おばちゃんエクソシストの誕生
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第13話。
神田が火打ち石を打ち鳴らすと、濡れた枝の隙間で小さな火花が弾けた。
しかし、火はつかない。
ぱち、と頼りない音だけを残して、煙すら上がらず消える。
雨上がりの森は湿っていた。
地面は水を含み、枝は重く、落ち葉は指でつまめばじっとりと濡れている。
神田は舌打ちし、もう一度火打ち石を打った。
ぱち。
消える。
ぱち。
また消える。
「やっぱ……しけってやがる」
低く吐き捨てる。
その様子をじっと見ていたトシコが神田に声を掛ける。
「兄ちゃん」
「なんだ」
「貸しな」
神田が眉をひそめる。
「は?」
「こういう時はねぇ、力任せに火花散らしてもダメなんだよ」
トシコはよっこらせ、と重そうに腰を上げた。
筋肉痛のせいで立ち上がるだけでも顔が歪む。
「いだだだ……腰が……昨日のアンタの鬼訓練がまだ骨に住んでるよ……」
文句を言いながらも、手はよく動いた。
トシコはポーチの中から、ガーゼのハンカチを取り出し、歯を使ってビリッと破る。
さらに、倒木の下へ手を伸ばし、湿っていない樹皮を剥がした。
「表は濡れててもねぇ、中は案外乾いてるもんさ」
指先で樹皮を細かく裂く。
ほぐして、ほぐして、鳥の巣みたいに丸める。
神田は無言で見ている。
トシコは小さな塊を作ると、焚きつけの真ん中に置いた。
「火ってのはね、いきなり大きい枝に食いつかせようとするから拗ねるんだよ」
「火が拗ねるか」
「拗ねるんだよ。人間も火も、最初は優しくしないとダメなんだ」
それから火打ち石を受け取り、角度を変えて打った。
一度目。
ぱち。
二度目。
ぱち。
三度目。
布の端に、小さな赤が宿った。
「ほら来た」
トシコはすぐに顔を近づけ、ふう、と細く息を吹きかける。
強すぎず、弱すぎず。
赤い点が、じわりと広がる。
煙が上がる。
「焦っちゃダメだよ……ほら、育てるんだ」
トシコは削った樹皮を少しずつ足し、さらに細い枝を一本、二本と重ねた。
湿った枝がじゅう、と嫌な音を立てる。
「そこはまだ濡れてる。こっちは根元にあったからマシだね」
選んだ枝だけを足していく。
やがて、煙の奥で炎が小さく舌を出した。
ぱち。
小枝がはぜる。
火が、ようやく息をし始めた。
トシコは満足そうに鼻を鳴らした。
「ほらね」
焚き火の赤い光が、丸い頬を照らす。
「こういうのはおばちゃんに任せな」
神田は黙って炎を見ていた。
それから、ほんの少しだけ目を細める。
「……やるじゃねぇか」
「当たり前だよ。おばちゃんをなめるんじゃないよ」
トシコは胸を張った。
「飯炊きと火起こしは命だよ。火がなきゃ、腹も心も冷えるからねぇ」
神田は返事をしなかった。
ただ、火のそばに六幻を置き直し、森の闇へ視線を戻した。
トシコは焚き火に両手をかざしながら、しみじみ呟く。
「火だよ……文明だよ……ありがたいねぇ……」
疲れ切った声だった。
トシコは「あぁ、これでようやく泥のように眠れるよ……」とかき集めた草で作った簡易敷き布団に横たわろうとした。
「待て」
冷たい声が、背中に刺さる。
トシコの動きが止まった。
嫌な予感がする。
ものすごく、嫌な予感がする。
「……なんだい」
振り返ると、神田が焚き火越しにこちらを見ていた。
その目は、さっきまで土砂崩れの斜面を駆け上がっていた時と何も変わらない。
冷たい。
容赦がない。
そして、やる気だ。
「何寝ようとしてんだ、ババア」
「あたいの意識はもう、夢の世界という名の極楽に片足突っ込んでるんだよ」
「その前にやることがあんだろ」
トシコは顔を引きつらせた。
「……まさか」
神田は立ち上がる。
