おばちゃんエクソシストの誕生
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第16話。
神田はその光を横目で見た。
遠隔での治療。
速度は遅い。
効果も浅い。
だが、出血を止め、痛みを散らし、命を繋ぐ程度ならできている。
使える。
そう判断した直後、AKUMAの一体が笑い声を上げた。
「壊ス」
床板を踏み砕き、銃口のような腕をこちらへ向ける。
狙いは神田でも、トシコでもない。
倒れた村人たちだった。
「チッ」
神田がモグモグと口を動かしながら六幻を振るう。
飛斬撃がAKUMAの腕を裂く。
だが、同時に別のAKUMAが横合いから弾丸を吐いた。
弾は床をえぐり、集会所の残骸を吹き飛ばす。
衝撃で、何人かの村人が椅子ごと床から浮いた。
「うわあっ!」
縛られていたはずの椅子が、床板ごと剥がれ、村人が後ろへ転がる。
神田の視線が、その一瞬を捉えた。
椅子。
床板。
拘束。
固定されている位置。
神田の目が冷える。
(……床ごと剥がせばいい)
判断は一瞬だった。
神田は六幻を握り直すと、椅子に座ったまま両足へ力を込めた。
「兄ちゃん?」
トシコが気づく。
神田は答えない。
膝を沈める。
背筋をわずかに倒す。
足裏で床を噛むように踏みしめる。
ぎし、と木が鳴った。
「……っ」
さらに力を込める。
バキ。
椅子の脚が固定されていた床板に亀裂が走る。
「ちょ、兄ちゃん、何して――」
次の瞬間。
神田が立ち上がった。
バキバリバキッ!!
盛大な音を立てて床板が裂け、椅子を固定していた部分がまとめて剥がれた。
神田は、立っていた。
ただし。
尻に椅子をくっつけたまま……。
「……」
トシコは一瞬、言葉を失った。
神田は身体は〝 く〟の字で、黒い団服を揺らし、六幻を構える。
椅子は腰の後ろに固定されたまま、まるで尻尾のように張り付いている。
かっこいい。
いや、かっこ悪い。
いや、おかしい。
判断に困る姿だった。
「……兄ちゃん」
トシコがおかしくて震える声で言う。
「その格好で戦うのかい?」
「黙れ」
神田は低く吐き捨てた。
その口元へ、また箸が蕎麦を運ぼうとする。
神田は殺気だけで箸を睨んだ。
「……」
神田は蕎麦から離れるように一歩後ずさった。
尻尾の椅子が、がこん、と床板を引きずる。
「……動ける」
完全ではない。
椅子は邪魔だ。
腰の後ろで重量が揺れ、重心も狂う。
だが、座っているよりはずっといい。
神田の足が、床を蹴った。
次の瞬間、彼の姿がぶれた。
「二幻刀!」
六幻の刃が、低く鳴る。
その背に重なるように、もう一本の刃が浮かび上がった。
イノセンスの力で形を成した、二本目の刀。
神田は両の刃を握り直すと、椅子を腰に引きずったまま、くの字でAKUMAの懐へ一気に踏み込んだ。
ガン、と椅子がどこかにぶつかる。
不格好なのは、腰の後ろだけ。
刀筋は、恐ろしいほど美しい。
右の刃が装甲を裂き、左の刃がその傷を追う。
一撃ごとに間合いを詰め、逃げ場を潰し、AKUMAの体を斜めに、横に、縦に切り刻んでいく。
二本の刃が、同時に閃いた。
一太刀。
二太刀。
いや、数える暇などない。
黒い残像。
銀の刃。
そして、尻で跳ねる椅子。
その三つが一瞬だけ重なった次の瞬間、AKUMAの体がばらばらに裂けた。
神田はそのまま地上に着地する。
遅れて、腰の後ろの椅子が地面を叩いた。
ガコン!
