おばちゃんエクソシストの誕生
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第15話。
窓の外で、AKUMAの笑みがさらに裂けた。
次の瞬間に轟音がして、集会所の屋根と壁が、まとめて吹き飛んだ。
「ぎゃあああああ!!」
村人たちの悲鳴が響く。
木片が飛び、埃が舞い、金色のテーブルの上に並んだ料理が大きく跳ねる。
だが、不気味なことに――料理はこぼれなかった。
皿は揺れ、スープは波打ち、肉汁は跳ねたというのに、食卓そのものだけは、まるで何かに守られているかのようにそこに在り続けていた。
「チッ」
神田は椅子に縫い止められたまま、六幻に手を伸ばす。
その瞬間だった。
目の前の皿に、湯気を立てた蕎麦が現れた。
「……」
神田の眉間が、さらに険しくなる。
勝手に右手が箸を掴む。
「おい」
箸が蕎麦をすくう。
「ふざけんな」
抗おうとしたが、口が勝手に開いた。
ずるっ。
「……」
蕎麦が入った。
トシコは隣で、自分のフォークが勝手に肉を刺すのを必死に止めながら、目を剥いた。
「兄ちゃん、この状況で蕎麦かい!?」
「俺が選んだんじゃねぇ!」
神田は口の中の蕎麦を噛み切るように飲み込みながら、左手一本で六幻を抜いた。
座ったまま。
しかも食事中。
戦闘姿勢としては最悪だった。
接近戦が得意な神田にとって、動けないという状況は致命的に不利だ。
だが、AKUMAはそんな事情を待ってくれない。
壊すべきイノセンス。
殺すべきエクソシスト。
ついでに動けない人間の群れ。
そのすべてが、この集会所に揃っている。
AKUMAたちにとって、ここは食卓も同然だった。
「災厄招来――」
AKUMAが瓦礫を踏み砕きながら、神田たちへ狙いを定める。
その銃口のような腕が、椅子に縛られた二人と村人へ向けられた。
「界蟲一幻!」
六幻の刃から放たれた力が、蟲の群れのように空を裂いた。
黒い軌跡が走り、放たれかけていたAKUMAの腕を切り裂く。
爆ぜる音。
AKUMAが悲鳴を上げる。
だが、すぐに別の個体が壁だった場所から這い込んでくる。
「まだ来るのかい!」
トシコが叫ぶ。
だが、その口も勝手に開く。
「あっ、ちょ、やめ――」
フォークに刺さった肉が、無理やり口元へ運ばれてくる。
「今じゃないんだよ!今は肉じゃなくて人を助ける時間だよ!あらヤダ!美味しいじゃないの!!」
トシコは必死に右手を押さえる。
しかし、テーブルの力は容赦がない。
『 食べろ。
食べ終わるまで席を立つな。』
その意志だけが、金色の木目の奥からじわじわと伝わってくる。
その時、AKUMAの弾丸が集会所の床をえぐった。
爆風で飛んだ木片が、村人たちへ降り注ぐ。
「うあっ!」
真向かいの若い男の腕に、鋭い木片が突き刺さった。
血が流れる。
「ちょっと!」
トシコの顔色が変わる。
反射的に男に手を伸ばそうとする。
だが、届かない。
椅子から立てない。
体は椅子に縛られ、腕は勝手にフォークを握らされる。
「くそっ……!」
トシコは歯を食いしばった。
トシコが届いたのは、隣の男の頬だけだった。
「貸してごらん!」
掌を傷口に重ねる。
十字の痕が、白く光った。
男の傷が、すうっと塞がっていく。
小さな傷だったせいか、トシコの胸の痛みはかすかだった。
けれど、それだけだった。
向こうの席では老婆が吹っ飛ばされて気絶している。
反対側では子どもが泣いている。
少し離れた村人の肩から、血が流れている。
見えているのに。
手が届かない。
「……っ」
トシコの胸の奥に、別の痛みが生まれた。
イノセンスの痛みではない。
もっと、嫌な痛み。
役に立てない痛みだった。
「歯がゆいねえ……」
声が震える。
「こんな力もらったって、意味ないじゃないかい……!」
その隣で、神田は蕎麦を無理やり口に押し込まれながらも、左手で六幻を振るい続けていた。
「一幻!」
放たれた飛斬撃が、また一体のAKUMAを弾き飛ばす。
AKUMA自体はヘボだ。全てレベル1やせいぜいレベル2程度。
神田がちゃんと動けていればチョチョイのチョイのはずだった。
AKUMAの一体が、金色のテーブルへ爪を振り下ろした。
ばき、と嫌な音がする。
天板ではなく、テーブルの脚に亀裂が走った。
「…っ!」
神田が息を飲む。蕎麦も飲む。
イノセンスを壊される訳にはいかない。
同時に、別のAKUMAは神田へ向けて弾丸を放つ。
イノセンスも壊す。
エクソシストも殺す。
村人も巻き込む。
