おばちゃんエクソシストの成長
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第10話
三人は、村人から聞き出した古い炭鉱を目指して山へ入った。
昼間の山は静かだった。
鳥の声が響き、木漏れ日が足元を照らす。
「思ったより普通の山ですね」
アレンが周囲を見回す。
「油断するな」
神田は短く返した。
そのまま三人は歩き続ける。
一時間。
二時間。
地図では、もう炭鉱へ着いていてもおかしくない。
しかも、辺りはもう薄暗い。
「……おかしいねぇ。」
トシコが足を止めた。
「同じ杉の木、さっきも見た気がするよ。」
神田が辺りを見回す。
「霧か。」
いつの間にか白い霧が山を覆い始めていた。
視界は十メートルもない。
木々の輪郭すら曖昧になっていく。
「神田。」
アレンが低く言う。
「これ以上進むのは危険かもしれません。」
「関係ねぇ。」
神田は六幻へ手を添えた。
一歩踏み出そうとした、その時。
ガシッ。
後ろから神田の団服が掴まれた。
「待ちな。」
トシコだった。
「夜の山を舐めるんじゃないよ。」
その声は、今までになく真剣だった。
「昼間の山と夜の山は別モンだ。霧が出た山で焦って歩く奴から死ぬ。」
「……」
道に迷う。
崖から落ちる。
沢へ滑る。
体力を使い切る。
「AKUMAより先に山に食われるよ。」
神田は黙る。
トシコは巨大なリュックを下ろした。
「今日はここで野営。」
「……はぁ?」
神田が眉をひそめる。
「今から?」
「今だからだよ。」
そう言うなり。
ガチャ。
ガチャガチャ。
リュックの中から、信じられない量の道具が飛び出してきた。
折りたたまれたポール。
軽量ペグ。
防水シート。
超軽量テント。
折りたたみランタン。
着火マン。
固形燃料。
「……何だその荷物。」
神田が呆然と呟く。
「おばちゃん舐めんじゃないよ。」
トシコは鼻を鳴らした。
「山へ入るなら、家ごと背負って入るのが基本だよ。」
「聞いたことねぇ。」
「今日覚えな。」
ものの十分。
僅かな山の平地に、小さな野営地が完成していた。
テントが張られ。
雨避けのタープが設置され。
焚き火代わりの固形燃料へ火が灯る。
「あとは……。」
トシコは小鍋を取り出した。
乾燥野菜。
干し椎茸。
鶏ガラスープ。
干し肉。
じゃがいも。
「こういう時はねぇ。」
ぐつぐつ。
鍋から湯気が立ち上る。
「温かいもん食べるのが一番なんだよ。」
辺りへ、優しい匂いが広がった。
アレンのお腹が鳴る。
「……あ。」
顔が真っ赤になる。
トシコは笑った。
「いい音だ。」
木製カップへ、具沢山のスープを注ぐ。
「はい、ボクちゃん。」
「ありがとうございます……!」
アレンは一口飲み。
目を見開いた。
「……おいしい。」
二口。
三口。
「すごく、おいしいです……。」
その声は少し震えていた。
冷え切った体へ、じんわりと熱が染み渡る。
トシコはもう一杯よそる。
「ほら、神田の兄ちゃん。」
神田は腕を組んだまま動かない。
「いらねぇ。」
「もうよそったからお食べ。パンもあるよ」
「勝手にするな。」
「冷めるよ。」
神田は舌打ちした。
「……チッ。」
渋々受け取る。
一口。
「…………」
無言。
もう一口。
さらにもう一口。
気付けば、黙々と飲み続けていた。
トシコがにやにやしながら覗き込む。
「どうだい?」
「……普通だ。」
神田のスプーンは止まらない。
アレンが小さく笑う。
「神田、おかわりしますか?」
「……」
神田は答えない。
空になったカップを、トシコへ無言で差し出した。
「はい、おかわり一丁!」
トシコが勝ち誇ったように笑う。
山の夜は冷える。
霧は濃い。
それでも、小さなテントから漏れる灯りと湯気だけは、まるで家へ帰ってきたような温かさだった。
