おばちゃんエクソシストの誕生
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第12話。
馬車がガタゴトと闇夜を駆ける中、トシコは空腹に耐えかね、教団から支給された兵糧ポーチを覗き込んだ。
「……なんだい、こりゃ。歯磨き粉かい?」
取り出したのは、金属製の無機質なチューブ。
ラベルには『科学班特製・高濃度栄養圧縮補充液』と、情緒もへったくれもない文字が並んでいる。
「……兄ちゃん、これ本当に食べ物かい? 接着剤でも飲まされる気分だよ……」
「文句あるなら食うな」
神田は窓の外を見つめたまま、吐き捨てるように言った。
トシコは覚悟を決め、チューブの蓋を開けて、中身を口に絞り出す。
「……っ!! ……ゴフッ、……オ、オェェ……ッ!!」
口の中に広がったのは、およそ食とはかけ離れた未知の感覚だった。
消しゴムを噛み潰したような弾力と、真夏の夕立に打たれたアスファルトを直接舐めているかのような、無機質な無の味。
「……ひ、ひどいねぇ……! 科学班の連中は、味覚という概念を母ちゃんの腹ん中に置いてきたのかい!? 砂を噛んでるほうが、まだ大地の味がしてマシだよ……!」
トシコは涙目でチューブを握りしめた。
そして、リナリーが同じようなチューブを手にしているのを想像して、トシコの逆鱗が、ついに限界を迎えようした。
(……ありえない。あんな可愛らしい嬢ちゃんに、こんな『アスファルト味の糊』を食わせて戦わせるなんて、おばちゃんが許さないよ……!)
トシコは、ウエストポーチの中のなけなしの小銭と、自身の胃袋を見つめ、静かに、しかし鋼のような決意を固めた。
「……兄ちゃん。よく聞きな。次はこんなことにならないよ」
「……あぁ?」
神田が、うざったそうに片目を開ける。
「次にあたいが門をくぐる時はね、あたいが『キッチン』を背負ってきてやるからね! 小鍋に、乾燥野菜に、塩と胡椒、それから最高級の出汁の素……! 兵は食い物がなきゃ戦えないんだよ。こんな糊で命を繋ぐなんて、あたいの矜持が許さないよ!」
「……馬鹿か。俺たちはピクニックに行くんじゃねぇんだぞ。荷物は最小限、移動速度が命だ。そんな余計なもん、持たせるわけねぇだろうが」
「余計なもんじゃないよ! 『生きる糧』だよ! 見てなよ、次回のあたいはキャンパー顔負けの大荷物で、戦場をレストランに変えてやるんだからね!」
神田の「……チッ、勝手にしろ」という呆れ声を背に、トシコの脳内ではすでに、背負いカゴいっぱいに詰め込まれた調理器具のリストが爆速で作成されていた。
馬車は、漆黒の任務地へと突き進んでいく。
トシコの野望という名の情熱と、口の中に残るアスファルトの後味を乗せて。
❄︎ ❅ *. ❅ ✥ ✣ ✤
馬車が突然、不自然な揺れと共に急停止した。
急な小雨が、馬車の屋根をパラパラと不吉な音で叩いている。
「……なんだい、着いたのかい?」
アスファルト味の余韻に顔をしかめながら、トシコが窓の外を覗き込む。
だが、そこは村でもなければ、宿場町でもなかった。
「……申し訳ありません。先日の長雨で、この先が土砂崩れを起こしておりまして……。馬車ではこれ以上、進めません」
御者が申し訳なさそうに、雨に濡れた頭を下げた。
目の前には、大量の土砂と倒木が混ざり合い、道を完全に塞ぐ茶色の絶壁がそびえ立っている。
「土砂崩れぇ!? どうすんだい?兄ちゃん」
トシコが絶望に顔を歪めた瞬間、隣の神田は一言も発さず、流れるような動作で馬車から飛び出した。
「おい、待て! 二次災害が起きるかもしれないぞ!」
御者の制止も耳に入らない。神田は泥だらけの土砂に迷いなく足をかけると、重力を無視したような俊敏さで、斜面を駆け上がっていく。
「構わない。……行くぞ、ババア」
頂上付近で振り返った神田は、雨に濡れたポニーテールを揺らし、冷徹な視線を下界のトシコへと突き刺した。その姿は、まさに闇夜に舞う一羽の鷹。絵になりすぎていて腹が立つ。
「〝 行くぞ〟じゃないよ! 見なよ、あたいのこの足を! この地面を!」
トシコが筋肉痛の足でおそるおそる馬車から降りる。
――ズブッ。
一歩踏み出した瞬間、特注の長ズボンの裾が、ぬかるんだ泥の中に深々と飲み込まれた。
「ひぎぃぃ!体が痛い! 泥が……! 科学班が頑張ってくれた『二割痩せ見え鎧』が、一瞬で『泥団子』になっちまうよぉぉ!!」
トシコは必死に土砂の斜面に取り縋った。
だが、現実は非情である。
一歩登ろうとすれば、その巨体の重みで地面が「ズリュッ」と滑り、二歩後退する。
「……おい。何をしてる。漫才は要らねぇんだよ」
頂上で腕を組む神田の、冷え切った声が降ってくる。
