おばちゃんエクソシストの誕生
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第14話。
朝靄が立ち込める森の出口。あと数分も歩けば目的の村というところで、神田の足が止まった。
その背後から、顔色の悪いトシコが、腰を押さえながらよろよろと歩いてきた。目の下にはうっすらクマが浮かび、髪もどこかしんなりしている。それでも口だけは達者に、大きく伸びをしながら声をかける。
「ああーっ、体痛いよ! 兄ちゃん、やっぱり地べたで寝るもんじゃないよ」
「……黙れ、ババア。その口を縫い合わせる前にだ」
神田が振り返る。その目は真っ赤に充血し、目の下にはどす黒いクマが鎮座していた。
「なんだい、そんな怖い顔して。」
「……誰のせいだ。貴様の鼻腔から出たあの爆音の中で、どうやって集中しろと言うんだ。次にあの音を出したら、六幻の鞘を鼻の穴に突っ込んで、強制沈黙させてやるからな」
「ひどいねぇ! あたいのイビキはせいぜい子守唄程度だよ。兄ちゃんの耳が神経質すぎるんだよ、きっと」
そんな口論を繰り広げながら村の入り口を抜けた瞬間、二人の鼻腔を「それ」が突いた。
火薬の匂いでも、腐臭でもない。
食欲を暴力的に刺激する、濃厚なバターと肉の焼ける香ばしい匂いだ。
トシコの足が、足早に動き出した。
さっきまで「体が痛い」だの「地べたは人間の寝床じゃない」だの散々ぼやいていた顔から、疲労の色がすっと消える。
目が、光った。
「……兄ちゃん」
「なんだ」
「この村、いい村だよ」
「まだ何も見てねぇだろ」
「匂いで分かるんだよ。腹に優しい村は、人にも優しい」
神田は心底どうでもよさそうに舌打ちした。
「任務だ。飯食いに来たんじゃねぇ」
「わかってるよ。任務前の腹ごしらえだろ?」
「違ぇ」
「同じことだよ」
(マジで足手まといじゃねぇか)
トシコは鼻をひくひくさせる。
「こっちだね」
「おい」
神田の制止も聞かず、トシコは匂いのする方へずんずん歩いていく。
一晩の野宿で腰が痛いだの何だの言っていたはずなのに、食べ物の気配を察知した瞬間だけ、足取りが軽い。
神田は目の下に濃いクマを背負ったまま、その背中を睨んだ。
「……元気じゃねぇか」
「食べ物を目の前にすりゃ人は歩けるんだよ」
「黙れ」
村の中央には、小さな広場があった。
神田は無言のまま村の広場を見渡した。
「……妙だな」
「妙?なにがだい」
トシコは鼻をひくひくさせながら答える。
「人がいねぇ」
言われて、トシコもようやく周囲を見る。
広場は、がらんとしていた。
朝の村なら、本来もっと音があるはずだ。
井戸に水を汲みに来る女たち。
畑へ向かう男たち。
走り回る子ども。
鶏の鳴き声。
戸を開け閉めする生活の気配。
けれど、ここには何もない。
いつ干されたか分からない洗濯物だけが、ひらひらと風に揺れている。
「……ほんとだねぇ」
トシコは眉を寄せた。
「こんなにいい匂いがしてるのに、誰もいないなんておかしいよ」
「匂いかよ」
「大事だよ。腹の減った人間は、匂いのする方へ集まるもんだ」
神田は返事をしなかった。
だが、六幻の柄に添えた指は、わずかに強くなる。
トシコはもう一度、鼻をひくつかせた。
香りは広場の奥から来ている。
バター。
焼けた肉。
甘い果物。
湯気の立つパン。
それらが混ざり合って、まるで誰かがこちらを誘っているようだった。
「……こっちだね」
トシコは迷いなく歩き出す。
「おい」
「腹の勘は外れないんだよ」
「任務の勘を働かせろ」
「同じようなもんさ」
「違ぇ」
言い合いながら、二人は村の奥へ進んだ。
やがて見えてきたのは、古びた集会所だった。
木造の大きな建物。
扉は半開きになっている。