間の抜けた音が、やけに大きく響く。
神田は、心底不快そうに眉を寄せた。
「……邪魔だな」
低く呟き、六幻を横薙ぎに振るう。
刃が空を裂いた。
AKUMAの腕が飛ぶ。
さらに踏み込もうとした瞬間、腰の椅子が瓦礫の割れ目に引っかかった。
がくん。
神田の動きが一瞬止まる。
「兄ちゃん!」
トシコが叫ぶ。
AKUMAの銃口が神田へ向く。
神田は舌打ちし、体を強引にねじった。
椅子が瓦礫を巻き込みながら外れる。
その反動を利用して、神田は半回転した。
腰にくっついた椅子が、遠心力で大きく振られる。
ごんっ。
椅子の背が、横から迫っていたAKUMAの顔面に直撃した。
『 ギャァァァ!」
トシコの目が丸くなる。
「今、椅子で殴った!?」
「黙って治してろ!」
神田はそのまま六幻を振り下ろす。
椅子で怯んだAKUMAを、刃が真っ二つに断った。
爆ぜる音。
黒い粒子が散る。
集会所の空気が震えた。
だがまだ終わらない。
空の向こうから、最後の数体がやってくる。
レベル1。
動きは単調。
数だけが面倒だった。
神田は息を吸う。
「ババア」
「なんだい!」
トシコは白い糸を何本も伸ばし、村人たちの傷を繋ぎ止めている。
顔色は少し悪い。
だが、目は死んでいなかった。
「テーブルを守れ」
「治療しながらかい!?」
「やれ」
「簡単に言うねえ!」
それでもトシコは、片手の光糸を村人へ伸ばしたまま、もう片方の手を金色のテーブルへかざした。
「壊れるんじゃないよ……!」
白い光が、ひび割れたテーブルの脚へ薄く滲む。
治癒ではない。
トシコ自身にも、これが何なのか分からない。
ただ、割れ目に光が染み込み、崩れかけた木目を一瞬だけ繋ぎ止めた。
「おばちゃんは大工じゃないんだよ……!」
「十分だ」
神田は低く言った。
その一言と同時に、彼は再度走った。
椅子を腰に付けたまま。
それでも速い。
最初の一体が弾丸を放つより先に、神田の刃が届く。
斬る。
次の一体が村人へ向く。
神田は地面を蹴り上げた。
椅子のせいで体が斜めに流れる。
そのまま滑るように間合いへ入り、六幻を突き出した。
刃がAKUMAの胸をバッテンに斬り飛ばす。
『 ギ――』
爆ぜる。
三体目が背後へ回り込む。
「兄ちゃん!」
叫んだのはトシコだった。
神田は振り返らない。
背中の椅子が、AKUMAの接近を邪魔するようにぶつかる。
ほんの一瞬、AKUMAの動きが止まった。
その隙に、神田は逆手で六幻を回す。
刃が背後へ伸びる。
背中越しの斬撃。
AKUMAの首が飛んだ。
トシコは思わず叫んだ。
「椅子、役に立ってるじゃないかい!?」
「うるせぇ!」
神田が吼える。
その声と同時に、最後の一体が天井の残骸から飛びかかる。
狙いは金色のテーブル。
『 壊ス、壊ス、壊ス!』
神田の足が地面を蹴る。
しかし、椅子が引っかかり、ほんのわずかに遅れる。
AKUMAの爪が、テーブルの中心へ振り下ろされる。
「させるかい!」
トシコは叫んだ。
治療に使っていた白い糸を、一瞬だけすべてテーブルへ向ける。
光が金色の表面に広がる。
薄い膜。
AKUMAの爪が落ちる。
ばきんっ!
完全には防げない。だが、軌道が逸れた。
AKUMAの爪はテーブルの中心ではなく、端を削っただけで済む。
その瞬間、神田が間に合った。
「災厄招来――界蟲一幻!」
六幻から放たれた斬撃が、黒い嵐のように広がる。
蟲の群れにも、刃の群れにも見えるそれが、最後のAKUMAを呑み込んだ。
『 ギィァアアア!』
断末魔がして、黒い破片が空へ散る。
そして静寂が訪れた。
神田は六幻を下ろす。
尻には、まだ椅子。
トシコは椅子に縛られたまま、力をテーブルから引っ込めた。
「……終わった、のかい」
神田は周囲を見た。
屋根も壁も無くなった集会所。
怪我人はいる。
だが、致命傷はない。
金色のテーブルも、ひびは入ったが壊れてはいない。
神田は短く息を吐いた。
「多分な」
村人たちも、安堵したようにその場へ座り込みかけた。
その瞬間。
ぐんっ!