「何をしてるかって!?登ろうとしてんだよ! この土砂、あたいの脂肪を全力で拒んでやがるんだ!」
トシコは泥まみれの手で斜面をひっかき、芋虫のようにのたうち回る。
その姿は、女戦士というよりは、泥沼から脱出しようとして力尽きかけたカバに近い。
「……チッ。」
神田は深く、深く溜息をつくと、再び斜面を滑り降りてきた。
そして、泥だらけで半泣きになっているトシコの背後へ回る。
「……ちょ、兄ちゃん!? 何するんだい! あたいの聖域(お尻)に手をかけようってのかい!?」
「黙れ。……舌を噛むなよ」
「え? ……うわぁぁぁぁぁっ!?」
次の瞬間、トシコの視界が大きく浮き上がった。
神田がトシコの団服の襟首と、腰のベルトを力任せに掴み、そのまま荷物のように持ち上げたのだ。
「ちょ、ちょっと! 待っておくれ! あたい、今すごく出荷直前の寒ブリの気分だよ! せめてお姫様抱っこという選択肢はなかったのかい!?」
「……死んでもお断りだ」
神田はトシコという名の重量の荷物を抱えたまま、驚異的な脚力で再び土砂の斜面を登り始める。
「あ痛っ! 揺れる! 兄ちゃん、お腹の肉が圧迫されて、さっきのアスファルトゼリーが逆流……っ、オェッ!」
「黙れと言っただろうが!! 耐えろ!!」
泥まみれのトシコの絶叫と、それを運ぶ神田の怒声が、雨音をかき消すように虚しく響き渡るのだった。
神田は顔をしかめ、こめかみに青筋を立てながら、泥まみれのおばちゃんを担いで絶壁を突き進む。
土砂を越えた神田は、トシコを荷降ろしするように地面へドサリと放り出した。
「ふぎゃっ! ……ったく、もうちょっと優しくできないのかい、このポニテ魔人は!」
「……ババア、お前、文句ばっかりだな。文句があるなら、次からは自力で転がって来い。……行くぞ、村はもうすぐだ」
確かに、自分は何も出来ないくせに文句ばっかりだった。文句を言うのは少し控えようと思うトシコだった。
泥だらけのトシコは、膝をガクガクさせながら立ち上がる。
新品だったはずの団服は見る影もなく汚れているが、その瞳には「村に着いたら、絶対に温かいものを食べてやる」という執念の炎が、アスファルト味の吐き気と共に燃え上がっていた。
3時間後…
「……兄ちゃん、嘘つき。大嘘つきだよ……っ!」
トシコは震える膝を必死に手で押さえつけながら、一歩一歩、地面を這いずるように進んでいた。
太陽は西に傾き、周囲を包むのは雨上がりの重く湿った空気だけだ。
「また文句か。黙って歩け。……見えてるだろうが、すぐそこだ」
「見えてるのと着くのは別問題だよ! 兄ちゃんの『すぐそこ』ってのはね、あたいにとっては『あの世の一歩手前』だよ!」
村の灯りは確かに見える。だが、歩けど歩けどその光は遠いままだ。
ついに、トシコの足が完全に悲鳴を上げた。
「……もう、ダメだ……。膝が笑いすぎて、もうツボに入って抜け出せないよ……。あたいをここに捨てておくれ……」
トシコはその場にドサリと、文字通り肉の塊のように崩れ落ちた。
神田は数歩先で足を止め、深い溜息をつくと、振り返って忌々しそうに眉間を揉んだ。
「……チッ。……今日はここで野宿だ。雨が止んだだけマシだと思え」
「……野宿!? 雨が止んだって、地面はびしょ濡れじゃないかい! あたいの聖域(お尻)が冷えちまうよ!」
トシコは文句を言いながら、おもむろに自分の尻をバシバシと叩いた。すると不思議なことに、ベッタリついていたはずの泥がパラパラと乾いた砂のように剥がれ落ち、下からは新品同様の黒い生地が顔を出した。
「おや……? 払ったら落ちたよ! 凄いねぇ、この服。あたいの脂肪は隠しきれなくても、泥だけはしっかり拒絶してやがる!」
「……寝言は枝を拾ってから言え。火を熾すぞ」
トシコは「はいはい」と膝立ちのまま、周囲からなるべく乾いた小枝をかき集める。
団服は綺麗になっても、胃袋の中身はアスファルト味の虚無で満たされたままだ。
(……ああ、やっぱりだよ。こうなると思ったんだ……)
トシコは小枝を神田の前に積み上げながら、確信した。
ウエストポーチの中には、冷え切った教団の小銭と、不味いチューブしかない。
(見てなよ、ポニテ魔人……。団服が汚れなくたって、あたいの心は泥沼だよ。今度任務に出る時は、こんな冷たい地面の上でも、アンタの鼻を明かすような『温かいスープ』を作ってやるんだから。……火打ち石だけじゃなくて、カチッと付くコンロも、あと防水のレジャーシートも絶対に持ってきてやるんだ……!)
紫色の空の下、神田が打ち鳴らした火打ち石の火花が、トシコの執念の瞳に反射した。
ハイテクな団服と、ローテクな肉体の限界。
地獄の野宿が、静かに幕を開ける。
つづく、2026/04/27