めろ」

刃がぐっと食い込む。

リナリーの首筋に、細く赤い線が浮かび上がった。

「っ……!」

リナリーの肩が震える。

「それ」

ティキは顎をしゃくった。

「リモコンだろ?」

コムイの右手は、テーブルの陰でわずかに動いていた。

まるで無意識に隠すみたいに、小さな装置を手のひらへ収めている。

「こっから見えてんだよ」

食堂の沈黙が、今度は別の意味で張りつめた。

アレンは拘束されたまま目を見開き、コムイを見つめる。

リナリーは息を浅くし、刃の冷たさに全身をこわばらせている。

ティキだけが、少しも揺らがない。

「ボーガンを止めろ、コムイ」

その声音には、もはや軽さの欠片もなかった。

「それとも、妹の血で最後を飾るか?」

「やってみるがいい。その時はこのボーガンで……」

ボーガンがゆっくりと回転を始める。

切っ先が、アレンの正面でぴたりと止まった。

「彼を貫いてあげるよ」

「え!?」

アレンの顔が引きつる。

だが、ティキはふっと笑った。

「……それ、脅しになると思ってる? 少年が死んでもオレは痛くも痒くもないよ。やりたきゃやれよ」

言いながら、ナイフをさらに押し込む。

リナリーの白い首に食い込んだ刃先から、滲む程度だった血が、ついに水滴となって肌を伝った。

「兄さん!」

その悲鳴に、コムイの顔が歪む。

「くっ……!」

次の瞬間、ボーガンは机の中へと引っ込み、壁のタイマーも停止した。

静まり返る食堂。

ティキはすぐにリナリーから身を離し、素早くコムイのもとへ踏み込む。

その手首をひねり上げ、小さなリモコンを奪い取った。

「よく作ったね、これ。ひとりで作ったの?」

「ああ、そうだね」

「すごいね! この技術、会社に欲しいくらいだよ」

「……」

コムイは答えない。

ティキはリモコンを弄びながら、二人を見比べた。

「君たち、復讐したいだけだったんだよね? それとも、皆殺ししたかったの?」

コムイが低く吐き捨てる。

「復讐は、とっくに終わってた。……でも、終わったあとで分かったんだよ。僕たちはもう、止まれなくなってた」

「それじゃあ皆殺ししたかったってことでいいね?」

ティキは鼻で笑い、すぐに矛先を変えた。

「関係ない新婚さんまで殺して。アレさ、どうして殺したの? 見られちゃまずいもんでも見られた?」

コムイは黙っていたが、代わりにリナリーが震える声で吐き出した。

「あの男に、聞かれたのよ……! リネン室の前で、私たちの話を……! あそこで黙って見逃したら、全部終わってた!」

食堂がしんと静まる。

「へー」

ティキの声には、感情がなかった。

「結果、関係ない人が二人も死んで、お前らがやったこと、シェリルがやったことより酷くね?」

その言葉に、リナリーの顔がぐしゃりと歪む。

だが、先に声を上げたのはコムイだった。

「うるさい!」

鋭い怒声。

「僕たちは奪われた側だ! あいつらみたいに、最初から楽しんで人を踏みつけてきたわけじゃない!」

ティキはしばらくその顔を眺め、それから薄く笑った。

「へえ……まあいいや。過ぎたことだし」

そう言って、コムイの頬をナイフの腹でぺちぺちと軽く叩く。

「ところで、犯人はお前らだって分かってんだけど、探偵みてぇなことした方がいい?」

「僕は知りたいです!」

アレンが即答した。

ティキはちらりと横目で見た。

「少年に聞いたわけではないんだけどな……。仕方ない。頑張ってくれたし、教えてやるよ。さてどこから話そうか……」

ティキはコムイの頬をナイフの腹で軽く叩きながら、わざとらしく考える素振りを見せた。

「まあ、順番にいこうか」

食堂に落ちた沈黙の中、その声だけが妙に澄んで響く。

「全部の始まりは七年前だ」

アレンがごくりと唾を飲み込む。

ティキは続けた。

「港湾開発反対派の夫婦が、“事故”で死んだ。海岸道路から車ごと転落してね。新聞にも、そう載った」

彼はそこで一度、薄く笑う。

「でも、あれは事故じゃない。殺しだった」

リナリーの肩がぴくりと震えた。

コムイは、もう取り繕うことすらやめた顔でティキを睨んでいる。

「車のブレーキ系統には細工があった。あの夫婦は当時、港湾開発の違法性をしつこく追ってた。土地の不正取得、裏金、証拠隠滅。そういう“見られちゃ困ること”を、だいぶ掴んでたんだろうね」