六幻をそばに立てかけ、腕を組んだ。
焚き火の赤い光が、その黒い影を森の中へ長く伸ばす。
「日課だ」
「…………」
「スクワット千回。腕立て千回。腹筋千回」
「…………」
森が静かになった。
虫の声も、風の音も、火のはぜる音さえも、いったん遠くなった気がした。
トシコはゆっくり目を見開く。
「正気かい!?」
叫びは、夜の森に盛大に響いた。
「この状況で!? 雨上がりで!? 空腹で!? 膝が笑いすぎて引き笑いになってるこの状態で!?」
「敵は待ってくれねぇ」
「敵より先にあたいの軟骨が死ぬよ!」
「始めろ」
「兄ちゃん、鬼だよ! ポニテ魔人の次は筋肉鬼だよ!」
神田は答えない。
ただ、無言で顎をしゃくった。
やれ。
その一動作だけで、十分すぎるほど伝わる。
トシコは泣きそうな顔で立ち上がった。
いや、立ち上がろうとした。
「い゛っ……」
太ももが震える。
腰が鳴る。
ふくらはぎが、全力で拒否してくる。
「……足がね、持ち主に反乱を起こしてるんだよ……」
「黙って動け」
「はいはい……やればいいんだろ、やれば……!」
トシコは焚き火の横で、泥を避けながら構えた。
しゃがむ。
立つ。
「い……いち……」
「声が小せぇ」
「いちぃ!!」
「二」
神田の声は淡々としている。
トシコは重い体を上下させた。
十回。
二十回。
三十回。
そのあたりで、すでに魂が半透明になり始めた。
「はっ……はっ……ちょ、ちょっと待ちな……!」
「止まるな」
「止まってないよ! 生と死の間を漂ってるだけだよ!」
「動け」
「言葉が少ないねぇ! 優しさも少ないねぇ!」
神田は焚き火のそばに立ったまま、視線を森へ向けている。
トシコはその横顔を恨めしげに見た。
「今日は兄ちゃんはやらないのかい?」
スクワットの合間に、どうにか文句を挟む。
神田は六幻の柄に手を添えたまま、闇を見ていた。
「俺は寝ずの番をする。無駄な体力は使わねぇ」
「……ふーん」
トシコは、しゃがんだまま神田を見る。
文句を言うつもりだった。
自分だけ汗だくで、向こうは涼しい顔で立っているのだから、文句の一つや二つ、いや三つ四つくらい出ても罰は当たらない。
だが、焚き火の光を受けても、神田の目はまったく緩んでいなかった。
炎ではない。
もっと奥。
木々の間に沈んだ黒い闇を、じっと見据えている。
この兄ちゃんは、休んでいるわけじゃない。
そう気づく。
トシコは少しだけ黙った。
それから、息を吐く。
「……なら、ちゃんと見張っとくれよ」
結局、出てきたのは軽口だった。
「おばちゃん、今襲われたら亀より鈍いよ」
「だろうな」
「わかってるなら、もうちょっと優しくしておくれよ!」
「動け」
「鬼!」
叫びながら、またしゃがむ。
五十回を超えたあたりで、足は完全に自分のものではなくなっていた。
神田にとって、今回のような任務は異例だった。
これまでは己の速さと力だけで敵を殲滅すれば良かったが、今回はトシコという名の巨大なハンデを常に背負って動かなければならない。
おばちゃんを守りつつ、戦う。
それは神田にとって、利き腕を縛って薄氷の上を歩くような、極めて不自由で苛立たしい制約だった。
トシコはそんな事は知らない。
そもそも、驚異的な治癒能力(再生能力)を持つ神田にとって、新米の寄生型支援能力者であるトシコの力は、実質的には必要ないのだ。
それでもコムイが彼女を神田に預けたのは、現場の空気、絶望、そして「自分の足で歩くことの重み」を骨の髄まで叩き込むため。
「……六十一……六十二……っ」
這うような速度で回数を重ねるトシコ。
神田は、焚き火の火影に紛れて、わずかに六幻の柄を握り直した。
トシコが汗だらけでスクワットをしている今この瞬間も、彼は闇の中に潜むAKUMAの気配を、トシコの代わりに一人で受け止めている。
