おばちゃんエクソシストの成長
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第11話。
霧に包まれた小さな野営地には、再びパチパチと爆ぜる固形燃料の音だけが残された。
トシコは脱いだ下着をすぐに携帯桶で近くの沢で洗い終えると、テントの脇に張った細い洗濯紐へと手際よく干していく。
白く深い夜霧の中で、3人分の下着がパタパタと静かに揺れていた。
アレンの四角いパンツ。
教団から支給された神田の機能性パンツ。
そして――それらの間で、夜風をはらんでパタパタと揺れている、おばちゃんの下着。
「……おい」
低い地響きのような声が、夜の静寂を震わせた。
声の主は神田だった。
彼は腕を組んだまま、その洗濯紐を、殺気すら帯びた眼光で睨みつけている。
自分の視界の真っ正面、しかも支給品パンツのすぐ横で、トシコのパンツがパタパタと舞っているのが、どうしても気に入らない――
というか、正直に言えば、さっきの着替えの瞬間に嫌でも目に入ってしまった半年間で劇的に引き締まったトシコの背中と、しなやかな身体のラインの残像が脳裏から離れず、気になって仕方がなかったのだ。
「おい、テメーの違うところに干せよ」
動揺を隠すように、神田はいつも以上に眉間の皺を深くした。
すかさず、鍋の片付けをしようとしていたトシコが、やれやれと大袈裟にため息をついて振り返る。
「『テメー』じゃなくてトシコさんだろ? おばちゃんでもいいけどねぇ」
腰に手を当て、じとっとした目を向けるトシコに、神田はさらに顔を顰めた。
だが、一度へこまされている神田は、チッと激しい舌打ちを挟みつつも、不本意そうに言葉を言い直す。
「……ババア。あっちに干せ」
呼び方はババアに退化したものの、一応「テメー」は引っ込めた神田に、トシコは「やれやれ」と首を振った。
「すまないねぇ、私としたことがうっかり。さっき坊やたちを『年頃の男の子』だと言ったばかりなのにさ……」
トシコは独り言のようにつぶやきながら、自分の下着へ向けてのんびりと手を伸ばす。
「こんなおばちゃんの下着でも、若い兄ちゃん達には刺激が強すぎたかい? ご褒美になっちまって悪かったねぇ」
ピキっ。
静かな山の夜に、確かにそんな音が響いた。
神田の額に、青筋が鮮やかに浮かび上がる。
「何が褒美だ! 毒だ毒!!」
怒髪天を突いた神田が、ついに限界を迎えて六幻の柄に手をかける。カチリ、と不穏な金属音が霧を割った。
「わーーーっ! 神田、やめてください! 抜刀しないで! トシコさんも、神田をからかって遊ぶのはそこまでにしてください!!」
アレンが慌てて両手を広げて神田の前に飛び出す。
「うるせぇモヤシ、そこをどけ! そのババアごと一刀両断にしてやる!!」
「そんなことで六幻を抜かないで! ああもう、トシコさん早くそれ片付けて!」
――その時。
風が、ピタリと止んだ。
パタパタと鳴っていた下着の音が消え、辺りは不気味なほどの静寂に包まれる。
直後、アレンの左目がギリ……と鈍い音を立てて疼き始めた。
「――っ! 神田、トシコさん!」
アレンの顔から一気に血の気が引く。
深い夜霧の向こう――村の子供たちが「青白くふわぁって光る」と言っていた、あの山の奥、古い炭鉱の方角から。
キィィィィン……。
突然、鼓膜の奥を直接針で刺されたような、不快な高音が響いた。飛行機が急激に高度を下げた時のような、頭の芯が圧迫される強烈な耳鳴り。神田はチッと小さく舌打ちをしてこめかみを押し、アレンは顔をしかめて一歩退いた。
だが、異変はそれだけでは終わらない。
山の木々を揺らしていた夜風が、まるで世界から音が消え去ったかのように、ピタリと止んだのだ。
「……空気が変わった!」
トシコがハッと息を呑み、周囲の濃霧を鋭く見つめる。