ティキの口元から、笑みが消える。

「だから殺された」

アレンの顔が強張る。

「主犯格として最初に名前が浮かんだのが、シェリル・キャメロット。俺の兄だ」

その一言に、食堂の空気がさらに重く沈む。

「けど兄貴は無罪になった。証拠不十分ってやつさ。まあ、最初からそうなるように誰かが頑張ったんだろうけど」

ティキはそこで、シーツのかかったリンクの死体へ顎をしゃくった。

「で、控訴され、再調査が入ったあと、今度は別の男が逮捕された。そいつは無実だ。だが、都合のいい犯人として起訴されて、今も服役してる」

アレンが小さく息を呑む。

「その流れを作るために、兄貴は金を使った」

ティキの声が低くなる。

「証拠を消すために一人。捜査を曲げるために一人」

ナイフの切っ先が、テーブルの上の資料を軽く叩く。

「ブックマンJr――ラビは、反対派住民が持っていた権利書類や、開発側の違法取引を示す証憑の一部を盗んだ」

「……っ」

アレンの喉が鳴る。

「あいつが盗んだから、証拠は消えた。事故は“事故らしく”なった。兄貴にとっては、ずいぶん助かったろうね」

ティキは次に、食堂の中央を見た。

そこにはもうボーガンは沈んでいるが、その気配だけはまだ残っている。

「ハワード・リンクは、捜査を捻じ曲げた。証拠不十分で逃げた兄貴を、その後も守る代わりに、自分も甘い汁を吸い続けてた。後始末。揉み消し。必要なら別の人間に罪をかぶせる。そういう役目だ」

コムイが静かに吐き捨てる。

「随分、詳しいね」

「そりゃ詳しいさ」

ティキは笑った。

「一昼夜調べたからね」

そして、ふっとその笑みが薄れる。

「七年前に死んだあの夫婦には、子供がいた」

アレンが目を見開く。

「何人いたのかは、最初俺も知らなかった。けど、調べれば分かる。他人のフリして、うまく潜り込んでたみたいだけどね」

ティキの声には、また冷たい皮肉が戻っていた。

「こいつら二人が、その子供だ」

食堂に、しん、とした沈黙が落ちた。

「兄貴を殺し、ラビを死なせ、リンクまで処理した。ここまでは、七年前の復讐として筋が通る」

アレンが震える声で言う。

「関係ない神田さんたちまで……」

その言葉に、リナリーの睫毛が大きく揺れた。

ティキはその小さな反応すら見逃さない。

「長髪の男――神田ユウは、たまたま聞いちまって殺された。あの屈強そうな男が簡単に殺られるわけないだろうから、薬か何かを使ったんだろう」

リナリーの唇がわななく。
コムイは何も言わない。

「そして、女は、後を追った」

アレンの顔が歪む。

「結果、関係ない人間が二人死んだ」

ティキの声は平坦だった。

平坦すぎて、逆に重い。

ティキは奪ったリモコンを軽く揺らしてみせる。

「ボーガン、拘束椅子、館内放送。よく出来てる。復讐っていうより、もう半分は舞台装置だ」

コムイがそこでようやく口を開いた。

「……だから、何だっていうんだ」

低い、押し殺した声。

ティキは薄く笑う。

「だから、って?」

その目は笑っていない。

「関係ない人間まで巻き込んで、殺して、脅して、選ばせて。そこまでやったら、もう“可哀想な被害者の復讐”じゃ済まねえよ」

アレンの視線が、コムイとリナリーの間をさまよう。

彼の中で、ようやく全部が一本に繋がっていく。

七年前の事故。
シェリル。
ラビ。
リンク。
そして、今ここにいる兄妹。

ティキはナイフをくるりと返し、柄を軽く握り直した。

「……さあて」

食堂をゆっくり見回す。

「ここまでは、動機の話だ。次は、どうやって兄貴を殺して、どうやってこのゲームを回したのか――」

ティキはそこで肩をすくめ、ナイフの切っ先で軽く空をなぞった。

「ここからは俺の想像が混じるが、だいたい合ってると思う。まず、チェックイン後、兄の方は三周年記念パーティーの司会の打ち合わせのため、シェリルの執務室へ行った。この時、中から兄貴が声を荒らげたあと、給料の前借りを頼みに行った少年が出てきてすれ違った」

