おばちゃんエクソシストの成長
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第1話
街の屋根を、二つの影が風を切って飛び渡る。
激しい銃弾の雨をかいくぐりながら、リナリー・リーが軽やかに瓦礫を跳ぶ。
そのすぐ後ろを、半年前のだるま体型からは想像もつかない俊敏さで追うのはトシコだ。
日頃の訓練──鬼の教官のおかげで、今のトシコは羽のように軽く屋根をピュンピュンと跳躍していく。
だが、その背中には、リナリーの体を優に包み込めそうなほどの超巨大な山岳用バックパックが鎮座していた。
走るたびに「ガサゴソ」「ガタガタ」と鳴る重そうな生活音に、先を行くリナリーが思わず叫ぶ。
「トシコ! その荷物いる!?」
激しい銃弾をおっとっとと躱しながら、トシコはハッと目を見開いた。
「……要らなかったね!!」
この時、トシコは重大な事実に気づいてしまったのだ。
あの過酷だった神田との初任務(第12話)以来、次こそは戦場をレストランに変えてやると意気込んで、小鍋や乾燥野菜、カチッと点くガスコンロに防水レジャーシートまで、このキャンパー顔負けの大荷物を揃えた。
だが……。
(そういえば、嬢ちゃんと一緒の時は、一度も野宿になったことがないじゃないのさ……!)
そうなのだ。
あのシスコン室長・コムイが、最愛の妹に野宿が必要になるような過酷な任務を割り振るはずがなかったのである。
他の男のエクソシストたちの時は容赦なく野宿になるのに!(+トシコも)
「気づくのが遅かったよ! でも持ってきちゃったもんはしょうがない!」
ぶつぶつ文句を言いながらも、おばちゃんの本領はここからだ。
正直に言って、攻撃特化ではないトシコに、この激しい戦闘での出番(攻撃的な意味で)は無い。
ならば、今回もやるべきことは一つ!
「嬢ちゃん! 怪我したらすっ飛んで行くから叫ぶんだよ! じゃあおばちゃん行くよ!」
「気をつけてトシコ!」
リナリーの声を背に、トシコは屋根から地上へとダイブした。
目指すは、物陰に隠れている重傷のファインダーたちの元。
――が、着地の瞬間だった。
長旅と特訓と連日の任務で徐々に引き締まり、だるまからナイスバディへと激変していたトシコの肉体。
そこに、巨大リュックのズッシリとした重みが下半身へダイレクトにのしかかる。
重力は非情である。
ズドン。
入団当時の「だるまサイズ」のままだった団服のズボンが、勢いよく足首まで滑り落ちた。
「……ッあ!!」
着地と同時に、勢いよくパンツ丸見えになってしまったトシコ。
「ちゃんと縛ってたのにぃ!」
しかも、その着地した場所というのが――。
「「「…………え?」」」
物陰に隠れ、息を潜めていた負傷ファインダーたちの、まさに目の前だった。
戦闘の緊迫感の中、突如として目の前に降臨したキレキレのナイスバディに巨大リュック、しかしパンツ丸出しという情報量の多すぎるおばちゃんの姿に、ファインダーたちは全員が負傷の痛みを忘れて固まる。
「……あんたたち! 何をマヌケな顔して見てるんだい! ほら、見ないでおくれよ!!」
ガニ股のまま慌ててズボンを引っ張り上げながらも、トシコの動きに淀みはなかった。
ズボンを紐で腰にキツく縛り直すと、すぐに真剣なプロの顔に戻って負傷者たちに駆け寄る。
「はいはい、そこのあんた、足見せな! イノセンス発動!」
トシコの手がファインダーの傷口に触れると、暖かい光が溢れ、みるみるうちに傷が癒えていく。
自分も連戦で疲れ果てているはずなのに、おばちゃんの世話焼きと慈愛の精神は、何よりも他人を優先するのだ。
「う、動ける……! ありがとうございます、トシコさん!」
「次っ!」
──。
治療を終え、元気を取り戻したファインダーたちは、すぐに自分の使命を思い出したようにキリッとした表情になる。
「よし、俺たちはリナリー様のサポートに回る! 」
「頼んだよ、男の子たち!」
おばちゃんに命と元気を吹き込まれたファインダーたちが、一斉にリナリーの戦闘サポートへと飛び出していく。
それを見送りながら、トシコは「ふぅ」と巨大なリュックを背負い直すのだった。
❄︎ ❅ *. ❅ ✥ ✣ ✤
「――円舞・霧風(えんぶ・きりかぜ)!!」
リナリーの鮮烈な蹴りが最後のAKUMAを撃破し、街にようやく静寂が戻ってきた。
サポートに回ったファインダーたちが「リナリー様、お見事です!」と歓声を上げる中、リナリーは着地すると同時に、小さく顔をしかめて自分の足を押さえた。
「うっ……」
激しい連撃の反動か、あるいは敵の破片をかすったのか、彼女の細い太ももからはうっすらと血がにじんでいる。
「リナリーちゃん!!」
そこへ、巨大なリュックをガサゴソと揺らしながら(今度はズボンを片手でしっかり押さえながら)、トシコが猛ダッシュで駆け寄ってきた。
「大丈夫かい!? どこを やられたんだい!?」
「あはは、大丈夫だよトシコ、ちょっとかすり傷を作っちゃっただけ……」
リナリーは心配をかけまいと無理に笑顔を作ろうとするが、おばちゃんの鋭い目は誤魔化せない。
トシコはすかさずリナリーの前に膝をつくと、そのお母さんのような手をそっと彼女の太ももに添えた。