その濃霧がすごい速さで消えていく。
肌が本能的な危険を察知して総毛立っていた。
「ババアでも感じたか」
神田が低く応じる。
村人たちには何も聞こえていないはずの静寂。
しかし、適合者である彼らにだけは、山全体が"別の何かに変質した"ことが明確に伝わっていた。
「ぐっ……!!」
不意に、アレンが短い悲鳴を上げてその場に膝をついた。
左手で顔の左側をキツく覆う。
その指の隙間から、彼の左目がギリギリと軋むような、鈍く不気味な音を立てて疼き始めた。
「もやし!?」
「――強い……かなり強い……! 奥から、凄まじい量のダークマターを感じます……っ!」
額に脂汗を浮かべ、呼吸を荒くするアレンの姿に、トシコはなりふり構わず駆け寄ってその肩を抱きしめた。
「ボクちゃん! 大丈夫かい!?」
「だ、大丈夫、です……っ」
「痛いところがあるなら、私が今すぐ治してあげるよ!? どこだい、どこが痛むんだい!」
必死に自分の力を分け与えようとするトシコの手を、アレンは痛みに耐えながら、優しく、強く押し戻した。
「大丈夫ですからっ、これは……これは怪我じゃないんでっ……!」
トシコの"ピエタ"の力でも、この呪われた左目の痛みだけは消せない。
それが分かっているからこその、アレンの必死の拒絶だった。
その時――。
ザワザワと草木の葉が擦れる音が、深い霧の向こうから近づいてきた。
三人の視線が、一斉に音の方角へと向けられる。
ランタンの鈍い灯りが、這い出てきた二つの小さな人影を映し出した。
「あ……」
トシコが声を漏らす。
それは、昼間にアレンが村で言葉を交わした、あの幼い兄妹だった。
だが、その様子は明らかに異常だった。
二人はうつろな目で、子供とは思えない速さで、斜面を上がっていく。
妹の方は、お気に入りのうさぎのぬいぐるみを片手にだらりと抱えたままだ。
何より異様なのは、二人とも靴を履いていなかった。
鋭い小石や枝が転がる夜の山道を、裸足のまま歩いてきたのだ。その足元は、泥と、擦り切れた傷から流れる血でドロドロに汚れていた。
子供たちの耳にだけは、あのキーンという不快な金属音が、全く別の音に聞こえている。
優しく、温かく、どこか生気のない、頭の裏側に直接響いてくるような不気味な声。
『おいで……こっちへ、おいで……』
「ちょっと、あんたたち! こんな夜中に、一体どうしちまったんだい!」
トシコがたまらず叫び、我を忘れて兄妹の元へと駆け寄った。
子供たちの泥まみれの小さな身体を両腕で引き止めようと、その肩をがっしりと掴む。
「目を覚ましな! お家に帰るんだよ!」
しかし、兄妹はピクリとも表情を変えなかった。
ただ、トシコの手が触れた瞬間。
「――えっ!?」
幼い子供のものとは到底思えない、大の大人が数人がかりでも敵わないような、凄まじい力がトシコを襲った。
兄妹がただ、邪魔な障害物を退けるように腕を小さく振るっただけで、トシコの身体は木の葉のように宙に浮き、そのまま後ろへと激しく吹っ飛んだ。
「うわっとっと……!」
尻もちをつき、湿った地面をごろごろと転がるトシコ。
霧が一斉に晴れ渡った月光の下、そこが長い急斜面の縁だということが、嫌でも視界に飛び込んでくる。
「うわあぁぁぁっ……!?」
「トシコさぁぁぁぁん!」
制止するアレンの悲鳴をはるか頭上に聞きながら、トシコの身体は斜面を転がり、生い茂る草木をなぎ倒しながら、容赦なく激しく落ちていった。
「トシコさん!」
アレンの叫び声が響く中、神田の目が一瞬で据わった。
すでに六幻の柄を握る手には、これ以上ないほどの殺気が漲っている。
トシコを跳ね飛ばした兄妹は、まるで最初から誰もそこにいなかったかのように、再び炭鉱の暗闇へと向かって、泥まみれの足を進め始めるのだった――。
つづく、2026/07/05