アレンがびくりと肩を揺らす。

ティキは構わず続ける。

「その後、執務室で打ち合わせをしつつ、大浴場に誘い出し……」

そこで、ふいに言葉を止めた。

そして、“ねえ?”とでも言いたげに、コムイの顔を覗き込む。

「あの兄貴を、なんて言って大浴場に連れ込んだのさ」

コムイはしばらく黙っていたが、やがて低く吐き捨てるように言った。

「写真を見せたのだよ。あの刑事に金を渡している所のね。これが風呂場にまだ落ちてると」

ここで、スピーカーから機械の声が。

『 時間にナリマシタ。犯人はダレデスカ?』

「ああ、これ、テープだったな」

ナイフの先でスピーカーを指さす。

「すごい手が混んでるね。わざわざ時間計って収録したの?」

コムイはティキを無視する。

『 犯人はダレデスカ?早く答えを出さないとシニマスヨ』

本来ここで、ボーガンが回り始めるのだろう。

『 ファイナルアンサー?』

一行は誰も話さず、一方的に喋る機械の声に耳を傾けた。

『 ピンポンピンポンピンポーン!正解です!』

ここで、リナリーが目を大きく開けてコムイを見る。

「兄さん!死ぬ気だったの!?」

コムイは何も言わない。

代わりにティキが答える。

「罪を全部ひとりで背負って死ぬつもりだったんだね。彼の部屋にこれがあった」

外ポケットから封筒を取り出し、スっと机の上を滑らせるようにしてリナリーの前に置いた。

そこには遺書と書かれていた。

「悪いけど先に読ませてもらったよ。そこには全部ひとりでやったと書いてあったぜ」

リナリーの指先が、震えるが拘束されていて封筒を開けられない。

「……なんで」

掠れた声だった。

「なんで、そんなもの……」

コムイは答えない。

正面を向いたまま、口を閉ざしている。

ティキはそんな兄を一瞥し、鼻で笑った。

「格好つけたかったんだろ。妹だけは生かして、自分だけ“全部背負った兄”で終わるつもりだった」

リナリーの顔がくしゃりと歪む。

「ふざけないで……」

その一言に、ようやくコムイの睫毛がかすかに揺れた。

「勝手に終わろうとしないでよ……!」

食堂に、彼女の震えた声が響く。

「じゃあ続きを話すから聞いててな」

ティキは、ぐずぐずと崩れかけた兄妹を一瞥しただけで、容赦なく続きを口にした。

「そうやって大浴場に連れ出す。掃除中の札を下げて、人払いを済ませる」

軽い口調なのに、言葉の中身だけが冷たい。

「で、ロープで首を締める。シェリルが死んだあと、そのロープで手足を縛って、事前に用意してた斧で首を落とす。胴体はそのまま浴槽へ沈める」

アレンが青ざめる。

ティキは構わず続けた。

「着替えと斧は、執務室で打ち合わせしてる間に妹が運んだのかな。うん、たぶんそうだ。」

リナリーの唇が震えたが、もう口を挟めない。

「それから、頭の血抜きのためにしばらく大浴場に残った」

ティキは指先で自分の首筋をなぞった。

「そうじゃなきゃ、あとで胸像に据えた時に血が垂れて面倒だ。あれだけ綺麗に見せたかったなら、そこは雑にやってないはずだ」

食堂の空気が重く沈む。

「次は胸像だな」

ティキがテーブルの周りを歩き出す。

「バックヤードへの出入口付近に置かれてた、三周年記念の記念品。あれを使うって発想は悪くない。悪趣味だけど」

コムイは視線を逸らさない。

だが、その沈黙は肯定よりも雄弁だった。

「ただ、ここは少し面倒だったはずだ」

ティキはゆっくりと食堂の構造を見回す。

「少年たちが、そこをひっきりなしに通るからな。あんなもん、そう悠長に細工してられない」

アレンがはっと顔を上げる。

「そういえば、その時間帯――忙しくて忘れてましたけど」

アレンがはっとしたように顔を上げた。

「僕、リナリーさんに“部屋にゴキブリが出た”って苦情を受けて、退治に行ったんです。結局いなかったですけど……かなり長い時間、拘束されました」

ティキがゆっくりとリナリーを見る。

「へえ……なるほど」

その口元が、薄く歪む。

「それなら、その間に兄の方がジョニー・ギルを何らかの方法で気絶させ、たまたま近くにあった配電室へ運び込む。そうして時間を稼いで、その隙に胸像の頭部を壊した――ってところか」