その隙間から、湯気と匂いが濃く漏れていた。
「ここだ!」
トシコがごくりと喉を鳴らす。
神田は無言で扉を押し開けた。
――中は、異様だった。
広間の中央に、長いテーブルが置かれている。
金色。
やけに派手な金色の塗装が施された、ピカピカに光る重厚なテーブルだ。
その上には、あり得ないほど豪華な料理が並んでいた。
肉の塊。
焼き魚。
白いパン。
果物の山。
湯気の立つスープ。
艶のある菓子。
田舎の小さな村には似つかわしくないほどの、ご馳走。
だが、問題はそこではなかった。
テーブルを囲むように、村人たちが座っていた。
老人も、女も、男も、子どもも。
皆、青い顔をして、震える手で食べ続けている。
目は虚ろ。
腹は膨れ、口元には食べこぼしがついている。
それでも、手は止まらない。
止められないのだ。
「……なんだい、これ」
トシコの声が低くなる。
近くの老婆が、かすれた声で呟いた。
「来ちゃ駄目だよ……」
老婆の手は、皿の上のパンを掴んで口へ運ぶ。
「もう……食べられないのに……」
別の男が、涙を流しながら肉を噛んでいる。
「立てねぇんだ……食べ終わるまで、立てねぇ……」
神田の目が細くなった。
「チッ」
トシコが金色のテーブルを見る。
表面は滑らかそうで、ところどころに木目が残っている。
金の塗装の下から、何かが薄く光っているようにも見えた。
集会所の隅にいた村長らしき男が、苦しそうに顔を上げた。
「おお、やっと来てくださったか…」
腹は苦しそうに膨れ、口元には果汁が滲んでいる。
それでも手は止まらない。葡萄を一粒つまみ、勝手に口へ運んでいく。
神田は老人を離れたところから見下ろし、目を細めた。
「説明しろ。何があった」
短く、冷たい声。
老人――村長らしき男は、苦しげに息を吐いた。
「この村は痩せた地でのぅ……食べるものに困らないように、昔から御神木を祀っておったんじゃが……」
言葉の途中でも、手は勝手に葡萄を口へ運ぶ。
「先日……その御神木に雷が落ちて……真っ二つに割れたんじゃよ……」
ごくり。
老人の喉が、無理やり動く。
「それで……その半分で、あの像を作って」
彼は震える指で、集会所の前方中央を示した。
そこには、どでかい像が置かれていた。
御神木の残り半分で彫られたらしいそれは、豊穣を司る神か、食卓を守る精霊か。
どこかありがたそうな顔をしているのに、妙に腹だけが立派で、異様な存在感を放っている。
村長は涙目で続けた。
「もう半分は……このテーブルにしたんじゃ……」
トシコは顔をしかめた。
「欲張ったねぇ……」
ぽつりと呟く。
「木も神様も、半分こにされたら怒るんじゃないかい」
神田が、金色のテーブルと像を交互に見る。
「……好んで半分にした訳じゃねぇだろ」
「た、たしかに…」
「イノセンスが宿ってるのは、このテーブルか……あの像か」
トシコは金色のテーブルを見た。
テーブルの上には、次から次へと料理が現れている。
一瞬、目が輝いた。
「……食べ物が次から次へと湧いてくるなんて、夢みたいじゃないかい」
神田が横目で睨む。
「おい」
トシコは慌てて咳払いした。
「いや、分かってるよ。分かってるけどね」
テーブルの周りで、村人たちは青い顔のまま食べ続けている。
そして、前方中央に置かれた大きな像へ視線をやった。
その時、テーブルがぎしりと鳴った。
皿の上の料理が、さらに湯気を濃くする。
トシコはごくりと喉を鳴らした。
「……見た目だけなら、だいぶ魅力的なんだけどねぇ」
「食うな」
「分かってるよ!」
分かっている。
頭では、ちゃんと分かっている。
これは任務だ。
目の前の料理は危険だ。
村人たちは苦しんでいる。
分かっているのだが――
右足が、勝手に出た。
バン!