「……おい、止まるな。あと九百三十八回だ」
「ひぎぃぃ! ちょっと止まって汗を拭っただけじゃないか!」
「……動け。止まれば、次は死ぬ時だと思え」
神田の突き放すような言葉。
それは、トシコがいつか自分がいなくても戦場で生き残れるように、あえて冷徹に徹する彼なりの作法だった。
トシコはそんな神田の真意など露知らず、「見てなよ、次は絶対に腰に貼るタイプのマッサージ器も持ってくるんだからね……!」と、あらぬ方向へ執念を燃やしながら、お尻を上げ下げするのだった。
やがて、百回。二百回。
半分白目を剥いてる気がする。
汗が頬を流れ、背中を伝う。
夜の冷気の中で、体だけが熱い。
「……あたい、誓ったよ……!」
荒い息の合間に、トシコが呻く。
「次に任務に出る時は……膝サポーターと……腰サポーターと……それから兄ちゃんの口を塞ぐための特大肉まんを持ってくるからねぇ……!」
「くだらねぇこと考えてる暇があるなら、さっさとやれ」
「思考まで管理されるのかい!?」
神田は容赦なく数える。
「三百一」
「三百二」
「三百三」
トシコの視界は、焚き火の赤と森の黒でぐるぐるしていた。
何度か倒れかけ、そのたびに踏みとどまる。
一度、尻もちをつきかけた時、神田の声が低く飛んだ。
「そこで寝たら置いていくぞ」
「ひどいねぇ……!」
「死なせねぇためにやらせてんだ。文句言うな」
その言葉に、トシコは一瞬だけ目を上げた。
神田は相変わらず森を見ている。
こちらを見ていない。
だが、その声は石よりも硬かった。
トシコは口を尖らせる。
「……言い方ってもんがあるだろうに」
それでも、足は動いた。
四百。
五百。
六百。
もはや回数の感覚はない。
リナリーがいないから、天使のような応援もない。
代わりにいるのは、鬼のようなポニーテールだけ。
「九百九十八」
「……あたい……今……魂が二つに割れてるよ……」
「九百九十九」
「…片方はもう…実家に…帰ったよ……」
「千」
その瞬間、トシコは音を立てて崩れ落ちた。
どさり。
湿った地面に、巨大な疲労の塊が沈む。
「ああ……終わった……今度こそ終わった……」
「次。腕立て伏せ」
「終わってなかった!!」
悲鳴が森に響く。
「さっさと構えろ」
「年寄りは労るもんだよ……」
震える腕で、どうにか体を支える。
一回。
沈む。
戻ろうとする。
戻らない。
「…………」
べちゃり。
トシコは地面と一体化した。
「……おばちゃん……先に……逝ってるよ……」
完全にうわ言だった。
二回。
三回。
四回目で、腕が終了した。
「……腕が、閉店しました……」
「開けろ」
「明日の開店時間は9時です」
それでもトシコは、泣きながら続ける。
途中からは、腕立て伏せというより、地面に別れを告げたり再会したりする儀式になっていた。
沈む。
戻る。
沈む。
戻らない。
神田の「上げろ」という声で、戻る。
それを延々繰り返す。
何度も途中で潰れた。
何度も地面に頬をつけた。
それでも、神田はやめさせなかった。
やめさせない代わりに、周囲の闇から目も離さなかった。
火がはぜる。
森が鳴る。
トシコの息が乱れる。
神田の呼吸は乱れない。
やがて、腕立て伏せが終わったころには、トシコはもはや人間というより、地面から剥がしたばかりの何かだった。
「……あたい、平べったくなってないかい……?」
「次。腹筋」
「もう許しておくれよぉ!!」
しかし許されない。
仰向けに転がされる。
いや、自分で転がったのだが、もはや転がされたのと同じである。
トシコは空を見上げた。
雨雲の切れ間から、少しだけ星が見える。
「ああ……星がきれいだねぇ……」
「起きろ」
「最後に星くらい見せておくれよ……」