神田はぼそりと呟く。
「……ババア。」
「なんだい?」
「その荷物。」
「うん?」
「少しだけ……役に立つ。」
トシコは目を丸くした。
次の瞬間。
満面の笑みになる。
「聞いたかいアレンちゃん!」
「はい!」
「今、神田の兄ちゃんがおばちゃんを褒めたよ!」
「褒めてねぇ。」
「照れるな照れるな。」
「照れてねぇ。」
山の静寂の中。
神田の舌打ちと、おばちゃんの笑い声だけが、小さく響いていた。
食事の後。
温かいスープで腹も体も落ち着き、霧に包まれた山中の野営地には、ようやく少しだけ穏やかな空気が流れていた。
アレンはカップを両手で包み、ほう、と幸せそうに息をついている。
神田は少し離れた場所で、相変わらず不機嫌そうに黙っていた。
そんな二人を、トシコがじっと見た。
そして、ズバリと言った。
「そういや、あんたら、下着の替えは持ってきてるのかい?」
「……え?」
アレンが固まった。
大きな目をぱちりと開いたまま、完全に動きが止まる。
神田は何も答えず、ふいっとそっぽを向いた。
ついでに耳をほじり始める。
トシコの目が、すっと細くなった。
「その様子じゃ、持ってきてないね?そんなこったろうと思ったよ」
「……」
「……」
返事はない。
だが、沈黙というものは、時に何より正直である。
トシコは深いため息をつくと、巨大なリュックをごそごそ漁り始めた。
「まったく、若い男どもはこれだからねぇ……」
ガサゴソ。
「山を歩くってのは、戦うことだけじゃないんだよ。汗もかく、泥もつく、冷える、蒸れる。下着と靴下は命綱なんだよ」
そう言いながら、トシコは新品の男物下着を取り出した。
「おらよ、ポニテ魔人」
ぽーん。
神田には、野球の投手のように上から容赦なく投げつける。
神田は反射的に受け取った。
手の中のそれを見て、眉間に深い皺が刻まれる。
「……てめぇ」
だがトシコは気にしない。
もう一枚を取り出すと、今度は顔も声も、急にふにゃりと柔らかくなった。
「はい、次はボクちゃんだよ~」
ふわっ。
アレンには下から、ほわっと優しく投げてやる。
まるで洗いたてのタオルでも渡すような丁寧さだった。
アレンは両手でそれを受け止め、目を大きく開いた。
ぱち。
ぱち。
何度も瞬きをする。
「あ、あの……ありがとうございます……?」
「どういたしましてぇ。」
その扱いの差に、神田がむっとした顔になる。
「……俺と扱いが違ぇな」
「当たり前だろ。ボクちゃんは全てが素直で可愛い」
「うるせぇ」
「アンタはわたしが投げる前から殺気が出てるんだよ、ポニテ魔人」
「出してねぇ」
「出てるよ。下着に向ける目じゃないよ」
トシコはさらにリュックを漁った。
今度は、折りたたみ桶。
携帯石鹸。
洗濯紐。
そして、自分用の替え下着まで取り出す。
「洗ってやるから、着替えな」
アレンの顔が、ぼんっと赤くなった。
「えっ、ここでですか!?」
「ここでだよ。山の中に更衣室があると思うのかい」
「そ、それは……そうですけど……!」
「何してんだい? 早く着替えな」
二人が動かないので、トシコは桶を広げながら、説教の顔になった。
「いいかい。股まわりってのはね、汗をかく。蒸れる。擦れる。山歩きなんかした日には、汗、皮脂、泥、繊維の摩擦で皮膚のバリアが弱るんだよ」
神田は露骨に嫌そうな顔をする。
アレンは真っ赤になりながらも、なぜか真面目に聞いていた。
「不潔な下着を履きっぱなしにしてごらん。汗疹、接触皮膚炎、毛嚢炎、股部白癬、カンジダ性皮膚炎、細菌性皮膚感染症。そこへ黄色ブドウ球菌、大腸菌、白癬菌が、これ幸いと住み着くんだよ!下手したら死ぬんだよ!」
「……」
専門用語の圧が強すぎて、神田が黙った。
「股部白癬ってのは、いわゆるインキンだよ!」