一歩。
「嗚呼!」
村長が血相を変える。
「それ以上近づいたらあかん!」
「……あ」
遅かった。
次の瞬間、トシコの体がぐいっと前へ引かれた。
「えっ、ちょ、なんだい!?」
見えない力が腰を掴む。
足が床を滑る。
まるで強力な磁石に吸い寄せられる鍋の蓋みたいに、トシコの体が金色のテーブルへ向かって引っ張られていく。
「ああああああ!?」
神田が反射的に腕を伸ばした。
「おい!」
その手が、トシコの腕を掴む。
だが、そこで神田も気づいた。
自分の足も、一歩、前に出ていた。
「……あ」
その一歩が、境界だった。
ぐん、と力が跳ね上がる。
神田の体まで、見えない力に捕まる。
「チッ!」
踏ん張ろうとしたが、遅い。
トシコは両腕をばたつかせながら叫んだ。
「ああ~れ~!」
「ふざけた声出すな!」
「勝手に出るんだよぉ!」
二人まとめて、ずるずるとテーブルへ引き寄せられていく。
がたん。
まず神田が椅子に座らされた。
どすん。
続いてトシコが、隣の椅子に尻から着地する。
「あたぁ……!」
「……」
神田の眉間には、深い深い皺が刻まれていた。
目の前には、いつの間にか二人分のナイフとフォークが並んでいる。
目の前の魅力的な料理にトシコは、目を丸くした。
「……おやまあ」
「感心してる場合か」
テーブルがまた、ぎしりと鳴った。
まるで新しい客を歓迎するように、料理の湯気がさらに濃くなる。
そして次の瞬間、トシコの右手が勝手にフォークを握った。
「……あれ?」
フォークが肉へ向かう。
「ちょ、ちょっと待ちな!あたしの右手!」
神田もまた、自分の手首を押さえていた。
「……くだらねぇ真似を」
二人は、黄金の食卓に“客”として迎え入れられてしまった。
神田は低く吐き捨てた。
「食うな」
「分かってるよ。さすがのあたしも、これは食べたらまずいって分かるよ」
フォークが肉を刺す。
フォークが口元へ向かう。
「やだやだやだ!今は違うんだよ!食い意地じゃないんだよ!」
神田もまた、自分の手首を押さえていた。
箸でも剣でもないフォークを、無理やり皿へ向かわせようとする力。
歯を食いしばり、神田は腕を止める。
だが、完全には抗えない。
金色のテーブルが、またぎしりと鳴った。
広間の空気が、甘く、重くなる。
村人たちのうめき声が低く響く。
その時――
窓の外で、影が動いた。
神田の目が鋭くなる。
トシコも、フォークと格闘しながら顔を向けた。
窓いっぱいに、巨大な顔が貼りついていた。
丸い目。
歪んだ口。
にちゃり、と笑うAKUMAの顔。
「……」
その顔は、動けない人間たちを見下ろしながら、実に楽しそうに笑っている。
まるで、食卓に並んだ「料理」を見るように。
「ギャアアアアア!!」
トシコの悲鳴が、集会所に響き渡る。
「な、な、な、なんだいあれ!?顔!顔が窓いっぱいだよ!!」
神田は六幻へ手を伸ばしたが、体は椅子に縫い止められたように動かない。
「AKUMAだ」
「ア、アクマ!?あれが!?あんなデカい顔で覗くもんなのかい!?」
「知らねぇよ」
AKUMAの口が、さらに大きく裂けた。
にちゃあ。
トシコは椅子ごと後ろへ逃げようとして、当然のように逃げられない。
「ひぃぃ……!」
だが次の瞬間、村人たちの青い顔が目に入る。
食べさせられ、動けず、怯えきっている人々。
トシコの悲鳴が、喉の奥で止まった。
「……兄ちゃん」
声が震えている。
それでも、ただ怯えているだけの声ではなかった。
「こいつら、あたいたちを食いに来たのかい?」
神田は低く答える。
「そうだろうな」
トシコは、ぎゅっとフォークを握りしめた。
「冗談じゃないよ……」
窓の外で、AKUMAが笑っている。
黄金のテーブルは、何事もなかったように料理を湯気立たせ続けていた。
強制された晩餐と、迫りくるAKUMA。
トシコの掌の十字が、かすかに熱を帯びた。
村人たちの命も、神田たちの自由も、すべてが、この黄金の食卓の上に乗せられていた。
つづく…2026/04/28