ティキは顎に指を当てた。

「にしても、綺麗に頭部だけ壊せたよな。何を使ったんだ?」

「なんでもいいでしょ」

答えたのはコムイではなく、リナリーだった。

一瞬の沈黙。
ティキは困ったように笑う。

「兄に聞いたんだけどな」

その一言に、リナリーがティキを睨む。

ティキはもう止まらない。

「で、壊した胸像にシェリルの生首を据える。」

ナイフの切っ先で、テーブルの上を軽く叩く。

「次に配電盤だ」

アレンの表情が強張る。

ティキは言葉を継ぐ。

「除幕の一瞬だけ会場を真っ暗にするために、停電を仕込みに行く。でもさ、これ、やる必要あった?」

「……っ」

「シェリルの生首を胸像にすり替えるだけなら、別に停電なんかいらない。お前らがやりたかったのは、証拠隠しでも時間稼ぎでもない」

ティキは鼻で笑った。

「ただ“それっぽく”したかったんだろ。惨劇の幕開けを、もっと芝居がかったものに見せたかった。つまり――ただの演出だ」

リナリーの睫毛がわずかに震えた。

「その時だろうね。ジョニー・ギルが目を覚ましたのは」

食堂の空気が、またひとつ冷える。

「配電盤をいじっているところを見られた。だから兄の方は、手に持っていたレンチをそのままジョニーの頭に振り下ろした。」

コムイは無言だ。

だが、その沈黙にはもう余裕がない。

「そのあとのジョニーは、知っての通り配電室の段ボールの後ろだ」

アレンが唇を噛む。

ティキはそこで一度、視線を執務室の方角へ向けるように斜めへ流した。

「で、ふたりはパーティーが始まるまで自由に動ける。兄貴の執務室で“探し物”をする」

「探し物?」

アレンが呟く。

「七年前の件に繋がる証拠か、兄貴が隠してた何かだろ」

ティキは肩をすくめる。

「そこへ、ハワード・リンクが来たんじゃないか?」

コムイの目が、わずかに細くなる。

ティキはその変化を見逃さない。

「ノックの音がして、ふたりは慌てて執務室内のトイレに隠れる。で、ハワード・リンクが入ってくる」

そこで、ティキは口元だけで笑った。

「ハワード・リンクはそりゃ驚いただろうね。自分が荒らす前に、部屋がもう散らかってるんだから」

アレンが息を呑む。

「リンクさんは、そこで何かに気づいた……?」

「気づいただろうね」

ティキは即答した。

「少なくとも、“誰かが兄貴の部屋で必死に何かを探していた”ことくらいは。彼(ハワード・リンク)には絶対に人に知られたくない秘密があった。そう、兄貴から金を貰っていたこと、それに関する証拠を隠滅しに来た」

ティキはそこで紙片を二枚手に取った。

片方は端が焦げ、もう片方は乱暴に引き裂かれている。

それを、まるで最初からひとつの紙だったと知っている人間みたいな手つきで、ぴたりと重ね合わせた。

「現にこの破れたメモ、リンク刑事に一千万。これだね。」

と破れたメモとメモを合わせて、皆に見えるように持ち上げた。

「名前が書かれていた方のメモはハワード・リンクのポケットの中に入っていた」

目線をシーツを被せられたハワード・リンクにやる。

「その後、館内放送に細工をし、そして、パーティーが始まる……。ここは割愛する」

ティキはそこで一度だけ鼻で笑った。

停電も放送も拘束椅子も、説明しようと思えばできる。

けれど彼にとってはもう、そんなものは“真相”ではなく、悪趣味な飾りつけに過ぎなかった。

「兄貴の胸像を見たあと、俺たちは10分間の捜索を強いられた。いやあ、短すぎて真相にたどり着けるわけないよ」

やれやれのポーズのティキ。

「俺は兄貴の執務室で血のついたレンチをその時見た。きっとジョニー・ギルを殴った時の凶器だろうね」



つづく。2026/04/06

あれれ?このページで収まるはずだったのに:(っ`ω´c): グヌヌ
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