「言うな!!」
「言うよ! あんたらはそんなこと知らなさそうだからね!」
トシコはびしっと指を立てる。
「それにね、清潔ってのは自分だけの問題じゃないんだよ。将来、チョメチョメする相手ができた時、どうすんだい?感染すのかい?クラミジア、淋菌、梅毒トレポネーマ、性器ヘルペス、尖圭コンジローマ。そういうものはそれぞれ感染経路があるけどね、そもそも清潔にする意識がない男は、その前に信用をなくすんだよ」
アレンは真っ赤になって、両手をぶんぶん振った。
「そ、そういう予定はありません!」
神田も耳まで赤くして怒鳴る。
「しねぇよ!」
トシコは二人をじとっと見た。
「……年頃の男なんだから、いつその気になるか分からないんだよ」
「ならねぇ!」
「僕は、あの、その、分かりましたから!」
「いいや、今ここで覚えな!」
トシコはきっぱりと言い切った。
「清潔は礼儀! 清潔は健康! 清潔は未来の誰かへの思いやり! 下着と靴下は毎日替える! これは人として基本だよ!」
そして、桶と石鹸を地面に置く。
「モタモタしてると脱がすよ!」
トシコの目が据わっている。
「わーーーーー!」
アレンが悲鳴を上げた。
「分かりました! 分かりましたから! あっち向いててください!」
「チッ」
神田も渋々立ち上がる。
トシコは手をひらひら振った。
「はいはい。おばちゃんも着替えるから、あんたたちもあっち向いてな」
三人は、それぞれ背を向けた。
霧に包まれた山中。
失踪事件を追う任務の途中。
なぜか野営地には、妙に気まずい沈黙と、衣擦れの音だけが響く。
ごそごそ。
がさがさ。
「見るんじゃないよ」
「見ねぇよ」
「僕も見ません!」
「偉いよ、ボクちゃん」
「俺には言わねぇのか」
「アンタは信用ならないからね、ポニテ魔人」
「……斬るぞ」
「はいはい。前科ある人に言われてもねぇ」
また沈黙。
ごそごそ。
がさがさ。
少しして、神田が不機嫌そうに言った。
「……おらっ、着替えたぞ。これでいいんだろ?」
そう言って、うっかり振り返った。
「あん?」
トシコは、ちょうど自分の新しい下着を上げているところだった。
完熟ケツがさようならしようとしている。
その体勢のまま、顔だけを神田へ向ける。
おばちゃんは神田には何故か見られても平気。
まるで銭湯の脱衣所で、近所のおばちゃんが振り返っただけのような、堂々たる生活感だった。
「そこ、置いときな」
神田が固まる。
「……」
「洗っとくから」
「……」
以前、ファインダーたちの前でズボンが落ちた時は、あれほど恥ずかしがっていたくせに。
今のトシコは、まるで何でもない顔をしていた。
恥じらいではなく、日常。
色気ではなく、圧。
むしろ神田の方が、じわじわと顔を赤くした。
「……チッ」
神田はすぐに前を向く。
その耳が、明らかに赤い。
アレンはきちんと背を向けたまま、妙な沈黙に気づいて小声で言った。
「……神田、どうかしました?」
「何でもねぇ」
「でも、声が変ですよ?」
「黙れモヤシ」
アレンはもちろん振り返っていない。
ただ、神田の声が明らかに動揺していたので、何か起きたことだけは察した。
トシコはけろりとした顔で着替えを終える。
「はいはい、終わり。汚れたのは桶に入れな」
神田は無言で、脱いだ下着を桶のそばへ乱暴に置いた。
アレンは背を向けたまま、きちんと畳んで置く。
トシコはそれを見比べた。
「ボクちゃん、偉い」
「ありがとうございます……」
「ポニテ魔人、雑」
「うるせぇ」
「下着の扱いは生活の品格に出るんだよ」
「知らねぇよ」
「覚えな!」
霧深い山の夜。
子どもたちの失踪事件を追う三人は、古い炭鉱へ向かう前に、まず下着の衛生と大きな子供の尊厳をめぐる小さな戦いを終えたのだった。
つづく、2026/07/04