「腹筋」
「はいよぉ……!」
上体を起こそうとする。
起きない。
腹が邪魔をする。
「くっ……!」
もう一度。
起きない。
体が揺れるだけ。
「腹の肉が邪魔だよぉぉ!!」
森に絶叫が響いた。
「誰かこれ持ってておくれ!!」
誰もいない。
神田だけがいる。
そして、神田は持ってくれない。
「筋肉なんざ、ほとんどねぇな」
神田が淡々と言う。
「贅肉しか無ぇ」
「この肉、売れないかねえ?」
腹筋は、もはや運動ではなかった。
地面の上で、巨大な何かが必死に起き上がろうとする生命活動。
星に向かって伸びる手。
戻る体。
揺れる腹。
神田の容赦ないカウント。
「二百」
「三百」
「四百」
トシコは途中で何度も謎の声を出した。
「うごっ」
「へぶっ」
「魂が……魂が腰から漏れる……」
それでも、どうにか続ける。
神田は一度だけ、森の奥を睨んだ。
何かの気配。
あるいは、気配のなさ。
どちらにせよ、彼の手は常に六幻へ届く位置にあった。
トシコはそんなことに気づいているのか、いないのか。
「兄ちゃん……」
「なんだ」
「これ終わったら……寝ていいんだろうね……?」
「敵が来なけりゃな」
「その条件、怖すぎるよ……!」
「九百九十七」
「話してる間にも進んでるねぇ……!」
「九百九十八」
「もうあたいの腹は何も喜んでないよ……!」
「九百九十九」
「明日、絶対に起きられないよ……!」
「千」
終わった。
今度こそ、終わった。
トシコは仰向けのまま、完全に動かなくなった。
目を開いたまま、夜空を見ている。
呼吸だけが、かろうじて生存を主張していた。
神田は焚き火のそばへ戻ると、六幻を手に取った。
「……今日はここまでだ」
トシコの口が、かすかに動く。
「……今日……は……?」
「明日もやる」
「鬼……」
「寝ろ」
「寝るよ……泥のように……いや、もう泥だよ……」
神田はそれ以上何も言わなかった。
トシコは草の上へどうにか転がり、湿った寝床に体を預ける。
背中が冷たい。
腰が痛い。
足が自分のものではない。
腹は空いている。
それでも、焚き火の熱がかすかに頬を撫でた。
「……兄ちゃん」
目を閉じたまま呼ぶ。
「なんだ」
「見張り、頼んだよ」
神田は森の闇を見たまま、短く返す。
「ああ」
その返事は、いつものように素っ気ない。
けれど、なぜか不思議と眠れそうだった。
トシコは小さく笑う。
「……あんた、口は悪いけど……火の番は上手そうだねぇ……」
「黙って寝ろ」
「はいはい……」
声は、すぐに小さくなった。
やがて、規則正しい寝息が聞こえ始める。
焚き火が、ぱちりと鳴る。
神田は一度だけ、草の上で丸くなって眠るトシコを見た。
泥だらけで、疲れ果てて、文句ばかりで。
それでも、千回を三つ、やり切った。
「……」
神田は何も言わない。
ただ、六幻の柄を握り直し、再び森の闇へ目を向けた。
夜はまだ長い。
敵が来るかもしれない。
来ないかもしれない。
どちらでもいい。
来たら斬る。
背後で眠る、やかましいおばちゃんを起こさないように。
焚き火の火は、静かに燃え続けた。
(……ようやく静かになったか)
背後からは、規則正しいトシコの寝息。
泥だらけになり、3000回の地獄をやり遂げたやかましい同行者への、ほんのわずかな敬意。神田は夜風に当たりながら、張り詰めた神経をわずかに凪がせた。
だが、その平穏は、あまりにも唐突に、暴力的に打ち砕かれた。
「……ズ、………………ゴォォォォォォォォォォォ!!!」
「っ!?」
突如として、夜の森に地響きのような轟音が鳴り響いた。
神田は反射的に六幻の柄を掴み、立ち上がる。殺気を放ちながら、音のした闇の奥を睨みつけた、その瞬間。
――バリバリバリバリバリバリッ!!!