悪意は、一つでは済まない。
「チッ」
神田は椅子に縛られたまま、六幻を振るう。
弾丸を弾き、AKUMAの爪を受け流し、同時にテーブルの亀裂を見た。
「……そういうことか」
トシコが顔を上げる。
「兄ちゃん?」
神田は口元についた蕎麦の汁を乱暴に拭った。
そして、亀裂の入った金色のテーブルをチラリと見る。
「イノセンスを壊される訳にはいかねぇ」
「このテーブルがイノセンス!?」
「だが、こいつに傷がつく度に、拘束が弱くなる」
また一撃。
AKUMAの攻撃が、テーブルの端を削る。
金色の塗装が剥がれ、木目の奥に白い光がちらついた。
その瞬間、ほんの一瞬だけ、神田の右手を縛る力が弱まった。
「……」
神田の目が細くなる。
「嬉しい誤算だ」
トシコは目を丸くした。
「だが、壊される訳にはいかねぇ。とにかく厄介なんだよ」
「じゃあ、壊される前にやっつけなきゃいけないってことかい!?」
「そうだ」
神田は左手で六幻を握り直す。
食わされながら。
座らされながら。
それでも、刃の気配だけは鋭くなる。
目の前に、また蕎麦が現れる。
それを見た神田の顔が一瞬死んだ。
「……」
トシコは、こんな時なのに思わず言った。
「兄ちゃん、蕎麦好きなんだねぇ」
「黙れ」
その瞬間、AKUMAが再び笑った。
にちゃり。
動けない人間たちを前に、悪意が牙を剥く。
黄金のテーブルは、まだ湯気を上げている。
強制された晩餐。
壊れかけた食卓。
食べさせられながら戦う神田と、届かないのに傷ついた村人に手を伸ばすトシコ。
その時、神田の肩に弾丸の破片が掠った。
黒い団服に、赤が滲む。
「兄ちゃん!」
トシコは反射的に手を伸ばした。
「貸してごらん!」
「いらねぇ、邪魔するな!」
「うるさいよ!」
トシコは勝手に神田の肩へ手を重ねた。
掌の十字が、白く光る。
じん、と胸に小さな痛みが走った。
神田の肩から、赤い滲みがすうっと消えていく。
「……」
神田は一瞬だけ目を細めた。
傷が塞がる。
あまり深い傷ではなかったから、胸の痛みも浅い。
だが、トシコはそのまま動きを止めなかった。
「他にもあるだろ」
「触るな」
「あるだろって聞いてんだよ」
神田は答えない。
答えないまま、左手で六幻を振るう。
飛んできた弾丸を弾き、テーブルへ伸びた爪を切り落とし、村人の頭上に落ちかけた梁を斬り払う。
その合間にも、蕎麦が勝手に口へ運ばれる。
ずるっ。
「……」
その姿を見て、トシコの胸の奥がぎゅっと詰まった。
隣にいる神田には、手が届く。
でも。
向こうの席で倒れている老婆には届かない。
反対側で泣いている子どもにも届かない。
少し離れた村人の肩から血が流れているのも見えている。
見えているのに、届かない。
「…ほんっと…歯がゆいねえ」
トシコの声が震えた。
「こんなに怪我してる人がいるのに……」
フォークが勝手に肉を刺す。
体は椅子に縛られている。
手を伸ばしても、届かない。
「治せる力があるっていうのに、届かなきゃ意味ないじゃないかい……!」
その瞬間。
掌の十字が、じん、と熱を持った。
白い光が、神田の肩を治した時とは違う形で滲む。
細く。
長く。
糸のように。
トシコの指先から、怪我人の方へ伸びていく。
「……なんだい、これ」
神田が横目で一瞬だけ見た。
「ババア」
「分からないよ。でも……」
トシコは息を呑む。
白い光の糸は、テーブルの上を這うように伸び、少し離れた村人の傷へ向かっていた。
「届きそうなんだよ」
神田の目が細くなる。
「なら使え」
短い声だった。
「やってみろ」
トシコは一瞬だけ神田を見た。
乱暴で、冷たい言い方。
けれど、それは足手まといではなく、戦力として使えという意味に聞こえた。
トシコは震える息を吐く。
「言われなくてもそのつもりだよ」
掌を開く。
「おばちゃんに任せな」
白い糸が、金色の食卓の上を滑る。
泣いている子どもの頬へ。
肩を押さえる村人へ。
倒れた老婆の額へ。
直接手のひらを当てるより、完全には治せない。
でも、血を止める。
痛みを少しだけ引き受ける。
息を繋ぐ。
それならできる。
「死ぬんじゃないよ!」
トシコは椅子に縛られたまま叫んだ。
「今、おばちゃんが治してあげるからね!」
光の糸が、ぷるぷると震える。
その一本一本が、トシコの胸の奥へ細い針を差し込むようだった。
それは深くはない。
だが、数が増えればトシコへの痛みも重なる。
「っ……」
胸がじくじくと痛む。
けれどトシコは、手を下ろさなかった。
つづく、2026/05/03