「強がり言んじゃないよ。女の子の綺麗な体に傷が残ったらどうするんだい。……『ピエタ』」
トシコの手のひらから、じんわりと温かく優しい光が放たれる。
リナリーの太ももの痛みがみるみるうちに引き、めくれた皮膚がまるで時間を巻き戻すかのように綺麗に塞がっていく。
「……ふぅ、よし。これでよし、と」
光が収まると、トシコは額の汗をぐっと拭った。
実はトシコ自身、連戦に次ぐ連戦で体力的にはかなり限界に近いはずなのだ。
それでも、自分の疲れなど一言も口に出さず、ただ目の前のリナリーを労わるように、おばちゃん特有の包み込むような優しい笑顔を浮かべる。
「あ……ありがとう、トシコ。すっかり痛みが消えちゃった」
リナリーは自分の足を動かしながら、本当に嬉しそうに微笑んだ。
半年前のあの絶望的な初任務の時、トシコはただ守られるだけで、自分の無力さに涙を流していた。
けれど今の彼女は、こうして前線に立って仲間を助け、傷ついた者をその手で直接救うことができる。
「お安い御用さ! さぁ、これで今回の任務は全部片付いたね。教団に帰るよ!」
「うん! 一緒に帰ろう、トシコ」
泥臭くて、お茶目で、でも誰よりも温かい――
そんなトシコの成長した背中を、リナリーは頼もしそうに見つめるのだった。
❄︎ ❅ *. ❅ ✥ ✣ ✤
ガタゴトと心地よい振動を立てて、汽車は黒の教団本部の方向へと向かって走っていた。
車内には、任務を終えた安堵感と、どこか懐かしい甘酸っぱい香りが漂っている。
「やっと……やっと帰れるぅぅぅ~~~!! 」
トシコは、車窓に映る自分の顔が見えなくなるほど、滝のような涙をだばだばと流していた。
泣き方だけ見れば、もはや任務帰りのエクソシストではない。
まるで三日三晩、韓流ドラマを見せられ、ようやく最終回を見終わった時の近所のおばちゃんである。
だが、泣き崩れているわりに、その指先だけは淡々としていた。
親指をみかんのヘタに差し込み、くるりと皮を裂く。
一房ずつ丁寧に分け、白い筋まで几帳面に取っていく。
涙は止まらない。
鼻もすすっている。
しかし、みかんの処理速度だけは一流だった。
「ほら、嬢ちゃん。食べな」
「ありがとう、トシコ」
差し出されたみかんを受け取ったリナリーが、くすりと笑う。
その笑顔を見た瞬間、トシコの涙はさらに勢いを増した。
「ううっ……無事でよかったねぇ……足も綺麗に治ってよかったねぇ……若い子の肌に傷なんか残ったら、おばちゃん、教団の壁を全部雑巾がけしながら泣くところだったよ……!」
「それは泣きながらでも掃除はするんだね」
「するよ! 」
リナリーはとうとう堪えきれずに笑った。
汽車はガタゴトと揺れながら、黒の教団へ向かって走っていく。
戦場の硝煙も、AKUMAの残骸も、さっきまでの緊張も、少しずつ遠ざかっていく。
代わりに車内へ広がるのは、剥きたてのみかんの甘酸っぱい香り。
そして、任務を終えてようやく気が抜けたおばちゃんの、情緒過多なすすり泣きだった。
「もうね、あたいの可愛い胃袋が限界だったよ! 早くジェリーちゃんの、ちゃんとした温かいご飯をお腹いっぱい食べたいよぉ!」
「ふふ、トシコ、本当にお疲れ様。はい、お茶どうぞ」
向かいの席に座るリナリーが、くすくす笑いながら水筒のお茶を差し出してくれる。
トシコはそれを受け取り、ズズズと飲み干すと、自分のブカブカになった団服の胸元をパタパタと仰いだ。
隙間から風がスースーと通り抜ける。
「それにしても、この服、本当に限界だねぇ。動くたびにズリ落ちそうになって、生きた心地がしなかったよ」
「本当にね。でも、採寸はもう前に済ませてあるんでしょう?」
「そうなんだよ。この前一瞬だけ教団に帰ったときに、科学班の人にギチギチに紐で測られたんだけどさ。新しい団服が出来上がる前に、またすぐ次の任務に叩き出されちまっただろ?ファインダーの人に持たせてくれって頼んどいたのに、忘れられてるみたいでさ。やっと自分で取りに行けるよ。 さすがに今度教団に帰ったら、あたいのナイスバディにぴったりな新しいやつが、出来上がってるよねぇ?」
トシコが「ふんす!」と、引き締まった自慢のウエストを強調するポーズをとる。
それを見たリナリーは、みかんを口に運びながら、しみじみとした目をトシコに向けた。
「……でも、本当にトシコ、変わったよね。だるまさんみたいだったのに、今じゃこんなに綺麗に引き締まっちゃって。……ねぇ、神田はびっくりしてなかった?」
半年間、トシコに地獄のしごきを課した張本人である神田。
リナリーの素朴な疑問に、トシコは「あ〜、あのポニテ魔人かい?」と呆れたように笑うと、おもむろに両手のひとさし指を両目の脇に当てた。
そして、ぐいっと指で目尻を吊り上げ、思いっきり不機嫌そうなカオを作る。
「『ハッ! やっと、人になったな。ババア』……フンッ!!」
「キャハハハハッ!! 似てる! すごく似てる、トシコ!!」
神田のあの冷徹でうざったそうな声を完璧に再現したトシコの顔真似に、リナリーはツボに入ったように大爆笑。
お腹を抱えて笑うリナリーを見て、トシコも「だろ? 本当に可愛げのない兄ちゃんだよ」と満足げに笑うのだった。
つづく、2026/06/01