「は?」
神田の体が、不自然に後ろへ引っ張られた。
まるで腰に見えない縄でも結ばれているみたいに、足が勝手に床を滑っていく。
「おい、なんだこれ――」
ずるずるずる。
神田だけではない。
さっきまで壁際に避難していた村人たちも、椅子から転げ落ちかけていた者も、全員が同じ方向へ引き寄せられていく。
その先にあるのは――金を纏った、あのテーブル。
「ぎゃあああ!まただ!」 「もう無理だって!」 「腹が裂ける!」
村人たちが泣き叫ぶ中、神田は床に六幻を突き立てて抵抗した。
だが、ずるり。
「チッ……!」
刀ごと引きずられる。
その姿は、巨大な磁石に吸われる鉄くずだった。
やがて全員が、ぴたり、と椅子の前に戻される。
がたん。
勝手に新たな椅子が引かれ、勝手に座らされる。
そして目の前には、湯気を立てる料理。
肉。
パン。
煮込み。
魚。
菓子。
果物。
見ただけで胃が絶望する量だった。
「……まだ食わせる気かよ」
神田の声が低く沈む。
村人たちはもう半泣きだった。
「無理です……もう入りません……」 「何日もずっと食べてます……」 「神様、お願いです……」
その中でただ一人。
トシコだけは、皿の肉をじっと見つめていた。
「……」
そして、ぽつり。
「あたしはまだ入るよ」
「入るのかよ!」
誰かが叫んだ。
だがトシコは、フォークを握ったまま、ふと顔を上げる。
その視線の先には、ありがたい像。
御神木から作られたという、村の守り神。
トシコはゆっくり語りかけた。
「……ねえ、神様。あたしゃさ、怪我した人を早く治したいんだよ…」
その声に、村人たちが息を飲んだ。
神田も眉をひそめた。
トシコは腹をさすりながら、像に叫ぶ。
「神様とやら、ちょっと聞きな!」
像は何も答えない。
だが、テーブルの皿がかすかに震えた。
トシコのフォークは肉をぶっ刺して「食べろ食べろ」とトシコの頬をグリグリしてくる。
トシコの声は完全に、食堂で悪ガキを叱る声だった。
「いいかい。あんたがこの村の人たちを腹いっぱいにしてやりたいって気持ちは、分かるよ」
料理の湯気が、ふわりと揺れる。
「この土地は作物が育ちにくいんだろ?みんなが飢えないように、って祀られてたんだろ?」
村人の一人が小さく息を呑む。
トシコは続けた。
「だから、ご飯を出してやる。腹いっぱい食べさせてやる。それは優しさだよ。ありがたいことだよ」
そこで、びしっと像を指差す。
「でもね」
声が太くなる。
「無理やり食べさせるのが優しさだと思ったら、大間違いだよ!」
テーブルの上の皿が、びくりと跳ねた。
神田が無言でそれを見る。
トシコは止まらない。
「飯ってのはねぇ、ありがたく食べるもんだよ。泣きながら詰め込むもんじゃないんだよ。腹がいっぱいになった人間に、まだ食えまだ食えって押し込むのは、親切じゃなくて拷問だよ!」
トシコの勢いは止まらなかった。
フォークに刺さった肉がグイグイとおばちゃんの口元を押す。だが、トシコは負けじと集会所正面の中央に鎮座する像を真っ向から睨みつけた。
「いいかい、神様! あんた、半分に割られちまって寂しかったのかい? それとも、村のみんながひもじい思いをしてるのが、そんなに辛かったのかい?」
会場の空気が、びりびりと震える。
像の瞳が、金色の光を微かに宿したように見えた。
「分かるよ。あんたは、この村の守り神なんだからね。みんなの笑った顔が見たかったんだろ? お腹が空いて泣く子がいないように、って願ったんだろ?」
トシコの声が、少しだけ柔らかくなる。
「でもね、よく見てごらんよ。今、誰が笑ってるんだい?」
彼女はぐるりと村人たちを見渡した。
「みんな、泣いてるじゃないか。苦しくて、青い顔をして、ご馳走を恨めしそうに見てる。……こんなの、あんたが本当に作りたかった景色じゃないはずだよ!」
その言葉に、一人の幼い子どもが「うっ……」と声を漏らして泣き出した。
「お腹いっぱいってのはね、幸せなことなんだよ。……あぁ、美味しかった。明日もまた頑張ろう。そう思って、箸を置く。それが『ごちそうさま』ってことなんだよ。あんたがやってるのは、その一番大事な幸せを奪ってるんだよ!」
トシコは、震える自分の左手を像へと突き出した。
「あんたが神様なら、思い出しておくれよ! 昔、村の人たちが笑いながらあんたの木陰で休んでた時のことを。少しの木の実を分け合って、『美味しいね』って笑い合ってた時のことをさ!」
屋根と壁が吹っ飛んだ集会所に朝の光が差し込む。
その光に照らされた金色のテーブルが、悲鳴のような軋み声を上げた。
「……腹が減ってるなら、食わせてやる。傷ついてるなら、治してやる。それは、明日もみんなに生きててほしいからだろう? だったら……」
トシコは、最後に深く息を吸い込み、魂を込めて叫んだ。
「――お腹がいっぱいになったら、ゆっくり寝かせておやりよ! 明日の朝、また『お腹が空いたね』って笑って起きられるようにさ!!」
その瞬間。
ピキィィィィィン!
澄んだ音を立てて、像の胸元に一筋の亀裂が走った。
それと同時に、村人たちを、神田を、そしてトシコを椅子に縛り付けていた見えない力が、霧が晴れるようにふっと消え去った。
つづく、2026/05/03