頭上の大樹から、無数の暗い影が、悲鳴のような羽音を立てて一斉に飛び立った。
何百匹というコウモリの大群だ。彼らは突然の爆音にパニックを起こし、神田の頭上をかすめて、狂ったように夜空へ逃げ惑っていく。
(AKUMAの奇襲か!?)
神田がコウモリの群れの奥へ六幻を向けようとした、その時。
地鳴りの第二波が、すぐ足元から這い上がってきた。
「グガァァァァァ……! ッ、プハァッ! ……ズゴォォォォォォ!!」
「…………は?」
神田は動きを止めた。六幻を構えたまま、ゆっくりと視線を下に向ける。
草の上に丸まったトシコが、地獄の釜を開いたような大イビキをかき鳴らして、幸せそうに眠っていた。
「…………」
飛び去ったコウモリたちの羽音が、遠くで虚しく響く。
神田の額に、ドロリとした青筋が浮かぶ。
寝ろとは言ったが、これは限度を超えている。
森の生態系をパニックに陥れるその音は、もはや寝息ではない。科学班が実験に失敗した時の爆発音か、あるいは大型AKUMAが死に際に放つ断末魔の咆哮だ。
神田は耳を塞ぎたい衝動を必死に抑え、こめかみを指で強く押さえた。
「……殺すぞ……。……マジで斬るぞ……」
寝ずの番。
それは敵から身を守るためのものだったはずだ。
だが今の神田にとって最大の敵は、闇から来るAKUMAではなく、コウモリを追い散らし、己の精神を削り続けるおばちゃんの鼻腔であった。
神田は六幻を傍らに突き立て、再び深い、深い溜息をついた。
夜はまだ長い。
AKUMAがこのイビキに恐れをなして逃げ出すのが先か、あるいは神田の忍耐という名の六幻が、トシコの寝床に向けて抜かれるのが先か。
「ズゴォォォォォォ!! ……ッ、プハァッ!」
「……いい加減にしろ」
神田はついに耐えかね、腰に差していた六幻を抜き放つ……のではなく、鞘に収めたまま、その長い柄をスルスルとトシコの寝床へと伸ばした。
剣士としての精緻な間合い管理が、今は爆音の主を突っつくためだけに使われようとしている。
――ツン。
神田が六幻の鞘の先で、トシコの丸まった背中を鋭く突いた。
「……ふぎゃっ!?」
地鳴りのようなイビキが、カエルの潰れたような声と共に止まった。
トシコは薄目を開け、寝ぼけ眼で自分の背中を突っついている黒い棒を見つめる。
「……ん、……なに、……兄ちゃん……? 火が、消えたのかい……?」
「火は消えてねぇが、俺の堪忍袋が消えかかってる。……静かに寝ろ」
「……あたい、……うるさかった……?」
「うるさいどころじゃねぇ。コウモリが全滅するレベルだ」
「……そりゃ悪いことをしたねぇ……。……ムニャムニャ……」
トシコはそう言うと、ゴロリと寝返りを打ち、再び深い眠りに落ちていった。
数秒間の、奇跡のような静寂。
神田は六幻を引き戻し、ようやく深く座り直そうとした。
「……ズ、………………ゴォォォォォォォォォ!!!(音量アップ)」
「………………ッ!!」
止まったのは一瞬だった。
むしろ刺激されたことで、トシコの鼻腔はさらにやる気を出してしまったらしい。
先ほどよりも重低音が増した咆哮に、再び木々の陰から「今度こそ無理だ!」と言わんばかりに残りのコウモリが飛び去っていく。
神田の手が、今度は鞘ではなく、六幻の柄にかかった。
(……一突きか? 一突きすれば静かになるのか?)
漆黒の闇の中、神田の目がバキバキに充血し始める。
寝ずの番。
それはAKUMAからの守護ではなく、おばちゃんのイビキとの孤独な精神修行の場と化していた。
「……明日、村に着いたら、……絶対にこいつに強力な『鼻腔拡張テープ』を買わせる……」
神田は心に誓い、焚き火の爆ぜる音さえかき消す爆音の中で、一人、夜明けを待つのだった。
つづく…2026/04/28